28、先輩との決着
騒ぎの起きた文化祭二日目は、午後にクラスメイトが集まったときに、全員で口裏を合わせるという事を赤井君が皆に伝えた。
クラスメイトは事情を聞いて井坂君をバカにしたり、呆れたりと反応は様々だった。
でも、口裏を合わせる事には快諾してくれて、なんて良いクラスなんだろうと思った。
そしてその後は何事もなく一日を終えて、残すは最終日のみとなった。
最終日は午前中だけの営業なので、午後からは3時ごろまで自由行動。
その後は後片付けに結果発表という流れだ。
私は今日で最後だと言い聞かせて、慣れてきたナース服姿で教室の前に立った。
すると瀬川君が友達と一緒にやって来て、私は本当に来たんだとげんなりした。
「おーっ!谷地さん!!ホントにナースだ!!すげぇっ!!写真撮ってもいい!?」
瀬川君がケータイを取り出してきて、私は写真ぐらいならいいかと思って頷いた。
すると受付にいた西門君が瀬川君の頭を叩いた。
「アホ!!撮らせるわけないだろ!!お前はファンの女子の写真でも撮ってろ!!」
「あたっ!!光汰!なんだよ。ケチだな!!」
二人は中学のときのようにじゃれ合いながら、瀬川君はケータイをしまった。
私は自分の案内の番だったので、じゃれ合っている二人に近付くと声をかけた。
「私が案内担当なんだ。今日はよろしくね。」
「そうなんだ!よろしくー。どんなんか楽しみだなぁ~。」
「しお。男の担当から外れたんじゃなかったのか?」
西門君が受付のメモを見て言って、私はそういえばそうなってたな…と思いだした。
「でも、瀬川君は知り合いだし。大丈夫だけど。」
「そーだけど。これ、いいのかな?ちょっと確認してくる。」
西門君が教室の中へと入って行ってしまって、私はとりあえず場を繋ごうと瀬川君に営業スマイルを浮かべた。
「光汰、何かあったのか?」
「ううん。何でもないよ。気にしないで。」
「そっか。それにしても、そのメイクよくできてるよな~。本物みたいでドキッとするよ。手とか足もメイクだよな?」
私はあゆちゃんのメイク技術を褒められて鼻が高かった。
瀬川君に腕と足を見せると、説明することにした。
「そうだよ。一日目は試行錯誤して絵の具とか使ってたんだけど、メイクの方が落ちにくいってなって、今は混ぜて使ってるんだ。この血のラインとかすごいよね。」
私は足にある本物そっくりのラインを指さして言った。
瀬川君もそこに目を向けると目を輝かせた。
「すっげー。もうプロじゃねぇ?そういう仕事できるよ、きっと。」
「あははっ。そうかも。メイク担当の子に伝えとくよ。」
お互いに笑い合ってると、私と瀬川君の間に黒いマントが割り込んできて顔を上げた。
「俺が変わるから、中に入って。」
「あ…うん。」
割り込んできた井坂君が不機嫌そうに言って、私は素直に引き下がることにした。
こういうときの井坂君には素直に従った方がいい。
私はこの文化祭を通して、少し学んでいた。
教室に戻るときに西門君が出てきて私に目を留めると、走って近寄ってきた。
「やっぱり男担当はダメだってさ。井坂君が変わるらしいから、3つ目のスペースに入って。」
「分かった。わざわざ、ありがとう。」
私は西門君にお礼を言うと暗い教室の中へ戻った。
そこまで徹底して男のお客さんを引き受けなくてもいいのになぁ…
私は井坂君の負担が増えてないだろうかと心配になったのだった。
***
そして午前中の営業が終わり、私たちはそれぞれ文化祭を回ることになった。
私はゾンビナースのままでは回りたくなかったので、トイレでメイクを落とすと制服に着替えた。
こうして元に戻るとホッとする。
それからナース服を教室に戻すと、待ってもらっていたタカさんと回ることになった。
「とうとうナース姿も終わりだね~。似合ってただけにもったいないなぁ~。」
「そう?そう言われると嬉しいけど。」
タカさんに褒められて、私は上機嫌だった。
昨日の沈み込んでいた気持ちが嘘のようだ。
新木さんとのことも誤解だったし、気分も爽やかだ。
「しおりんのおかげで男のお客さん増えてたよね。」
「ホントに?それって、あゆちゃんのおかげじゃないの?ネコのあゆちゃん、すーっごく可愛かったもん。」
「まぁ…二人のおかげかもしれないけど、話題に上がってたのはしおりんのナースだったよ。なんかマンガに出てくる優紀?っていうキャラクター似のエロいナースがいるって。」
それを聞いて内村君が持っていたマンガを思い出した。
マンガを隠した島田君のあの慌てっぷり…全部分かってたな…
私は知らず知らずの内にマンガのキャラクターにさせられていたことにイラッとした。
「まぁ、終わった事だからいいけどさ。私、あの格好のせいで人生で初めてナンパされたんだからね!?」
「あははっ!例の三年生だよね。あれ聞いたときは驚いたよ。でも、井坂君に助けられて嬉しかったんじゃないの?」
「うっ…。」
タカさんに本心を見透かされて言葉に詰まった。
嬉しくないと言えば嘘になる。
三年生を殴ったのだって、私のためだと分かってるだけに彼の優しさが死ぬほど嬉しい。
あれ…?でも、何で絡まれた初日じゃなくて、二日目に先輩を殴ったんだろう…?
