226、卒業
まだ冬の冷たい風が残る三月初めの麗らかな日――――
私たちの卒業式が執り行われた。
式自体は仰々しい話がほとんどで、立ったり座ったりしてるだけで疲れてしまった。
だから教室に戻った面々は机の上に置かれたアルバムや祝いの品に手をつけようともせず、だるそうにまず真っ先に椅子に座る。
「長かったなぁ~。」
「校長ってこういう日しか顔出さねーけど、一体何の仕事してんだろな?」
「あ、それ俺も思った。校長の仕事って、こういうときに長ーい挨拶するだけ?それだけで他の先生より多く給料もらえんの?」
「げ、それってすげーいいじゃん!楽して高給取り!!理想だよな!」
赤井君たちが最後の日にも関わらずバカな話を繰り広げていて、私たちはこんな日までいつも通りかと呆れる。
でも、その横でゆずちゃんが急に鼻をすすって泣き出して、私たちはビックリして彼女を見つめる。
「ど、どうしたの?ゆず。急に…。」
「だ、だって…、今日で皆と会えなくなるんだよ…?式も終わっちゃったし…、本当にあとちょっとで…。」
ゆずちゃんはそこまで言うと我慢できなくなったのか、タオルハンカチで目を拭い始める。
私はその姿にもらい泣きしてしまいそうで、口を引き結んで堪える。
「でも、ゆずは地元進学だから私たちとは会おうと思えば会えるよ?他の地方に行く皆だって、こっちに帰ってくるだろうし、全く会えなくなるわけじゃ…。」
「でも、このメンバーが揃うのは今日で最後だよ?全員がこうして集まるなんて日…、もう来ないよ…。」
「……そうかもしれないけど…。」
あゆちゃんはもうフォローが浮かばなかったのか俯いてしまう。
そうして私たちも何も言えないでいたら、女子の重い空気を察してか赤井君が乱入してきた。
「ちょっと泣くのは早いだろ!これから打ち上げだってしようと思ってるのにさ。それはまだとっといてくれよ。」
「そうそう。俺らが校長のバカ話してるのがあほらしくなってくるだろ~?」
「現にアホだけどな。」
「おい!!湿っぽくならないようにしてる気遣いを、アホ言うのは誰だ!?」
「自分で言ったんじゃねぇか。」
「てめーか井坂!!」
島田君が井坂君といつものように騒ぎだして、空気がまた明るくなった。
私はあのバカな話にそんな気遣いが含まれているとは気づかなくて、なるべく明るく過ごそうという男の子たちの気持ちが嬉しくなった。
やっぱりこのクラスはいいな…
私は三年間も苦楽を共にしたので、クラスのみんながまるで家族のようだと温かい気持ちになりながらも、やっぱりどこか寂しかった。
今日で最後か…
私はふっと教室を見回して見慣れた風景に少し胸が詰まった。
するとそこで教室に藤浪先生がやって来て、みんなが自分の席に慌てて戻って行く。
私も名簿順である廊下側の席へと戻る。
藤浪先生はいつもの楽な姿ではなくて、パリッとスーツ姿でなんだか似合ってない。
皆もそう感じていたのか、微妙に笑ってる人が何人かいた。
そんな中、藤浪先生は私たちを壇上から見回すと、口を開いた。
「みんな、卒業おめでとう。今日でこの学校ともこのメンバーともお別れになるが、みんながこの高校の9組だったということは、学校の歴史にも…みんなの心の中にも、もちろん俺の心の中にも残る。」
藤浪先生が自分の胸を叩いて言って、笑ってたメンバーが口を引き結んで真剣に聞こうと表情を引き締めるのが視界に入る。
「今だから言うが、このクラスは俺の教師人生で一番印象に残ったクラスだ。良い意味でも…悪い意味でもな。」
「それってどういうことですか?」
