225、足りない
井坂視点です。
二人っきりのカラオケルームで―――――
俺は詩織を二週間会えなかった分味わおうとずっと触り倒していたら、詩織が浅く呼吸しながら俺に懇願してきた。
「ちょっと…ストップ…。お願いっ…待って…。ドキドキし過ぎて息が…。」
詩織が真っ赤な顔を隠すように俺との間に手を差し入れてきて、俺は懇願する詩織に心を擽られて止まれるはずがなかった。
「やだよ。待たない。」
「えっ…!?」
俺が詩織の手を退けて頬や顎の下にキスすると、詩織は体を強張らせて息を止めてしまった。
まるで初めてみたいな反応だなぁ…
俺はここまで緊張している詩織が久しぶりで、やっぱり二週間離れてたのが大きかったのだろうか?と詩織の様子を窺った。
詩織は細く息を吐き出してから、何かを我慢するかのようにギュッと目を瞑ってしまう。
マジで…可愛いな…
俺は詩織の仕草にキュンキュンしてしまって、つい手を止めて見入ってしまう。
するとそこで部屋にピロリロリンと退室時間が近い事を知らせる機械音が鳴り響き、俺はうるさい音を発する機械を睨みつけた。
もう30分経ったのか?
俺はまだ5分ぐらいしか経ってない気分だったので、目の前の詩織に目を戻し、まだ触り足りないな…と物欲しそうに見つめる。
詩織はそんな俺を見つめ返して、どうすればいいのか分からない表情を浮かべる。
小波とは30分だけって約束したしな…
ここはちゃんと約束守っておかないと、後々怖いことになるような気がしてならない
俺は名残惜しく詩織の前から退くと、鳴っていた機械の画面で残り5分だという時間を確認した。
時間を見ただけでため息がでると、詩織に声をかける。
「出るか。時間みてぇだし…、詩織も小波たちの所戻らなきゃだろ?」
「あ、うん…。そうだけど…。」
詩織は上着を着て鞄を持った俺をじっと見つめると、なぜか立ち上がろうとしない。
なんだ…?
俺は詩織を促そうと向かい合うと、詩織が膝の上で両手を握りしめて呟いた。
「……井坂君、帰るんだよね…。ちょっと…離れ難いな…なんて…。」
詩織が小さく照れ臭そうに笑って言ったことに、俺は胸が鷲掴みにされた。
色んな物語で男が女を連れ去る、あーいうときの心境が今ならよく分かる。
俺もまさに今、詩織を家に連れ去りたくなりかけ、足を寸でのところで踏ん張る。
ここで我慢できなきゃ、遠距離なんて夢のまた夢になるような気がしたからだ。
「ごめん。変なこと言っちゃったね。さっきまであんなにドキドキして死ぬかと思ったのに…。じゃあ、あゆちゃんたちの所に戻るね。」
詩織は離れ難い気持ちを振り払うかのように立ち上がると、俺より先に部屋を出て行く。
俺はその背を追いかけて出ると、詩織に言った。
「詩織。帰ったら電話して!」
詩織は俺に振り返ってくると「うん。」と笑顔で頷いてくれて、俺は手を振って歩いて行く詩織をまた見送った。
そして廊下の角に詩織の姿が消えると同時に、さっきまで熱かった体が一気に冷えて急激な寂しさに襲われた。
30分って早いな…
俺ははぁ…と悲嘆のため息を吐き出すと、足を受付カウンターへ向ける。
詩織がただ傍にいるだけでいいだんだけどなぁ…
なんでこうも現実は無情なんだろうか…
カウンターでさっさと清算を澄ますと、俺はまたはぁ…とため息をついて外に出た。
「あ。」
目の前で声がして俯いていた顔を上げると、すぐ前に山地が目を丸くして立ち止まっていて、俺は山地と目が合い自然と「よう。」と言ってしまった。
でも口に出してしまってから、そういえば山地とは気まずいままだったと思い返した。
二年ほど前、山地は詩織に嫌がらせをしていた。
それを知った俺は黙ってることなんてできなくて、山地に『最低だな。』的なことを口にして怒ったんだ。
詳しく何を言ったかは頭に血が上っていたので覚えてないけど、山地がショックを受けた表情だけはしっかり覚えてる。
それだけにもう関わらないようにしていたのに、まさかこんな偶然の状況で声をかけてしまうとは…
