229、残された時間
井坂視点です。
俺の東聖合格が分かってからというもの、俺は離れる寂しさから詩織にこれでもかと甘えまくった。
東京に引っ越す準備を滞らせるぐらい、それはもう毎日のように…
それが周囲から見たらあまりにもひどかったのか、俺はとうとう母さんから接触禁止令を出され、父さんと東京へ追いやられてしまった。
まぁ住むところを決めなきゃいけないので、仕方ない流れと言えばそうなんだけど…
そうして受験のときと合わせると二度目の東京に足を踏み入れていると、俺がまた周囲のスピード感の速さに流されてる間に、父さんはさっさとやるべきことをやってしまい、あっという間に住む所が決まった。
ある程度目星をつけいていたらしく、父さんは東聖からあまり離れていない学生マンションを借りてくれた。
俺は入り口に警備員のいるセキュリティのしっかりとしたマンションだということに、父さんからのちょっとした愛情を感じた。
男だとはいえ、やっぱり親元を離れるわけだから心配してくれているんだろう…
俺は心の中で小さく感謝すると、今度は父さんが大学に向かって歩き始め、俺もその背に続いてこれから毎日通うだろう道を歩く。
周囲は住宅街なので騒がしくもなく、少し大きな通りに出ると大型スーパーやファミレスにコンビニまでたくさん並んでいて、生活するには便利そうだと分かった。
俺はその街並みを眺めながら、詩織が隣にいれば完璧だったのにな…と少し気分が下がる。
そうして小さくため息をつきながら歩いていると、大学の傍で父さんが話しかけてきた。
「拓海。あまり夜遅くまで出歩くんじゃないぞ。学生の街みたいだから、そこまで危なくはないだろうが…。何があるか分からんからな。」
「……分かった。」
俺は隣に並んできた父さんを横目で見ながら頷いた。
父さんはそれを満足そうに見てから微笑む。
「詩織ちゃんがいないのが一番寂しいだろうが、あまり部屋に友達を連れ込むなよ。ちゃんと人として割り切る所はしっかりな。」
「………なんだよそれ…。俺、そんな誰でもかれでも連れ込むようなタイプじゃねぇよ…。」
俺は変な所を疑われていることに、ぶすっとして返した。
すると父さんが喉を鳴らしながら笑い出す。
「そういえば、お前は内に籠るところがあったな。舜君のおかげで直ったと思ってたが…、まだ健在だったか。」
「……赤井と一緒にしないでくれよ。俺は信用できる奴しか無理だから。」
「ははっ。そのままの方が安心できていいな。くれぐれもそのまま疑り深い人間でいてくれ。」
父さんは楽しそうに笑い続けていて、俺は臆病者だと言われてるようで気分がよくない。
まぁ、かといって自分がすぐ誰でもかれでも仲良くなって、警戒を解ける人間でないのは確かなんだけど。
俺はとりあえず父さんの言う通り今のままの自分でいようと思っていたら、大学内に足を踏み入れた父さんが掲示板の前で足を止めた。
「おい、拓海。これ、お前の憧れてた教授じゃないのか?」
父さんは掲示板を指さすと俺を手招きしてきて、俺はその掲示板に目を向けた。
そこには俺の憧れる教授のセミナーが実施されると書かれていて、内容も興味をそそられるものだった。
俺は誰でも参加できるという要項を見て、一体いつあるのかとポスターに目を走らせた。
そして実施日に目を留めて、その日付に俺は息が詰まった。
「ちょうどいいときに来て良かったな、拓海。この日までにこっちに来れば、お前もセミナーに参加できるぞ。」
「………あぁ…、うん。」
父さんは俺の肩を叩きながら嬉しそうに言って、俺はその反対に複雑な気持ちで再度日付を確認した。
でも何度確認しようとも日付は変わらない。
マジかよ…
俺はポスターに書かれた『3月14日』の日付にただどうしようと迷いが生じていて、父さんのようには喜べない。
なんでよりにもよってこの日なんだよ…
俺は詩織の誕生日が記されたポスターをじっと見つめて、すぐにでも引っ越しの準備を進めようとする父さんに何も言えなくなったのだった。
***
それから地元に帰ってきた俺は、両親が着々と引越しの準備を進めるのを横目に、詩織に言わなければいけないとケータイを片手にウロウロしていた。
まさか詩織の誕生日前日に向こうに行くことになるなんて…
詩織に言って喜ぶはずはない
でも俺を教授のセミナーに参加させようと準備を急ぐ両親に、今更行かないとは言えないし…
俺としてもせっかくのことだから、参加したい気持ちが勝ってしまう…
だからなんとか説明して詩織に分かってもらわないと…と思うものの、ショックを受ける詩織の顔がチラついて胸が痛くなる。
行きたいのに…、詩織と予定より早く離れることになるなんて…
心の準備が追いつかない…
そんな状況でちゃんと詩織と話ができるはずはない
俺はケータイを握りしめると大きなため息が出て、その場にしゃがみ込む。
すると荷物を段ボールに詰めていた母さんから「邪魔!!」と怒鳴られる。
俺はそれに肩身が狭くなりながら、場所を移動しようと部屋を出るとピンポーンとインターホンの音が響いた。
両親とも忙しそうに動き回っているので、俺は階段をタンタンと下りると玄関のドアを開けて来客者を確認する。
「はい。」
「あ、井坂君!」
来客者は俺を輝く目で見つめる詩織で、俺は突然の詩織の登場に持っていたケータイをカシャンと落とした。
詩織はそれを見て「どうしたの?」と不思議そうに首を傾げる。
やっべ…
俺は今家に入られて荷造りしている所を見られるわけにはいかなかったので、慌ててケータイを拾って外に出るとドアをしっかりと閉めた。
「詩織、急にどうしたんだよ。今日は八牧と買い物行くって言ってなかったっけ?」
「あー、うん。行ったんだけど、井坂君…夕方には帰るって言ってたから、会いたいな~と思って。早めに切り上げたんだ。」
詩織からの『会いたい』発言にズキュンと胸を撃ち抜かれ、俺は罪悪感から黙ってるなんてできなくなり、詩織に駆け寄り真実を告げようと口を開く。
「詩織…、俺さ…。その――――」
俺は詩織のまん丸い瞳を見つめて、どんな反応をするかが怖くなり心臓がバックンバックンしてくる。
誕生日を一緒に祝えないなんて…残酷なこと…
本当に言っていいのか?
