222、強化週間~詩織~
井坂君から遠距離の予行練習を言い出されて三日―――――
私はちゃんとやっていけると証明したくて、会いたくても我慢してバイトの日々に明け暮れていたら、とうとう禁断症状が出始めてしまった。
スーパーでレジを打ちながら、井坂君によく似た背格好の人を見つけては、そっちに目が釘付けになる。
でも井坂君であるはずはなく、期待した分違う事に打ちのめされる。
来るはずない…
言い出したのは井坂君なんだから…
今は電話とメールだけで我慢…
私はバイトが終わったらすぐ電話しようと決めて、とりあえず気を持ち直す。
そうしてなんとか決められた時間バイトをやり切ると、変に気を張りつめていたせいでドッと疲労感に襲われた。
休憩室の椅子に力を抜いて座ると、ポケットからケータイを取り出して机に体重をかけ項垂れながら電話をかける。
すると井坂君はすぐに出てくれて、聞きたかった声が耳に届く。
『はい、もしもし。』
「あ、井坂君?私。今、バイト終わったよー。井坂君は何してた?」
『お疲れ。俺は、もしものときのために後期試験対策してた。』
「そっか。勉強してたんだ。邪魔しちゃったね。」
私は前期で受かる気満々だった井坂君が勉強してることに内心感心しながら、当然か…と思いあまり長電話しないように心に決める。
『邪魔じゃねぇよ。ちょうど一区切りつける良い時間だったし、詩織の声聞いて元気出た。』
「ほんと?私もバイトでかなり疲れたから、井坂君の声聞いてその疲れが吹っ飛んだよ。」
『マジ?じゃ、お互い様だな。今日は帰り赤井と一緒?』
「ううん。赤井君は今日はバイトない日だよ。あゆちゃんとデートだって言ってた。」
『あー…、そんなことも言ってたな…。じゃあ、帰り一人か…。詩織、気をつけろよ?』
「分かってる。じゃあ、ずっと電話で邪魔するのも…だから、そろそろ切るね。」
『あ、うん。何かあったら電話しろよ?』
「はいはい。じゃあね。」
『おう。』
私は切るのが躊躇われたけど、これも試練だと思い、無理やり切って一息つく。
やっぱり…会いたい…
私はまだ夕方5時過ぎというのもあって、バイト先を出た足で井坂君のお家へ行きたくなってしまった。
でも、これは訓練期間なので、諦めてさっさと家に帰る支度を整えたのだった。
**
そして、その会いたい病が出始めてから一週間、私はとうとう一人でこの気持ちを抱えきれなくなって、その日のバイトの休憩中に赤井君に愚痴を漏らした。
「もう無理…。会いたい…。」
「あははっ。谷地さん、まるで井坂みてーだなぁ~。」
赤井君はバカにするようにゲラゲラと笑っていて、私はそれに神経が逆撫でされバンッと机を叩いて言い返す。
「笑い事じゃないよ!!赤井君もやってみれば分かるよ!疑似遠距離体験!!かなりくるんだからね!!」
「ははっ。まず、その疑似遠距離体験って発想が、真面目過ぎるだろ。どんだけ離れるのが不安なんだよ~。」
「赤井君はあゆちゃんと離れても平気なの?」
「平気っつーか…。小波のことだから大丈夫だって信じてっし?」
その自信…羨ましい…
私はいつにも増して堂々と自信満々な赤井君に、自分が相当意気地のない奴に思えて情けなくなってくる。
赤井君の半分でいいから…その強さが欲しい
私は赤井君にこれ以上愚痴ると自分が立ち直れない…と思って、大きくため息をつくと言うのをやめた。
すると赤井君がニコニコした笑顔で私の方に体を向けてくる。
「二人はさ、よっぽど相手のことが大事なんだろうな。なんか、そこまで深く相手を想えるって、少し羨ましい。」
「羨ましい…?なんで赤井君がそんなこと言うの!?それはこっちのセリフだから!」
私はいきなり何を言い出すんだとビックリした。
赤井君は軽く笑いながらも、声音は真剣に話してくる。
「はははっ。きっと俺が小波を想う『好き』と、谷地さんや井坂が相手を想う『好き』には大きな違いがあるよ。じゃなきゃ、俺がこうなって、谷地さん達がそうなる理由がつかない。」
「いやいや、これは私たちが強くないだけで…。赤井君たちとの『好き』と差があるなんて思わないけど。」
「でも実際そうだって。俺、このまま小波と一緒にいられれば楽しいだろうな~とは思うけど、井坂みたいに結婚まで考えたりしたことねーし。小波の両親とか…できるなら顔合わせたくねーしな。」