苦笑している藤浪先生を見て、赤井君が真っ先に質問した。
藤浪先生はちらっと赤井君たちの方を見ると、言った。
「そうだな。良い方から言うと、文化祭、体育祭でのお前らの奮闘ぶりは最高だったよ。いつも上位に食い込む勝利への執念というか、さすがという単語の似合うクラスはこのクラス以外にはないだろう。これも赤井、お前の皆の引っ張る力が大きかったと思う。三年間、委員長お疲れさまだったな。」
藤浪先生からの賛辞に赤井君が照れ臭そうに笑っている。
私も藤浪先生と同じ気持ちだったので、心の中で赤井君に拍手を送った。
このクラスがこんなにもまとまったのは、赤井君のおかげと言ってもいいぐらいだ
彼が同じクラスで本当に良かった
「でも、これには皆の協力がなければできなかったことだろう。赤井を傍で支えただろう井坂や島田、北野、それに一番手綱を握ってたのが小波。お前らが赤井の暴走を抑えてくれてたのは知ってる。本当によく抑えてくれた。ありがとう。」
これにはあゆちゃんたちが照れる番で、井坂君はじめ呼ばれた面々は照れ臭いのか苦笑している。
私は一年の一番最初から、このメンバーは仲が良かったことを思い出して、友達になるべくして集まったメンバーなんだろうと懐かしくなった。
赤井君は一人「俺は暴れ馬かよ…。」とぼやいている。
「他のみんなも赤井達に引っ張られた形だったかもしれないが、この三年間お前たちが積み上げてきた強い信頼関係は、これから先絶対切れるものじゃない。協力し合い勝ち取った勝利を忘れず、今後の生活に活かしていって欲しい。必ず今日この日までの経験は役に立つときがくるからな。」
皆が藤浪先生の言葉をしっかり胸に刻み込むのが、張りつめた空気にのって伝わってきた。
私もその一人で、絶対に忘れたりなんかしないとじっと藤浪先生を見つめた。
すると藤浪先生はふっと悲しげに視線を下げてから、さっきとは違う声音で言った。
「そして、俺にとても楽しく笑いの耐えない毎日を与えてくれたこと、本当にありがとう。真面目な面々が多い中、色々と厄介な面々もいたりして、今までで一番手がかかったが、すごく充実した三年間だった。このクラスの担任だったことは、俺の誇りだ。このまま俺の誇れる生徒として、立派な大人になってくれることを切に願ってる。」
少し目を潤ませた藤浪先生からの言葉に、皆が息をのみ込んだ。
さっきまでふざけていたのが嘘みたいに湿っぽい空気が流れていく。
私も堪えていたものがこみ上げてきて、鼻で息を吸って唇を噛んだ。
でもここでまたいつもの面子が声を上げる。
「俺らこそ、藤ちゃんが担任で良かったよ。」
「そうそう、色々好き勝手やらせてもらえたしな。」
「これがゾノだったら最悪な三年間だったよ。」
「だな。藤ちゃん様様だよな。」
「藤ちゃん先生様ってか?」
「おい、いきなりふざけんのかよ。」
「お前らは…最後まで厄介だな…。」
赤井君、島田君、北野君、そして井坂君の軽口に、藤浪先生が涙目ながらもいつもの様子に戻る。
それを見た赤井君がいつも通り、藤浪先生に話しかける。
「それより良い意味の方しか聞いてないけど、悪い方は?俺ら、藤ちゃん困らしたことなんてあったっけ?」
「あぁ…。まぁ、これはクラス全体というよりメンバーが限られるから、言うのはよしておくよ。それじゃ、皆今日でお別れだが元気でな!担任からは以上!解散。」
藤浪先生は強引に挨拶を終わらせると、さっさと教室を出て行ってしまった。
これには赤井君たちは納得できなかったようで、藤浪先生の後を追いかけて教室を出て行く。