詩織を喜ばせたい日なのに…、傷つけることになるぞ…??
俺は不思議そうに目を瞬かせる詩織を見て、どうにも言う勇気が出なくて、つい話を違う方向へ持っていく。
「し、詩織の誕生日前に行きたいとこ…あんだけど、12日…予定空けといてくれねーかな?」
「行きたいとこ?うん、いいよ。どこだろ、気になるなぁ~。」
「そ、それは行ってからの楽しみにしておいてくれよ。」
「あははっ。分かった。」
詩織は嬉しそうに笑い出して、俺はその笑顔に胸を締め付けられながら無理やり同じように笑みを浮かべる。
詩織に…言えるわけねぇ…
俺はぐっと言葉を飲み込んで、今にも泣き出したい気持ちを抑え込んだ。
なるべく詩織と笑顔で過ごしたい…
残された時間が少ないのなら…、なるべく…別れるギリギリまで悲しませずに…
俺は物凄く自分本位な考えで、詩織にはギリギリまで黙っていようと、このときに決めたのだった。
***
着々と引越しの準備が進むある日――――
俺は久しぶりに赤井の家に来て、ことの次第を赤井に話した。
「――――ということだからさ。俺、明後日には東京に行くことになるんだ…。詩織には…明日伝えるつもりだけど、きっとかなり落ち込むと思うから…。お前からフォローしといてもらえねぇかな?」
赤井は真剣な顔で話を聞いてくれると、薄く笑みを浮かべて言った。
「お前、あんだけ離れるの渋ってたクセに、いざ離れるとなると呆気ねぇのな?もう、寂しいのは乗り越えたわけ?」
赤井は俺の愚痴を散々聞いてくれてただけに、押し込んでた核心を突いてきて、俺は我慢が限界になってしまいカッコつけてた自分の姿が揺らぐ。
詩織を傷つける罪悪感から、自分は寂しがって堪るかと思ってたけど…
そんなのただの強がりだ…
俺はいつも俺の話を聞いてくれる赤井に気が緩んで口が滑る。
「そんなわけねぇだろ…。すげー寂しいよ…。本当だったらあと二週間は一緒にいられるはずだったのに…。」
「ははっ。だよな。お前だったらそう思ってると思ったよ。」
赤井は何でもお見通しというように笑ってきて、俺は我慢してたことが溢れてくる。
「詩織の誕生日…、一緒に祝いたかった。もっと、色んな所に一緒に遊びに行きたかった…。もっと…、ずっと一緒にいたかった…。」
俺は泣きたくなる気持ちをギュッと目を瞑って堪える。
目を閉じただけで詩織の笑顔が浮かんで、俺はそれに責められるように胸がギュッと苦しくなった。
そこへ突如頭をポンポンと撫でられビックリして目を開けると、赤井が意地悪そうな顔をして口の端を持ち上げて言った。
「それはこれから先もできるだろ。もう二度と会えないわけじゃあるまいし、大袈裟なんだよ。」
「………お前…、他人事だと思って…。」
俺はこんなときまで楽観主義の赤井にイラッとして、赤井を睨む。
赤井は目を細めると「他人事だし?」と俺を更にイラつかせる笑顔を浮かべる。
「ま、谷地さんのことは任せろよ。お前のいない誕生日は小波とか呼んで盛大に祝うからさ。それこそお前がいなくてもすげー楽しい思い出になるようにな。」
「………なんか言い方が腹立つけど、…まぁ、よろしく頼むよ。」
俺はムカムカしながらもこっちは頼んでる側なので、歯向かわず大人な対応をした。
すると赤井がそんな俺が意外だったようで、ゲラゲラ笑いながら撫でてた頭を叩いてくる。
「わははっ!!成長したな、井坂!!ちょっと安心した。」
「はぁ?安心って…、俺は詩織が心配で仕方ねぇんだけど…。」
「まぁまぁ、お前がそこまで成長したんだからさ。谷地さんも大丈夫だって。ちゃんと、気持ちの整理はできるさ。」
赤井が自信満々に俺と肩を組んできながら言って、俺はその自信はどこから出てくるんだ…と怪しんだ。
赤井はそんな俺の視線に気づきながらも、笑顔のまま肩を叩いてくる。
「とにかく明日は楽しんでこいよ。こっちでの最高の思い出になるようにさ。それが今後の支えになるさ。」
「……その無駄なぐらいの前向きさ、分けて欲しいぐらいだな…。」
「お、なんならこの秘訣教えてやろうか?」
「……面倒臭そうだからいらねぇ…。」
俺は絡む赤井といつも通りにおちゃらけ合い、この日は普通に別れた。
それがいつも通り過ぎたことで、俺はこれが地元で会う最後だと全く気づかなかったのだった。
不穏な空気になってきました。
次回、二人のデート話です。




