8、テスト週間
校外学習を終えると、学校は一気にテストモードへと突入した。
高校に入って初めての中間テストだ。
テスト週間に入ると、さすがに私のクラスは進学クラスだけあって、休み時間や放課後に勉強をし始めるクラスメイトが出てきた。
私もその一人で家で勉強するよりは学校の方が捗るので、放課後は図書室に入り浸っていた。
ここにいると図書当番のナナコやタカさんともいられるので一石二鳥だからだ。
今日の当番はナナコのようで、私は当番をするナナコを見ながら、机で勉強をしていた。
すると女子特有の高い声の話し声が聞こえてきて、うるさいなと思って顔を上げた。
「しおり!さっき見たよ!!」
「え~?何のこと?」
しおり…??
名前に驚いて声のする方を見つめると、色白で綺麗な茶髪を胸の辺りまで伸ばしているお人形さんのような子が友達らしき女子と話をしていた。
私は自分の短い髪を触って、同じ名前なのにここまで違う事に落ち込んだ。
話をしている二人は図書室に勉強や本を読みに来たわけではないようで、話を続けている。
「さっき進学クラスの人と話してたじゃん!!すっごく背の高くてカッコいい人!」
「あぁ、拓海君の事?同じ中学で仲が良いからさ。」
拓海君…?
私はそれが井坂君の名前だと分かっていただけに、思わずその子を凝視した。
『しおり』さんは色白の肌を少し赤く染めて笑っている。
「それだけじゃないんでしょ~?なんか良い雰囲気だったし!」
「もう、からかわないでよ。そんなんじゃないから!!」
「うそばっかり~!!」
『しおり』さんの反応から井坂君の事が好きなんだという事が伝わってきた。
私は心臓が動悸を奏で始めていて、話している二人から目を逸らして俯いた。
そうだよね…私だけが井坂君の事を好きなわけない…
私はこんなに可愛い人まで井坂君が好きだと知って、胸が苦しくなった。
自分なんか足元にも及ばない…
告白はしないと決めたものの、井坂君がこの『しおり』さんと付き合う姿を想像して、黒く醜い感情が広がっていくのを感じていた。
すごくお似合いだ…私なんかじゃ…
私は気持ちが落ち込んできて、こんな状態では勉強は捗らないので、教科書とノートを鞄にしまうと席を立った。
そして当番をしているナナコに声をかけて帰ることにする。
「ナナコ。今日は帰るね。また明日!」
「しお、今日は早いんだね。また明日~!」
ナナコの笑顔に少し気持ちが明るくなって、私は彼女に手を振ると図書室を後にした。
それから中庭に出て校門へ向かうと、校門の前で洸ちゃんと出くわした。
「あ、しお。今、帰り?」
「…うん。洸ちゃんも?」
自転車に跨っていた洸ちゃんは私を見て自転車から下りると、私に並んで足を進めて頷いた。
「うん。帰り一緒になるとか珍しいな。また、ニケツしてやろっか?」
「今日はいいよ。歩いて帰りたい気分だから。」
私は気持ちが落ち込んでいたので、まっすぐ地面だけ見つめて答えた。
「変な奴~。」
洸ちゃんにからかうように言われてカチンときた。
彼は悩みというものがないのだろうか?
私は少し困らせてやりたくなって、イライラしながら口を開いた。
「洸ちゃんはさ、人を好きになった事あるの?」
「は…?いきなり何?」
よほど驚いたのか、洸ちゃんの声がかすれていた。
私はそんなの気にせずに追及した。
「だって、あんまり女の子と話してるの見たことないし。初恋もまだなんじゃないかって思ってさ。」
「……何?しおは今誰かに恋してんの?」
「なっ!?私の話じゃなくて!!」
私は反撃をくらった事に驚いて、顔に熱が集まる。
洸ちゃんを困らせてやろうと思ったのに、自分が困らされてどうするんだ。
私は何とか話を戻そうと試みる。
「洸ちゃんに聞いてるんだよ!!今、好きな人いるの?」
「……そんなんしおに関係ねーじゃん。っていうかさ、しおはどうなんだよ?」
「――――っ!!」
しつこいな!!
