50、バレンタインデー
私が告白されてから井坂君は睨みをきかせるようになって、そのおかげか女子に呼び出される事もなくなった。
平穏な日に戻った事にホッとしながら、私はこれからやって来る恋愛の大イベントに向けてリサーチしていた。
「井坂君は甘いのか苦いのかどっちが好き?」
「何?その質問。甘いのと苦いのだったら、甘い方が良いに決まってんじゃん。」
「ふんふん。じゃあ、一番好きなお菓子って何?」
「お菓子??お菓子だったら…ポテチかな。あ、あと、駄菓子のよっちゃんイカも結構好きだよ。あれ、小さい頃から好きなんだよなぁ~。」
ポテチ…よっちゃんイカって…
私は頭の中にメモしながら、これは役に立たないなと思った。
上手く誘導しようと、選択制にしてみる。
「じゃ、じゃあ。ケーキかクッキーだったら、どっちが好き?」
「う~ん…。そりゃあ、ケーキかなぁ…。誕生日ケーキとかテンション上がるしな!」
ケーキとメモリながら、私は向こうから良い話題が転がってきたとばかりに食いついた。
「井坂君、誕生日っていつ?」
「俺?…俺は8月だよ。夏休み中だからいっつも忘れられるんだよなぁ~。」
「ちなみに何日?」
「8日だよ。あ、もしかして祝ってくれるとか??」
「うん。彼女だしね。」
私はこれは忘れないように、メモ帳を取り出すと8月8日と書き込んだ。
すると前から井坂君の手が伸びてきて、ギュッと手を握られた。
最近、井坂君は私の手に触れてくることが増えたので、以前ほどドキッとする回数も減った。
こうやって慣れていけることが、彼女という自覚につながって嬉しくなる。
「楽しみにしてよーっと。ちなみに谷地さんは何月?」
「私は3月だよ。3月14日。早生まれだから、クラスの中じゃ一番年下かもしれないね。」
「14日って…ホワイトデーの日じゃん!!覚えやすっ!俺、ぜってー忘れねーよ?」
「あははっ。楽しみにしとく。」
私はホワイトデーからバレンタインデーに意識がいくんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていたけど、井坂君は誕生日の事で頭がいっぱいのようで、気づかれずに済んでホッとした。
私は頭の中でさっきの情報を整理して、バレンタインはチョコケーキで甘いものに決まりだな。とプランを作成していた。
でもお菓子作りなんてしたことがないし、今日から一週間みっちり練習しないと…
私は帰りに材料を買いに行こうと決めた。
すると私たちの机に赤井君が島田君と一緒にやってきて、睨みながら見下ろしてきた。
「風紀が乱れてる!!」
「は?…また、何だよ…。」
「手!!友達の距離間だったら、んな事しねーよ!!」
赤井君が私たちの繋いでる手を指さして、声を張り上げた。
私はクラスに注目されるのが嫌だっただけに、大声で注意しに来るのはやめてほしかった。
手ぐらい…かなり注目しないと見えないと思うんだけどな…
私は慣れてしまったのもあって、今回は井坂君寄りのポジションだった。
「なんだ。羨ましいんだろ?」
井坂君が挑発するように繋いだ手を上に持ち上げて赤井君に見せていて、私はさすがに恥ずかしくなった。
「上から目線で見んなっ!!イチャつくなら、外でしろ!!」
赤井君は相当腹が立ったのか、井坂君のブレザーを引っ張って立たすとベランダに向かって背を押した。
私は手を繋いでいたので、手を引かれて一緒についていく事になる。
そして二人で寒いベランダに追い出されると、中から鍵までかけられてしまった。
「あいつら…横暴すぎるだろ…。」
「そうだね…。なんか最近、ますますひどくない?何かあったのかな?」
井坂君が冷たい風を避けようと壁にもたれて座り込んで、私もその横に座った。
風は当たらなくなったけど、寒いのには変わらない。
中から膝掛けを持って出てくれば良かった…
私はセーターの袖を長めに引っ張ると手を隠して身を縮めた。
すると井坂君が私に寄ってきてくれて、また手を繋いでくれた。
それが嬉しくてふっと微笑むと、井坂君も笑顔を浮かべてながら話してくれた。
