60、抜け出す
私たちはお昼過ぎに沖縄へ到着すると、首里城や博物館をゾロゾロと見学して、その日は市内のホテルへと向かった。
ホテルに着くと、班のリーダーに部屋の鍵が渡されて、それぞれ着替えて大広間に集合と先生が声をかけていた。
私は生徒でごった返すロビーを見回しながら井坂君を探すと、井坂君はなぜか一組の女子に捕まっていた。
あのよく見る巻き髪は榊原さんたちだ。
私は彼女たちと井坂君を引き離そうと思って足を進めようとすると、あゆちゃんに腕を掴まれた。
「詩織。部屋行くよ。」
「え…あ。うん。」
私はあゆちゃんに促されて、仕方なくその背についていく事にした。
後ろから楽しそうに聞こえる声が耳障りで、私は気にしないように聞こえないフリをした。
そして部屋に来ると、あゆちゃんは鞄を置いてから私たちに振り返った。
「あのね、私。夜、ちょっと抜けるから!!」
「え?」
「あー、やっぱり?」
「そうなんだ。」
新木さんもタカさんも意外とすんなり納得していて、私は一人みんなの顔を窺ってキョロキョロした。
あゆちゃんは着替えを鞄から取り出すと、私に視線を投げかけてきた。
「詩織は?井坂から誘われてないの?」
「え…あ…と。その…。」
私は少し言い迷ったけど、抜け出す以上協力してもらわないといけないので「私も」と答えた。
すると皆の目の色が変わって、私は三人に囲まれた。
「マジ!?行くの!?詩織が!?」
「うっそ!!どうしたの!?なんの心境の変化!?」
「しおりん!!大人になったんだねぇっ!!」
私はグラグラと揺すられながら、なぜ夜会うだけでそこまで驚かれるのか意味が分からなかった。
あゆちゃんは私の保護者のような顔で微笑んで涙ぐんでいるし、とりあえず笑顔で応えるしかなかった。
「いや~そうかぁ…。なんか感慨深いなぁ…。」
「とうとうかぁ~…。感想を楽しみにしてるね?」
「点呼に関しては任せて!!先生に上手く言っておくから!!」
三者三様の言い方をされて、私はとりあえず「お願い。」とだけ返事をした。
それから私たちは急いで私服に着替えると、夕食のために大広間へと向かったのだった。
***
そして井坂君から呼び出しのメールが来たのは、お風呂で髪を乾かしている最中の事だった。
私はドライヤーを止めると、光っているケータイを手にとって中を確認した。
『俺の部屋は305だから。今なら点呼前だし、普通に来れるだろ?待ってる。』
私は目を細めると、これは男子部屋へ来いという事かと理解した。
私にそこまでの勇気があるか分からなかったけど、とりあえず『お風呂から出たら行く。』とだけ返信しておいた。
それから、部屋ってことは赤井君たちもいるって事だと思って、飛行機の中のようにイチャつくために呼び出したわけじゃないと分かって少し安心したのだった。
そしてあゆちゃんたちに「ちょっと行ってくる。」と言い残すと、お風呂を出て顔を手で仰ぎながら階段を上がった。
お風呂上がりで髪はてっぺんでお団子にしているので、首筋は涼しいけど顔がまだ熱い。
私は部屋に着くまでに平常通りに戻っているといいな~と思いながら三階に着くと、辺りを見回した。
女子の部屋と男子の部屋は防火扉で区切られていて、防火扉にある小さな入り口からしか女子の部屋には行けないようになっている。
私はそっちには向かわずに男子部屋のある廊下をコソコソと歩くと、305と札のある部屋の扉をノックした。
中から「はいは~い。」という声が聞こえて扉が開くと、扉を開けてくれたのは島田君だった。
「あれ?谷地さん。どうしたの?」
「え?井坂君に呼ばれて来たんだけど…いない?」
「あー…さっき自販機んとこに行っちまってさ。約束してた?」
「うん。いないなら…どうしようかな?」