洸ちゃんは軽く流したのに、私は井坂君の姿が頭にちらついて流すことができない。
こんな話を洸ちゃんにできるわけがない。
「洸ちゃんは私の有名な話知ってるでしょ!?あれから恋なんてしないって誓ったの!!」
同じ中学だったら、私の痛い初恋の事を知っているはずだ。
なんてったって学校中に知れ渡ったのだから…。
今も思い返しそうになって頭を振った。
「まだ…引きずってんの?」
洸ちゃんは声のトーンを落として尋ねてきた。
彼の気を遣った表情が胸に刺さる。
こんな顔…見たかったわけじゃない。
私は今まで散々周りにさせてきた顔をさせてしまった事に罪悪感が胸をかすめた。
「そ…んなわけないじゃん。もう、昔のことだよ。とっくに立ち直ってるってば。」
私は洸ちゃんを笑顔にさせたくて、自分から笑顔を作った。
洸ちゃんはそんな私を見て、少しだけ顔を緩ませた。
私はそんな優しい彼に胸が痛くなりながらも、頬に力を入れ続けた。
大丈夫…あんな過去のことはもう忘れた…
今は井坂君が好きなんだから…
井坂君は彼とは違う…
私は井坂君の笑顔を思い返して、少しだけ自信を持ち直した。
***
「ただいまー。」
私は家に帰って来ると、ふうと息を吐いて靴を脱いだ。
「うっわ。また陰気くせー顔で帰って来た。」
毎日聞き飽きるほど聞いている悪態を聞いて顔を上げると、弟がこっちを見て顔をしかめていた。
「うるさいな。大輝だって変わらないでしょ!?同じ顔してるのに!!」
「俺は姉貴みたいにダサくありませーん。それに陰気くせー顔なんてしてねーし。」
ダサくないと言われて、私は二の句がつげなかった。
弟の大輝は同じDNAを持ってるはずなのに、私と違ってオシャレに敏感で女の子にもモテる。
中学生のくせに高校生顔負けに背も高いからなおさらだ。
これはうちの家の特徴でもある。
お母さんもお父さんも背が高いから、私も大輝も小さな頃から背の順は一番後ろ。
私も男に生まれたらモテただろうかと思って、悲しくなってきた。
「もういい。私、明日からテストだから部屋で勉強する。」
「うわ、出た。ガリ勉!!そんな勉強ばっかして何が楽しいわけ?」
「テスト前は勉強するのが当然でしょ!?」
「テスト勉強なんてやったことねーよ。」
我が弟ながらイラついてくる。
弟は記憶力がすごく良い。
それだけにあまり勉強しなくてもテストで良い点を取ってくるのだ。
努力しなければいけない私とは正反対で、本当に姉弟かと疑わしい。
「それよか学校生活頑張った方がいいんじゃねぇの?そんなダサくちゃ一生彼氏できねーよ?」
「うぅるっさいな!!そんなの私が一番よく分かってるよ!!口出しすんな!バカ!!」
私は我慢も限界で弟を突き飛ばした。
「詩織!!何、玄関で大声出してるの!!」
リビングからお母さんが顔を出して、私は俯いた。
ヤバ…まただ…
お母さんは大輝を見ると、怒った顔を緩めて声も優しいものに変化した。
「大輝。もうすぐ夕御飯よ。」
「あぁ。分かった。」
大輝は俯いている私を一瞥すると、リビングへと入っていった。
私はお母さんの視線が怖くて、その場に立ち尽くす。
「詩織。明日、テストなんでしょ?期待してるから、頑張りなさいね。」
「…うん。分かってる。」
「それじゃあ、さっさと制服着替えて。勉強する前にご飯食べちゃいなさい。」
「…はい。」
お母さんは私の返答に満足したのか、リビングへと戻っていって私はホッと息を吐いた。
私は母が苦手だ。
弟がよくできるだけに母の期待の大半は弟に向いている。
私はとりあえず弟に負けないように、母の許容範囲内の成績を落とさないようにするだけ。
