67、会えない日々
『しばらく家には呼べねーと思う。』
井坂君の誕生日を祝った次の日、井坂君が電話でそう言った。
私は夏期講習中の昼休みだったので、予備校の廊下で窓から外を見て電話していた。
「それって…やっぱり、昨日のがバレてるから?」
『たぶん…そうだと思う。…あの後、親父にも同じこと注意されて…。危うくケータイとられるとこだった…。』
ウチの家と同じような状況に、私は思わず笑いがこぼれそうで堪えて相槌をうった。
『バカ兄貴のせいで、なんか監視が厳しくなってさ…。母さんが買い物行っても、すぐ帰ってくるようになったんだよ…。そんな状態じゃ、来てもらっても落ち着けないだろうし…。悪いな。』
「ううん。私はいいんだけど…。井坂君は…平気?」
私はそこまで家に行く事にはこだわってなかったので、家で会えないなら外でいいと思っていた。
『……平気なわけない。…俺…以前より悪化してて…。ちょっと落ち着くまで、会いに行くのやめる。』
「え…?悪化って何が??」
私は何が悪化したのか分からなくて、焦って尋ねた。
お母さんに叱られて平気じゃないのは分かったけど、状況が悪化したという事だろうか?
私に会えないほどに??
『…とにかく、俺の気持ちの整理ができたら会いに行くから…。それまで夏期講習頑張れよ。じゃあな。』
「えっ!?ちょっ!!」
井坂君は一方的に電話を切ってしまって、結局どうして会えないのか理由が分からなかった。
気持ちの整理って何??
私は切れたケータイを見つめて、いつまで会わないつもりなのか…それだけが気がかりだった。
そして、私は講習を受けている部屋に戻ると、本を読んでいた長澤君の横に座ってため息をついた。
「何?大きなため息ついて。」
長澤君が目線だけこっちに向けて尋ねてきて、私は手の中でケータイを握りしめながら答えた。
「井坂君が…しばらく会わないとか言い出してさ…。寂しいなぁ…なんて思ったりして。」
私はふっと笑いながら言って、ケータイを机の上に置いた。
すると長澤君が本を閉じて、こっちに顔を向けてきた。
「それ、何で?」
「さぁ…?気持ちの整理とか言ってたけど…。」
「それって別れ話?」
「まさか!?」
私は長澤君の真面目な顔を見て、全否定した。
そんな話の流れでもなかったし、あり得ない。
「ふ~ん。ま、井坂君の中で何かがあったってのだけは確かだよな。」
「そ…そうだよね…。」
何かが分からないだけに、こんなに気になるんだ。
井坂君はいっつもどこか隠していて、詳しい事がサッパリ分からない。
いつか阿吽の呼吸のように、意志疎通がとれる日がくるんだろうか?
私は来そうもないな…と思って、またため息をついた。
「…じゃあ、今日から帰りは一人なんだ?」
「そうなるね。ま、時間も早いから平気だけど。」
私は寂しい気持ちを隠して笑顔を浮かべた。
すると長澤君がコホンと咳払いしてから言った。
「俺が一緒に帰るよ。」
「へ??」
私は彼が一緒に帰ると言い出した意図が分からなくて、長澤君を見つめた。
長澤君は目を逸らしながら微笑むと、もう一度咳払いして言った。
「遅くないとはいえ、駅前で危ない奴も多いしさ。どうせ帰る方向だって一緒なわけだし。」
「あぁ…うん。そうかな?」
「迷惑じゃなかったら…途中までさ…。一人で帰るよりはいいだろ?」
「……うん。……じゃあ、一緒に帰ろっか。」
そういう事なら別に構わないかな…と思って頷くと、長澤君は嬉しそうに笑いかけてきた。
そんなに嬉しそうに…何で??
