番外2:バイト生活の日々
井坂視点の番外です。
「いらっしゃいませー。」
俺はやっと着慣れてきたバイト先の制服を身にまとって、営業スマイルを店の入り口に向けた。
手には運んできたコーヒーがトレイにのっている。
俺はそれを注文をとったテーブルに運び、間違いがないか確認して伝票を置いた。
そこでテーブルの女子大生から話しかけられた。
「君、あまり見ない顔だね?バイトに入ったのっていつ?」
俺は化粧バッチリの茶髪の女子大生を見て、またか…と思いながら笑顔を作る。
「夏だけのバイトなんです。俺、高校生なんで。」
「高校生!?うっそ!!大人っぽいねー!同じくらいかと思ってた!!」
「私も!!そうなんだ!」
向かい合って座ってる女子大生二人は顔を見合わせて笑っている。
俺は会釈して立ち去ろうとしたが、一人の女子大生に袖を掴まれてしまった。
「ねぇ、高校はどこ?あ、あと年も教えて欲しいな?」
くそ…逃げ損ねた…
俺は内心イライラすると軽く手を添えて掴まれた手を引き離して、二人から一歩離れた。
「仕事中に立ち話をすると叱られますので、すみません。」
「え~!?ちょっとぐらい、いいじゃない!?」
「そうだよ!店長さんに言ってあげる!!」
二人はなおも食い下がってくるので、俺は「すみません。」とだけ告げるとサッと踵を返して逃げた。
そしてカウンターの向こうへ避難すると、大きく息を吐いた。
つ…疲れる…
俺はバイトを始めてから、こうやって女子大生に捕まることが多かった。
お客様なだけに無下な対応をとることもできず、俺はただでさえ他人と話すのが苦手なだけに疲れてきていた。
「また捕まってたね~。大丈夫?」
俺がうんざりした顔で壁にもたれかかっていると、同じバイトの先輩である江畑さんが声をかけてきた。
俺は大きくため息をつくと少し愚痴った。
「大丈夫じゃないですよ…。なんだって俺に絡んでくるんですかね?」
「あははっ!そりゃ、井坂君がカッコいいからに決まってるじゃん。」
江畑さんは軽く笑いながらトレイを拭きはじめて、俺は江畑さんのお世辞なのか分からない言葉に顔をしかめた。
「……正直、迷惑極まりないんですけどね…。平和に接客業だけさせて欲しいですよ。」
「これも接客業の一貫だって考えられない?」
「無理です。同じ大学生の江畑さんが何とかしてくれませんか?」
俺は客の大半の女子大生と同じ大学に通ってる江畑さんなら、何か良い案があるんじゃないかと思った。
江畑さんは少し考え込んだあと、姉さんとよく似た可愛こぶった仕草で俺に笑顔を向けた。
「私とデートしてくれるなら追い払うの手伝ってあげる。」
俺は冗談なのか分からない申し出に江畑さんを見つめると、速攻で断った。
「そういうことなら結構です。」
江畑さんも客の女子大生と変わらなかったか…と思って、カウンターからフロアに出ようとすると江畑さんに腕を掴まれた。
「ごめんっ。冗談だってば!私、年下には興味ないから!!」
江畑さんが器用にウインクしながら謝ってきて、俺は掴まれた腕を引き離した。
詩織が嫌がるので、極力バイト先ではこういうスキンシップは避けたい。
「なら俺に触るのもやめてください。」
ハッキリと告げると、江畑さんは一瞬固まったあと笑い出した。
「あはははっ!井坂君って可愛いねぇ~。そんなにこの間来た彼女が大事?」
江畑さんから詩織の事が飛び出して、俺はこの間の詩織の姿を思い出して顔を背けた。
大事だとか…そんなの決まってる…
俺は口にするのが恥ずかしくて、軽く頷くに留めた。
「かわいーいなぁ~、高校生の恋愛って!お姉さんキュンとしちゃうよ~。私もそういう恋がしたーい!!」
江畑さんはからかってるのか、ニヤニヤ笑いながら言ってきて、俺は内心複雑だった。
高校生の恋愛が可愛いって、大人だと恋愛の仕方が変わるのだろうか?
