31、気を持たせる
佐伯君と初めて話した日から、彼は毎日一回は教室にやって来るようになった。
そのときする会話は他愛のないもので、テレビの話だったり、柔道の先輩の話だったりと様々だ。
最初の頃に比べたら言葉に詰まる回数も減って、佐伯君も慣れてきたのが見て取れた。
なのでそろそろ部活の見学に行こうと、その日にやって来た佐伯君にそれを伝えた。
すると佐伯君は嬉しそうに笑って、「待ってるっす!」と上機嫌で教室へ帰っていった。
見に行くだけで喜ぶなんて、あんなに大きいのに子供みたいだなーと思って振り返ると、また井坂君たちが背後にいて足を止めた。
ほぼ毎日これを繰り返しているので、だんだん慣れて驚かなくなってきた。
「今日、行くんだ?」
「うん。佐伯君も緊張しなくなってきたみたいだし…。」
「りょーかい。」
井坂君は確認しに来ただけのようで、会話をあっさりと終了させると席に座ってしまった。
私は席が離れても会話ができるようになって嬉しかったのだけど、なんだか最近は井坂君の笑顔が少ない気がして寂しかった。
「俺も行くよ!柔道とか興味あるしね!」
島田君がいつものように明るく言って、私はそんな明るい彼に少し気持ちが持ち上がったのだった。
***
そしてその日の放課後、私は掃除を終えると待っていてくれた井坂君たちに声をかけた。
「お待たせ。行こっか。」
話をしていた二人は立ち上がると、鞄を持った。
そのとき井坂君の後ろの席だった西門君が声を上げた。
「しお!揃ってどこに行くんだよ!」
「うん。ちょっと柔道部の見学に行くんだ。」
「柔道!?なんでまた。」
「瀬川君の友達の佐伯君に見に来てくれって頼まれたの。」
「佐伯君って…最近よく来るやつか?」
「そーだよ。よく知ってるね。」
私は最近、西門君と話もしてなかったので、知ってることに驚いた。
西門君は目を逸らすと「廊下側だからだよ。」と言った。
なんだか西門君らしくない反応に首を傾げると、西門君に手を振った。
「じゃ、そういうことだから。また明日ね。」
「あ…気をつけろよ!!」
西門君は何を心配しているのかそんな事を言ってきて、私は苦笑すると井坂君の背に続いて教室を後にした。
そして三人で固まって部活動に励む生徒の間を通っていると、井坂君が何度も女子に引き留められて中々進めないでいた。
話の内容は大したことのない内容で、違う日に話せばいいのに…とちょっと不機嫌になった。
嫉妬とかじゃないと言いたい所だけど、こうして女子と話す井坂君を見るのは嫌だった。
またどの女の子も井坂君の事を名前で呼んでいて、自分にできない事をされてる現状が悔しかった。
私って心狭いなぁ…
私は話し込む井坂君から目を逸らすように体育館で練習するバスケ部を眺めた。
体育館は女子と男子のバスケ部で反面ずつ使っているようで、女子バスケ部の中にあゆちゃんたちの姿があった。
私は井坂君の話が長引きそうだったので、体育館の入り口に近付くと練習中のあゆちゃんを目で追いかけた。
あゆちゃんは綺麗にレイアップシュートを決めていて、満面の笑みを浮かべていた。
楽しそうでいいなぁ…
私はウズウズとバスケがやりたくなってきて、自然と顔が綻んだ。
そうしていると私に気づいたあゆちゃんが近寄ってきてくれて、私は手を挙げて合図した。
「詩織、珍しいね。こんなとこにいるの。」
「へへっ。今、格技場へ向かうところなんだ。」
「格技場!?って例の柔道君のとこに行くの?」
「うん。頼まれたからね。」
「ふ~ん。安請け合いもほどほどにしときなよ~?」
あゆちゃんは苦笑すると、私のおでこを指で小突いてきた。
私は小突かれたおでこを手でさすると、言葉の意味を尋ねた。
「ほどほどって何で?」
「わっかんないかなぁ~?だって、好きな人がいるのに違う男の子の部活見に行くとか、立派な浮気だよ?」
「浮気!?」
私は浮気と言われて、血の気が一気に引いていく。
あゆちゃんは意地悪そうな笑顔を浮かべると、さらに追い打ちをかけるような事を口にした。
「っていうか、下心見え見えな他のクラスの男子と話すこと自体がもう浮気だよねぇ~?」
「うそ!?私のしてたことって浮気なの!?」
「そりゃそうでしょ?詩織と話したいとかさ、そんなの好きだからに決まってんじゃん。それを受け入れた時点で好きと思っててもいいですよ~って事なんだから。充分浮気だよ。」
「なっ…!!!」
私は今までこんな経験なかっただけに、まったく気づかなかった事に言葉を失った。
ちょっとでも自分の罪悪感を拭いたくて、あゆちゃんに反論する。
「で、でも!好きとか言われてないし!!免疫がないから…話し相手にって言われただけだよ!?」
「それが近づくための口実なんじゃん?普通はそこで意味を汲み取るもんなんだけどねぇ~。」
私は指摘されて開いた口が塞がらなかった。
うそ…!!そんなのハッキリ言ってくれないと分からないよ!!
