23、二学期
二学期、初日――――
私は大量の課題を鞄に入れると、姿鏡で自分の姿をチェックした。
この夏休みの間に髪が伸びて、あゆちゃんにアドバイスされた通りにシュシュという髪ゴムで横で一つに束ねた。
こうしていると今時の女子高生にまた一歩近づけたような気持ちになって、気分が明るくなった。
もう見慣れた短いスカートも今なら似合ってると思える。
私はチェックし終えて笑顔を浮かべると、鞄に目を戻した。
パンパンの学生鞄には井坂君からもらったKEIのしろくまがついている。
私はそれを指で触ると、鞄を肩にかけて部屋を後にした。
***
久しぶりに学校の校門をくぐって、下駄箱までやってくると、ザワついた雰囲気や埃っぽい匂いがすごく懐かしく感じた。
夏休みは数えるぐらいしか井坂君に会えなかったけど、今日からまた毎日会えるんだ。
そう思うと自然と顔が緩んで、教室へ向かう足取りも早くなる。
私は6組の前を通るときにナナコに挨拶だけすると、逸る気持ちを抑えて教室へ足を踏み入れた。
「おはよう!谷地さん。」
「あ、おはよう!」
入り口で本田君とすれ違って中に入ると、タカさんが私に手を振った。
「おはよ。しおりん。」
「おはよ!タカさん!!」
「しおりん、課題持ってきた?」
「うん。すっごく鞄重いよ~。」
「だよね。後で答え合わせしよっか?」
「うん!!お願い!」
私は廊下側の席のタカさんと話しながら、井坂君の事が気になって視線を中央の席に向ける。
井坂君はまだ来てないようで、井坂君の席には赤井君が座っていて島田君と笑って話をしていた。
私は高ぶってた気持ちを少し落ちると、自分の席に足を向けた。
そして座るときに赤井君たちに声をかける。
「おはよう。」
「あ、おはよう!谷地さん!!夏休みは色々とありがとなー!」
赤井君はいつの事を言っているのか分からなかったけど、私はとりあえず頷いておいた。
そしてふと井坂君の席に鞄があるのが見えて、私は赤井君に尋ねた。
「赤井君…井坂君って来てるの?」
「あ、あぁ。うん。正確には来てたかな。あいつ課題を家に忘れて、今取りに帰ってるから。」
「そうなんだ。」
「あいつバカだよなー!」
赤井君がケラケラと笑いながら言っていて、私は井坂君の机の横にかかっている鞄をじっと見つめた。
そのときに開いているチャックの隙間から見覚えのあるトサカが見えて、それに手を伸ばした。
鞄のチャックについていたのは、JINのペンギンのキーホルダーだった。
私は自分の鞄についているKEIのシロクマのキーホルダーに目を移すと、二つを交互に見て笑みが零れた。
同じように鞄につけてるなんて…
私はお揃いがすごく嬉しくて、ペンギンをそっと鞄の中に戻した。
そのときチャイムが鳴るのと同時に教室の入り口でガタタッと大きな音がして、息を荒げた井坂君が課題を抱えて扉にもたれかかっていた。
「ま…間に合った…。」
「おー!よく間に合ったなー!井坂!!」
「ナイスガッツ!!」
赤井君や島田君が拍手して茶化しながら井坂君を出迎える。
井坂君は苦しそうに呼吸を繰り返しながらこっちに来ると、何度か咳をしてから机に課題を置いた。
「おはよ…谷地さん…。」
「おはよう。朝から大変だったんだね…。」
声のかすれた井坂君が気の毒で、私は苦笑いを浮かべて返した。
井坂君は赤井君を押しのけて椅子に座ると、背もたれに背をあずけてノートで仰ぎだした。
「マジでない…初日からこんなのとか、不吉すぎるよなぁ…。」
「あはは…。」
私は上手い励ましの言葉が浮かばなくて渇いた笑いしか返せない。
何かしてあげたくなって、私は鞄から下敷きを取り出すと井坂君に向かって仰いであげた。
井坂君はそれに気づいて自分の仰いでいた手を止めると、口の端をキュッと持ち上げた。
「ありがとー。涼しー。」
私は少しは役に立てたと思って、自然と口角が持ち上がった。
***
それから始業式が終わると、担任の先生からHRを自由に使っていいと指示されて、学級委員である赤井君が考えながら壇上に立った。
「えーっと、自由にと言われたのですがー。何も思い浮かばないので、席替えをしたいと思いまーす!」
赤井君の言葉にクラスメイトから歓声が上がる。
私はその反対でショックで声が出なかった。
ちらっと横を見て、井坂君と離れることを考えると泣きそうになってきた。
うそ…初日から席替え…
私は机に手をつくと項垂れた。
「うわー…席替えかぁ…。結構この席、気に入ってたんだけどなぁ…。」
隣で井坂君がぼやいているのが聞こえて、私と似たような気持ちだと分かっただけでも救われるようだった。
そして赤井君が以前と同じようにクジを作ると、黒板にランダムに番号をふっていった。
私は前回と同様クジを引く前に願ってから引く。
前回はタカさんとだったけど、今回は井坂君とだ。
少しでも近くの席でありますように!!
