68、独占欲
「いらっしゃいませ~。」
何人かの店員さんの声を聞きながら中に入ると、奥のテーブルにコーヒーを運んでいた井坂君の顔がこっちを向いた。
私は少しだけ手を振って笑顔を浮かべると、井坂君は明らかに動揺していてコーヒーを溢しかけているのが見えた。
「三名様ですか?」
「あ、はい。」
「こちらへどうぞ。」
大学生ぐらいの綺麗なお姉さんに案内されて壁際のテーブルへ行くと、井坂君の姿を気にしながらも腰を下ろした。
目の前にあゆちゃん、左隣に赤井君が座ってメニューを開いた。
私はメニューよりも井坂君が気になって店内に目を走らせると、接客を終えた井坂君がこっちに向かってくるのが見えた。
「赤井!!てめぇっ!こんの、おしゃべりが!!」
井坂君は後ろから赤井君の首を羽交い絞めにして、怒っている。
私は久しぶりに井坂君の姿が見られて嬉しくて、頬が緩みっぱなしだった。
自然と笑い声も漏れる。
間近で見る制服姿…カッコいい…
私が井坂君に見惚れて胸キュンしていると、井坂君が赤井君を放してから、私に照れたような顔を向けた。
「…詩織…、久しぶり…。」
「うん。バイト始めたなんて驚いたよ。何で急に始めたの?」
「や…とりあえず、金溜めたかっただけでさ…。金がある程度溜まったらやめるつもりだし…。」
「そうなんだ。」
私はどうしてそこまでお金が必要なのか気になったけど、そこまで聞くのは無粋かと思ってやめておいた。
きっと何か欲しいものでもあるんだろう。
そう思っていると、あゆちゃんがメニューを見て指さした。
「このストロベリーのパフェ一つと赤井が…アイスコーヒーでいいよね?」
「おう。井坂の奢りでな。」
「アホか!金払え!!」
井坂君は慣れた様子に注文を書き込んでいて、私はそれを見てニヤけてくる。
ちゃんと仕事してるなんて、なんか意外だ…
赤井君はムスッとふてくされると「ケーチ。」と言ってそっぽを向いている。
「詩織は?何がいいの?」
「え…あ…っと、じゃあアイスティーで。ストレートでいいよ。」
「了解。」
私は何も考えてなかったので、適当に思いついたものを口にした。
井坂君の姿ばかり見ていて注文なんか考えてなかった…
井坂君は注文を取り終えると「邪魔だけはすんなよ。」と言い残して仕事に戻っていってしまう。
私はその背中を見つめて、もうちょっと話したかったなぁ…と思ってため息をついた。
すると、あゆちゃんが目の前でニヤついていて、何を言われるか分かっていただけに目線を逸らした。
「詩織~。井坂、カッコいいね?」
からかうような目つきをしてるあゆちゃんを見て、私はムスッとすると「そうだね。」とだけ返した。
絶対この顔は面白がってる。
私はおもちゃになってたまるか!と平常心を心掛けた。
「っていうか、井坂って案外こういうの向いてるのかもね。動きがスマートな気がする。」
「だな。何気に女性客に人気みたいだし。」
ウソ!!?バイト先でも!?
