79、確かめる
私と井坂君は公開キスを見せつけたあと、ギャラリーの間をすり抜けて人目を避けるように大急ぎで教室まで戻ってきた。
教室にはあゆちゃんたち何人かのクラスメイトがいたが、井坂君はまっすぐにベランダに向かってしまい、話をすることもなく二人でベランダに閉じこもった。
私はさっきまでの熱が引かなくてドキドキしていたが、井坂君の横顔はもう熱も引いていて普段通りに戻っていた。
さっきの大胆さは…何だったんだろう…??
私は井坂君だって恥ずかしかったに違いないと思って、謝ることに決めた。
「あの…なんだか…ごめんね?…巻き込んじゃって…。」
「……いや…、それはいいんだけどさ…。」
井坂君は一瞬驚いたような顔をしたけど、私から手を放すと口元を隠しながら言いにくそうに続けた。
「…その…、今…冷静になってみたらさ…。ヤベーことしたよな…?俺ら…。」
「……うん…。そう…だね…。」
私はさっきの事を思い返してしまって、ぶわっと体温が上がって耳まで熱くなってきた。
井坂君も同じなのか背けてる顔がみるみる赤く染まっていく。
ベランダで二人して真っ赤になってるなんて、傍から見たらおかしな光景だろう…
「悪い…。なんかカッとなっちまって…、後の事考えてなかった…。詩織…嫌だったよな?」
「え…。それを言うなら井坂君でしょ?私がケンカ買っちゃって…、やりたくない事までさせて…本当にごめんなさい…。」
「は!?何言ってんの!?詩織!!」
「えっ…?何って…本心だけど…。」
井坂君がすごく驚いたという表情で私を見つめてきて、私は思ってる事をそのまま返す。
「俺のことよりさ!詩織だよ!!何!?恥ずかしい事させたこと、嫌だったんじゃねぇの!?」
「え…?確かに恥ずかしかったけど…、でも嫌じゃないっていうか…。」
私はここで本心を打ち明けても良いものだろうかと迷った。
公衆の面前っていうのはあるけど、あんな情熱的なキスが嬉しかっただなんて…
井坂君を狙ってる女子たちの前で見せつける事ができたことも、ぶっちゃければ快感だった。
こんな悪くて醜い感情を打ち明けても嫌われないだろうか…?
そんな奴だと思わなかったと幻滅されないだろうか?
私はそれが怖くて、口に出せない。
でも、井坂君が不安そうに見つめてくるので黙ってるわけにもいかず、勇気を出して打ち明けようと口を開いた。
「…その…じ、実は…反対に嬉しかったっていう…。これで一目置かれたら…もう別れるとか言われないかな…とか悪いこと思ってた。井坂君こそ、恥ずかしい思いさせて…ごめんなさい!!」
私は数々の迷惑を思い返してガバッと深く頭を下げた。
すると目の前で大きなため息が聞こえて、井坂君がへたり込んだのが気配で分かった。
「なんだ…。詩織、全然平気そうじゃん…。俺、また一人で突っ走ったと思ってドキドキしてたよ。」
「え…??突っ走るとか…最初に騒ぎ起こしたのは私だし…。」
「はははっ!!騒ぎとか気にしなくていいから!!むしろ、俺は見せつけるようにキスできてラッキーぐらいに思ってるし!!」
「へ…???」
私は目の前で安心しきったように笑う井坂君を凝視して、言われた事を理解できなかった。
ラ…ラッキーって…???
「え??い、井坂君こそ…恥ずかしかったんじゃ…。」
「うん。恥ずかったけど、大勢の前でイチャつけて感無量っていうか…。周りに牽制もできただろうし、結果オーライだろ。」
「…け…牽制…。」
私はやっと理解できて、これで井坂君にアタックする子が減るなら結果オーライも頷けるなと思った。
私と井坂君がラブラブだって思ってもらえてる方が良いに決まってる。
私は学校公認となって穏やかな学校生活がおくれる毎日を妄想してしまった。
「これで詩織に手を出す奴もいなくなるだろ…。」
井坂君がボソッとそんな事を口にして、私は耳を疑った。
「わ、私より井坂君でしょ?私、誰にも手なんか出されないし…。」
「………詩織はいつまでたってもほんっとーに!!分かってねぇよなぁ~…。」
井坂君が飽きれた様にじとっと見つめてきて、何度も聞いたことのある言葉に首を傾げた。
そんなに分かってないとか…
どういう所が??井坂君の方が私を美化し過ぎじゃない?
