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理系女子の恋  作者: 流音
35/246

34、勘違い


耳に聞こえるほど自分の鼓動が大きく跳ねている。

息も苦しいし、目を見開いたままにし過ぎて、目が渇いて痛くなってくる。

そして井坂君から言われた言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。


『行くなよ』


彼はそう言った。

確かにそう聞こえた。


目の前の井坂君を見つめたまま、上手い言葉が出てこない。


これは…どういう意味…?

行くなって…教室に行ってほしくないってこと?…それとも…


私は自分の都合の良い解釈をしてしまいそうになって、彼から目を逸らした。

鞄を掴んでいる手に汗が滲んできて、何度も握り直すと声を絞り出した。


「……行かないと…。約束…だから…。」


私は自分の声が少し掠れていて恥ずかしかった。

私はギュッと一度きつく目を瞑ると、息を鼻から吸って止める。

そしてここにいたい気持ちを振り払おうと、井坂君の腕の下をくぐって教室向かって足を速めた。


違う…そんなはずない…勘違いしない…


私は変に心臓がが大きく高鳴っていて、勘違いしそうな自分を戒めようと前へ進むことに集中した。


そして私は少し足を引きずりながら、教室の前にいる佐伯君を呼んだ。


「佐伯君!!」


佐伯君は人のいない廊下で、窓に背を向けてまっすぐ立っていて、私の声に気づくと体の向きを私に向けて駆け寄ってきてくれた。

彼は私の前まで来ると、ペコッとお辞儀をした。


「今日はありがとうっす。みなさんどっかに行かれたのに、時間をもらって…。」

「いいよ。約束だから。」


私は笑顔を浮かべると首を振った。

すると、佐伯君はじっと私を見た後、不自然に目を逸らしてから言いにくそうに口を開いた。


「あの…今日…そのお時間…お願いしたのは…、その…言いたい事が…あったからで…。」


私は言いたい事と言われて、鼻から息を吸いこんだ。

佐伯君はまっすぐ私を見ると、褒めたときのように真っ赤な顔で言った。


「その…っ…今までありがとうございました!!」

「……??」


私は予想と違う言葉に固まった。

佐伯君は汗をかきはじめて、焦りながら早口になった。


「やっ…谷地さんのおかげで…クラスの女子とも…話せるようになって…。今日、優勝したことでクラスに馴染めたんす!…これも、今まで付き合ってもらった成果で…本当に…感謝してるんす!」


「…う…うん。」


「なので、もう付き合っていただかなくても大丈夫っす。これからは自分の力で頑張っていくんで、すれ違ったときに声をかけてもらえたら…その…嬉しいっす。」


佐伯君の晴れやかな笑顔を見て、私がとんでもない勘違いをしていた事に気づいた。

あゆちゃんたちの雰囲気に流されて、自意識過剰な反応をしてしまった事が本当に恥ずかしい。

私は曇りのない佐伯君の瞳を見て、すぐにでも逃げ出したくなった。


「そんな…丁寧にお礼を言ってくれなくても大丈夫だよ…。本当…。」

「いえ!!本当に感謝してるんで、こういう事はきちっとしとかないとっす!本当にありがとうっす!!」

「あはは…どういたしまして…。」


私はもう渇いた笑いを浮かべるしかなくて、勘違いしてしまった事が申し訳なくて彼の目が見れなかった。

佐伯君は「それじゃ、また!!」と言うと、また頭を下げてから下駄箱へと向かっていった。


私は緊張感から解放されて、その場にフラフラとへたり込んだ。


バカみたいだ…


っていうか、バカでしょ!!

あんなに弟から言われてたのに、調子にのってしまった。

自分って人間を分かってなさすぎだ。


もう消えてしまいたい…


私は彼の気持ちを誤解してしまったことで、彼を侮辱してしまったような気持ちになった。


もう絶対、勘違いなんかしない!!

私は地味女なんだから、恋愛に夢見たりするなんて身の丈にあってない!