私は今までの所業を思い返して、なんてことをしてたんだと後悔した。
「あ、谷地さんだ!何?なんの話してんの?」
私が頭を抱えていると、新木さんとアイちゃんがやってきて、私に興味のある目を向けてきた。
「詩織が浮気者だって話をしてたの。」
「ちっ!!違っ…!!」
「うっそー!浮気!?彼氏いたんだぁ!」
「違う違う、彼氏じゃなくて好きな人がいるのに、違う人にも気を持たせてんのよ。この子は。」
「それって気を引く作戦とか?」
「やっるー!すごい恋愛上級者みたいじゃん!」
私に対する誤解が広がりそうで私は「違うから!」と繰り返した。
あゆちゃんも新木さんもアイちゃんもからかうように話を膨らませてくる。
「ねぇねぇ、好きな人ってちなみに誰?」
「あーそれはねー。」
「だめーっ!!!言わないで!!」
あゆちゃんが新木さん達に教えてしまいそうで、私にしては珍しく声を上げて彼女の口を手で塞いだ。
「何、大声出してんの?」
私があゆちゃんを押さえつけてると、背後からいつの間に話を終えたのか井坂君が島田君とやって来て、私は話題が話題だっただけに顔に熱が集まって真っ赤になった。
その反応を見た新木さんとアイちゃんが、私の気持ちを分かってしまったのか「あーっ!」と井坂君を指さした。
「何?」
井坂君の不服そうな声が聞こえて、私は新木さんたちの指を抑え込むと笑顔を作った。
「何でもないよ。話も終わったから行こっか。」
「…いいけど。」
井坂君と島田君が背を向けたのを見て、私はふーっと肩を撫で下ろした。
すると後ろから「頑張れっ!」とか「ファイトッ!」とからかうような応援が聞こえてきて、私は大きくため息をついてから彼女たちに別れを告げたのだった。
そして長い寄り道を経て格技場へ到着すると、野太い掛け声に身が縮んだ。
そろっと中を覗くと激しい取っ組み合いの音が聞こえてきて、顔をしかめた。
「うっわー…すげぇ本格的…。痛そー…。」
島田君が同じように中を覗いて感想を漏らした。
井坂君は見る気もないのか後ろから立っているだけだった。
見ないなら、何しに来たんだろう?
私は井坂君がついてきた意味が分からなくて首を傾げた。
すると私が覗いている事に気づいたのか、佐伯君が乱れた胴着を直しながら駆け寄ってきた。
「谷地さん!来てくれたんすね!!」
今まで見たことのないような笑顔で出迎えられて、私はあゆちゃんの言葉が脳裏を過った。
…これって…本当に好かれてるのかな…?