赤井君の言葉に私はバッと井坂君に振り返った。
そこには大学生のグループに捕まって話をしている井坂君が見えた。
どこにいても…女の子に人気とか…
私は学校でのことが思い返されて、大きく息を吐いた。
「詩織。大丈夫だって。あんなおばさんより、詩織の方が若いから!」
「…おばさんって…アレ、大学生だよね?」
私はあゆちゃんの年齢基準が分からなくて、なんの励ましにもなってないとげんなりした。
「基本年上はおばさんだよ!!特に人の男に色目を使うやつなんかは!詩織だってそうでしょ?」
あゆちゃんの若干怖い発言に私は渇いた笑顔を浮かべるしかできなかった。
もし聞かれてたら、思いっきり睨まれるに違いない…
私は聞こえてませんように!と祈る事しかできなかった。
そうしていると、私たちのテーブルに注文したものが運ばれてきて、持って来てくれるのは井坂君じゃないんだとがっかりした。
目の前であゆちゃんが顔を輝かせてパフェを頬張り始めて、私は自分のアイスティーをストローで飲んだ。
そしてぼーっと窓の外に目を向けていると、テーブルにクリームブリュレがお皿にのって置かれて、私は驚いて置かれた方向に目を向けた。
そこにはいつの間にか井坂君が立っていて、私を見てからニッと微笑んできた。
「俺の奢り。」
「え…でも…、せっかくバイトしてるのに…。」
「いいから。甘いの好きだろ?」
私は優しい彼の顔を見つめて、胸が熱くなっていった。
その胸の熱さを気にしないように笑顔を作ると、「好き」と声に出した。
この「好き」には井坂君への気持ちも混じっていて、伝わればいいと思って目を逸らさずに言った。
「なら、良かった。詩織はここの支払いしなくていいからな。」
「あー!!彼女特権だー!!ずるーい!」
「そうだー!!井坂!!俺らにも特権を使用しろー!!」
「うるっせ!!うるさくするなら帰れ!!」
井坂君は嬉しそうに笑ったあと、赤井君たちと言い争って不機嫌そうに立ち去っていった。
そのとき井坂君の右手に私とお揃いのブレスがあるのに気が付いて、私はそれがあるだけで胸がギュンっと苦しくなった。
自分の左手を見て、会えなくても大丈夫だと感じることができる。
「なんだかんだラブラブだよねぇ~。」
「へ?」
あゆちゃんがパフェを頬張りながら、不満そうに言った。
私は手をテーブルの上にのせて、彼女に目を向ける。
「なんか会ってないっぽいってのを聞いてたからさ、ケンカかな~と思ったのに。全然そんな事ないし、むしろ距離が近くなってない?」
「…そうかな?自分では全然分からないけど…。」
「ぜーったい何かあったでしょ?」
あゆちゃんが怪しんできて目を細めているのを見ながら、何かというのを考えて一気に赤面した。
何かって…
どう考えてもアレしかないよね!?
私は熱い顔を冷やそうと一気にアイスティーを飲んだ。
「怪しー!!その反応が怪しいよ、ねぇ!?」
「あははっ!谷地さんって分かりやすいよなぁ~。井坂も似たようなもんだけど!」
「ちょっと赤井!!何か知ってんの!?」
「いや~…これは男の沽券にも関わるからなぁ~。」
私は二人が話している間にクリームブリュレに手をつけながら、赤井君がどこまで知っているのかが気になって仕方なかった。
男同士っていったいどこまで話したりするんだろう…?
私はあゆちゃんと結構際どい話もしてきていたので、もしかしたら男同士の間にも何かあるのかもしれないな…と思って、恥ずかしくなってきたのだった。
***
それから私たちは結構長居してしまい、日が沈んできた頃にお店を出ることになった。
出る前にトイレに行っておこうと席を立ってトイレに向かうときに、井坂君が同じ制服を着た店員さんと話しているのが目に入った。
あの人…確か入り口で案内してくれたお姉さんだ…
私が見覚えがあるな…と思って見ていたら、井坂君が私とお揃いのブレスを女の人に見せていた。
その表情がすごく嬉しそうに見えて、何の話をしているのかと首を傾げていると、女の人がその手に触れるのが見えて、私は心臓がドクンと跳ねた。
私は目が二人から離れなくて、考えるより先に体が勝手に動いた。
私は部外者なのにカウンターの中に入ると、井坂君の手を女の人から引き離した。
私の目はまっすぐ女の人に向かっていて、女の人は突然の私の乱入に驚いた顔で固まっていた。
「詩織?」
上から井坂君の声が聞こえて、私は一気に我に返った。
サーっと血の気が引いていって、冷静になる。
何、やってるの!?私!!