「え…。そうなの?相手のご両親と仲良くなれたら嬉しくない?」
私は井坂君のご両親とのことを思い返して尋ねた。
でも赤井君は顔をしかめると首を横に振る。
「ないない。俺、初めて小波のお母さんに会ったとき、超ビビってたから何言ったか覚えてねーし。仲良くとか想像もつかねー。」
「そっか…。男の子側はそうなのかな…?」
私は井坂君もそうだったかもしれない…と思って、これは女子側だけの意見だと分かった。
それを鑑みると、井坂君は私のために相当頑張ってくれたんだと、またあのときの感動が蘇ってきてしまった。
また会いたくなってきた…
もうこれは禁断症状だ…
井坂君がいないと生きていけない病…みたいな…
そんなことを考えていると、赤井君が優しく笑って言う。
「だからさ。二人の方がカップルとして、俺らよりランクが上なんだって。精々、その疑似体験?とやらで、遠距離乗り越える力つけねーとな。」
乗り越える力…
私は赤井君の言葉にこそ力をもらって、少し気持ちが落ち着くのを感じた。
「ありがとう。なんか、力湧いたかも。」
「マジ?なら、良かった。―――っつーか、俺ら大学行ってもこうやって話してそーだよな?確か学部も一緒だしさ。」
「そうだね。赤井君がいてくれるって思ったら、なんか大丈夫な気もしてきたよ。」
「え!?そんな持ち上げんなって!井坂に怒られるだろ!?」
「あははっ。ごめん、ごめん。」
私は赤井君に聞いてもらえることで、随分気持ちが楽になったことに、大学時代というのを想像して、すぐ赤井君といる自分が浮かんだ。
残念ながら、そこに井坂君の姿はなかったけど…
でも、これは私たちが決めたことだ。
私は赤井君に笑顔を返し、井坂君は今頃何を考えてるのかと思いを馳せたのだった。
***
そうして残り二日でやっと井坂君に会えるという日――――
私は見知らぬ番号から電話がかかってきて、出ようかどうか考えた。
でも出ないのも誰からか分からなくて気になるので、思い切って通話ボタンを押す。
「はい…、もしもし?」
『あ、急に電話ごめん。俺、空井だけど。』
「え…?空井君?」
私は空井君だということに、どうして私の番号を知ってるかと疑問が過る。
『あ、番号は僚介のケータイから拝借したんだけどさ。』
「え??僚介君のケータイに私の番号が?」
私は僚介君と聞いて、更に疑問が広がる。
だって確か私の番号は消してもらったはずで、いままで一度だって僚介君からかかってきたことなんてない。
それなのに、どうして僚介君のケータイに残っているのだろう…?
『それよりさ、電話した用件なんだけど。』
「あ、うん。何?空井君から電話するぐらいだから、きっと余程のことだよね?」
『うん。僚介のことで…。ちょっと、説明するより来てもらった方が早いから、京清高の最寄り駅まで出てきてもらえないかな?』
「京清高って…、僚介君に何かあったの?」
私は僚介君に何かあったのかと不安になったら、空井君が明るく返した。
『いや、僚介自身に何かあったわけじゃないっていうか…。とにかく来てくれよ。そこで説明するから。』
「…うん。分かった…。」
空井君の電話で説明してくれなさそうな空気に、私は渋々京清高の最寄り駅へと向かう事になったのだった。
***
京清高までは地元の駅から4駅先の駅で下車して、徒歩15分。
でも空井君は最寄り駅でと言っていたので、電車に乗っていた10分程で到着した。
私は道中、僚介君とあったことを思い返して、会うのが気まずかったけど、井坂君がもう大丈夫だと言ってた言葉を支えにした。
そして駅の改札を出て空井君を探すと、駅前のコンビニの前に空井君と来居君がいるのが見えて駆け寄った。
「お待たせ。」
「あ、谷地さん。ごめんな。こんなとこまで呼び出して…。」
「ううん。それはいいけど…、僚介君は?」
私はてっきり僚介君もいると思って辺りを見回すと、空井君が渋い顔で駅前の公園を指さした。
そこに目を向けると、僚介君が様々な制服の女の子を周りにはべらしていて、私は今まで見た最高人数に目を丸くさせる。
「僚介…、受験終わってから…、ずっとあんな状態で…。俺と玲で今まで色々言ったんだけど、全部スルーされちまってさ…。」