私は泣きたくなってくるのを堪えると、壁に手をついて立ち上がった。

そして大きく深呼吸すると、打ち上げに行こうと足を下駄箱に向けた。


私がトボトボと歩いて下駄箱に行くと、井坂君が簀子の上にへたり込んでいて、私はその姿を見たまま足を止めた。

さっきの言葉がまた耳に響く。


勘違いなんか…しない…


私は無理に笑顔を作ると、簀子に足をのせた。

するとその音に気づいた井坂君が顔を上げた。


「…話、終わった?」

「うん…。」


井坂君の言葉から待っててくれた事が分かって、そんな彼の優しさに胸が痛くなる。

井坂君は立ち上がると、自分の靴箱から靴を取り出した。

私も靴を取り出すと、お礼を言わなければと口を開いた。


「待ってて…くれたんだよね?…その…ありがとう。」

「……いいよ。一人で歩くのきついんだろ?俺を支えにすればいいからさ。」


井坂君は少し体を傾かせて肩を差し出してきた。

私はそこに触れるのを躊躇って、肩の手前で手を止めた。


待たせた上に肩を借りるとか…ずうずうしいんじゃ…


そう思っていると、井坂君が細くため息をついた。


「平気だから。遠慮すんなって。」


ちょっと怒ってるような言葉に、私は彼の肩を掴むと小さく頷いた。


「ごめん…。ありがとう。」

「行くよ。」


井坂君は私のペースに合わせてくれるのか、ゆっくりと歩き出して、私はどこまでも優しい彼にどんどん胸が苦しくなっていった。



これは怪我をしたクラスメイトに対する彼の優しさだ。


勘違いなんかしちゃいけない…


自分が特別かもしれないなんて…思っちゃいけないんだ…



私は手から伝わる彼の体温を感じて、『好き』の気持ちがどんどん大きく膨らんでいたのだった。




***




ファミレスに着くと、赤井君とあゆちゃん以外はもうテーブルに座って盛り上がっていて、私はそのテンションの上がりっぷりに呆然とした。


「あっ!やっと来た―――っつーか!借り物競争のときといい、二人仲良くねぇ?一緒に登場なんてさぁ~。」


島田君がジュースの入ったグラス片手に冷やかしてきて、私は咄嗟に井坂君の肩から手を放した。

井坂君は大きく息を吐くと、不機嫌そうに顔をしかめた。


「お前、そればっかだな!クラスメイトなんだから、仲良いのは当たり前だろ!?」


井坂君は島田君のいるテーブルに向かうと、彼を叩いてから無理やりそのテーブルに座った。

私は『クラスメイト』という言葉に、少し落ち込みながらもタカさんたちのいる女子テーブルに向かった。


「遅かったねぇ~。井坂君と来るなんてやるじゃん?」


新木さんが私をからかってきて、私はタカさんの隣に座りながら照れる顔を押さえこんだ。


「わっ…私が怪我してるの知ってたから、肩を貸してくれただけだよ!」

「ふぅん。」


新木さんとアイちゃんとタカさんは私の気持ちを知ってるので、意味深にニヤニヤ笑っている。

そんな姿に私は頬が熱くなってくる。


これがあるから、勘違いしちゃうんだよ…


私はテーブルにあった水をグイッと喉に流し込んだ。


「そういえば柔道君は何の話だったの?」

「あ!!それ、私も気になってたんだ!告白だった??」


みんなが興味津々にテーブルに体を乗り上げてきて、私は期待には応えられないと思いながらも説明した。


「違うよ。ただのお礼だった。今まで話し相手になってくれてありがとうって感じの。」

「えぇ~!?何それ!!」

「お礼だけ!?そんだけ意味深に呼び出しておいて!?あり得な~い!!」

「それって告白する勇気がなかっただけじゃないの!?」

「体大きいのに肝のちっさい男だよねぇ~?」


みんなの中の佐伯君の株が急降下していて、私はそれを聞いて笑ってるしかできない。


「でもま、どうやって断ろうか悩んでたんだし、結果的に良かったんじゃないの?」

「まぁ…そうなんだけど…。結果的に勘違いしちゃった事が恥ずかしくて…申し訳ないっていうか…。」

「あははっ!谷地さんらしいね~。」

「しおりんは何でも真面目だからねぇ~。」

「それって褒めてる?」


何だかみんなからバカにされてる気分で、私は不服だった。

みんなは大笑いしながら、口々に「褒めてるよぉ~!」と言っている。

そんな顔で言われても信用できない…


すると今度はななめ後ろの井坂君たちがいるテーブルが爆笑しているのが聞こえてきて、私たちはそっちに振り返った。

そこには島田君の首を絞めてる井坂君がいて、また島田君が井坂君をからかったという事だけは分かった。

そのときファミレスの入り口から、あゆちゃんと一緒に赤井君がやって来て、私たちはどよめき立った。


「赤井!!」

「おー!!みんな、盛り上がってるなぁ~!!」

「盛り上がってるなじゃねぇよ!!お前、頭は大丈夫なわけ?」


井坂君や島田君が真っ先に赤井君に駆け寄って尋ねた。

後から他のクラスメイトも加わって、赤井君の前に大きな固まりになる。