私は部屋の中を覗き込んで、どうみても島田君しかいないようだったので、入れてもらうわけにはいかないだろうと思った。
すると廊下の向こうから、サングラスをかけた体育の先生が歩いてくるのが見えて、身が縮まった。
「ごっめん!!ちょっと入れて!!」
「えっ!?ちょっ!!」
私は男子部屋に来てることを見つかるわけにはいかなかったので、島田君を押して、部屋の中に飛び込んだ。島田君は入り口で尻餅をついて、私は扉を閉めて扉に手をついてしゃがんだ。
そして扉に耳をつけて先生が通り過ぎるのを待つ。
「一体どうしたんだよ?」
「ちょっと静かにして。見つかったら大変なことになる。」
私は話しかけてくる島田君を制すると、耳をそばだてる。
すると、島田君も同じように扉に耳をつけてきて、私は距離の近さに目を剥いた。
「もう通り過ぎたんじゃねぇ?」
私が至近距離の島田君の顔を見つめて固まっていると、島田君と視線が交わって、島田君も驚いたように目を見開いた。
私はこの変な空気を壊そうと視線を逸らして渇いた笑い声を響かせた。
「あははっ。匿ってくれて、ありがとう。私、部屋に戻るね。井坂君には来たことだけ伝えておいて。」
私は早口で捲し立てると、部屋を出ようとドアノブに手を伸ばした。
すると島田君の手が遮るように伸びてきて、壁に手をついた。
私はそれに驚いて島田君に目を戻すと、彼はじっと私を見下ろしてきて何を考えてるのか読み取れなかった。
そのとき扉が勝手に開いて、廊下に井坂君や赤井君、北野君が立ってるのが目に入った。
「あ…おかえり。」
私は入り口でしゃがみ込んでいるので、井坂君たちを見上げた。
三人は私たちを見下ろしてポカンとした後、井坂君だけが険しく表情を歪めた。
「何やってんの?」
井坂君の怒ってる声が聞こえて、私が島田君に視線を戻すと島田君は壁から手を離してふっと笑った。
「何も?立ち上がるときに壁に手をついてただけじゃん。ここにいたのだって、先生に見つからないように廊下の様子を窺ってたからだし。怒られるような事は何もしてねぇよ?なぁ、谷地さん?」
島田君に笑顔で促されて私は何度も頷いて肯定した。
「そう!そうだよ!井坂君が呼び出したから、ここまで来たんだよ。それなのにいないから!!」
私は立ち上がると井坂君を見据えた。
すると井坂君は表情を緩めて「悪い。」と謝ってきた。
「つーか、谷地さん。時間は大丈夫なわけ?もうすぐ点呼だけど。」
「えっ!?」
島田君に言われて、私は部屋の中の時計で時間を確認した。
確かに点呼まであと3分ぐらいしかない。
私は井坂君たちを押しのけて廊下に出ると「帰るっ。」と告げて、防火扉に向かって走った。
そして、なんとか先生に見つからないように自分の部屋まで戻ってくると、扉を閉めてから大きく息を吐き出した。
「あ、おかえりー。どうだった?」
あゆちゃんが顔だけ覗かせて聞いてきて、私はゆっくり中に入って答えた。
「呼び出したクセにいなくて、何も話してない。見つかるかもしれないという恐怖と戦っただけだった。」
「あははっ!井坂もバカだなぁ~!!でも、本番は点呼後でしょ?ちゃんとケータイ見ときなよ?」
あゆちゃんに『本番』と言われて、まだ呼び出しがくるのかとげんなりした。
井坂君と一緒にいるときのドキドキとは違って、できるならあのドキドキはもう味わいたくない。
私ははぁ~と大きくため息をつくと、自分の布団に倒れ込んだのだった。
それから私たちは点呼を受けると、あゆちゃんは颯爽と部屋を出ていってしまった。
その清々しい姿に勇気あるな…と思っていると、私のケータイにもメールが届いた。
新木さんとタカさんがトランプゲームに興じて騒いでいるのを横目に、私は中を確認した。
『自販機のとこにいる。今度は絶対にいるから、見つからないように出てきて。』