私は二日目に先輩たちに絡まれてるときは、井坂君に見られてないはずだと思った。
それだけに井坂君の行動が謎だと、今気づいた。
「でもさ、井坂君も殴っちゃうなんて、相当先輩の事気に入らなかったんだねぇ~。やっぱり、しおりん、井坂君に好かれてるんじゃないの?」
「うえぇっ!?それはないってば!!井坂君はクラスメイトのピンチに怒ってくれただけだと思うよ。井坂君、誰にでも優しいから…きっとそうだよ。」
私は今以上を望まないように、自分に言い聞かせるように口に出した。
タカさんは飽きれた様にふぅと息を吐くと、まっすぐ前を見て言った。
「自信ないなぁ~。まぁ…それがしおりんだけどさぁ…。」
自信がない…か…
私はいつまで経っても井坂君に対してだけは自信がない。
それだけ、彼と私は違う。
私はその差だけは埋まらないよなぁ…と思って、少し寂しくなったのだった。
***
それから文化祭も終了し、後片付けを済ますと結果発表のために体育館へと移動した。
そのときにあの先輩たちを見つけて、私は勇気を振り絞ると彼らに近付いた。
先輩たちは私に気づくと、絆創膏の貼られた顔を私に向けた。
その姿に息を飲み込むと口を開いた。
「あの…、昨日みたいな事はもうやめてもらえますか。」
「…君、昨日のナースちゃんだよね?」
「あ、はい。」
私はナース姿じゃないから分からないのかもと思った。
先輩は絆創膏の貼ってある口の端を押さえると、ふっと微笑んだ。
「昨日は君のボディガードにひどい目にあったよ。何?君たち付き合ってるの?」
「いえ。ただのクラスメイトです。」
私はそんな風に見えたのだろうかと期待してしまったけど、事実ではなかったので否定した。
先輩たちは顔を見合わせると喉を鳴らして笑い始めた。
「そっか、ただのクラスメイトね。それにしては彼の方は頭にきてたみたいだけど。」
「あの…その、彼のことなんですけど…、うちのクラスだって事は黙っておいてもらえませんか?」
私は井坂君の名誉のためにも、停学にさせるわけにはいかなかった。
先輩は私の言葉に声を上げて笑うと、ニヤッと気持ち悪く笑ってきた。
「それ告げ口するって言ったらどうするわけ?」
「私にしてきたこと、全部先生に話します。多少事実を大げさにして。」
「うっわ!怖い事言うね!ナースちゃんは!」
私は絶対そう返ってくると思っていたので、真っ向からぶつかるつもりだった。
先輩たちは諦めるようにため息をつくと、首をすくめて言った。
「安心しなよ。俺らが進学クラスのエリートで、それも年下に殴られたなんて事言うわけないだろ?そんなん言うぐらいなら、自分らで殴り合ったって言った方がマシだよ。」
「じゃあ…。」
「言わないよ。卒業するまで持って行くつもりだからさ。」
私は先輩の言葉に胸の引っかかりがとれるようだった。
安心して自然に笑顔がこぼれる。
すると先輩が近づいてきて、私の耳元に口を近づけて言った。
「ドラキュラ君が何で俺たちを殴ったのか、教えてあげようか?」
「え…?」
私は気になっていた事を教えてくれるようで、すぐ近くの先輩の目を見つめた。
先輩はニコッと笑うと、内緒話のように耳元で囁いた。
「俺たち、玄田の先公に叱られただろ?あの後、君の所に行こうとしてたんだよ。結構際どい話しながら。」
「えぇっ…!?」
私は来ようとしてたなんて知らなくて顔を歪めた。
あんだけ嫌がったのに、しつこいな…この人たち…
私は来なくて本当に良かったと思った。
「それをドラキュラ君に聞かれてたみたいでさ、怒らせちゃったわけ。」
先輩はそれだけ言うと姿勢を元に戻して、私を見下ろしてきた。
私はそんな経緯があったのかと謎が解けた。
際どい話っていうのが何かは分からないけど、私のために怒ってくれた井坂君に感謝した。
「君はクラスメイトだって言ってたけど、あのときのドラキュラ君を見たら…そうは思えないよ?」
「え…?どういう事ですか?」
「だって普通、クラスメイトのために停学覚悟で殴るかな?そんな事をする覚悟を決めるなんて、大事な人のためじゃないとできないよ?」
先輩の言葉に目を見開いた。
だ…大事な…人…?