私は慌てて井坂君の手を放すと、脱兎のごとく逃げ出した。
急いでテーブルに戻ると、鞄だけ掴んであゆちゃんたちに「帰るっ!」とだけ告げてお店を飛び出した。
私は全速力で走りながら、恥ずかしくて耳まで真っ赤になった。
顔が熱くて無性に泣きたくなってくる。
ただ手に触っただけなのに、子供みたいな独占欲だ。
あの行動は嫉妬を通り越していて、今までの自分じゃないみたいだった。
私は全力で走り過ぎて、肺が痛くなってきて少しスピードを緩めて近くの電柱に手をついて止まった。
「はぁっ…はぁっ…。もうっ…ヤダっ…。」
私はズルズルとしゃがみ込むと、その場に蹲った。
自分があんな大胆な事をやってしまうなんて、自分で自分に驚いた。
あのとき頭の中は『触らないで』という思いでいっぱいだった。
井坂君に触っていいのは私だけ。
いつの間にかそんな風に思うようになっていたようで、すごく恥ずかしい。
こんな束縛は鬱陶しいだけだ。
私は自然と出そうになる涙を両手で押さえて、ユルユルと立つと家へと足を進めた。
そのとき後ろから走る足音が聞こえてきて、私は手を放してから振り返った。
するとそこには制服姿のままの井坂君がいて、私は反射的に逃げようと走り出した。
「ちょっ!!詩織っ!!」
私が逃げると、井坂君も追いかけてきているようで、足音が二重に重なる。
なっ…何で追いかけてくるの!?
私は今の顔を見られたくなくて、必死に住宅街を方向も分からないままに逃げた。
曲がり角を上手く使って逃げようと思ったからだ。
右に左に攪乱するように、息も苦しいのに足を止めずに走り続ける。
それだけ私は人生で初めてと言ってもいいほど必死に逃げた。
でもその逃亡劇も行き止まりによって、突然終わりを迎えた。
ぎゃーーーーーっ!!
私は壁に囲まれた通りを見て、ウロウロしたあげく電柱の脇に身を縮めてしゃがみ込んだ。
少しでも見つからないようにという抵抗だ。
そうしていると、耳にゆっくりになった足音と苦しそうに息を吐く音が聞こえて、私は更に身を小さくした。
元が大きいだけに、そこまで小さくなれてはないと思うが…
「はぁっ…はぁ…詩織…。何で…逃げんだよ…っ…。」
井坂君の声が聞こえて顔を上げると、電柱を挟んで反対に井坂君が脇腹を押さえてこっちを見ていた。
私はその姿が目に入るなり立ち上がって逃げようと、電柱と壁の隙間を通って逃げようと足を動かした。
「ちょっ!!待てって!!」
でも、さすがに距離が近くて腕を掴まれてしまって、私は仕方なく足を止めた。
私は走ったせいなのか、恥ずかしさが尾を引いているせいか顔の熱が全然下がらなくて、井坂君に顔が向けられない。
こんなカッコ悪い自分を見られたくないっ…!!
私は最後の抵抗で掴まれていない手で顔を隠した。
「なぁっ…何で逃げんの?…さっきのだってさ、意味が分からねぇし…。何か言いたかったんじゃねぇの?」
井坂君がイライラしながら言っているのが伝わってきたけど、私は思った事なんて口に出せるはずがなかったので黙り込んだ。
これ以上、自分で自分の首を絞めたくない。
この独占欲だけは絶対に知られたくなかった。
知られたらと思うと、恥ずかしくて…きっともう井坂君には触れなくなる。
私はジワ…と汗が滲んできて、手で額を拭いながらはぁ…と息を吐き出した。
「………なぁ、これは俺の勝手な想像っていうか…、俺の願望からくる妄想なのかもしれないけどさ…。詩織、さっきさ…もしかして嫉妬した?」
私は近い事を言い当てられて、動揺して体が震えた。
知られたら嫌だという不安から、汗の量が増えて気持ち悪くなる。
「…俺が江畑さ…大学生のバイト仲間と話してたとこ見て、話さないでとか思ってた?」
「…違う。」
私は話すぐらいで嫉妬するような彼女だと思われたくなくて、咄嗟に否定の言葉が飛び出した。
心臓がバクバクするぐらい恥ずかしくて、胸が痛いけど、言わなきゃ手を放してもらえないと思って少しだけ口に出した。
「…手…触ってた…から。…話すぐらいで…嫉妬したりしないよ…。」
「手、触るのが嫌だったんだ?あの大学生に俺の事、触らせたくなかったんだ?」
私はストレートに聞き返す井坂君に恥ずかしさで泣きたくなってきた。
軽く顔だけ向けて井坂君に振り返ると、井坂君が期待に満ちた目で私を見つめていた。
その目に射抜かれて、さらに恥ずかしくなって顔の熱が上がるのを手で隠した。
「―――っ…に…二回も聞かないで…っ…。」
自分で恥ずかしい独占欲だって分かってる。
それだけにもうこれ以上追い詰めるのはやめて欲しかった。
ジワ…と目尻が濡れてきて腕で目を押さえると、急に掴まれていた腕を引っ張られた。
「へっ……!?」
私は若干横を向いたまま抱きしめられて、顔の左側だけが井坂君の胸に当たる。
そのとき耳に井坂君の心臓の音が聞こえてきて、私と同じかそれ以上に速いのが分かって目を見開いた。
「…っ何でそんな可愛い事言うんだよっ…。」
「へ?」
井坂君から出た言葉に私は井坂君の腕を掴んで、目だけで彼を見上げた。
可愛いって…どういう事?
