93、瀬川君と八牧さん
詩織の親友、八牧貴音視点です。
しおりんと井坂君に二人っきりにさせられてしまって、私は困ってる様子の瀬川君を見て、遠慮がちに声をかけた。
「…私だけで平気?」
「えっ!?あ、うん。だ、大丈夫!…と、とりあえずグラウンド向かう…よな?」
瀬川君がどうすればいいのか分からないような顔で言って、私はとりあえず笑顔を向けて頷いた。
いきなり二人にさせられて困ってるのは瀬川君の方だよね…
私は女性恐怖症の彼を気遣おうと、少し距離をあけてから瀬川君と並んで歩き出した。
すると後ろから走ってきた男子生徒と接触しかけて、私は廊下の幅をとっているだろうかと思いながらも辺りに神経を尖らせた。
そうしてキョロキョロしていると、瀬川君がじわじわ私に寄ってくるので、私は距離を空けようと廊下の端まで寄った。
恐怖症のクセに何で寄って来るのかと顔をしかめていたら、横でプッと吹きだす声が聞こえて瀬川君が声を殺して笑っていた。
「ごっ…ごめ…!…なんか、八牧さんが谷地さんと似てて…、ツボったっていうか…!」
私がしおりんに似てる!?
私は初めて言われたことに驚いて、瀬川君を凝視した。
「そ、そんな…どこがしおりんと似てるの!?私、しおりんとだけは似てない自信あるんだけど!!」
瀬川君は笑い声をなんとか押し込めると、爽やかな笑顔を初めて私に向けてきた。
「似てるよ。優しいとことか、変な気の遣い方とかそっくり。俺のこと考えてくれてるんだろ?ありがとな。」
私は初めて素の瀬川君を見た気分で、心臓が変にドキッとなった。
さっきの固い笑顔のときにも心臓がこうなった。
なんで…??
私は初めてのことに瀬川君から顔を逸らすと、前に目を向けて言った。
「別に。ただの同情だから。気にしないで。」
「ははっ!八牧さんってハッキリした性格してるよな!!なんかちょっと分かったかも。」
瀬川君は会話することで少し私に気を許してくれたのか、笑顔を惜しげもなく向けてくる。
昨日までの強張った顔が嘘みたいだ。
「瀬川君はしおりんしか触れないって言ってたけど、本当に他にはいないの?」
「うん?そうだな…。…いるにはいるんだけどさぁ…。俺、その子には嫌われてるから。」
「え!?」
私はこんなイケメンを嫌う女子がいることに驚いた。
瀬川君は顔も良くて、性格も真面目で硬派。
人から愛される要素を詰め込んだような人だ。
そして女子恐怖症になっちゃうぐらい繊細な心を持っている。
そんな瀬川君を嫌う女子がいるなんて…。
私はその女子が誰だか気になって、瀬川君に尋ねた。
「その…嫌われてる子に、しおりんと同じように触れるのはどうして?」
「それは、その子が谷地さんと同じ幼馴染だからだよ。小さい頃から知ってるし、安心感があるんだ。」
「幼馴染って…もしかして…。」
「あ、もしかして知ってる?木崎那々子のこと。」
私はしおりんの幼馴染の女子である図書委員で一緒の彼女を思い出して、小刻みに頷いた。
しおりんとは正反対の落ち着いた雰囲気で理知的な面もある、すっごく美人の木崎さん…
私は木崎さんだと知って、少なからず驚いた。
木崎さんが瀬川君を嫌ってる…??