私は学校でも見たことのない彼の笑顔に、意味が分からなかったのだった。
***
それから、私はお盆の週に入り予備校が休みになるまで、長澤君とほぼ一日一緒にいる生活が続いて、不思議な感じだった。
学校ではこんなに話をしたこともないのに、環境が変わったら分からないもんだな…
などと考えて、私は井坂君からの連絡を待ち続けた。
井坂君の誕生日以降、井坂君に会っていない。
電話やメールで話はするものの何だかあの日から素っ気なくなってしまって、フラストレーションが溜まる。
井坂君の笑顔を傍で見ながら話をしたい…。
私はベッドに寝転びながら目を閉じると、瞼の裏に今も鮮明にあの日の映像がフラッシュバックする。
井坂君の嬉しそうな顔…照れた顔に…、少し寂しそうに微笑んだ顔。
真っ赤になって照れてる井坂君が一番可愛かった。
私は空中に手を伸ばすと、目を開けてあのときの感覚を思い返した。
井坂君の肌…サラサラしてて気持ち良かったな…
あったかかったし…もっとギュッてされたかった…
そこまで思い返して、私は顔がぼわっと上気して真っ赤になった。
井坂君に触られたことだけ思い出そうとすると、いつも体がゾワゾワしてこうなってしまう。
あの続きが知りたいような、知りたくないような複雑な気持ち。
お母さんの帰宅で、残念だと思った反面ホッとしてしまった自分もいた。
それだけに会えていない今の状況は、ある意味自分を見つめ直す良いきっかけでもある気がする。
今度同じ状況になったら、私はどうするのだろう?
私はケータイを握りしめて自問自答するけど、井坂君の艶っぽい顔が離れなくてドキドキが加速して答えなんかでなかった。
**
お盆週間、3日目――――
私は休みに入ってからは毎日やることが学校の課題しかなくて、度々ケータイを見つめては手を止めた。
こんなに会って話さないのって…いつ以来だろう…?
もしかして初めて??
私は今日何度目になるか分からないため息をつくと、ケータイを指でつついた。
井坂君は何やってるのかな~…
気になるよーーーー!!
すると、ケータイが着信を知らせて、私は慌てて手にとって誰からか確認した。
画面にはあゆちゃんからだと表示されていて、井坂君じゃないことに落胆した。
「もしもし。あゆちゃん?」
『詩織~!久しぶり!!今は夏期講習お休み中だよね?』
「うん。だから、家で課題やってた。あゆちゃんは?」
私はあゆちゃんの変わらない明るい声を聞いて、少し気持ちが持ち上がった。
『私は今、赤井の家にいるんだけど。そこで驚きの事聞いちゃってさ、詩織は知ってるのかな~と思って電話したんだ!』
「驚きの事?」
私は普通に赤井君の家にいるあゆちゃんが羨ましくなった。
『うん。井坂の奴がバイト始めたらしいんだけど、詩織知ってた?』
「バ…バイト!?」
私は思わぬ事に驚いて何度かむせる。
あゆちゃんは電話越しに笑ってくると、笑い声を堪えて言った。
『その様子じゃ知らなかったんだね。私も赤井から聞いてビックリして!!なんか駅から少し外れたとこにあるカフェで働いてるらしいよ。ちょっと見て見たくない?』
「…カフェって…。」
私は接客業をしている井坂君が想像できないだけに、複雑だった。
というか…何でバイトするって事を一言だけでも報告してくれなかったのだろうか?
私は彼女なのに…と思って、顔をしかめた。
「それって詳しい場所分かるの?」
『お!詩織が食いついてきた!!見に行く?行くよね??』
私は完全に面白がっているあゆちゃんの声を聞きながら、当然だと思って頷いた。
「もちろん。行くに決まってる。」
『やった!!じゃあ、駅前で待ち合わせしよ!今から行くから。』
「わかった。私も今から家出るよ。」
私は早々にケータイを切ると、席を立って出かける準備を始めた。
会えないとか言って、バイトとか…
私は連絡の一つもしない文句でも言いに行こうと、ムスッとして部屋を出たのだった。
***
そして私は駅前まで行くと、赤井君といるあゆちゃんを見つけて手を振って駆け寄った。
あゆちゃんも気づいてくれて手を振り返してくれた。
「詩織!!」
「ごめん。お待たせしました。」
「ううん。そんなに待ってないよ。っていうか…詩織なんか雰囲気変わった?」
「へ??」
あゆちゃんに指摘されて、私は自分の姿を確認してみた。
至っていつも通りの服装だし、自分で何かを変えたわけではない。
「あ、違うか。なんかスタイルが良くなったんだ。猫背直ったんじゃない??」
「うっそ!?」
あゆちゃんに猫背が直ったと言われて、気分が良くなった。
特別意識して背筋を伸ばしていたわけでもないのに、何でだろう?