私は引いたクジをおそるおそる席で開けると、番号を確認した。
番号は『24』窓際の後ろから3番目だった。
井坂君はどうだったんだろうか…と、ちらっと井坂君に視線を投げかける。
井坂君は開いたクジを見て席を確認しているようだった。
何番?
私は聞きたいけど怖くて聞けなくて、彼の反応を待った。
井坂君はふうと息を吐いたあと、私の方に顔を向けて視線が合った事にドキッと心臓が跳ねた。
「谷地さん、どこだった?」
「あ、私…窓側の後ろから3番目。24番だよ。」
「あー、そっか。俺、真逆だ。廊下側の一番前。」
真逆…
私はクジの紙をクシャっと丸めると、落胆するのを顔に出さないように努めた。
「そっか…。離れちゃったね…残念…。」
私は朝の浮かれ気分がどこへやら、さすがに笑顔を作れなかった。
同じクラスなんだから、席が離れたくらいどうってことない…
私はそう自分に言い聞かせるけどショックの方が大きくて、今は井坂君の顔が見れなかった。
そしてクラスメイトたちが机を持って移動し始めたのに気付いて、私はノロノロと立ち上がって移動することにした。
移動を終えて席につくと、物凄く遠くに感じる井坂君の背を見つめる。
ダメだ…ショックが大きい…
私は机に肘をつくと項垂れる頭を支えた。
すると机をトントンと叩かれて顔を上げた。
「やっほ!詩織が後ろなんだね~、これからよろしく!」
前の席があゆちゃんだったようで、私は気持ちが少し浮上した。
「あゆちゃん。よろしく。」
「な~に?元気ないなぁ~。あ、あれだ!席が離れたからでしょ?」
「!!!」
大声で言うあゆちゃんの口を塞ごうと私は彼女に手を伸ばした。
あゆちゃんは私の気も知らずケラケラと楽しそうに笑っている。
「図星なんだ?可愛いねぇ~。」
「あゆちゃんっ!!」
私はもう言わないでほしくて、彼女を制するように声のトーンを上げた。
あゆちゃんは「はいはい。」と言うと体を前に戻した。
私はほっと安堵すると、改めて周りを確認した。
右隣は…島田君?なぜ…彼は近いんだ…
後ろは…話した事のない内村君…少し太っていて、いつも同じような大人しい男子で集まってゲームの話をしている。
私は前があゆちゃんで良かったと心の底から思った。
そして井坂君を見ると、後ろの席が西門君だということに気づいて胸がムカッとしてきた。
何で!?西門君と井坂君が近いの!?
変わってもらえば良かった!!
私は水族館以降、あまり西門君と話していなくて盲点だったと思った。
タカさんは教室の真ん中の列の一番後ろのようで、男子に取り囲まれてるにも関わらず平然と本を読んでいた。
タカさんは図書委員になってから読書家になったと思う。
私は席が変わっただけでクラスの空気が新鮮だと感じて、窓から見える空を見上げた。
***
そしてその日は新しい席にまだ慣れないのもあって、私はよくベランダに逃げ込んでいた。
窓際の特権ともいえるベランダが近いので、自然と外に出たくなる。
私は昼ご飯をタカさんと食べた後、ベランダでまだまだ夏の空を見上げてへたりこんだ。
気持ちいーなぁ…
私は目を細めると、だんだんウトウトしてきて寝てしまいそうだった。
するとベランダの扉がガラッと開いて、赤井君が顔を覗かせた。
「あ、谷地さんいた。お客さん来てるよ?」
「お客さん?」
私は赤井君に呼ばれてベランダから教室の中に戻ると、教室の入り口に瀬川君がいて爽やかな笑顔で手を振っていた。
何で!?なんで…瀬川君が私を呼ぶの!?