俺は固まったまま動かない山地をチラ見して、どうしたものかと困った。
すると目の前で身体の硬直を解いた山地が笑い出した。
「あははっ。拓海君、もしかして一人カラオケ?卒業式前日のこの日に?おっかし~!!」
「は!?ひっ、一人とかじゃねぇし!!中にまだ詩織とかいるから!!」
俺は断じて一人で歌ってはない!!と名誉を挽回させようと口にした。
山地はなんとか笑いを収めると、「そっか彼女と…。」と言って表情を戻す。
「そういえば、この間拓海君の彼女に会ったから、活入れてやったけど、良かったわよね?」
「活…?って、何したんだよ。」
俺は過去のこともあるので何をしたのかと警戒したら、山地は軽く笑ってから言った。
「もう拓海君に怒鳴られるような事は言ってないよ。ちょっと色々考え過ぎて足踏みしてるみたいだったから、背を押してあげただけ。」
「なんだ、そっか…。詩織、よく色々思い過ぎることあるからなぁ…。」
いつのことかは分からなかったが、詩織はよく一人で悶々と考え込むので山地の言い方に安心した。
まぁ、詩織の事だから山地と何かあったなら言ってきてるはずだしな。
俺はそう結論付けて山地を疑ったことを謝る。
「悪かった。詩織のことになると敏感になり過ぎるっつーか…。」
「知ってる。それは二年も前に痛いぐらい味わってるから。」
山地がもう過去の事は吹っ切れてるのか意地悪そうに話に出してきて、俺は根に持たれてる…と山地から目を背ける。
「拓海君、あのときから全然変わらないよね。拓海君がまさかこんなに彼女中心で動く人だなんて、あれがなかったら知るのはもっと後になってたかなぁ。」
「あー…、いや…、あのときは本当にごめん…。何言ったか…全然覚えてないけど、結構ひどいこと言った気がして…。」
「もういいよ。あのときは拓海君のこと好きだったから、か・な・り、傷ついたけど。もう時効だしね?」
「…………は?………今、好きっつった?」
俺は幻聴でも聞こえたのかと山地を見つめると、山地は少し照れくさそうに微笑んだ。
「そうだよ。私は拓海君のことが中学の時からずーっと好きだったの!!」
「はぁぁぁ!?なっ!?それ初耳だけど!!!」
「だって言ってないもの。」
「はぁ!?!?!」
俺は驚愕の告白に目の前がクラクラしてきた。
状況を理解しようにも頭が上手く働いてくれない。
「大体さ、先に私の事好きだって言ったのは拓海君なんだから。私の恋心返せって感じだけどね。」
「へ!?俺!?!?いやいや、言ってねーし!!一回も山地のことなんか好きだとか言ってねーよ!」
「山地のことなんか!?」
山地が俺の言い方が気に入らなかったのか、ギロッと睨んできて、俺は弁解しようと焦って口を開く。
「それ中一のときの話だろ?あれはクラスの女子の誰が可愛いかって投票を男子の誰かが始めて、俺は山地のところにたくさん票が入ってたから入れただけで…、そんなつもりは全然なかったんだって!!」
「でも、私は拓海君が私の事好きって言ってたって聞いて、放置するのもなぁ…と思って親切心で断りに行ったのに。なんでそのとき説明してくれなかったの?」
「だってそのときは、急に気持ちは嬉しいけど…とか言われて、なんの気持ちなのかちんぷんかんぷんだったんだよ!!周りの空気が同情の目に変わってたから、そこで知らない間にフラれた男認定されてることに気づいたんだからさ。説明なんかできるわけねーだろ!?」
「なにそれ…、じゃあ、まるで私は一人で拓海君の嘘の情報に踊らされて、見込みもなかった人を好きになった勘違い野郎じゃない。なにそれ!!」
山地は真実を知って急に怒り出して、俺は誤解が解けたことにほっと安堵した。
「じゃあ何!?拓海君は谷地さんが初恋だとか言うわけ!?」
「へ?まぁ、そうだけど…。」
「ウソでしょ!?初めては私だと思ってたのに…、なんなのこれ…。すごい屈辱なんだけど…。」
屈辱???