中学のときはここまで顕著じゃなかったのだけど、弟が中学生になって先生たちに期待され出すと、母の態度も一変した。
私は母にダメな子と思われないように努力するだけなので、家の中がいつからか息苦しいものに変わっていた。
こんな家は嫌だと思うけど、自分にはどうしようもない。
私は母の言う通りにしようと、着替えるために自室へと足を向けた。
***
テスト初日――――
私は教室へ入った瞬間、みんなの座っている席が違う事に気づいて足を止めた。
あ…そっか、テストだから名簿順なんだ…
私は懐かしい廊下側の後ろの方の席へと足を向けた。
そして座ってから、昨日までの席に目を向ける。
席が離れたら、井坂君と話せなくなるなぁ…
私は自然と出そうになるため息を抑え込むと、一限のテストの教科書を取り出したのだった。
そこから二日に渡ったテストは無事に終わって、私は手ごたえを感じていた。
きっと良い点を取れるはずだ。
私はHRのためにいつもの席に戻ると、隣に座っている井坂君を見た。
すると井坂君もこっちを見ていて、私は何と言おうか口をパクつかせた。
井坂君はふっと笑うと、私より先に口を開いた。
「なんか久しぶりな感じするなぁ。」
「あ……うん。そうだね。」
たった一日話さなかっただけなのに、欲張りになったものだ。
私は隣に井坂君がいて、話をできる現状にすごく嬉しくなった。
「……谷地さん…テストどうだった?」
「うん。今回、結構自信あるよ!!毎日図書室でも勉強してたし、これで悪かったらもう自信なくすっていうか…。お母さんに顔向けできないよねぇ…。」
私は母の顔を思い出して、ふっと息を吐いた。
すると井坂君が机の上にのせていた私の右手に触れてきて、ドキッとして体が強張った。
「うっわ…ホントだ。すっげーペンダコできてる。一体どんだけ勉強したら、こうなんの?」
うわわわっ…!!井坂君の手がっ!!!!!
井坂君は触ってることなんか何でもないように笑っている。
私はほんの少し触られているだけなのに、意識してしまって体の熱が上がっていく。
やめてーーー!!心臓が!!!今までにないぐらい速いから!!
私は心の中で悲鳴を上げながら、無理やり笑顔を作った。
「あははっ!だよね!!自分でも勉強し過ぎたんじゃないかって思ってたんだ。毎日図書室にこもる事なかったかなー?」
「谷地さんって、すっげ真面目だよな。今度のテストんときは俺もお邪魔しようかな。」
「え…?お邪魔って…どこに?」
私は井坂君の手が離れたことにホッとして訊き返した。
井坂君は少し目を見開くと、私から顔を背けて手で顔を隠してしまった。
「そこ聞く?…察してくれよ。」
「へ?」
私は察してくれと言われても、何の事だかさっぱりだった。
すると井坂君が観念したのか、ちらっと視線を私に向けると口を開いた。
「図書室にいたんだろ?だから、今度は俺も一緒に勉強しようかと思っただけ。」
少し照れたような井坂君の言葉に、私は心臓がギュンっと苦しくなった。
『一緒に』って…!!
頬が熱を持って熱くなってきて、私は焦って顔を前に戻した。
「そ…そっか…!…井坂君が一緒だったら、楽しく勉強できるかも…。」
「…うん。」
井坂君は少し俯いて表情の見えないまま頷いていた。
何だ、この空気!!
私は誤解してしまいそうな雰囲気にどんどん鼓動が速くなっていく。
一緒に勉強とか、すごく嬉しい。
私は初めてテストというものが待ち遠しくなって、顔が緩みっぱなしだった。
詩織の家族、初登場です。
大輝は口は悪いけど、お姉ちゃん大好き設定です。