私はぶっちゃけた勢いで、自分は井坂君の思うような女の子じゃないと打ち明けることした。
井坂君の前に正座して、深呼吸をする。
「私、井坂君が思ってるような女の子じゃないよ?すぐ嫉妬するし、心はすっごーく狭いし…。ちょっとしたことで落ち込んだり…、井坂君の気持ち疑ったり…。好かれてる自信なんてこれっぽっちもないし…。すぐ頭にきて、さっきみたいに食って掛かっちゃうし…。料理だってできないし…地味で可愛くなくて…、ただのガリ勉だし…。」
私は口に出しながら相当卑屈になってるな…と思ったけど、口が止まらなかった。
「独占欲の固まりで…写真一枚で…学校走り回ったりするカッコ悪いこともするし…、い…井坂君のこと好きな女の子たちの方が相応しいんじゃないかって思うことだってあるし…。かと思ったら、井坂君が傍にいないだけで不安になったり…、ちょっと口に出せないぐらい…変なことも思ったりするし…。こんな事思う自分がすごく汚く見えて、嫌われたらイヤだとかすぐビクビクするし…ホントにすごく情けないっていうか…。」
「―――でもさ、俺の事、一番好きなんだろ?」
井坂君から私の言葉を遮るように、さっき口にした言葉が聞こえて驚いて顔を上げた。
井坂君はまっすぐ私を見つめていて、心なしか嬉しそうに微笑んでいた。
な…何で…知ってるの…??
私が会長さんたちに宣言したときには井坂君はいなかったはずだ。
まさか遠くに聞こえるほどの大声で言ってしまったのだろうか?
私はまさか井坂君本人に聞かれてるとは思わなくて、カーッと顔が熱くなった。
照れるなんてものじゃなくて、汗まで出てくるので手で隠して口を開いた。
「それ…何で…?」
「……詩織の大胆告白、俺が詩織のとこに着いた時に聞こえてきたんだ。まさか詩織からこんな嬉しいことが聞けるなんて思わなくてビックリした。」
「そ…そっか…。」
うわ~~聞かれてたのは嬉しいような、恥ずかしいような…
でも、井坂君がいたって知ってたら、もっとちゃんと言いたかった…あんな喧嘩腰じゃなくて…
もう自分のダメさ加減に呆れてきて、私は細く息を吐いた。
「俺も詩織が一番好き。」
………!?
私は突然の告白に目を見開いて井坂君を見つめた。
井坂君は私と同じぐらい赤い顔をして、真剣な目で私を射抜いてくる。
「詩織はさ、自分のことも、俺の事も分かってないよ。」
「え…?」
「詩織がそうやって自分のダメな所、言ってくれるたびに俺は素直な詩織が好きになる。」
「へ!?」
ダ、ダメな所言ってるのに何で!?
普通、幻滅したりするんじゃ!
「詩織の言葉の節々から、俺への気持ちを感じる。それを感じる度に嬉しくなって、すごく安心する。俺だって、詩織に好かれてる自信なんてこれっぽっちもねぇからさ。」
「うそ!?わっ、私、すっごい好きなんだけど…!!」
うわっ!!また勢いのままに大胆告白しちゃった!!
「うん…。こうやって詩織が傍にいれば、大丈夫なんだけどさ。詩織の幼馴染とか…ただのクラスメイトだとしても、仲良く話してるのを見るだけで、いつか詩織がかっさらわれるんじゃねぇかって思うことがある…。すーぐ自信なくなるんだよ。俺だって相当情けねーだろ?」
「そんなこと…。」
井坂君は本心なのか少し寂しそうに言っていて、胸が締め付けられるようだった。
なんだろう…今…無性に井坂君をギュッてしたいかも…
「詩織は自分が独占欲の固まりだって言ったけどさ。俺の方が詩織の比じゃねぇぐらい、独占欲の固まりだから、詩織は気にする必要ねぇよ。」
「で、でも!!わ、私!!井坂君の気持ち疑ったり…すぐ周りの女の子に嫉妬するんだよ!?鬱陶しくない!?」
「はははっ!そんなん俺もだから。」
「え…??」
私が困惑してると、井坂君の手が伸びてきて引き寄せられるように抱きしめられた。
私も同じことを思ってただけに、背に手を回して抱きしめ返す。
なんだろう…今はこうしてもらえるのがすごく嬉しい
井坂君の匂いして、一番安心する…
私は胸がキュッと締め付けられて、ジワ…と涙が出そうになった。
「きっと…これからも色々誤解したり…気持ち疑ったり…すると思う。でも、その度にこうやって気持ち確認しよう。」
「…確認?」
「うん。俺には詩織だけだっていうのと、詩織には俺だけだっていうのの確認。こうやってたらさ、言葉にしなくてもお互いの心臓の速さとかで確認できるだろ?」
「…うん。そうだね…。」
私は服越しでも分かる井坂君の体の熱さに気持ちが伝わってきた。
きっと井坂君にも伝わっているんだろう。
大丈夫…井坂君がいれば、何でも乗り越えられる…
たとえ明日から冷やかされることになったとしても、きっと平気。
私は井坂君をもっと感じていたくて、頬を井坂君の首筋にくっつけて甘えた。
あったかーい…
すると井坂君も同じように首筋に顔をくっつけてきて更に温かくなった。
少しくすぐったい…
「俺って…ホントダメなやつ…。」
井坂君がため息を吐きながら小声で呟いて、私は耳を澄ませた。
「すぐ詩織が欲しくなる…。」
………欲しい?どういう意味…??
私、ここにいるのに??
なんでそんな事言うの??