その中には井坂君の姿もあって、私は追いかけようかと思ったけど、後ろからタカさんに「寄せ書きしよー。」と呼ばれて、追いかけるのは諦めたのだった。
***
それからの時間はアルバムへの寄せ書きタイムとなり、誰も帰ろうとせず、打ち上げが教室で行われる運びとなった。
その準備で何人かのグループで飲み物やお菓子の調達をしようとなり、私は皆からの寄せ書き待ちだったので手を挙げてメンバーに立候補した。
そして女子は篠ちゃんとゆずちゃんと一緒に男子何人かとバイト先であるスーパーへ向かう事になった。
その道すがら、私は買い出しメンバーの一人である長澤君に呼び止められた。
「谷地さん。俺、東京にある医大に受かったんだ。」
「え、本当!?」
私は長澤君がずっと長い間必死に医大に行くために勉強していたのを知っていたので、心の底から嬉しくなった。
「おめでとうっ!!すごいね!今までの努力が報われたんだね!!良かったね~!!」
「うん。ありがとう。」
長澤君は嬉しいのか頬を赤く染めていて、小さく笑った。
「でも東京って遠いね~…。長澤君は元々そっち希望だったの?」
「あ、ううん。元々関西受けるつもりだったんだけど…、東京に行きたくなって…。」
「?そうなんだ。やっぱり東京の方がオシャレだもんね。私も東京行きたいなぁ…。」
私は井坂君が行くからとは口が裂けても言えなくて、言葉を濁す。
すると長澤君が急に立ち止まって、私は足を止めて振り返った。
「俺さ…、勉強がすごく嫌になってた時期があったんだ。」
「うん?」
私は急になんの話なのかと何かを伝えようとする長澤君を見据えた。
長澤君は少し俯いたままで続ける。
「そんなとき、谷地さんが予備校に来て…、すごく気持ちが楽になった。だから、希望する大学に受かったのは谷地さんのおかげでもあるんだ。」
「えっ!?私!?いやいや、ただの偶然だし、大げさだよ!!」
私はそんな力が自分にあるはずないと全力で否定した。
「ううん。谷地さんのおかげなんだよ。ありがとう。」
長澤君は私の否定を流して、何か吹っ切れたように優しく微笑んでいる。
私はその顔にこれ以上否定できなくて、渋々頷くのに留めた。
どうも自分のおかげだなんて腑に落ちない…
「………俺、これから先誰にも負けない男になりたいんだ。だから、志望大も関西から東京に変えたんだけど…。俺、すごい医者になれるかな?」
長澤君は未来に希望を持った瞳をしていて、私はその瞳なら大丈夫だと思い、大きく頷いた。
「なれるよ!長澤君なら誰からも尊敬される名医になれる。だから、頑張って!!」
私は何かの力になればと思い、精一杯の応援を口にした。
長澤君ならきっと大丈夫
お医者さんになる夢をまっすぐに進み続けるだろう
そう思って笑っていたら長澤君は嬉しそうに頬を緩ませると、一気に私のところまで歩いてきて、驚く行動を起こした。
―――――!?!?!?!
「ありがとう。谷地さんとクラスメイトで…良かった。」
長澤君はほんの数秒私を抱きしめると、耳元でそう言ってから何事もなかったかのように離れた。
私はあまりにも長澤君からかけ離れた行動に面食らって、状況の整理が上手く追いつかない。
「先、行くよ。」
呆然とした私を見兼ねてか、長澤君がクスッと笑ってから走っていってしまい、私は何が起きたのかリピート再生しながら体が動くまで時間がかかってしまったのだった。
***
それから私は買い出しメンバーと一緒に学校まで戻ってきて、いつも通りに笑ってる長澤君を見つめて疑問ばかりが浮かんだ。
さっきのは何??
ただの感謝の言葉…にしては重みがあった気がするし…
何よりあのハグは…??