図書委員で何度か話をしたことはあるけど、瀬川君を嫌ってるなんて事は聞いたことがない。
というか、木崎さんから瀬川君の話を聞いた事がない。
私は木崎さん、瀬川君、しおりん、西門君の四人の関係性がよく分からなくなってきて、顔をしかめて考え込んだ。
すると瀬川君がふっと悲しそうに目を細めて言った。
「ナナ…あ、木崎の事な。ナナとはさ、谷地さんや光汰と一緒で中学入った頃までは仲良かったんだ。だけど、ちょっとした事で溝ができちゃってさ。今では睨まれるか、ケンカ腰で話をするかの二択で…。ナナとこんな関係じゃなきゃ、八牧さんに厄介な手伝いをお願いすることもなかったんだけどなぁ。」
瀬川君はどこか遠い目をした後に、私に手を合わせて「ごめんな。」と謝ってきた。
私は『ナナ』と親しげに呼ぶ瀬川君の隠された本心が見えてしまって、どう反応すればいいのか分からなくなった。
瀬川君は木崎さんの事が好きなんだ
私はなんとなくだけど、彼の気持ちに気づいてしまった。
島田君のときといい、私は他人のこういう気持ちに敏感なのかもしれない…
私は気づかないフリをすることに決めると、彼の気持ちを軽くしてあげようと口を開いた。
「謝らないで。私、結構人の世話するのとか好きだから。別に厄介とか思ってないし。本当に厄介だと思ってたらハッキリ言うから。私の性格なんとなく分かってるでしょ?」
私がズバッと言った言葉に目を丸くしていた瀬川君だったが、ふっと表情を崩して笑うと言った。
「そういうとこ、ちょっとナナに似てる。ありがとな。八牧さん。」
私は少年のようにも見える瀬川君の笑顔を見つめて、やっぱりさっきのように心臓が変な感じに動いた。
さっきから何なの?…コレ…
私は自分の胸を手で押さえると、顔をしかめながら少し俯いて靴箱までやって来た。
そうして運動靴に履き替えて校舎を出ると、瀬川君が私と肩がぶつかるぐらい近くに並んできて驚いた。
「せ、瀬川君…。近くない?」
「あ、こういうの苦手だった?ごめん。」
瀬川君は私が嫌がっていると思ったのか、スッと人一人分間を空けた。
私は違う意味に捉えられたと思って、焦って否定した。
「ち、違う違う!!瀬川君が大丈夫なのかなと思ったの。私じゃなくて。」
「あぁ、そういうこと。平気だよ。並んで歩くぐらいなら。八牧さんの事、色々分かってきたしね。」
近付いても大丈夫な女子にランクアップしたってこと?
私は本当に平気そうな瀬川君を見上げて少し嬉しかった。
昨日までは自然と私と距離を空けてた瀬川君。
それが少し話をしただけで、ここまで心を許してくれるようになるなんて…
瀬川君は元々素直で人を信じやすい…すごく優しい人なんじゃないだろうか?
私はまた彼の良い所を見つけてしまって、ふっと顔が綻んだ。
「八牧さんは谷地さんと高校で同じクラスになってから仲良くなったんだよな?」
「うん。席が前後で、しおりんが入学初日に声をかけてくれたの。」
「へー!!人見知りの谷地さんが自分から声かけたんだ。珍しいな~。」
「やっぱりそうなんだ?」
「あ、分かってた?谷地さんが極度の人見知りだって。」
「うん。話しかけてくれたとき、物凄く緊張してるのが伝わってきたから。」
私が初めてしおりんと話をしたときの事を思い出して言うと、瀬川君は嬉しそうに顔を緩めて「だよなぁ~。」と口にした。
しおりんの事をよく知ってる様子の瀬川君に、私は少し胸がもやっとしながら彼を見つめた。
「中学に上がったときは周りにナナや光汰、それに俺もいたし…他にも仲の良い小学校の仲間がいたから大丈夫だったんだけどさ。高校はクラスもバラバラだし、少し気になってはいたんだよな。」
「そうなんだ。」
「うん。でも、八牧さんや井坂君がいるって分かって安心したんだ。谷地さんはちゃんと前に進めてるって。」
前に進めてる…??
私は瀬川君の言い方が引っかかった。
瀬川君は本当に安心しているように、優しい笑顔を浮かべたままで続けた。
「まさか谷地さんが一番最初に彼氏作るとは思わなかったけど。」
「あ、井坂君…。」
「そう!あの二人って見た目正反対なのに、どういう経緯でくっついたわけ?そこが今でも気になってんだけど!!」