俺は違いなんて何も分からなかったので、クネクネと動いている江畑さんの様子を見つめた。
江畑さんは俺の視線に気づくと、急にお姉さんの顔になって言った。
「バイトばっかりするのもいいけどさ、彼女のこと大事なら、ちゃんと彼女と会って距離を離さないようにした方がいいよ。お姉さんからのアドバイス!!」
「……?どういうことですか?」
俺はなんでそんなアドバイスをされるのか分からなかった。
江畑さんはニコニコしたままで指を突き立てて続ける。
「気持ちをしっかり繋ぎとめときなよって話!!会ってない時間が意外と大きな溝になったりするのよ~?自分が会いたいとか思ってるときには、大概相手も同じこと思ってるんだから。自分に正直に行動して、彼女との時間を作りなさいな。」
江畑さんは何かしら経験談から言っているようで、妙に説得力があった。
俺はとりあえず「はい。」と返事すると、江畑さんは満足そうに頷いて接客に戻っていった。
俺は江畑さんの言葉から、自分は毎日詩織に会いたいと思ってるけど、詩織もそうなのかと疑問が湧いてでてきた。
詩織のことだから毎日会いたいなんて思ってくれてるわけがない。
その証拠に俺がバイトを始めてから、詩織がここに来たのはたったの一回だ。
予備校の休みの週は終わってしまったのかもしれないけど、予備校とここはそう距離も離れていない。
会いたければ会いに来れる距離だ。
そこを来ないというのは、詩織はそこまで俺に会いたいと思ってないという事だ。
俺はそう考えて自分との気持ちの差にズーンと落ち込んだ。
…考えなければ良かった…
俺は自分ばっかりが詩織を好きだな…と思って、トボトボと接客に戻ったのだった。
***
俺はバイト終わりに赤井の家に来ると、小波と電話でもしていたのか頬の緩んだ赤井を見てげんなりした。
赤井の家は両親とも共働きでほとんど家にいない。
だから俺も遠慮することなく無断でこいつの部屋に来れるのだが…
小波と付き合い始めてから、こいつの部屋に入るときには多少タイミングの悪いときがある。
こういう緩んだ顔を見ると、来なければ良かったと思ってしまうのだ。
「お前、来るなら来るって連絡しろよ!!」
赤井がケータイを閉じて文句を言ってきて、俺は赤井を押しのけて勝手にベッドに寝転んだ。
「うっせぇなぁ…。疲れてるんだから、そのだらしない顔なんとかしろよー。」
「だらしないって…、お前なぁ!!ノックもせずに人の部屋に上がり込んできてよく言うぜ!!」
「ガキの頃からそうだっただろ…。今さらノックなんて必要ねぇだろうがよ。」
俺と赤井は小学校時代からの付き合いだ。
俺の家と違って何でもゆるゆるのこいつの家は居心地が良くて、よく入り浸っていた。
それだけに今更堅苦しくノックなんてできるか…と思ったのだが、赤井は俺の顔を覗き込みながらだらしない顔のままで言った。
「バカやろ。俺と小波がイチャついてるときに、お前が来たら気まずいだろーが。」
少し恥ずかしそうに言う赤井を見て、俺はこいつでもそんな事気にするのかと思って目を剥いた。
赤井の態度からイチャつく=アレの事だと分かり、少しイラついて赤井を蹴とばした。
「あたっ!!」と言いながら赤井が大げさに床に寝転ぶ。
「俺に想像させるような事言うんじゃねぇよ!」
俺はこいつらのそんなもの想像したくもなかったので、赤井に背を向けてふて寝した。
すると赤井が俺の上に覆いかぶさってきて、一気に寝苦しくなる。
「そういうお前はどーなんだよ~?いいとこまでいった前から少しは進んだわけ?」
赤井が俺の頬をペシペシと叩きながらからかってきて、俺は腹が立って赤井を押しのけるように上半身を起こして怒鳴った。
「詩織とはアレから全く会ってねぇっつーの!!」
俺の発言に赤井はベッドの上で目を丸くさせて、首を傾げた。
「アレからって…俺らがお前のバイト先に行った日の事か?」
「…決まってんだろ。俺、毎日あそこでバイトしてんだから。」
俺がふてくされて教えると、赤井は笑いを堪えながら俺を指さしてくる。
