71、誘惑する
二学期初日――――
私は眠たい目を擦りながら登校した。
というのも、昨日は日付が変わるまで井坂君から電話なりメールが来るんじゃないかと気が気じゃなくて寝られなかったからだ。
浮気なんてされたら、私は生きていけない
それだけに昨日一日は彼のご機嫌を損ねないように、ケータイと共に過ごしていた。
昔の自分からは考えられないと思う。
それだけ井坂君が大事なんだ。
私は自分の気持ちを再確認した。
私は教室に着くと、中を見回して井坂君が来てないのを確認すると、自分の席で突っ伏した。
昨日一日、井坂君とたくさん話をして嬉しかったけど、ちょっとでも仮眠を取らないと、今日を乗り切れない。
私は机の上でウトウトしていたら、頭を叩かれた。
「おはよ。」
私を叩いたのはあゆちゃんで、私は半目の状態で顔を上げると「おはよ。」と返してまた突っ伏した。
あゆちゃんはそんな私の顔を覗き込むように机に手をついてしゃがみ込むと、声をかけてきた。
「なんか眠そうだねぇ?昨日なんかあったの?」
「うん…。昨日一日、ケータイと睨めっこしてて…日付代わるまでずっとそうしてたから…。」
「何でまた?詩織にしては珍しい事したんだねぇ?」
「ちょっと井坂君と色々あって…。」
私は大きく欠伸をしながら答えて、目がしょぼしょぼとしてきた。
あゆちゃんは急に机を叩くと、私に顔を寄せて言った。
「そうだ!井坂といえば、この間のは何だったの?急に怒鳴って帰ってさぁ…。私ら状況が分からないだけに、ポカーンよ。ポカーン!」
「あれ…なんか…寝たことを怒ってたみたい…。警戒しろって言われた。」
私が正直に話すと、あゆちゃんが急に吹きだすように笑い出した。
私は笑われる意味が分からなくて、眠い頭を起こした。
「何で笑ってるの?」
「だって!!警戒しろなんてっ!あはははっ!!すっごい!!井坂でもそんな事言うんだ!?」
あゆちゃんの笑い声を耳にしながら、私は少し目が冴えてくる。
あゆちゃんは笑いを収めると、私の肩をポンと叩いてきた。
「詩織、愛されてるね~。私もそんな事、言われてみたいわぁ~。」
「愛されてる??今のどこが?」
私が本当に分からなかったので真顔で聞くと、あゆちゃんにスパンと頭を叩かれた。
「あたっ!!」
「おバカ!!良い女は察するもんよ!!井坂、あんたの鈍感っぷり見て相当怒ってたでしょ!?」
「…な…何で分かるの?」
私は言い当てられて目を丸くした。
あゆちゃんは呆れたような目で私を見ると、大きくため息をついた。
「あんたねぇ…仮にも彼氏以外の部屋で爆睡して、可愛い寝顔をみんなに見せたわけよ?井坂が嫉妬する理由ぐらい察しなさい。」
「か…可愛いって…。」
私はあゆちゃんに言われて恥ずかしくなった。
でも言われてみて、井坂君の気持ちがやっと理解できた。
本当に嫉妬してくれてたのなら、こんな嬉しいことはない。
でも、彼を不快な気持ちにさせてしまったわけだから、今後は安心させられるように気を引き締めて行動しよう。
私は昨日の事もそういう事なんだと思って、しばらくは井坂君にへばりついておこうかなと思った。
「おはよー。」
私が決意を固めたところに井坂君が登校してきて、私は早速行動を開始した。
井坂君に満面の笑顔を向けて「おはよ!!」と元気に返す。
すると、井坂君は驚いた顔で私に向き直った。
「何?機嫌良いな?」
「えへへ。ちょっとね。」
私は笑顔だけ向けて、上手くぼかした。
井坂君はそんな私を見て首を傾げると「変なの。」と言いながら自分の席に向かって行った。
そして彼を笑顔で見送ったあと、私はやっぱり眠たいので机に頭をのせた。
「詩織…あんた、極端。」
「…なんとでも言って…。」
あゆちゃんの呆れた声を聞きながら、私はもう我慢できなくなって目を閉じたのだった。
*
そして、その日は私は眠気と戦って、なんとか始業式から授業までをこなすことに成功した。
その間の休み時間は、今までにないほど井坂君の席に行って、彼との時間作りにも奮闘して、我ながらよく頑張ったと褒めたい。
でもさすがに放課後は眠気もピークで、これから行われる文化祭の練習に体がもつのだろうかと不安だった。
教室の机を全部後ろの方に下げて、空いたスペースで決められたグループ毎に練習する運びになった。
私はタカさんと長澤君と西門君、それに本田君と同じグループで、振り付け担当の島田君から振付を教わることになった。