「赤井さ…俺が思うに、好きな奴ができたんじゃねぇかなって思うんだよ。」
「好きな人…って…ホントに!?」
私は好きになった事がないと言っていた赤井君の姿を思い出して、そういえばあの頃と違う気がした。
「うん。誰かは…分からねぇけど。最近の不機嫌な理由に関係ある気がすんだよなぁ…。」
「へぇ…。あゆちゃんだったらいいのになぁ…。」
私は一生懸命な彼女の想いが報われてほしいと思って、井坂君の前なのにポロッとこぼしてしまった。
井坂君は肩を震わせて笑うと、私の顔を覗き込んできた。
「ははっ、谷地さん。そういうとこ優しいよな。女子の友情はなんか見てて分厚そう。」
「…それって褒め言葉?」
「うん。そういうとこが好きってこと。」
突然の告白に私は落ち着いていた心臓がドクンと跳ねた。
こういう不意打ちは困る。
私はじっと優しい瞳を見つめると「ありがと。」と小声で答えた。
まだ面と向かって『好き』と言われる事には慣れてない。
私が照れて少し視線を逸らすと、井坂君の顔が近づいてくる気配がして目を戻した。
視線がぶつかって、急に酸素が薄くなったように感じる。
私は跳ねた心臓がどんどん速くなる音を聞いて、どうしようという不安が湧き上がった。
井坂君の吐息が肌にかかるぐらい顔が近くなったとき、私は息を止めてギュッと目を瞑った。
くる…!!
私はとうとうキスしちゃうと身を強張らせたら、チャイムの音が辺りに鳴り響いた。
私がその音に反応して目を開けると、井坂君がちょうど私から離れるところで、私は強張っていた緊張を解いた。
「…戻るか。」
「う、うん。」
私は立ち上がるときに繋いでいる手に汗をかいている事に気づいて、余程自分が緊張していたんだと分かった。
でも、こうやって良い雰囲気になることはあっても、まだキスの一つもしていない。
今みたいにタイミングが合わなかったり、後は…直前でやめてしまったりと色々だ…。
私はまだできていないのには自分に原因があるような気がして、不安という雲が胸を覆っていくようだった。
だからこそ、バレンタインデーにはとびっきりのチョコを用意して、最高のキスができると期待することに決めたのだった。
***
その日から私のお菓子作り奮闘週間が始まった。
井坂君には適当に理由を作って、今週は一緒に帰れない事に納得してもらった。
私は買って帰った材料をキッチンに並べて、パソコンで調べたレシピをプリントアウトしたものを目の前に置いた。
ハートの形の容器も買ったし、美味しいチョコケーキ作り頑張るぞーっ!!
私は気合だけは十分にお菓子作りをスタートしたのだけど、なかなか上手くいかなくて、チョコを湯煎するだけでも何度も火傷してしまう始末だった。
こんな状態じゃ前途多難だ…
私は何度も挫けそうになったけど、その度に『おいしい』と言ってくれる井坂君の顔を思い浮かべて、自分を奮起させた。
それにしても…このフォンダンショコラ…?というものは…本当に上手く作れるのだろうか…?
私は何度やっても真ん中が膨らんでくれなくて、見た目の悪いチョコ群と睨めっこした。
バレンタインまであと二日…
私はクラスメイトの女子たちにどうするか聞いてみようと、その日のお菓子作りは終わりにしたのだった。
***
次の日、私はお昼休みに皆でご飯を食べながら、明日どうするのか聞いてみた。
「私はトリュフ作るよ。溶かして混ぜて固めるだけ!簡単でしょ?本命もいないから、友チョコとクラスの義理チョコのみだけどね~。」
篠ちゃんがパンにかぶりつきながら言った。
「私は買ってくる。作るのとか苦手だし。クラスの男子なんてチロルチョコで十分でしょ。」
ツッキーが男勝りに言っていて、さすがと思った。
タカさんも右に同じと手を挙げていて、男っ気のない二人にため息が出そうだった。
「私はマイとゆずとクッキー作るよ。もち、本命には量を多めでね。」
「バレない程度のさりげなさがいいからさぁ~。」
「うん。まだ告白とかできないし。」
ゆずちゃんが恥ずかしそうに言っていて、私はほう…と頷いた。