赤井君はいつも通りヘラヘラ笑うと、自分の頭に手を置いた。


「平気、平気。いや~、あれだけ頑張ったのに負けたってのがショックでさぁ。きっと目が覚めなかったのもその辺りが絡んでると思うな!!」


元気いっぱいおちゃらけている赤井君に島田君が「冗談も大概にしろよー!」と言って笑っている。

井坂君は赤井君の背を叩いて嬉しそうに笑っていて、私は何事もなくて良かったと安堵した。

するとあゆちゃんが私たちに気づいてこっちに駆け寄ってきた。


「お待たせー!赤井の奴、あんなに元気でホント参っちゃうよ~。」


あゆちゃんはどこかしら頬を赤くしてご機嫌で、私は保健室の彼女と違いすぎて違和感があった。


「赤井君はさっき目が覚めたとこ?」

「うん。あいつが目を覚まして最初に言った言葉なんだと思う?」

「なになに?」


あゆちゃんは私の向かいに座ってくると、コホンと咳払いしてもったいつけた。


「『赤組、勝った?』だよ?信じられる!?どんだけ勝ちたかったんだって話だよねぇ!?」

「あははっ!!赤井君らしい!」

「ホント、ホント!!」


みんなが笑っている中、私は井坂君も同じことを言ってたなと思って、どこまでもそっくりで仲良しな二人が羨ましくなった。

ちらっと井坂君の方を見ると、島田君が赤井君に特製ドリンクだと言って、何か得体のしれない色のジュースを渡しているのが見えた。

赤井君はそれを指さして飲むのを嫌がっている。

でも井坂君は手を叩いて、それを飲まそうと場を盛り上げていた。


男の子の友情って、なんだかいいなぁ~…


私はバカなことをしているんだけど、楽しそうな姿を見て頬が緩みっぱなしだった。

すると前から視線を感じて顔をあゆちゃんに戻すと、あゆちゃんがニヤッと笑っていた。


「なに?」

「ふふっ…なんか幸せそうだなぁ~と思って。その様子じゃ柔道君は大した用件じゃなかったんだね?」

「あー、うん。ただのお礼だった。これからも友達としてよろしく的な。あゆちゃんたちが冷やかすから、勘違いしちゃったんだから!」

「ごめん、ごめん。でも、普通はそう思うでしょ?ま、結果はどっちにしても付き合うって事にはならなかったんだしいいじゃない?詩織は井坂一筋だもんねぇ?」


あゆちゃんは私の本心を見透かしていて、自信満々なので、言い返す事もできなかった。

私だってあゆちゃんを見透かしたいけど、自分にそのスキルがないのが不甲斐ない。


「それに井坂も詩織一筋な感じがするんだよねぇ~…。ただの私の勘だけど。」

「……それは前にもないって言ったよ。井坂君が私をとか…あり得ないし。」


私はもう勘違いするのは嫌だったので、ムスッとすると傍にあった誰かのジュースを飲んだ。

あゆちゃんも水を一口飲んでいる。


「それがあるかもしれないんだよねぇ~…。今日の借り物競争のとき、井坂が詩織を探しに来たときさぁ…。必死な顔で詩織のこと呼んでたんだよね…。」

「それって、勝ち負けがあるからでしょ?お題が別のものだったら、違う誰かを必死に呼んでたよ。」

「いや…お題なんて適当に誤魔化すことだってできるじゃん?ゴールしたときに見せるわけでもないのにさ。それで、一緒に走ろうか?って言ったら、詩織じゃなきゃダメだって…。これどう思う?」

「どうって…。」


私は走れない事を井坂君に伝えたときも、同じことを言ってた事を思い出した。

『谷地さんじゃなきゃダメだから。』

今でも思い返すと耳に響く…井坂君の低い声で紡がれた言葉…

私は苦笑すると、「正直なだけじゃない?」と言った。

するとあゆちゃんはふぅと息を吐き出して、頬杖をついた。


「それもあるかもしれないけど…。なんか詩織の居場所を教えたときの井坂の顔…、いつもと違ってすごく真剣だったんだよね…。そんな井坂が、詩織に対してだけは嘘はつけないってそう言ってるように感じた。ただの…直感みたいなもんだけど…。詩織のことを…特別に思ってるって…伝わってきたんだよ。」


あゆちゃんの目は嘘を言っているようには見えなくて、私は唾と一緒に息を飲み込んだ。

『特別』…そんな事があるんだろうか…?

私は『行くなよ』と言ったときの井坂君を思い出して、心が揺れ動いた。

あのとき、確かに『特別』に思われてるかもしれないと感じた。

今まではあり得ないと思って考えることもしないようにしてきたけど、もしかしたらと思ってしまう。


私はその可能性を考えてしまうと、それと同時に嫌な言葉が耳に響く。


『ゲームセット』


今もずっと心の奥にしこりとなって残る言葉。

私は馬鹿にされたような笑い声まで蘇ってきそうで、耳を押さえると俯いてギュッと目を瞑ったのだった。








ファミレスのドリンクバーでミックスジュースやってる人いますよね。

それを思い出して、得体のしれないジュースが登場しました。

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