私は『絶対』という所に目を落として、彼も彼なりにいなかった事を気にしてると気づいた。
だから、ここで行かないなんて選択は出てこない。
私は『今から行く。』と返事すると、タカさんたちに「行ってくる。」と言い残して部屋を出た。
そして先生たちに見つからないように、足音を消して一階まで降りると、お風呂場の脇の自販機前にしゃがみ込んでいる井坂君を見つけた。
私はキョロキョロと辺りを見てから、走って駆け寄った。
「井坂君。お待たせ。」
「いいよ。ちょっと、ここじゃヤベーから。こっち来て。」
井坂君は私の手を掴んで引っ張ると、ホテルの非常口から外に出てしまった。
外は中と違ってムワッと暑くて顔をしかめる。
お風呂上りなのに、汗かいちゃうな…
私は汗臭くならないといいなぁ…なんて思っていたら、井坂君が植え込みの横にあった階段に腰を下ろした。
そして隣を促されて、私はとりあえず横に腰を下ろした。
「さっきはごめんな。お風呂から出たらってメール来てたから時間かかるだろうと思ってさ。あんな早く来るとは思わなくてビックリした。」
「うん。いいよ。私も返事の仕方が悪かったんだろうし。」
私はもう気にしてなかったので、笑顔で返した。
すると井坂君の手が首元に伸びてきて、触れられた瞬間体がビクッと震えた。
「髪全部上げてるの、初めてだよな?」
井坂君が私のお団子をを見て言ったと分かって、私は緊張を解いた。
「うん。お風呂上がりだしね。この方が楽だから。」
私は何だか変な空気を打壊そうと明るく言うけど、井坂君の真剣な目が私を射抜いてきて、心臓がどんどん速くなる。
「ふ~ん…。なんかちょっとエロイよな。」
「えっ!?」
井坂君のものとは思えない言葉に目を見開いて驚いていると、井坂君がグッと距離を縮めて唇を重ねてきた。
私はこうするためにココに来たと分かってただけに、目を閉じて応えた。
やっぱりこうしていると、体がピリピリと痺れてきて、熱が上がる。
私は外気の暑さも相まってジワ…と汗をかいてきた。
「う…ん…んっ…。」
喘ぎ声が勝手に漏れて、頭がぼーっとしてきたとき、井坂君の手が今まで触れてこなかった所に触れてきて体が強張った。
井坂君の手は私のTシャツの中に入っていて、私の背中の肌を直に触っている。
私はそれにゾクゾクしていて顔をしかめて口を離した。
「やっ…!!」
井坂君は離した口を今度は耳から首筋に落としてきて、私は全身に鳥肌が立った。
何コレ…何!?
私は胸からお腹にかけてズンと苦しくなって呼吸ができなくなった。
『もっと』って体が言ってるのが分かるけど、心がついていかない。
知らない事をされそうで徐々に怖さが募っていく。
どうなるのっ…!?これって…この先って…!!!
私が体を強張らせてジッと怖さを堪えていると、急に井坂君が私のTシャツの裾を引っ張って直して、サッと離れてしまった。
え…??
私はさっきまでの熱が一気に引いていって、目をパチクリさせた。
「うし。帰るか。」
「え…え…?えぇ…??」
私が意味が分からなくて首を傾げていると、井坂君が私の手をとって立ち上がらせて笑顔を見せた。
その笑顔がすごく嬉しそうで、私は不思議な顔を彼に向ける事しかできなかった。
「あれ?なんか不満だった?でも、ここ外だからさぁ~。」
井坂君は周りを見てヘラッと言っていて、私はそういえばそうだったと恥ずかしくなった。
状況も分からないほど自分を見失っていたらしい…
井坂君は私の頭をクシャクシャッと撫でてくれると、「また今度な。」と言って手を引っ張った。
そんな井坂君の背中を見つめて、私はもう一枚の壁にヒビが入ったような気がして、あの先を知りたくなったのだった。
関係が進展するのか見守ってやってください。