43、二人だけ
私が幸せを感じて温かい気持ちで井坂君と抱き合っていると、急に井坂君の体がビクついた。
井坂君は私を慌てて引き離すと、すぐ横の部屋の扉を開けて怒鳴った。
「何見てんだよっ!!」
彼の怒鳴り声を聞いて、私も部屋に目を向けるとニヤニヤ笑いの島田君や赤井君が見えて、その顔に状況を察した。
その瞬間さっきとは違う意味で顔が熱くなってきて、私は扉の横に隠れるように蹲った。
まさか…抱き合ってるの…見られた…とか…?
井坂君は部屋の中に入って行ってしまうと、扉が自動にしまって中の声は聞こえにくくなってしまった。
なんだか揉めてるのだけは雰囲気で伝わってくる。
私はそこに入る勇気を持ち合わせていないので、その場から動くことができない。
とりあえず気持ちを落ち着かせようと、赤い頬を擦りながらさっきの状況を思い出すが、さらに熱が上がる。
我ながら空気に流されて大胆なことをしてしまった。
全然熱が下がってくれなくて、私は頬を手で押さえながら焦ってきた。
中に戻らないといけないのに…早く元通りになってよ~…
私は思い通りにならない自分の体にイライラしていると、扉が開いて井坂君が私と同じ赤ら顔で姿を見せた。
井坂君は手に私の荷物とコートを持っていて、私は何で持ってるんだろうと目を向けた。
彼はしゃがんでいる私に手を伸ばすと、頬にあった手を強引に掴んで引っ張った。
私は無理やり立たせられると、肩からコートをかけられた。
「行こ。」
「えっ?」
彼は自分もネックウォーマーをつけると、私の手を引いて走り出した。
私は引っ張られるままに走ると背後から「ヒューヒュー!」と冷やかす声と楽しげな笑い声がが聞こえてきた。
私は軽く振り返ると、赤井君と島田君が顔を覗かせているのだけが見えた。
三学期には色々と覚悟しておかないとダメかもしれない…
私は彼らから来るであろう冷やかしに耐えられるか、今から自信がなくて気持ちが少し沈んだのだった。
***
井坂君と一緒にカラオケを飛び出すと、足が徒歩に変わった。
私は繋がれた手が気になって、寒いはずなのにどんどん熱が上がるようだった。
井坂君は黙ったままで、どこかに向かってるのか足が速い。
私は必死に足を速めて彼の後についていく。
そうして歩いていると急に井坂君が立ち止まって、私はその背を見つめて足を止めると尋ねた。
「どこに行くの?」
井坂君はゆっくり振り返ると、空いている手で頭を掻くとヘラッと笑った。
「…どこ行こうか?」
井坂君の返答にずっこけそうになる。
私は何も考えずに飛び出したんだと分かって、緊張が和らいで笑みが漏れた。
「あははっ。どこって…あんなに早足だったから、てっきり目的地があるんだと思ってた。」
「いや…それは、あいつらが追っかけてくるんじゃないかって思って…逃げてただけっていうか…。」
井坂君は困ったように言い訳してきて、私は助け舟を出してあげることにした。
「あそこ行こう。前に連れてってくれた河川敷のイルミネーションの所。」
「……そんなとこでいいのか?」
「そこがいいの。行こう?」
私はあのときの感覚を取り戻したくて、どうしても行きたかった。
井坂君はしぶしぶ頷いてくれると、今度は歩調を合わせてくれてゆっくりと足を河川敷に向けたのだった。
そうして二人並んで河川敷にやって来ると、私は以前見たときと見え方が違って驚いた。
キラキラ眩しいのは一緒なんだけど、あのときよりもずっと綺麗に見える。
夜空の星までがイルミネーションの一部と化していて、私はその光景に気持ちが高揚していく。
「すごく…綺麗…。」
イルミネーションの光が今の私の気持ちを表しているようで、感動して目から涙が零れそうになる。
私は井坂君の手をギュッと握りしめると、涙をのみ込もうと目を閉じた。
すると井坂君も手を握り返してくると、上から声が降ってきた。
「やっぱ…谷地さんだけは分かんねぇ…。」
私は前にも聞いた言葉に目を開けて井坂君を見上げた。
彼は不服そうな顔を向けると、拗ねた子供のように言った。
「俺の事…好きだって言ったけどさ。一体いつから好きだったわけ?全っ然分かんねぇんだけど!!」
「いつからって…。」
私はいつからだろう…?と考えて、今までの事を思い返した。
好きだって気づいたのは確か…校外学習の日…。
でも、その前から前兆はあったような気がする…。