私はダンスなんて初めてなだけに、ついていけるのか不安だったけど、島田君が丁寧に教えてくれるので意外と大丈夫そうだった。
ランニングというものだけが難しそうだったけど、それさえできれば後はそれの応用といった感じだった。
私はタカさんと向かい合わせになりながら、夏休み中も練習していた彼女から色々教わる。
そうしているウチに眠気は吹っ飛んでいたんだけど、だんだん疲れからか瞼が落ちてきて、私は頭を振った。
「タカさん…。ちょっと休憩してもいい?」
「しおりん、どうしたの?疲れた?」
「うん。ちょっと仮眠とりたい…。」
私は本音を漏らしてフラフラとベランダに向かうと「仮眠!?」とタカさんの驚く声が聞こえた。
そしてベランダの戸を開けたときに、井坂君に注意された事が頭を過って、私は彼の姿を探した。
一人で寝てたら、またきっと怒るよね…
私は井坂君にも一緒に来てもらおうと、彼を探すことにして教室から廊下に出た。
すると井坂君も休憩中だったのか、廊下の壁に背をつけてへたり込んでいて、赤井君と北野君と何か話していた。
私はそこに行くと、半目のままで彼に声をかけた。
「井坂君。」
「詩織?どうかした?っていうか、今日はよく俺のとこ来んな~?そんなに俺が恋しいのかよ。」
井坂君が上機嫌に笑っていて、横から赤井君たちに「熱いな~!」と言ってからかわれている。
私はそんな事よりも眠気がMAXで、もう我慢できなかった。
私は視界が霞んできて、井坂君の前で正座すると彼の膝に頭をのせるように突っ伏した。
「しっ…詩織っ!?ちょっ!!それは…こんなとこで!!」
「ごめん…。ちょとだけ…。」
井坂君の焦る声を聞きながら、私はそれだけ口に出すとふーっと意識が遠くなった。
そしてなんだか体を揺すられてるな…なんて考えながら、私は目を開けることを放棄したのだった。
***
くすぐったい…
私はじんわりと暑いなと思って目を覚ました。
目を瞬かせていると大きな蝉の声が耳に飛び込んできて、自分が外にいることが分かった。
次に体が熱い事を感じて、しっかり目を開けて驚いた。
「――――!?」
「あ、起きた?」
上から井坂君の声が降ってきて、私は井坂君の立膝を枕に抱きかかえられるようにして上半身を起こした状態で寝ていた事が分かった。
しかも場所はベランダ。
私はいつ移動してきたのか記憶が飛んでいて、慌てて飛び起きた。
「え!?私…何でここに!?」
私が井坂君に目を向けると、井坂君は顔をクシャっと歪ませて笑った。
「ははっ!俺があのまま廊下で寝させるわけないじゃん。もちろんこうして運んできたんだよ。」
井坂君が両手を前に出してジェスチャーするのを見て、私はお姫様だっこだと分かって一気に顔が上気した。
私は恥ずかしさで熱くなる顔を両手で覆って隠すと謝罪した。
「ご…ごめん…。そんな恥ずかしいことを二度までも…。」
私は球技大会でもさせてしまっただけに、申し訳なかった。
井坂君は足を組み直して、胡坐をかくとニッを頬を持ち上げた。
「気にすんなって。おかげで俺は詩織の寝顔を独り占めできたわけだし。役得、役得。」
「――――っ!?」
井坂君の発言にさらに恥ずかしくなって、私は耳まで熱くなってきて顔を覆う手を取れなくなった。
「それに、昨日の俺の言葉気にして眠れなかったんだろ?ごめんな。そんなに気にするとは思ってなくてさ。軽薄な事言ったって反省してる。」
「へ…?ど、どういうこと?」
私は浮気するって言った言葉は本心だと思ってただけに、井坂君が謝るのが意外で目を瞬かせた。
井坂君は苦笑すると、困惑してる私の頭に手をのせてきた。
「俺が浮気なんかできるわけねぇじゃん?こんだけ、詩織相手に心動かされてんのにさ。ちょっと、意地悪で詩織の気持ちを確かめたんだよ。ごめんな?」
私は嘘だったと分かって、安堵してホッと息を吐き出した。
気が楽になって自然と頬が緩む。
「なんだ…良かった…。昨日一日、もう不安でどうにかなりそうだった…。」
私は少し俯くと、声を出して笑った。
すると井坂君が私の頭をクシャクシャっと撫でてから言った。
「そんなに俺の心変わりが怖かったんだ~?」
私は言い当てられて、心臓がドクドクと速くなった。
恥ずかしいけど、本当の事だから言っておこうと息を飲み込んだあとに口を開いた。
「…そうだよ…。私には…井坂君しかいないから…。そんな事…考えるのが嫌だった…。」
私は井坂君から顔を背けると、ギュッと目を瞑って恥ずかしさを堪えた。
自分にしては大胆な事を言った!