先輩は私の反応を見て「やっぱり初々しいなぁ~。」と言うと、クシャクシャっと頭を撫でてきた。
「もう君には何もしないよ。ボディガードが怖いからね。」
先輩はそう言うと、私の後ろをちらっと見た。
どこを見てるんだろうと思った瞬間、後ろから手を引っ張られた。
そして目の前に大きな背中が現れて、見上げると井坂君だと分かった。
井坂君は先輩と私の間に割り込むと、先輩を睨んでいるようだった。
「今日は何もしてないよ。そこのナースちゃんに聞けばいいよ。」
「…もう、関わらないでください。」
井坂君の低い声から一触即発の雰囲気だと分かって、私は彼の手を強く握りしめて引っ張った。
「いっ…井坂君!!」
こんなとこで睨みあってたら、昨日の事がバレちゃう!!
私は引き離そうと必死だった。
でも、井坂君はちっとも動いてくれない。
「関わるつもりはないよ。もう殴られるのは御免だからね。」
先輩は井坂君を宥めるようにポンポンと肩を叩いて笑顔を浮かべた。
井坂君はそれに満足したのか、急に振り返ってくると私の手を引いたまま歩き出した。
私はこけそうになりながら、井坂君の背についていく。
すると井坂君はクラスが集まっているところではなくて、体育館の外に足を向けた。
私は結果発表が始まるんじゃないかと思って壇上を見ながら、されるがまま外に出た。
上靴のまま体育館を出て渡り廊下を外れて中庭の脇に来たところで、井坂君はやっと立ち止まった。
私はさっきの先輩の『大事な人』という言葉が頭の中で繰り返されていて、心臓が爆音を奏でていた。
そんなはずない…本当にただのクラスメイトだから…
私は勘違いしないように自分に言い聞かせ続ける。
「なんであいつらと一緒にいるんだよ。」
急に怒った声が聞こえて顔を上げると、井坂君が眉間に深い皺を刻んで怒っていた。
私はそんな彼の怒りを宥めようと、考えながら言葉を口にした。
「あっと…その…お願いがあって…そのお願いをしたっていうか…。ちゃんと聞いてもらったし…。もう大丈夫だと思う。井坂君が心配してくれなくても…何もしないって約束もしてくれたから…。」
「昨日だって絡まれたんだろ!?もしかしたら今日も絡まれるかもしれないって考えなかったのかよ!!」
「いや…だから…絡まれないようにお願いに行っただけで…。」
「あいつらがそんなお願いに耳を貸すわけないだろ!?あいつらが昨日何を言ってたかも知らないクセに!!」
井坂君の怒りは収まる気配がなくて、私は口を噤んでどうしようかと考えた。
何かを言い訳しようとすると、今みたいに全部怒りで返ってくる。
私は何か良い言葉がけはないかと思って視線を下げると、井坂君の右手の絆創膏に気づいた。
それを見て彼の右手に手を伸ばして、両手で包み込んだ。
「昨日は私のために怒ってくれてありがとう。すごく…嬉しかった。」
私は井坂君にお礼を言ってなかったと思って、言い訳よりも感謝を伝えた。
「こんな私のために力になってくれる人がいるって分かって…すごく頼もしかった。今まで誰かに守られたりしたことなかったから…本当に嬉しくて…。井坂君とクラスメイトで良かったって…心の底から思ったよ。本当に…ありがとう…。」
私はじっと井坂君の右手を見つめると、包む手に少し力を入れた。
すると井坂君の右手が動いて、私の手を強く掴んだ。
それに驚いて顔を上げると、井坂君が今まで見たことのないような表情を浮かべていた。
すごく優しくて穏やかで…頬が少し赤い…
瞳が少し潤んでいて…口角がキュッと上がってる…
その顔から目が逸らせなくて、私は口から気持ちが飛び出してしまいそうになった。
「おい!!そこ何やってる!!もうすぐ発表が始まるぞ!」
渡り廊下を歩いていた先生に声をかけられて、私は口を閉じて体がビクッと跳ねた。
反射的に手を放すと「すみません!」と返事をしてから井坂君に目を戻した。
井坂君はいつも通りの笑顔に戻っていて「行こう。」と言って歩き出してしまった。
私はその背に続いて歩きながら、さっきのドキドキが収まらなくて顔をしかめたのだった。
次の打ち上げで文化祭編は終了です。