新木さんやアイちゃんまでさりげなさ希望とは…みんな意外と消極的なんだなぁ…と思った。
そして最後にあゆちゃんが自信満々に胸を張った。
「私はガトーショコラ作るよ!!赤井が甘いのあんまり好きじゃないって言うからさ!ビターなやつにするんだ!!そんでもう一回告白してくる!!」
「えぇっ!?」「えっ!?」「うそ!!」「マジ!?」
チョコの事よりも告白という言葉に驚いて、皆あゆちゃんを見て固まった。
あゆちゃんは一人ケロッとしていて、頬を赤らめながら私たちを見回して言った。
「なんか、最近いけるんじゃないかって気がしてるんだよね。この間もさ…向こうから手を繋いできてさ…。これって行けって事でしょ!?」
手を繋いだと聞いて、私たちは悲鳴を上げた。
女子特有の甲高い声が響き渡る。
私はあゆちゃんに身を乗り出すと、詳しく聞こうと口を開いた。
「それっていつの話?最近??」
「うん。この間かな…なんか部活終わるの待っててくれたっぽくて…一緒に帰ったの。そしたら横を自転車が通ったときに…こういう感じで手がきてさ…繋いだわけ。」
私はまた出そうになる悲鳴を抑え込んで、顔がニヤけて止まらなかった。
あゆちゃんも同じ顔でニヤニヤしている。
「上手くいくよ!!それは!!」
「そーだよ!!行け!あゆ!カップル第二号にならなきゃ!!」
「だよね!?っしゃー!!明日は頑張るぞーっ!!」
あゆちゃんの気合の入った声を聞いて、皆で囃し立てた。
井坂君に聞いた赤井君の変化が正しければ、上手くいくはずだ。
私はずっとお似合いだと思っていた二人が上手くいきそうで、胸がわくわくしていたのだった。
***
しかし、家に帰るとチョコ作りという現実が待ち構えていて、私は今日は失敗できないと大きく息を吸ってから取り組んだのだった。
そして、今までの練習と運もあってか、今までで一番良い出来のチョコが完成した。
私は綺麗な形のそれを見て、感慨深くて涙が出てきそうだった。
出来た!!出来た!!ハートの形のフォンダンショコラ!!
私はそれを買っていた箱の中に収めると、綺麗にリボンをかけて袋の中へとしまった。
そして渡したときの想像をしながら、顔がニヤけるのが止まらなかったのだった。
そして当日―――――
学校はバレンタインデーという事で男子も女子も浮き足立っていて、私も初めて作ったチョコを手に彼らと同じ状態だった。
今年は義理チョコも用意してなくて、本命一本の一つしか持ってきていない。
なんたって初めてできた彼氏に、初めて作ったチョコを渡すんだ。
他の人に渡す余裕なんかない!!
私はふんっと鼻から息を吐くと、ずんずんと足を教室へ向けた。
教室に着くと、ツッキーとタカさんがクラスメイトにもう義理チョコを配っていて、目を見張った。
「おはよう。」
「あ、おはよ。しおりん。これ友チョコね。」
タカさんに渡されたのは、市販のチョコレートで私は「ありがと」と言いながら受け取った。
そういえば、友チョコも用意してない…
私はタカさんたちを見て、ホワイトデーにお返ししようと心に決めたのだった。
そして自分の席に行くと、もう来ていた井坂君が笑顔で話しかけてきた。
「おはよ!今日は良い日だよな!!」
「おはよ…。そうだね…。」
分かりやすいぐらいの笑顔に、私は今日は期待できそうだと鞄と一緒にチョコの袋を机の横にかけた。
井坂君の目がそれに向いているのに気付いていたけど、あえて言わずに用件だけ口にした。
「あのさ、今日。放課後、教室で待っててくれる?」
井坂君は目をパチクリさせると、何かに気づいたのか顔をクシャっとさせて笑った。
「おう!いいよ!!」
その満面の笑顔から、私の想像通りのバレンタインデーになるように笑顔を返したのだった。
そして、放課後になるまで、私は井坂君がチョコを貰う度にヤキモキして、顔を背けていた。
井坂君は断ってくれてるみたいだけど、でも直接この目で現場を見るのは嫌だった。
モテる彼氏ってのも、考えようだなぁ…
私はそういう人を好きになったのは自分だと諦めることにして、窓から外を眺めて早く放課後になるのを願ったのだった。