私は彼が私を呼ぶ理由が分からなくて、首を傾げながら入り口に向かって足を速めた。
そのとき廊下側の席の井坂君と目が合って、朝ぶりに心臓が跳ねた。
言葉を交わす時間がなかったので、目を逸らして瀬川君と廊下に出た。
「谷地さん!なんか、感じ変わったなぁ~!!」
「あ、うん。そんな事より、用件は何?」
私は尋ねてから遠目に他のクラスの女子に見られてると気づいて、話そうとする瀬川君の服を少し引っ張った。
「ちょっと、場所変えよう。」
「あぁ、うん。いいよ。」
私は彼を先導するように、人気のない校舎の端にある階段下のスペースまでやって来た。
そこまで来て、改めて瀬川君に尋ねた。
「それで用件って?」
「あぁ、うん。俺さ、インターハイ予選でスタメンで出場したんだけど、準決勝まで行ったんだ!!今まで二回戦や三回戦で負けてたのに、すっげーだろ!?」
急に自慢話で始まって、私は目を見開いて彼を見つめた。
な…なぜ…それを私に言うの…?
私は彼が目を輝かせて報告してくれる意味が分からなくて、コホンと咳払いすると訊いた。
「あの…それを何で私に言うの…かな?」
「あれ?もしかして、忘れた?インターハイで良い結果出たら報告するって言ったじゃん?」
瀬川君のドヤ顔を見て、私は委員会での会話を思い出した。
「あぁ!!あのときの!?わざわざ、報告してくれたんだ!」
「そうそう。あのときの応援嬉しかったし、こりゃ報告しねーとなって思ってたんだよね。」
どこまでも律儀で男前な瀬川君に私は顔が綻んだ。
瀬川君がモテるのってこういう所だよなぁ~…
私は昔馴染みが変わらず優しくて嬉しくなった。
「ありがとう。でも、本当にすごいねー!準決勝まで行ったなんて!だってベスト4って事でしょ!?」
「そうなんだよ!!俺も今回ばかりは鳥肌立ったよ!来年もって意識も上がってるしね!」
「やっぱり、それだけバスケが好きで練習してきたからだよ。中学の頑張りも知ってるし、報われて本当に良かったね~。」
私は中学のとき一回戦負けでも一生懸命練習していた彼を思い出した。
うちの中学は素行があまり良くなかったのもあって、部員は少なく瀬川君が一人で頑張っているのをよく目にしていた。
それだけにベスト4なんて…これ以上のご褒美はないと思う。
私はこれからもそのままの瀬川君でいて欲しかった。
「マジで…そう言ってもらえると、嬉しいよ。やっぱ、昔馴染の言葉は違うな!なんか、すっげ沁みる!!」
瀬川君はそのときの感動を思い出したのか、泣きそうな顔で笑った。
私はそれを見て両手を彼に向けて差し出した。
「ハイタッチしよ!!これからも、応援してるから!イェーイって感じで!!」
私は目の前の瀬川君が褒めて欲しい子供のように見えたので、その気持ちに寄り添いたくなっての行動だった。
瀬川君は泣きそうな笑顔から、照れ臭そうな笑顔に変わると、両手を出してパシンッとハイタッチしてくれた。
そしてその後、その両手を合わせて私の手を掴むと、彼が顔を寄せてきて目を剥いた。
今にもおでこが当たりそうな距離間に息が止まる。
「ホントにありがと!すっげ、やる気でてきた!!」
彼はイケメンスマイルでそう言うと、手を放して私から距離をとった。
私は何が起きたのか分からずに固まったまま彼を見つめる。
「じゃ、冬の大会も良い結果残せたら報告に来るな!!」
瀬川君は私に軽く手を振ると走り去っていって、私は固まっていた手を下げて状況の理解に努めた。
さっきの状況を思い返して、私は頭がオーバーヒートするぐらい真っ赤になった。
なっ…なっ…!?今の何!?
何で手を掴まれてっ…あんな距離で…息が…顔にっ…!!!
私は今まで生きてきて、あんな状況になった事がなかっただけに、瀬川君のスキンシップの近さに頭を抱えたのだった。
とうとう席が離れました。
二学期から詩織の取り巻く環境が少しずつ変わっていきます。