私は何がきっかけだったのか思い出そうとして、顔をしかめるととりあえず無難なものを口にした。
「う~…んと…。席が…隣になったとき…かな?」
「そんな前!?」
「へ…?いや…はっきりとは分かんないけど…たぶんそのぐらい…かな?」
驚いている井坂君を見ながら、私は自信がなかったのでぼかしておいた。
井坂君は予想外の答えが嬉しかったのか、少し顔を赤らめていてそれを隠すように手で口元を覆った。
「マジか…。でも…その頃だったとしても俺の勝ちだよ。」
「…勝ちって…何が?」
私はドヤ顔でニンマリとしている井坂君を見て、首を傾げた。
井坂君は大きく息を吸い込むと、白い息を吐き出してから口を開いた。
「俺は谷地さんのこと、入学式の日から好きだったから。」
「えぇっ!?にゅ…入学式!?」
私はまったく接点のなかったときを告げられて、驚きすぎてむせる。
私がむせているのにも関わらず、井坂君はドヤ顔のまま話を続けた。
「最初はクラス名簿で名前を見て、『詩織』って名前に興味が引かれたんだ。山地と同じ名前だったし。」
山地さんの名前が出てきて、私はタカさんの話を思い出した。
そうだ…井坂君は中学のとき…山地さんの事が…
私はそう思うと、胸が急にもやっとし出した。
「そんで気になって見てたら、谷地さん…八牧に声かけるとき、超緊張してて!!すっげー真面目でまっすぐな姿に笑えたっていうか…。」
井坂君はそのときの事を思い出したのか、喉を鳴らしながら楽しそうに笑い出した。
私はタカさんに声をかけたときの事を思い出して、自分が相当必死だった事だけは覚えていた。
周りを気にする余裕なんかなかった。
私はそれだけ人見知りを拗らせていて、友達作りに命を懸けてたと言ってもいい…。
その状況を第三者から聞かされると、すごく恥ずかしい。
私はマフラーで赤くなる顔を隠すと、ちょっと不機嫌になる。
そこまで笑う事ないだろう…
「あ、でも好きになったのはそれじゃなくて…。八牧と話せたときに見せた笑顔がさ…良くて…。あれに全部持ってかれた。一目惚れってやつかな?―――っていうか、好きになったのも谷地さんが初めてだし!」
井坂君が恥ずかしそうに顔を赤らめて笑っていて、私は『初めて』という言葉に驚いた。
「えっ!?初めてって…え!?…山地さんの事は!?中学のとき好きだったんだよね!?」
井坂君は目をパチクリさせて私を見ると、「あぁ!」と言って笑い出した。
「あははっ!!まさか、中学のときの事、聞いたとか?」
「聞いたも何も…中学ですごい噂になったって…。それで山地さんにもフラれたって…。」
「あー、それデマだからさ。中一のとき、クラスの女子で誰が一番可愛いかみたいな遊びをやってて、俺が山地に一票入れたもんだから『好き』だとかに変換されたんだよ。それを誤解した山地が「気持ちは嬉しいけど…。」とか言ってきて!!あんときはマジでビビった!」
井坂君は本当に何でもない事のように笑っていて、私は彼が嘘を言ってないと感じてほっと安心した。
でもここで、山地さんの言っていた『告白したら終わり』ということが気になって、それを口に出した。
「で…でも!井坂君モテるのに…その…告白してきた子と付き合ったりしなかったのって…何で?」
井坂君は私を見てふっと優しく微笑むと、私の頭に手を置いてきた。
「俺さ…付き合うなら自分から好きになった奴じゃないとって決めてたんだ。兄貴があんな奴だから…反骨精神っていうのかな…。」
「…じゃあ…その…告白してきた女の子に急に冷たくなるっていうのは…。」
「それは…付き合う事もできないのに気持ち知ってそのままなんて都合良すぎるだろ?冷たくした方が俺なんかやめて、すぐ次に行けんじゃん?それだけの理由だよ。」
私は井坂君なりの優しさなんだと分かって、胸がキュンとしてしまった。
どこまでも自分に正直でまっすぐな彼を惚れ直してしまう。
「―――っつーか、色々よく知ってんね?どこでそんな話聞いてくんの?」
私は女子同士のバトルやタカさん情報だっただけに、言う事が出来ずに顔を背けた。
好きな人の事を調べたみたいに思われそうで、そんな恥を知られたくなかった。
でも井坂君は私の顔を覗き込んできて、追及の手を緩めようとしない。
「なぁ?俺は全部話したんだからさ。ちょっとぐらい教えてくれてもいいじゃん?」
私は惚れた弱みで、彼のお願いする姿を見たら拒否なんかできない。