**
そして、待ちに待った放課後―――――
私は皆が帰った頃を見計らって、教室を覗き込んだ。
教室には誰もいなくて、私はあれ?と思いながら中に入った。
井坂君が待っててくれてるものだと思っていた。
私は自分の席に行くと、前の席にまだ荷物があるので帰ってはいないと分かった。
帰って来るのを待とうと思って、席について横にかけていたチョコを机の上にのせた。
それを見ながら渡すときのシュミレーションを頭の中で繰り広げて、机にコロンと頭をのせた。
喜んでくれるかな…喜んでくれるよね…
私は暖房の温かさにウトウトしてきて、井坂君を待つ間に眠ってしまったのだった。
*
『しおり…』
井坂君に初めて名前を呼ばれた気がして、私は幸せな気持ちで目を開けた。
すると至近距離に井坂君の顔があって、自然と息が止まって固まった。
井坂君の目が大きく見開かれて同じように固まる。
私は息が苦しくなってきて、息を吐き出す瞬間に飛び起きた。
「―――っ!!」
井坂君もほぼ同時に離れて、私は何度も呼吸を繰り返しながら、耳まで真っ赤になっている井坂君の後ろ頭を見つめた。
井坂君はヨロヨロと立ち上がると、何度か咳払いしてから言った。
「ごっ…ごめん。待たせて。島田たちと遊んでたら…時間忘れてて…。」
「う、ううん!!いいの!急いでるわけでもなかったし…。」
私はさっきの距離を思い出して、心臓が早鐘を打っていた。
さっきのって…、…ど…どう見ても…キス…しようとしてた…よね…?
私は胸がギュウっと苦しくなるのを感じながら、気持ちを持ち直して声をかけた。
「あのね、私…チョコ作ったんだ。もしかしたら少し崩れてるかもしれないけど…。」
私はチョコの入った袋を手に持つと、井坂君に差し出した。
井坂君はそれを見ると、嬉しそうに顔を綻ばせて自分の椅子を引いて座った。
そして私の差し出した袋を受け取ると、満面の笑顔を向けてくれた。
「マジ!!手作り!?うっわ、嬉しーっ!!」
私はその顔が見れただけで満足してきていて、火傷でかさついている手を握って笑みを浮かべた。
井坂君は早速中から取り出すと、リボンをといて箱を開けて目を輝かせた。
「ハート!!ハートだ!!」
「うん。やっぱり、この形かなって思ってさ。」
私は彼に食べるように促すと、井坂君は遠慮がちに一口頬張った。
井坂君はキュッと頬を持ち上げて、顔をクシャっとさせると残りを箱に戻してから私に顔を向けた。
「美味しい!!最っ高!!マジで今日まで生きてて良かった!!」
「大げさだよ。」
私はこの言葉が聞きたかったので、嬉しくて涙が出そうだった。
私が笑いながら井坂君を見つめていると、井坂君の表情が急に真剣なものに変わった。
私はその雰囲気に見覚えがあって、ドキンと期待から心臓が跳ねる。
井坂君の手が私に伸びてきて、火傷でかさついた手を握った。
私はそれにビクッと反応すると、井坂君の顔が近づいてくるのが分かって、肩に力を入れた。
私は期待に胸をドキドキさせながら、吐息のかかる距離で目をゆっくり閉じた。
くる…!!今度こそ!!
私は邪魔するものは何もないはずと思って、うるさい心臓の音を聞きながら待った。
でも全然来なくて、井坂君の手が離れたのを感じるとゆっくり目を開けた。
するとそこには井坂君が顔を離してチョコに目を落としながら微笑んでいて、私はポカンと固まった。
「これ、マジで食べるのもったいねーなぁ…。」
井坂君が平常通りに戻ってるのを見て、私はギュッと口を引き結ぶとまただと落胆した。
それと同時に今回は悲しさと怒りも湧き上がってきて、机の上の手を握りしめると口が勝手に動いた。
「なんで…?」
「…え?」
井坂君が驚いた顔でこっちを向くのが見えて、私は机を叩いてから立ち上がると吐き捨てた。
「なんで…っ…なんで!!いっつも…やめちゃうのよ!!」
私は目に涙が浮かんできて、恥ずかしさから逃げるように教室を飛び出した。
後ろから井坂君の引き留める声が聞こえたけど、私は期待した分だけ落胆も大きくて、色んな感情がごちゃ混ぜで我武者羅に走ったのだった。
井坂…臆病代表です。