瀬川君が私に顔を向けると興味津々に目を輝かせた。
私はその顔が直視できなくて、顔を前に戻すと知ってる事だけを話した。
「きっかけは席が隣になったって事みたい…。あ、委員会が一緒だったっていうのもあるかも…。でも、最初はしおりんも彼女になりたいとか思ってなかったみたいで、必死に想いを隠そうとしてたかな。」
「へぇ…。隠そうとって何で?」
「不釣合いだとか思ってたんじゃないかな?井坂君ってモテるから、自分なんか好きになるはずないって…そう言い聞かせてるみたいだった…かな。」
ここで瀬川君の雰囲気が変わったのが伝わってきて、私が瀬川君の顔をチラ見すると、瀬川君はまっすぐ一点を見つめて顔を強張らせていた。
何かを考え込んでいるような姿にこのまま話を続けてもいいかと思っていたら、瀬川君が「それで?」と促してきた。
「え、そ…その後は…たぶん二人の間で色々あったんだと思うけど…。たぶん付き合うってことになったのは、井坂君の気持ちが大きいんじゃないかな?」
「井坂君の気持ちって…どういうこと?」
「うん。井坂君って周りが見ても分かるぐらい、しおりんにベタ惚れなんだよね…。それだけ想われてたら、いくら自信のないしおりんでも気持ちぶつけるしかないでしょ?」
私はいつ見ても幸せそうな二人を思い返して、胸が温かくなった。
二人は私にとって憧れだ。
想い、想われる…理想の形だと思っている。
瀬川君はふっと表情を緩めると「そっか…。」と呟いてから、いつもの明るい調子で言った。
「井坂君、谷地さんにベタ惚れなんだ!?全然知らなかったなぁ~。」
「え!?瀬川君、あれだけ井坂君に絡まれてて気づかなかったの!?」
私はしおりんにくっつく度に説教されていた瀬川君を知ってるだけに、彼の鈍感さに驚いた。
「あ、あれってやっぱり俺に嫉妬してたんだ?なんとなくそうかな~?とは思ってたけど、まさかクールな井坂君が嫉妬してるなんて思わないしさ~。ははっ!なんか悪い事したなぁ~。」
瀬川君は後ろ頭を掻きながら、その天然っぷりを発揮していて、私は開いた口が塞がらなかった。
ハッキリ言ってしおりんより井坂君の方が遥かに感情は読みやすい。
それなのに瀬川君はしおりんの事は分かっても、井坂君の事は全然分かってない。
私は不思議ちゃんだな…と結論付けて、げんなりした気持ちで前を向いた。
そうして二人で歩いてグラウンド脇までやってくると、急に瀬川君が立ち止まって体育館の方向を見つめた。
私は彼の視線の先が気になって同じ方向に目を向けると、体育館の入り口の段差に座ってイチャつく嫌な奴を発見してしまった。
あの茶髪にピアスにちゃらい雰囲気の男は、ファミレスで赤井君たちに絡んでいた鹿島君だ。
その彼に馬乗りになるように彼と同じ雰囲気を纏うモデル体型の女子がくっついている。
瀬川君はその二人を見つめたままで動かないので、私はなんとなく二人の様子を見て聞き耳を立てた。
「勇ちゃん、なんか元気ないね~。どうしたの?」
「んー…ちょっと手こずってるダチがいてさぁ…。どうすれば昔の姿に戻せるか考え中。」
「何それ?手こずってるって一体何したの?」
その女子が細く白い指で鹿島君の頬を撫でると、鹿島君はふーっとため息をついてから言った。
「この間、その元に戻したいダチとカラオケに行ったんだ。そんで女子の誘惑の力を借りようと思って、あの聖奈を連れて行ったんだよ。」
「うっそ!!あの聖奈!?勇ちゃんのお気に入りじゃん!!」
「んー…そうなんだけどさ。そいつ聖奈の誘惑に落ちなかったんだよなー。」
「え!?あのFカップに落ちなかったの!?どんな男よ!それ!!」
Fカップ…
私はその単語が耳に残ってしまい、Fカップってどのぐらいのサイズだろうと自分の胸を確認する。
鹿島君は後ろ頭で両手を組むと、グーッと仰け反って空を見上げながら言った。
「アリサも知ってるよ。ミスタコン出てたし。井坂って言えば分かるだろ?」
「えぇっ!?あの井坂君!?えぇーーーっ!?」
井坂君!?!?!
私はそのアリサさんと同じようにビックリして目を剥いた。
井坂君が…Fカップに誘惑されても落ちなかったって!!
っていうか!!誘惑されてたなんて!!