「井坂君…。私、ここにいるよ?欲しいって何で?」
私が普通に尋ねると、急に井坂君がビクついて私からゆっくり離れた。
そのとき見えた表情が呆れたようなもので、困惑してしまう。
何??いけないことでも口にしたかな?
「ホントに意味分からない?」
「え…?うん。だって、私は井坂君のものでしょ?」
あ、また勝手に口から飛び出しちゃった…
私は自分の発言に恥ずかしくなって、少し顔が熱くなった。
井坂君もちょっと照れてるのか少し顔を背けた頬が赤かった。
すると、井坂君はコホンと咳払いした後に言った。
「まだ…、詩織の全部もらってねぇよ。」
「へ…?全部って…。」
そこまで考えて一つのことに思い当たり、私は顔が一気に上気した。
あ…全部ってアレのこと!?!?
私は顔から湯気が出てるのではないかと思うほど、真っ赤になってしまった。
ちらっと見た井坂君も同じような顔をしてる。
そ…そっか…、そういえば井坂君の誕生日からすっかりお預け状態で…
そういう雰囲気になっても、場所が学校だったりすると…できないもんね…
私としたら、少し恥ずかしさはあるけど、いつそうなっても大丈夫なんだけどな…
あ、でもやっぱり場所か…
井坂君のお家には呼べないって言われたし、私の家なんてとんでもないし…
こういう場合ってどうすればいいんだろう…
私は自分がこんな事を考えるなんて変だな…と思いながらも、井坂君の気持ちを優先する道を模索して悶々と考え込んだ。
「…やっぱ、今の忘れて。」
「え…?」
私が場所を考えて黙っていると、井坂君が急にそんな事を言い出して驚いた。
井坂君は焦ったように私に背を向け始める。
「詩織はここにいるから、それでいい。」
「ちょ、ちょっと待って!!それでいいって!!」
「いいんだって。俺の一方的な欲望なわけだし。」
「ちっ、違うから!!」
井坂君が自分を無理やり納得させようとしているのが嫌で、思わず声を荒げた。
背を向けた井坂君の顔が少しだけ振り返ってくる。
「井坂君は私が分かってない!!井坂君が私を欲しいって思ってくれてるなら、私だって井坂君が欲しい!!」
「……え?」
私はすごくすっごく恥ずかしかったけど、誤解させたままは嫌で続けた。
「わっ…私だって…井坂君欲しいよ…。ふっ…ふしだらかもしれないけど…、もっともっと…井坂君に近くなりたい…。」
ひぃ~~~~~っ!!!言っちゃった!!
私のバカーッ!!
こんな事言うのが自分じゃないみたいで、井坂君にどう思われたのかが気がかりだった。
震えてくる手を握りしめて井坂君の様子を窺う。
あれ…??
井坂君は真っ赤な顔で私に振り返ってきていて、信じられないというように目を見開いていた。
「それ…マジ??」
「え……っと…。うん。」
私が遠慮がちに頷くと、井坂君がズイッと私に身を近づけてきた。
「え、じゃあ…もう我慢しなくていいわけ?」
「が…我慢って…してたの?」
「もちろん。毎日してた。」
「毎日!?」
私は毎日という事実にブワッと鳥肌が立った。
えぇーーー!?
「じゃあ、俺…詩織のこと…押し倒しても大丈夫なわけ?」
「えぇっ!?おっ…って…!!!」
「いいんだよな!?同じだって言ったもんな!!」
「え…っと…言ったけど…、え??」
「大丈夫。ちゃんと優しくするから。」
井坂君はそう優しく言うと、宣言通り私にキスしながら押し倒してきて驚いた。
うそーーーーっ!?!?
今!?今も我慢してたの!?
私は心の準備もあったものではなくて、ただビックリし過ぎて体が動かなかった。
井坂君は私から口を離すと嬉しそうに笑いながら見下ろしてくる。
その顔に何も言えなくて、口をパクつかせてると教室から「井坂ーーー!!」と野太い声が聞こえてきた。
それに井坂君はピクッと反応したけど、口に指を当てるとシーッと声を出さないように促してきて、このままいないフリをする事が伝わってきた。
え…??まさか…ホントにこのまま…??
私がこれから起こることに少し不安を抱えていると、今度は「谷地ーーー!!」と私が呼ばれた。
私が呼ばれる事は珍しいだけに、私も井坂君もさすがに動揺した。
出ていくべきだろうかと悩んでいると、ガラッと音がしてベランダの戸が開く音がして、そこから担任の先生である藤浪先生が姿を見せた。
私と井坂君は現場を見られた事に身が縮み上がった。
藤浪先生のメガネの向こうの表情が険しく歪む。
「おっ、お前ら何やってる!!!!」
!!!??!?
私は井坂君に押し倒された状態のままで、藤浪先生の怒った顔を凝視して開いた口が塞がらなかった。
そしてこの後がすごく怖いことになるという事だけは想像がついて、この世の終わりな気分になったのだった。
担任の先生初登場です。
藤浪先生、数学担当になります。詳しくは次回…