41、トラウマ
それから私は井坂君と変わらずに図書室で勉強をして、期末は中間よりは落ちたものの、合格ラインだろう点を取ることができた。
私は今回は恋愛に左右されずに点を取れたことに物凄く安心した。
お母さんもこれなら文句は言わないだろう。
私は早速帰って報告しようと鞄を持つと、横に井坂君がやってきた。
表情は真剣で少し頬が赤い気がする。
「テスト終わったし、今日どこか寄って帰ろうぜ?」
突然の誘いに驚いて、私はまだ消えていない気持ちを無理やり抑え込んだ。
「いいよ。―――あ、そうだ。あゆちゃんも一緒に行こうよ。今日、部活ないんだよね?」
私は前の席にいたあゆちゃんに声をかけた。
あゆちゃんは私と井坂君を見て、少し困ったような顔をしていた。
あゆちゃんの事だから、協力しようとしてくれてるんだと分かって、私は笑顔で促した。
「せっかく部活ないんだもん。あゆちゃんにも来てほしいよ。」
あゆちゃんは私の再度の要求にはさすがに頷いてくれたけど、渋い顔で私を見ている。
私はそれを見てから隣の島田君にも声をかけた。
「島田君も行こうよ。いつもみたいに盛り上げてくれると嬉しいな。」
「おー!いいよ!!行こう、行こう!!」
島田君は笑顔で即答してくれて、彼の明るさに救われるようだった。
そして私は井坂君に目を戻すと「いいよね?」と訊いた。
彼は少し伏せていた目を上げると、微笑んで「いいよ。」と言ってくれた。
私はそんな彼に少しほっとした。
これでいいんだ…
二人でとか…思ってたわけじゃないだろうし…
期待しないように、ある程度の距離は保たないと…
私は自分の出そうになる欲求を我慢しようと、いつものように口角を持ち上げたのだった。
***
そして私たちは体育祭後に来たファミレスに足を運んでいた。
島田君がドリンクバーでミックスジュースを作って、それを井坂君に飲ませようとしたりしていて、私は自然と笑顔になれていて楽だった。
島田君に来てもらったのは正解だったな…
私は自分のジュースを飲むと、横から真剣な顔をしたあゆちゃんに手を引っ張られた。
「ごめん。私たち、ちょっとトイレ!」
島田君の「いってら~。」という声を聞きながら、私はあゆちゃんに引っ張られるままトイレに足を運ぶ。
背中から伝わる不機嫌な様子に、あゆちゃんが私を連れ出した理由が何となく分かった。
あゆちゃんはトイレに入るなり振り返ると、目を吊り上げて怒ってきた。
「詩織!!いったいどうしちゃったわけ!?なんか、ここんとこ変だよ!?」
「…変って…どこが?」
「全部!!全部だよ!井坂に対する態度が以前と全然違う!!今日だって二人で来ればいいのに、なんで私と島田を誘ってんの!?井坂が誘ってきたんだよ!?分かってる!?」
彼女の言いたいことは痛いほど伝わってきたけど、私はそれを理解したくなかった。
「…分かってるよ?だから、断らずにここにいるでしょ?」
「違うよ!!井坂の奴…どう見ても詩織と二人で行きたがってたじゃん!?何で気づかないの!!」
「気づきたくなんか…ないよ。」
私は俯くとグッと顔をしかめた。
「は!?何言ってんの!?どう見たって両思いなのに、なんで告白もしないで避けるような―――」
「そんな事、あり得ないから!!」
私は期待をもたせようとするあゆちゃんの言葉を遮りたくて、声を荒げた。
目の前であゆちゃんが目を見開いている。
「井坂君は…私の事を友達として好きなだけだから…私の好きとは違う!!自分の身の程は分かってるから…。」
「何…を根拠にそんな事、言ってんの!?言ってみなきゃ分からないでしょ!?」
「言ったから!!」
私は図書室での事を思い出して、今にも苦しさで目から涙が零れそうだった。
あゆちゃんは息をのんで、私の返答を待っている。
「言ったんだよ…。あの人と…同じような誘導するような…言葉で…。ゲームみたいに…簡単に好きだって…。」
「…あの人って…。」
私は涙を堪えて、潤んだ瞳で困惑しているあゆちゃんを見た。
私は胸の奥にずっと残っていて離れない、中学の苦く苦しい思い出を思い出して顔を歪めた。
今の井坂君は…すごくあの人に重なる…
私は自分の中でも整理するために、あゆちゃんには話そうと重い口を開いた。
――――――***
三年前―――――中学一年のとき
私はある人気者の男子と席が隣同士になった。
彼はすごく地味で大人しかった私にも、他の女の子と変わらない態度で話しかけてくれて、私はそれがすごく嬉しかった。
彼はことあるごとに私に話しかけてくれて…『詩織』と名前で呼んでくれるようになった。