「谷地さん、ここんとこ僚介と仲良かったから、何か知らねーかなと思って来てもらったんだ。」
「何かって…。」
私は年が明けて元旦に一度会って以来、一度も僚介君と会ってなかったので何も思い浮かばない。
自分とのことが原因かも…とも思ったけど、受験後と聞くとそうじゃない気がする。
そこまで自分が僚介君に好かれてたなんて自惚れは恥ずかしいだけだ。
だから、私は首を横に振ると、二人の顔を見て告げる。
「分からない…。私、最近僚介君と全然会ってなかったから…。」
「会ってないって…。それ、俺が言ったこと何か関係ある?」
「え?」
空井君がショックを受けたような顔で言って、私は空井君から言われたことを思い出した。
「違う!!空井君は関係ないよ。あれは当然だって思ったし、良くなかったって反省してるから。」
「それならいいけど…。僚介と連絡すらとってなかったとか?」
「え??」
空井君は私の言葉にほっとするも、まるで私と僚介君が当然連絡を取り合う仲だと思ってる口調で言う。
私はそれが不思議で、噛み合わないことに違和感を感じる。
「私、僚介君と以前から連絡なんか取り合ってないよ?たまたま会ったときに話すぐらいで…。僚介君のケータイに私の番号が入ってることにも、さっき驚いたぐらいなのに…。」
「は!?」「え!?」
これには二人が顔を見合わせながらビックリして、慌てたように説明してくる。
「そんなはずないだろ!?だって僚介のケータイに谷地さんの連絡先がお気に入り登録されてたんだから!?」
え…!?
これには私が驚いて声が出ず、喉に詰まった。
「そうだよ。てっきり二人は連絡取り合う仲なんだと思って、今日ここに来てもらったってのにさ…。」
「なんだこれ…。僚介…、どういうつもりで谷地さんの連絡先を…?」
二人は険しく表情を歪めて考え込んでしまい、私はふっとあの告白された日の僚介君を思い出した。
あのとき…、僚介君は井坂君と同じ顔をしてた…
本気で私を見る、熱い瞳…
あれが僚介君の本心で、あの気持ちを私と連絡先を交換したときから持ってくれていたのだとしたら…
私は僚介君の気持ちを考えると目の奥が熱くなってきて、思わず手で顔を隠した。
どうしよう…
やっぱり私のせいかもしれない…
私は僚介君とちゃんと話もせず、井坂君に決着をつけてもらったことを後悔した。
「谷地さん?え?どうしたんだよ…。」
「なに?俺らなんかいけないこと言った?」
私が急に顔を押さえたことで二人が焦り始めて、私は涙が出そうになるのをグッと堪えると、手を外して二人を見る。
「ちょっと…、僚介君と話してくる。」
私は困った顔をしている二人にそれだけ告げ、足を女子に囲まれている僚介君の元へ向けた。
まだ間に合うかもしれない…
僚介君ときっちり話をしよう
私は自分のせいかどうか確認したい気持ちも含めて、気合を入れて一歩一歩確実に僚介君に近付くと、後ろから「谷地さん!!」と空井君たちが追いかけてくる。
そして女子たちの高い声が聞こえてくる距離までくると、そこで僚介君がこっちに視線を向け私だと認識した途端固まってしまった。
その様子を見ていた女子たちの顔が私に向く。
鋭い視線の数々に少し怯えるが、なんとか勇気を振り絞って話しかける。
「僚介君…。久しぶり。少し、話できるかな?」
「誰?この子??見ない顔だね。」
「りょう君の新しい遊び相手?それとも元カノとか?」
「あははっ。それはないでしょ?スタイルはそこそこだけど、顔地味だし。」
「言えてるっ。りょう君のタイプじゃないもんねぇ~?」
僚介君を囲ってる女子たちはまるで誰も近づけまいと共同戦線を張ってきて、私はどうしようかな…と考えた。
その間も私に対する罵声が女子たちから飛び交う。
普通の女の子だったら耐えられなくなって退くかもしれないけど、私にとったら可愛い方の部類に入り、まるで騒音の一部にしか聞こえない。
井坂君に群がる女子たちのおかげで、こういうことには免疫ついたなぁ…
すぐ泣いて怯えてた昔の自分が嘘みたい
ちょっとした自分の成長に誇らしくなりながら、どう切り抜けたものかと顔をしかめたら、黙ってた僚介君が動くのが見えた。
「もう帰れよ。」
え?