「っぶ!何?お前…。また、変に谷地さんと距離とってるわけ?」
「……そういうんじゃねぇけど…。」
俺は誕生日の日の詩織を思い出しかけて、頭をブンブンと振った。
あの寸止めの一日は、俺にとってかなり衝撃的で、今も毎日のように夢に見る。
詩織の肌の柔らかさとか甘い匂いとか…生々しい喘ぎ声に潤んだ瞳…
詩織が俺を欲しいと思ってくれて、俺ももっと詩織が欲しいと思った。
気持ちが通じ合っていた。
俺は今もあのときの感触が手に蘇ってきて、気持ちが高ぶるのを抑え込んだ。
こんな状態で詩織と二人っきりになんてなってしまったら、きっと外だろうと場所を気にせずに押し倒してしまいそうだ。
だからバイトに逃げたと言ってもいい。
まぁ…家に呼べなくなって、詩織との時間を作る場所に行くための金が必要だって事もあるけど…
俺たちの初めては二人の気持ちが同じになったときじゃないきゃダメだ。
俺はそう決心しての今の距離間だった。
「彼氏だからって余裕ぶっこいてると、あらぬ方向からかっさらわれるかもしれねぇぞ~?」
「はぁ?」
赤井が江畑さんと同じような事を言って、俺は今日はこういう事を言われる日だろうかと顔をしかめた。
赤井は胡坐を組んで壁にもたれかかる。
「小波から聞いたんだけどさ。谷地さん、予備校でずっと長澤君と一緒なんだってさ。」
「長澤…?って…同じクラスの?」
俺はあまり接点のないクラスメイトの顔を思い出して、そのクラスメイトと詩織の関係も全く接点がないだろうと思った。
でも赤井は意味深に身をのり出してくると、指を立てて言った。
「あぁ。その長澤君なんだけどな。北野曰く、谷地さんに気があるらしい。」
「は!?何で詩織に!?」
俺は長澤君が詩織に想いを寄せてるなんて初耳どころか、寝耳に水状態で呆気にとられた。
「そうだよな。驚くよな。俺もそうだったんだけどさ…、北野の目にはそう見えたらしいぜ?まぁ…これ聞いたのも去年の事だから、信憑性は薄いかもしれねぇけどな!」
「去年って…。」
俺は去年の時点で気づいてた北野から話を聞きたくなったが、逆に去年という時期が俺には信憑性が高く感じた。
確か去年の文化祭で詩織と長澤君は同じゾンビのコスプレをしていた。
そこで何か接点があって、長澤君にそういう気持ちが芽生えたんだとしたら…
俺は急に不安が立ちこめてきて、思わずケータイを手に取った。
そして詩織のアドレスを開いて電話をかけかけて、寸でのところでボタンを押すのを止めた。
いや…これはただの憶測だから…俺が不安になる必要はねぇ…よな…?
俺は話した事もない長澤君の姿がちらつきながらも、ケータイを閉じる。
「何?電話かけねぇの?小波の話じゃ、二人結構仲が良くなったらしいけど。」
赤井の言葉を聞いて、俺は閉じたケータイをまた開いて詩織に電話をかけた。
何度か呼び出し音が響いて、しばらくすると電話がつながって雑音混じりに詩織の声が聞こえた。
『もしもし、井坂君?どうしたの?』
「詩織!!今何やってんだよ!!」
時折聞こえる車の走る音から外にいるんだと分かって、俺は開口一番にそう尋ねた。
時間的には予備校はとっくに終わってる時間だ。
真面目な詩織が夜外にいるなんて珍しすぎる。
俺はそれだけに気になって心臓がバクバクいい始めた。
『何って…予備校から帰るとこだよ?あ、ちょっと本屋に寄り道したけど。』
「本屋…?」
俺がただ寄り道して遅くなっただけかとホッとすると、雑音の中に男の声が混じるのが聞こえて耳を澄ませた。
声は小さかったけど「谷地さん、また明日。」と言っているのが分かり、俺は詩織に問い詰めた。
「詩織!!今の誰だよ!?」
『誰って、長澤君だよ?予備校同じだから…』
「同じだからって何でそこにいんだよ!?」
『え…だって帰る方向同じだし…、一緒に帰ってるっていうか…。』
「一緒に帰る!?」
俺は一緒にという言葉に嫉妬心が顔を出して、ガードのゆるゆるな詩織に頭を抱えた。
ここで一緒に帰らないでくれと言うのはカッコ悪いか…?