席が離れても私たちの距離間は変わらなくて、私はいつしか彼に恋をするようになった。
話しかけられたら嬉しくて、名前で呼ばれただけで胸が弾む…
彼は私以外の女の子を名前では呼んではいなくて、それを私は自分が特別だと勘違いしてしまった。
私の勘違いは大きく膨らんでいって…、膨らみ過ぎたそれは自分の許容量を超えた。
自分は彼にとって特別だから、彼もきっと同じ気持ちを抱いてるはず。
私は彼の一番になりたくて、ある日意を決して彼に告白した。
『好きです。ずっと…一緒にいてください。』
――――――と…
私はきっといつもみたいに私の心を揺さぶる笑顔を浮かべて『俺も』と言ってくれると思ってた。
でも、彼は吹きだすように笑うと今までの態度が豹変した。
『ゲームセット』
彼は私を指さすとそう言った。
『マジで落ちるとか笑える。俺が本気で詩織を好きだとか思ってたわけ?見た目通り過ぎて、あっけなねーのな!特別に優しくしただけで、そんなにコロッと人の事好きになるなんてさ!!』
彼が笑いながらそう言ったのを今も鮮明に覚えてる。
そして、その後に勝ち誇ったような笑みを浮かべて、残酷な言葉を吐いたことも忘れない。
『詩織…俺も詩織の事、好きだよ。それはゲームの駒としてだけどね?今日まで楽しませてくれて、ありがとう。』
彼から聞きたかった『好き』だという言葉。
これがこんなに軽いものだと、このとき初めて知った。
自分だけが本気で…彼を好きだった…
初恋だったから…他の恋の形を知らなかったから…間違えた。
私は自分が情けなくて、今すぐにでも消えてしまいたかった。
***――――――――――
私はあゆちゃんに打ち明けると、井坂君にも似たように言われた事を伝えた。
「好きか嫌いで答えてくれって言われて…、好きだって言うしかなかった。」
私はあのときに冷えていった気持ちが気持ち悪いほど蘇ってきた。
大好きなはずなのに…
全然胸が熱くならない…
あのときみたいな気持ちにならない…
どこかに感情を落としてきたんじゃないかって思うほど、何も心に響かない。
私はまっすぐにあゆちゃんを見つめて、口元に笑みを浮かべた。
「井坂君も好きだって返してくれたけど、こんなに意味のない告白があるんだって思うぐらい…、何も感じなかった…。それだけ…軽い『好き』なんだって思った。だから、私の思ってる『好き』とは違うんだよ。」
あゆちゃんは何かを言おうと口を動かしていたけど、迷いながら口を閉じた。
それを見て理解してくれたと感じた私は、あゆちゃんの肩を叩いてからトイレのドアに手をかけた。
「そういうことだから…。――――戻ろ?あゆちゃん。」
あゆちゃんは考え込んでいた顔を上げると、渋い顔をしたまま頷いた。
私は先にトイレから出ると、まっすぐに座ってた席に視線を向けた。
そこには井坂君と島田君はもちろん、なぜか一組の女子までいて、私はズンと胸が重くなった。
「し…詩織…。」
後ろからあゆちゃんの心配そうな声が聞こえて、私は彼女に一度笑顔を向けると席に向かって足を速めた。
そしてテーブルの横に立つと、座っている4人を見下ろした。
「あ、おかえりー。なんか、榊原さんたちが一緒したいんだってさ。」
島田君が一組の女子がいる理由を説明してくれて、私は彼女たちに目を向けた。
榊原と呼ばれた巻き髪の女子が不敵な笑みを浮かべて、私に顔を向けた。
「ごめんね。お邪魔してます。」
挨拶はするものの席を譲ろうとしない姿に、私は追い出すつもりだと分かってこっちから言ってやることにした。
「いいよ。もう帰るつもりだったし。ごゆっくり。」
私は彼女たちの横にあった自分の鞄に手を伸ばすと、一度榊原さんを睨んでからテーブルに背を向けた。
するとその前に座ってた井坂君が鞄を手にして立ち上がった。
「やっ!谷地さん!!帰るなら、俺も――――」
「いいから!!」
私は特別扱いのような行動をしてほしくなかったので、口から拒絶が飛び出した。
「井坂君は話し相手になってあげないと。一人で…帰れるから。」
私はそれだけ言うと、早足でファミレスを後にした。
こんな自分は可愛くない…
あんなに井坂君の前では可愛い自分でありたかったはずなのに…
もう滅茶苦茶だ…
私は今後自分がどうしたいのかも分からなくて、出口のない迷路に迷い込んでしまったようだった。
井坂君の事は好き…
でも、この黒いわだかまりをどうすればいいの…?
初恋の男はひどい奴ですね…
詩織がどう乗り越えるのか、次で決着がつきます。