私はこれをしおりんが知ったらどうなるかと考えて、ドバっと汗が吹きだした。
「うそー!!やっぱ、井坂君って彼女一筋って本当なんだ!!」
「俺は違うと思うんだけどなー!!絶対、あいつ変だよ!!高校入ってから変になった!!男だったら、多少グラつくだろ!?普通!!」
鹿島君は目を吊り上げて怒りながらアリサさんに顔を近づけた。
アリサさんはケラケラと笑い飛ばすと、鹿島君の肩を叩いている。
「それは勇ちゃんだったらって話でしょ?へぇ~、井坂君が一途だなんて凄い好感度上がったかも。」
「アリサ。井坂は聖奈でも無理だったんだ。お前じゃ論外だよ。」
「えー!?でもさ、私の方が井坂君の彼女とスタイル似てない?」
「体型だけな。っつーか、肉食のお前が狙ってた別のやつはどうしたわけ?」
鹿島君の問いにアリサさんは顔をしかめてから、手を振ってため息をついた。
「あー、ダメダメ。学校一のイケメンだし、一回ぐらいヤッとけば私の株上がるかもーと思って迫ったけど、逃げられた。見た目すっごい肉食そうなのに、中身草食で興味なくなちゃった。アレ、顔はいいけど、きっと童貞だよ。ホントやんなっちゃう。」
私は話の内容にも驚いたけど、学校一のイケメンと聞いて、思わず隣にいる瀬川君を凝視した。
瀬川君は眉間に皺を寄せたままジッと二人を見つめて動かない。
まさか…
「ははっ!!アリサ、きっついな!!っつーか、アリサに童貞ちゃんは無理だろ?」
「だね。今回ので本当にそう思った。イケメンは大好きだけど、童貞はイヤ!!脱いでビビられるなんて初めての経験だったんだから。」
「脱ぐ前に気づけよ!!ったく、アリサはコレと決めたら体が先に動くんだからなー。」
「だぁって、ミスタコンで優勝するほどの人だよ!?早く手をつけないとって焦ったんだもん!」
「はいはい。これに懲りてその先に体が動く性格、見直すんだな~。」
「勇ちゃんに言われたくない!!」
私は楽しそうに笑い合いながらイチャつく二人から目を逸らすと、瀬川君の体操服を掴んで引っ張った。
瀬川君は固まったまま動こうとしない。
これは聞いちゃいけなかった…
私は早くその場を立ち去りたくて強く引っ張ると、瀬川君がやっと足を動かしてくれて、私は逃げるように足を速めた。
瀬川君の様子とあのアリサさんの話。
これを繋ぎ合わせると、瀬川君はアリサさんに襲われて女性恐怖症になった気がしてならない。
その上、彼女から出た暴言の数々。
私は瀬川君の気持ちを考えると、胸が痛くて仕方なかった。
アリサさんは瀬川君の外側だけを見て、彼を深く傷つけたんだ。
彼が繊細で優しい人だって知っていたら、絶対にしないことをあの人はやった。
私はそれが許せなくて、でも何もできない自分に悔しくて目の奥が熱くなってきた。
すると、瀬川君が立ち止まったのか、手が後ろに引っ張られて、私は彼に振り返った。
「八牧さん。さっきの気にしないでくれよな。」
「え…。」
瀬川君はさっきまでと変わらない笑顔を浮かべていて、私はその様子が信じられなくて目を大きく見開いた。
「気にしないでって言われても気になるかもしれないけど…、女の子には不快だっただろ?だからさ、聞き流した感じで忘れてくれていいから。」
私は瀬川君に気を遣われてると分かって、彼の優しさに胸を強く打たれた。
無性に泣きたくなるぐらい胸の奥が苦しい
「だいたいさー、人の通る場所であんな話しないよな!?ああいう系の奴らは節操がないっつうか。俺らとは本当に相容れないよなぁ~。」
辛いはずの瀬川君が私を宥めようと笑顔で笑い話に変えようとしている。
私はその姿が余計に痛々しくて、目の前が霞んできた。
「ま、もう関わることもねーだろうし。とりあえずは今日の体育祭頑張ろ――――」
「無理に笑わなくていいよ!!」
私は精一杯だろう瀬川君の言葉を遮るように瀬川君の体操服を握りしめたままで告げた。
目からは今にも涙が零れそうで必死に堪える。
「瀬川君が腹が立ってるのも、悔しいのも…辛くて悲しいのも、苦しいのも…全部分かるよ!」
私は涙が落ちるのを隠そうと、片手で顔を隠すと鼻をすすった。
きっと瀬川君は私が泣いてる事に戸惑ってるだろう。
でも、なぜだか分からないけど瀬川君の気持ちが伝わってきて、胸が痛くて我慢できなかった。
「瀬川君は…誰に対しても…優しすぎるよ…。」
私は鼻声のまま言った。
すると前から小さな笑い声が聞こえて、私はグイッと涙を拭って瀬川君を見上げた。
瀬川君は真っ赤な鼻をしていたけど泣いてはいなくて、でも泣きそうな笑顔を浮かべていた。
「なんで八牧さんが泣くの。」
やっぱりまだ強がっている瀬川君の笑顔を見て、私は涙が溢れて胸がギュッと締め付けられた。
この人の力になりたい…
少しでも気持ちを楽にしてあげたい…
私は初めて男の子に抱く気持ちにドキドキと心臓が速くなる。
私は瀬川君を軽く小突くと「瀬川君はバカだよ。」と言って顔を拭った。
瀬川君は「かもな。」と言って、また私の心を締め付ける笑顔を見せたのだった。
タカさんの恋の芽生え編でした。