私は少しの抵抗でマフラーを持って口元を隠すとボソッと口に出した。
「…だって…好きな人の事は何でも知りたいし…。その…私…山地さんみたいに可愛くないから…、タカさんに…聞いたんだけど…。…でも…山地さんともちょっとだけ…井坂君を取り合ったっていうか…。その…色々あって…。」
私は口に出しながら、みっともないぐらい必死だったな…と恥ずかしさで顔が熱くなった。
あのときは山地さんに嫉妬する毎日だった。
私は今だって彼女の可愛さには敵わない自覚がある。
だから、悔しいんだ。
井坂君だって可愛いって投票するぐらいなんだ…
私は可愛くない自分の顔を隠したくなって、マフラーに顔を埋めた。
すると急に力強く抱きしめられて、私は自分のマフラーに口を塞がれ、尚且つ頭が胸に押し付けられて息ができなくなった。
「そんなに…俺のこと想っててくれたなんて…すっげー嬉しい…!!マジで今日死んでもいい!!」
「んーーーーーっ!!!」
私は息ができなくて苦しいので、声にならない声を出した。
井坂君は私の様子に気づいてないのか力が強くなってきて、私は拳で思いっきり井坂君を叩いた。
そこでやっと井坂君は我に返ると私を放してくれた。
私は思いっきり息を吸いこむと、何度も大きく呼吸して涙目で彼を睨んだ。
「死ぬのはこっちだから!!息できなかったよ!?」
「わ…悪い…。つい…嬉しくて…。」
私はシュンとしてしまった井坂君を見て、胸が少し痛んだ。
もうっ!!井坂君はいっつもずるいっ!!
私は怒りを抑え込むと、彼のご機嫌をとろうとため息をついてから言った。
「…こんなの序の口だから。私が…どれだけ井坂君と話す女の子を羨ましいと思ったか…知らないでしょ?この間だって…一組の女子と一緒にいるのが…すごく嫌だった…。」
私は恥ずかしさでムスッとすると、少し俯いて目線を下げた。
こんな嫉妬は恥ずかしいけど、井坂君に気持ちが伝わるならと思って口に出した。
すると井坂君が少しかがんで私を覗き込んでくると、ふっと微笑んだ。
「…それって…嫉妬…だよな?」
私ははっきり口に出されてより一層恥ずかしくなった。
井坂君はそんな私を見て息を吐いて笑うと、私の耳の辺りを手で挟んできた。
「…ごめんな。谷地さんは気分よくないだろうけど…俺はすっげー嬉しい…。」
私は耳が彼の体温で温かくなっていくのを感じながら、嬉しそうに顔をクシャっとさせて笑う井坂君を見つめていた。
私は喜んでくれた事が伝わってきて、自分も嬉しくなって自然と頬が緩んだ。
すると井坂君の楽しげな目が真剣なものに変わって、私はじっと見つめられたことに心臓がドクンと跳ねた。
間違いじゃなければ、井坂君の顔が近づいてくる気がする。
井坂君の手に力が入っていて、逃げる事ができない。
私はまさか…という予感が過って彼から目が離せなくなった。
井坂君の顔がドアップになって、今にも鼻が当たりそうになったとき、急に河川敷を照らしていた灯りが落ちて、辺りが暗くなってしまった。
それに驚いて、私は井坂君から目を離して辺りを見回した。
井坂君も驚いているようで、私から手が離れた。
「な…何?…何で、イルミネーションの光がなくなったの?」
私は河の対岸が真っ暗になっていて、目を細めた。
「…何でだろ…。あ、もしかして時間か!」
井坂君は何かに気づいたのか、ケータイを取り出して画面を開いた。
井坂君の顔がケータイの淡い光に照らされる。
「あー11時回ってる。そのせいだな。住宅地だし、11時以降は消してるのかも。」
私は告げられた時間に目を剥いた。
「11時!?うそ!!11時過ぎてるの!?」
「あ…うん。そうだけど。」
私は血の気がサーっと引いていって、怒り狂うお母さんの顔が浮かんだ。
私は居ても立ってもいられなくなって、そわそわすると井坂君に告げた。
「わっ!!私!!帰らないと!!ごめんっ!!」
私はそれだけ言うと家に向かって走り出した。
「えっ!?谷地さん!!送るよ!!」
「いいからっ!!井坂君も早く家に帰らないと!!深夜徘徊になるよっ!!」
私はお母さんに何度も脅された言葉を井坂君に叫ぶと、もう振り返るのはやめて前だけ見据えた。
幸せすぎて…浮かれて…時間のことなんかすっ飛んでた!!
私はお母さんが怒ってませんように!!と祈ると、家まで全力で走ったのだった。
真面目女子、詩織。
次は詩織の家族が出てきます。