そう考えて、私は思い当たる節が一つだけあることに気づいた。
そうだ…井坂君の隣を歩くようになったからだ…。
背の高い彼を見ようとすると、どうしても少し顔を上げる。
そうしているウチに自然と背筋も伸びていたのかもしれないと思った。
私はそれが嬉しくて、ちょっと腹の立っていた気持ちが落ち着いた。
「良いことじゃん。どんどん自分磨きして、可愛い自分を演出しよーっ!」
あゆちゃんが手を突き上げたあと、笑顔で私を叩いてきて、私は「そだね。」と笑顔で返した。
そうして三人並んで、井坂君のバイトしているというカフェへ向かう事になったのだった。
駅から3分程歩いた場所に、そのカフェが見えてきて、私たちはすぐ中には入らずに、影からお店の様子を窺った。
カフェはそこそこ大きくて、ガラスの窓から中が見えるようになっていた。
外にも3つほどテーブルがあって、外でも食事ができるようになってるんだと分かった。
今の季節はさすがに暑いので誰も座ってなかったけど…
私はもう少し近づかないと中の様子が分からないな…と思ってコソコソっとカフェに近付いた。
背後からあゆちゃんたちも近づいてくるのが足音で分かる。
そしてカフェの隣の壁に背をつけるとガラス戸から中の様子を盗み見た。
「どう?井坂、いる??」
あゆちゃんが横から尋ねてきて、私は店内に視線を動かしてそれっぽい人はいないと首を振った。
すると赤井君がパンッと手を叩いて、身をのり出してきた。
「あ、もしかして接客じゃなくて中なんじゃねぇ?料理とかする方!!」
「まさか!?高校生にそんな仕事させないでしょ!?」
「そんなん分かんねーじゃん?何でも軽くこなすあいつだからさ、こりゃ使えるってんで中にいるかもしれねーじゃん?」
「えー?いくら使いやすいからって、そんなのあるのかなー??」
私は二人の楽しそうな憶測を聞きながら、じっと中を見ていると、窓に井坂君の姿が見えて目を見張った。
「いた!!いたよ!」
私は二人の体を叩いて合図すると、三人で顔を覗かせて中を見つめた。
井坂君は黒いエプロンと腰に巻き付けた制服を着ていて、営業スマイルを浮かべていた。
私はいつもと違う井坂君にキュンとときめいてしまって、頬が熱くなった。
「うっわ。何あれ。井坂が笑顔で接客してるとか、気持ち悪いなぁ…。」
「だな。っつーか、あいつが他人にあそこまで笑顔を浮かべてるのが珍しいだろ。あいつ基本、自分から行くの苦手だからな。」
赤井君の感想に私はふと疑問が過った。
自分から行くのが苦手…?
そんなバカな。
「ちょ…ちょっと待って赤井君。井坂君って誰に対してもフレンドリーだよね?自分から行くのが苦手とか冗談でしょ?」
「冗談じゃないよ。あいつがフレンドリーなのは、俺ら仲間が傍にいるときだけ。一人になったら基本受け身で、自分から行こうなんてしねーの。いつも女子に囲まれてるあいつ見てたら分かるだろ?」
赤井君に言われてみて、そういえば女子に囲まれてるときは相槌打ってるだけだって言っていた事を思い出した。
「で…でもさ、私と初めて話したときの井坂君は一人だったけど、私に話しかけてくれたよ?笑顔だって向けてくれたし…。」
私は最初はきつい一言を言われたけど、基本的には井坂君からだったと思い出して口にした。
すると赤井君が笑い出して、私の背中をバンバンと叩いた。
「そんなん谷地さんだからに決まってんじゃん!!受け身のあいつが行動を起こすなんて、好きじゃなきゃできないって。あいつにしては、勇気を振り絞っての行動だったんじゃねぇ?」
「そ…そんな…。」
過去の井坂君の行動を思い返して、そんなに勇気を出していたのだろうかと頬が緩んだ。
彼が勇気を振り絞る姿なんて…
私はあのとき教室で向かい合った井坂君を思い出して、胸が苦しくなった。
あの日があったから、私は今こうしてるんだ。
そう思うと彼の勇気に感謝せずにはいられなかった。
それと一緒に、急に話したくなってきて、私は壁から一歩足を踏み出した。
「詩織?どこ行くの?」
「カフェの中。行ってくる。」
「ホント!?行くの!?じゃ、私も!!」
「俺も俺も!!」
二人も私の行動にのっかかってきて、私は心強かった。
そうして私たちは井坂君のいるカフェに足を向けたのだった。
赤井とあゆちゃんが出てくると、一気に場が明るくなります。