長澤君に限って冗談であんなことするなんて考えられない…
私は真面目な彼だからこそあの行動が意味のあるものに思えて、考え過ぎて頭がおかしくなりそうだった。
そんな私の所にタカさんが紙コップに注いだジュースを持って来てくれる。
「はい、しおりん。買い出しお疲れさまだったね。」
「あ…、うん…。ありがとう…。」
私はタカさんから受け取りながら、このモヤモヤを誰かに聞いて欲しくてついタカさんにこぼした。
「ねぇタカさん…。私って…さ、もしかして…なんだけど…、長澤君に好かれてるとか…あるかな?」
タカさんはジュースを飲む手を止めると、目を丸くさせて驚いたように私を凝視してくる。
その目に勘違いか…と思いかけていたら、タカさんが肯定することを口にした。
「まさかしおりんが自分で気づくなんて…。成長したねぇ…。」
「え、何それ…。それってそうだよって意味?」
「そうに決まってるでしょ。あれだけ長澤君に話しかけられてて気づかないのは、しおりんぐらいだよ。」
…………そうなんだ…
私はハグされたときにそうかもしれないと思ってたことを肯定され、自分の鈍感っぷりに頭が痛くなった。
「………、今思ったんだけど…、私って何気にクラスの男子からモテててた?」
私は内村君の一件もあったので、まさか二人から想いを寄せられていたなんて信じられない。
「お~、卒業の日にやっと気づきましたか。ただ少し惜しい。」
「え?」
タカさんは茶化すように軽く拍手すると、楽しそうに補足してくる。
「正確にはモテてたのはクラスの男子だけでなく、学校中の男子です。そこ間違いのないように!」
「え!?!?いやいや、さすがにそれはないから!!学校中とか私にそのスペックが備わってるはず―――」
「それがあるんだって。現に柔道部の佐伯君、覚えてないわけないよねぇ?」
私は瀬川君と仲の良い無骨でまっすぐな佐伯君を思い出して、言葉に詰まった。
確かに佐伯君は私のことが好きだったと、瀬川君から聞いた。
長澤君のときと同じで、私は全く気付かなかったんだけど…
「私、瀬川君とよく話すからさ、色々他のクラスの情報も耳にしたんだけど、しおりん、結構人気あったみたいだよ。」
「…………。」
私は信じられない話に言葉が出てこないどころか、自分以外の誰かの話に思えて現実味がない。
「なんか井坂君が目立つから、自然としおりんにも目がいってっていうのが始まりみたいだけど…。すごいよね~。よっ、モテ女!!」
「ちょ…、それやめてよ…。なんか自分のことじゃないみたい…。誰も面と向かって言ったりしてくれないから余計に…。」
「そりゃ言えるわけないでしょ。すぐ横にあんな目立つ彼氏がいちゃあねぇ~。」
………確かにそうか…
私はちらっと赤井君たちと騒ぐ井坂君を見て、四六時中一緒にいたことを思い返した。
「まぁ、どの男子も今日になっても何も言ってこないとなると、気持ちに整理はできてるんでしょう。だから、しおりんが気にすることはないと思うよ。」
「…………うん。そう…だよね…。」
私はまるで別次元の『詩織』という女の子の話のようで、どうにも信じられなくてモヤモヤが晴れない。
すると、タカさんが驚くことを口にして、私のモヤモヤが一気に吹き飛ぶ。
「それにこのクラスでモテてない女子いなかっただろうし。」
「………ん?…――――え!?!?なに、え!?何その話!!」
私はまるで当たり前というように口にしたタカさんに詰め寄った。
タカさんは飽きれた様にため息をついて言う。
「やっぱこれには気づいてなかったんだ。どんだけ井坂君以外眼中に入ってないの…。」
「それは…否定できないけど…。え、モテてたって全員!?」
私はあゆちゃんや新木さん、ゆずちゃん以外から、そういう甘い話を聞いたこともなかったので、タカさんを揺すって話の続きを促す。
タカさんは面倒くさそうに目を細めながらも話してくれる。
「アイもゆずも篠ちゃんも何人かから告白されてるし、ツッキーなんかそういう雰囲気を感じ取ろうものなら全力でバッサリ切ってたからね。現に私もクラスの男子何人かからそれっぽいこと言われたし。」
「えぇっ!?なんで誰も話してくれないの!?」
「だって好きでもない相手から告白された話してどうするの。結果、何も変わらないでしょ?」
「でも、何か相談のれたのに…」
「だから好きじゃないんだから、相談する必要もなく答え決まってるんだって。大体、相手のこと言わなきゃなくなるし、それ相手に対して失礼でしょ?」
「まぁ…、そう…だけど…。」
私はタカさんからの正論に、自分だけ皆の浮いた話に除け者状態で寂しくなった。
気づかなかった自分が悪いというのもあるんだけど、でも友達なんだから知っておきたかったという気持ちが大きい。
だから拗ねてタカさんに不満をぶつける。
「みんなは私と井坂君のことからかうのに…、なんかずるいよ…。」
「じゃあ、今から存分に聞けばいいじゃない。そのための打ち上げでしょ?」
タカさんは何でも話すよという風に笑って言って、私は少し気持ちを持ち直し、タカさんのアドバイス通りにしようと行動を起こしたのだった。
長澤君の話から、詩織がやっと気づきました。
彼は井坂に憧れる反面、ライバル視している位置づけでした。
ここでその面をちょこっと出せて良かったです。