整った顔立ちを鬼のように歪めて肩を震わせている山地を見て、山地って素はこんなのだったのか…と新しい山地の発見に新鮮な気持ちでいたら、山地が俺を睨んできた。
「こんないい女を選ばなかったこと、拓海君は一生後悔すればいいのよ!!私に谷地さんに負ける要素があるはずないもの!!拓海君の見る目がないのが悪い!!」
「……はぁ…?」
俺は山地の言う事が全く理解できず、首を傾げた。
それが山地の神経を逆撫でしたのか、山地が更に怒りのオーラを迸らせて怒鳴った。
「というか拓海君、昔に比べてカッコ良さが半減したもの!!谷地さん程度の彼女がお似合いよ!!私は拓海君よりもーっと良い男を彼氏にしてやるんだから!!」
ここでやっと山地が負け惜しみで悪口を口にしていると理解して、俺は偉そうにふんぞり返ってる山地を見て笑いそうになってしまった。
ここは話にのっかっておいた方がいいな…
「だな。山地にはもっといい奴が見つかるよ。」
「~~~~っ!!!っ、ムカつく!!!!拓海君なんか…だ……。」
山地は真っ赤な顔で怒りを口にしようとしていたけど、なにか言えないのか俯くと何か小さく呟いた。
「?何?」
俺はそれが聞こえなくて聞き返すと、山地は俺をドンッと押し返してから俯いたままで吐き捨てた。
「大っ嫌いって言ったの!!じゃあね!!」
山地は俺に顔を向けないまま走り去って行き、俺はその背を見つめて複雑な気持ちだった。
好きから大嫌いまで降格か…
まぁ、いいけど。
あまり面と向かって『大嫌い』と言われたことはないだけに、少し傷ついたけど、言ったのが詩織じゃないのですぐ気持ちを切り替えた。
詩織だったらしばらくずっと落ち込み、立ち直るのに時間がかかるだろう…
詩織はそんなこと言わないとは思うけど。
俺はふっと息を吐いて傍のガードレールに腰を預けると、ケータイで時間を確認した。
時刻は5時過ぎ…
一時間以内には詩織たちもカラオケを終えて出てくるかな…
俺はそう予想して、詩織と少しでも一緒にいたい一心で出てくるのを待つことに決めたのだった。
***
俺がカラオケ店の前で待つ事40分―――――
辺りが暗くなりはじめ、通る人の格好がスーツのものへ切り替わりよく見かけるようになった頃、ガラスの自動ドアの向こうに小波の姿が見えて、やっとお開きか…と大きく伸びをした。
ずっと同じ体勢で待っていたので体が凝り固まっている。
そうして体をほぐしていたら、俺の事を見つけたのか詩織が目を輝かせてカラオケ店から飛び出してきた。
「井坂君っ!!なんで!?なんでいるの!?」
「いや、待ってれば一緒に帰れるかな…と思ってさ。…待ってたんだ。」
俺は少し待ち疲れていたのもあってぽろっと口に出すと、詩織が目をキラッキラと潤ませて抱き付いてきた。
「嬉しい~~~っ!!」
詩織は言葉の通りかなり喜んでいるようで、抱き付いている腕の力が強かった。
俺は詩織が喜んでくれたことの方が嬉しくて、優しく詩織の頭を抱えて、詩織の温もりに癒される。
「俺も嬉しい。」
そうして二人で周囲のことも顧みずイチャついていたら、小波の低い声が耳に届いた。
「ほんっと、バカップルだよね。呆れて怒鳴る気も起きないんだけど。」
「まぁまぁ、幸せそうでいいじゃない。」
「そうそう、しおりんが元気になったってことで、丸く収めとこうよ。」
静かに怒る小波を宥めようと新木や八牧がフォローに入る。
詩織は小波の声に我に返ったようで、慌てて俺から離れると「ごめんっ!!」と謝って真っ赤になっている。
俺はその横顔をじっと見て、可愛い姿に顔がニヤけてくる。
咄嗟にその顔を手で隠したけど、詩織以外には見られていたようで、小波たちに目を戻すとじとっと呆れたような蔑むような目で見られた。
「なんか10年後も変わらずイチャついてそう…。アホらし。勝手にやってればって感じだわ。」
「だね。バカップルは置いて帰ろ~!」
小波と新木が一番に歩き出して、俺はそんな二人の様子から自分の彼氏と比べて嫉妬したんだなと察した。
赤井も北野も俺のように感情優先で動くタイプじゃない。
だから詩織が羨ましいんだろう。
俺は少し二人に同情する反面、もう少し詩織の可愛げを分けてもらい、それを見せれば赤井も北野も俺のようになるだろうに…と思った。
そうして女子陣が歩いて行くのを見送ると、詩織が遠慮がちに手を握ってきて、思わずそれを見つめてしまった。
「か…帰ろっか?」
詩織はまだ照れてるようで顔が赤くて、それが無性に可愛くて胸の奥がむず痒くなる。
これだよなぁ…
詩織はこんなにズバズバ俺の急所を突いてくるんだもんな…
あいつらに足りねぇのはこれだよ
俺はそう思いながら、詩織の手を握り返しながら幸せな時間に顔が緩んだのだった。
山地さんの再々登場でした。
彼女の恋にもきちんと終わりをさせてあげたいな…とここに入れました。
次はとうとう卒業式です。