私はとりあえず笑顔を浮かべると、感想を伝えることにした。
「すっごい迫力だねぇ…。初めて見たから、ちょっと怖いかも…。」
「そうっすか。あっ…もしかして汗臭いっすかね!すんません!!」
「あ…ううん。そういうわけじゃないんだけど…。」
私は焦ったように匂いを嗅ぎ出した彼を見て、真意を確かめなければと思った。
佐伯君は私の横にいる島田君と後ろにいる井坂君を見て、私に尋ねてきた。
「あの…このお二人は?」
「あ、うん。クラスメイトの島田君と井坂君。柔道見てみたいらしくて、ついて来ちゃったんだ…。」
「すっげーなぁー!柔道って!!俺、間近で見たの初めてでビックリしたぜーっ!!」
島田君が素直な感想を佐伯君に伝えていて、佐伯君は薄笑いを浮かべて「どもっす。」と言っていた。
相変わらず井坂君は黙ったままで、感じが悪いなと思いながらも井坂君の事はスルーしてもらう事にした。
「柔道って…確か紐の色で強さが違うんだよね…。佐伯君は…黒帯なんだ!!」
「あ、そうっす。小学校のときからやってるんで…。」
「へぇ!すごいねぇ!!」
私は素直に凄いと思ってそう言ったのだが、佐伯君はまた初日のときのように真っ赤になってしまって、私はこの手の褒め言葉は言わない方が良いと口を噤んだ。
そのとき佐伯君の後ろから柔道部の先輩なのか、佐伯君よりも一回り大きい人が姿を現した。
「おう!航大!!彼女が来てくれたのかぁ!!」
先輩らしきその人は佐伯君の肩を掴むとそんな冗談を言っていて、佐伯君は全力で「違うっす!!」と真っ赤な顔で否定していた。
私はその反応からもどう思われてるのか分からなくて顔をしかめた。
「あれ?男もいるじゃん?何、入部希望?」
先輩が島田君と井坂君に目を向けて、今まで黙っていた井坂君が前に出てきた。
「この子のクラスメイトなだけです。男ばっかりの部活、見に行くって言うんで保護者みたいなもんですよ。」
井坂君の考えがここで初めて分かって、そんな事を気にしていたのかと思った。
どこまでも優しい井坂君に頬が緩む。
先輩は井坂君の肩をバンバンと叩くと、豪快に笑い飛ばした。
「おっもしろい奴だな!お前!!よっぽどその子の事好きなんだなぁ!!」
「は!?」「へっ!?」
先輩の口から飛び出した爆弾発言に私は目を剥いて驚いた。
井坂君も同じようで驚いた後「冗談はやめてくださいよ。」と言って笑みを浮かべている。
私は冗談か…と思って胸を撫で下ろした。
一気に脈拍が上がって、どうなるかと思った。
私は熱くなっている顔を手でこする。
「悪い、悪い!変な事言ったな!!つーか、航大!お前こそ堅物気取ってやがったのに、女子に見学されるとか色気づきやがって!!」
「うす。すんません。」
「褒めてんだよ!バカ!いいから、練習戻るぞ!!」
先輩は佐伯君の頭をパシンと叩くと中へと戻っていった。
佐伯君は私たちを見ると「自由に見てってください。」と会釈して戻ってしまった。
去っていく佐伯君と目が合って、逸らされたときの態度からあゆちゃんの言葉が真実味を帯びてきた。
この私が…?まさかね…
私は今まで人に好かれた事なんてなかっただけに、どうしても受け入れる事ができない。
練習に励む佐伯君を見ながら、どうして私なんだろう…と考え込んだのだった。
すると後ろから腕を引っ張られた。
「もういいだろ。帰ろう。」
「え…、でもさっき来たばっかだよ?」
「話もしたんだし、十分だろ。」
井坂君は私の腕を持ったまま格技場を出ていく。
私は後ろ向けに歩きながら、今にもつまずいてこけそうだった。
島田君が名残惜しそうに私たちを追いかけてくる。
外に出て体育館の横を歩きながら、格技場を見つめる。
佐伯君はすごく真面目で素直な人だ。
裏表もなさそうで先輩からも好かれてる。
無骨だけど…どこか可愛さもあって…
そんな良い所だらけの人が、何でこんな地味な私だったんだろうか…?
直接気持ちを確かめたわけじゃないけど…
あゆちゃんの指摘と今まで思い返す彼の反応から、そうかもしれないという道を導き出してしまった。
もし…気持ちを伝えられたら…どうする…?
私は断られたときの恐怖を知ってるだけに、、面と向かって言われたら断れない気がしてきた。
でも…OKするのも間違ってる…私の好きな人はずっと決まってる…
井坂君以外の男子に彼と同じ気持ちは抱けない
私は今になって気を持たせてしまったことを後悔して、大きく息を吐いたのだった。
次から体育祭編に突入します。