これだけ言えば、彼もすぐ不機嫌になったりしないはず…
私は彼を不快にさせてしまった事を償いたくて、勇気を出した言葉だった。
私が手を握りしめて、外気の暑さに汗が頬を伝ったとき、井坂君が動くのが気配で分かった。
私がちらっと彼の方に目線を向けると、井坂君がさっきの私のように手で顔を覆っていた。
隙間から見える肌が赤い気がして、私はゆっくり顔を井坂君に戻した。
井坂君は手の隙間から私を見ると、息を吐き出してから言った。
「…今日の詩織…なんかヤバい…。…なんで、そんな俺の心抉るんだよ…。」
「……抉る…?」
私は今まで出たことのない感想に顔をしかめた。
これは褒め言葉?
井坂君の態度から嫌がられてはいないことが分かるけど、私はどう答えればいいものか俯いた。
すると井坂君が手を伸ばしてきて、触れるすんでのところでギュッと拳を作って止めた。
私はその手を見つめて、どういう反応なのか様子を窺った。
「詩織…。今すぐ教室戻って。」
「え?な…何で?」
「いいから。」
私は井坂君の顔が苦しげに歪んでるのが見えて、言われた通りに戻るのが躊躇われた。
どう見ても辛そうにしか見えない。
私は彼に吐き出してほしくて、突き出されてる手を両手で握った。
「何か言いたいことがあるんじゃないの?言って?」
「そんなのないから、戻れって!」
井坂君が急に命令口調になって、私は体をビクつかせた。
怒ってる…?
何を考えてるの?
私は少し怖かったけど、井坂君を理解したかったので、言われた通りにするつもりはなく居座り続ける。
「ヤダ!!思ってる事言わなきゃ、教室に戻らない!!」
私が手を握ってる手に力を入れて宣言すると、顔を覆っていた手がなくなって真っ赤な井坂君の顔が顕わになった。
彼はその顔で私を鋭く突き刺してくると、私の腕をガシッと掴んだ。
「逃げるチャンスを自分で潰したのは詩織だからな!!」
「へ…?」
井坂君はそう言うと、私の腕を引っ張って噛みつくように私にキスしてきた。
私はいつもより強引で乱暴なキスに顔をしかめた。
「…っ!!うっ…ん…んんっ!?」
息つく暇もないぐらい何度も攻められて、私は息が上がって胸が苦しくなってくる。
苦しさから抵抗しようとするけど腕を掴んでる力が強くて、それも意味をなさない。
私は久しぶりにお腹の奥の方までジン…としてきて、キスだけで自分が変になりそうな感覚に襲われた。
薄っすら目を開けると、井坂君が自分を見失っているのか眉間の皺が深く刻まれてるのが見えた。
そのとき、井坂君の手が私の制服のシャツ中に入ってきて、上に上ってくるのが肌に伝わって分かって鳥肌が立った。
「――――っ!?…っそれはダメっ!!」
私は学校だという事になんとか理性を働かせて、口が離れた瞬間に告げた。
すると、井坂君も我に返ったのか手が止まった。
私ははぁっと上がった息を吐き出して、井坂君を見つめた。
井坂君は私の服の中から手を引き抜くと、その手で私の鼻をつまんだ。
「――――っふぐっ!?」
「詩織が悪いんだからな!!俺を誘惑するから!!」
「――――!?」
私が井坂君の発言に目を剥いていると、井坂君はムスッとした顔で私を睨んだ。
顔はまだ少し赤くて、眉間の皺も深い。
「バーカ!!」
井坂君は子供みたいに吐き捨てると、私から手を放してサッと立ち上がって教室に戻ってしまった。
取り残された私は、『誘惑』という自分に似つかわしくない言葉に頭が真っ白になったのだった。
学校が始まるとイチャ率が上がりました…
しばし幸せそうな学校生活が続きます。