バイトを始めて詩織と一緒にいる時間を減らしたのは自分だ。
そんな俺に詩織の交友関係に口を出しても良いものか…
俺はケータイを持ったまま唸り声を上げて考えた。
向こうから『井坂君?』という詩織の不安げな声が聞こえる。
すると赤井が俺の手からケータイを奪って、勝手に詩織と話し始めた。
「あ、谷地さん?久しぶり。俺、俺。」
俺は唖然としながら赤井を見て、オレオレ詐欺みたいな言い方だなと思った。
「予備校、長澤君と同じなんだろ?何で一緒に帰ってるのかって井坂が悶々としてるけど?」
赤井がストレートに詩織に尋ねていて、俺はケータイを取り返そうと思ったが詩織の返事も気になるだけに様子を見守った。
赤井は詩織の返事にふんふんと頷いている。
「へぇ…そっか。長澤君からねぇ…。本屋まで一緒に行くなんて、いつの間にかすっげー仲良くなってんのな!!」
赤井の言葉に本屋まで長澤君と一緒に行ったって事かと苛立ちが募った。
どんな理由があったとしても、男と二人でどこかに行ったらそれはデートだろ!!
俺は詩織に浮気だと問い詰めようとケータイに手を伸ばしたが、赤井に手で阻止された。
「なぁ、谷地さん。もしバイト終わりに井坂とバイト先の女子大生が並んで歩いてたらどんな気分?」
赤井が変な例え話をし出して、俺はその質問の意図を読み解こうと考えた。
「…だよな。だったら、谷地さんも分かるだろ?……うん。そうしてやってくれよ。」
赤井は満足そうに頷くと、笑顔で俺を見てケータイを手渡してきた。
俺はそれを受け取ると、どういう会話がされたのか分からなくて、おそるおそる電話に耳を当てた。
「もしもし、詩織?」
『井坂君…ごめんね…。私、ほんっとーに考えなしっていうか…人の気持ちに疎いっていうか…。流されてた…ごめんなさい。』
詩織が急にしおらしく謝ってきて、俺は赤井を見ながら何を諭したのか気になった。
「いや…別に…いいけどさ…。」
『よくないよ…。私、ついこの間こういう気持ち理解したばっかだったのに…。やっぱり私ってダメだなぁ…。』
詩織がため息をつきながら言って、俺は詩織が相当落ち込んでるのが分かって、どう返そうか悩んだ。
『井坂君。お詫びってわけじゃないけど…聞いてくれる?』
「うん?…何?」
詩織がさっきまでとは違った少し強い言葉で言って、俺は何を言われるのかと姿勢を正した。
詩織は電話越しに何度か深呼吸しているのか息を吐く音が聞こえる。
『……私…井坂君が好き。大好き。』
突然の告白に俺は目を見開いたまま固まった。
『…本当は毎日井坂君に会いたくて…ずっと我慢してるんだ…。でもバイトだってこと分かってるから…邪魔したくなくて…。もう、私…本当に心が狭くって…。夏休みが終わるまでは頑張って我慢するね。あ…でも…我慢できなくなったら、こっそり覗きに行くかもしれないけど…。それぐらいなら…いいよね…?…バイトは応援してるから!頑張ってね。…それじゃ、また電話するね。』
詩織は度々恥ずかしそうに口を止めながら本心を打ち明けてくれて、俺は聞きながら詩織の表情を想像して頬がみるみる緩んだ。
電話は俺が返事をしないもんだから詩織に切られてしまっているが、俺はさっきの言葉を反芻して嬉しさで肩を震わせながら笑った。
赤井が一人で笑っている俺を見て、不審者でも見るような目を向けたが構わなかった。
「詩織…マジでサイコー…。」
「何?そんなに嬉しい事でも言われたわけ?」
俺がベッドに寝転んで呟いた言葉に赤井がニヤッと笑ってきて、俺は「誰が教えるか。」と言って躱した。
自分ばっかりなんて、俺の勝手な思い込みだった。
詩織だって俺と同じで我慢してくれてるんだ。
そう思うともうニヤニヤ笑いが止まらなくて、俺はより一層詩織が愛しくなったのだった。
なんだかんだ仲の良い赤井と井坂でした。