私はカッコ悪いと思ってただけに、彼の反応が意外だった。
「…これだから詩織はイヤになるんだよ…。」
「イヤ!?」
今度は真逆の言葉が出て、やっぱりカッコ悪いんだと背筋が凍っていく。
アレは嫌だと思わせるほどの行動だっただろうか…?
私は嫌われたくなくて、必死に言い訳しようと良い言葉を必死に考えた。
「ごっ…ごめんなさい…。今後は我慢するから…今回だけは見逃してほしいっていうか…。」
「ちげーよ。そういう意味じゃない。」
「??ちがう…??」
私は違うと言われても、言葉の意図するところがサッパリだった。
すると井坂君が腕の力を緩めて離してくれると、私に視線を合わせるように肩に手を置いて少し屈んできた。
井坂君は私と同じぐらい顔が赤くて、表情の緩い顔を笑顔に変えた。
「詩織がそう思ってくれて嬉しいって事を言ってんだよ。こんな事思うの俺だけだと思ってた。」
「……え?私、触らないでって思ったんだよ?こんなの嫌じゃないの?」
私はどうして嬉しいのか分からなくて不思議だった。
「嫌なわけないだろ。自分だけが触りたいって思ったって事の裏返しじゃん。俺だって、毎日思ってるよ。詩織に触れるのが俺だけならいいのにって。」
私は『触る』という言葉に、あの日を思い出して体の熱が上がった。
でも、井坂君も自分と同じなんだと分かって、妙に嬉しくなった。
さっきまでの恥ずかしさが吹き飛んで、頬が緩んでくる。
すると井坂君が私の両手を握って言った。
「詩織にならどこ触られてもいいよ。どこ触りたい?」
「えっ!?ここで!?」
「え?誰もいねーし。いいよ?」
井坂君は私から手を放すと、手を後ろで組んで私に顔を近づけた。
私はその顔を見て暗にキスしろと言われてる気になって、したい気持ちと反抗心のせめぎ合いにあった。
とりあえず両手で井坂君の首に触れると、井坂君がくすぐったかたのか首をすくめて離れた。
「ちょっ!そこはやめて!!なんか鳥肌立つ!」
「え。ここが弱いんだ?」
私は井坂君の弱点を見つけてしまって、心が弾むと嫌がる井坂君の首を触り続けた。
「ちょっ!!マジでやめて!くすぐったい!!」
「触っていいって言ったの井坂君だよ!」
「そうだけど!」
私が焦ってる井坂君を見て笑っていると、井坂君は私の手を掴んで引きはがすと、手を引っ張って一気に唇を合わせてきた。
私は久しぶりのキスに目を見開いていると、すぐに離れてしまって、井坂君が唇を一舐めしてからニヤッと笑った。
「仕返し。なんなら激しーのもする?」
私は悪戯っ子のような井坂君を見つめると、グワッと体温が上がって赤面した。
「――――っ!!しないからっ!!」
バカップルですね…
次は番外編で井坂のバイトの話です。