私は自分に言われたのだと思い悲しくなったが、僚介君は周囲の女子たちに向かって再度口にする。
「いいから帰れって。もう用はねぇから。」
「え?りょう君…、何言ってるの?」
「そうだよ。なんで私たちが帰らなきゃならないの?」
僚介君の冷たく発せられた言葉に周りの女子たちが騒ぎ出す。
私は責められている僚介君を見ながら、何も口を出す隙がなくて見ている事しかできない。
「うるさいな。用ねぇっつってんだろ!?さっさと帰れよ!!これ以上、詩織を侮辱する言葉なんか聞きたくもねぇ!」
「何それ…。」
僚介君が思いっきり拒絶することを言ったことで、女子たちが悲愴な表情を浮かべながら僚介君から離れていく。
そのとき、何人かの女子から睨まれた気がしたけど、気にしないようにして怖い顔をしている僚介君に一歩近づいた。
「僚介君…。」
「詩織、悪い。また中学のときみたいに、嫌な思いさせちまった…。」
僚介君は私から視線を逸らすと俯いて肩を落としてしまう。
私は私のために怒ってくれた僚介君に胸が温かくなって、女子に囲まれてても僚介君は何も変わってないことにほっとする。
「ううん。私、ああいうのは慣れっこだから平気。それよりも僚介君…、私ちゃんと話をしなくちゃって思ってて…。」
「話?……それって、あいつから何か聞いた?」
「あいつ?」
僚介君が少し目を大きく見開いて顔を上げてきて、私は『あいつ』が誰を指すのか分からず訊き返す。
「え、詩織の彼氏だけど…。」
「井坂君??ううん、何も聞いてないけど…、え?何かあったの?」
私は二人に何があったのか気になった。
でも僚介君は話してくれないようで顔を背けて「いや…。」と口を噤んでしまう。
それを見て、私はふっと息を吐いて、言いたかったことを口にした。
「僚介君。私、僚介君に好きだって言ってもらえて、すごく嬉しかったよ。」
これに僚介君が食い入るように私を見つめてくる。
私はその目を見つめ返して、胸がジクリと痛くなってくる。
「その気持ちを返せないことが…本当に心苦しいんだけど…。僚介君を好きだったあの頃の気持ちは嘘じゃないから。私の初恋はちゃんと僚介君に届いてたんだって思うと、すごく…すごく嬉しい。」
「詩織…。」
私は僚介君の表情が嬉しそうに緩むのを見て、心からの気持ちを伝える。
「だから、僚介君にはこれから先、絶対に幸せな恋愛をしてほしい。」
ここで僚介君の表情が強張る。
私はどうか届いてと願いながら、言葉を続ける。
「大好きだった人だから…。私以上に幸せになって欲しい。自分を傷つけるようなことをしないで…、たった一人の…この人しかいないって人と…。」
「だから、俺はそれが詩織がいいって―――」
「ごめん!!それは叶えてあげられないから!!」
僚介君の熱い気持ちに歯止めをかけようと、私は食い気味に断る。
「中学の…あのときだったら、叶えてあげられた…。でも、今の私には僚介君よりも大好きな人がいるの。それはこれから先何があっても変わらない。だから、お願い…。どうか、分かって…。」
私は涙が出そうになるのをギュッと眉間に皺を寄せて我慢した。
ここで泣くのは私の立場ではない。
すると僚介君が悲し気に眉を下げてから言った。
「………それは…、絶対?」
「うん。……ごめん。」
私は精一杯の気持ちを込めて謝った。
それが僚介君に伝わったのか、大きなため息が聞こえたあとに、少しだけ僚介君が笑った。
「分かった。大好きな子のためだもんな…。そのお願い、叶えられるように努力するよ。」
「僚介君…。ありがとう…。」
私は笑顔の僚介君が見られたことに安心して、ほっと胸を撫で下ろした。
するとそこで僚介君の手が伸びてきて、優しく抱き締められ、警戒を緩めたことに慌てた。
「僚介君!?」
「今だけ許してよ。ちゃんと諦めるから。」
諦めるって…
私はそんなこと言われると抵抗できなくて、じっと我慢することにした。
僚介君は少し腕の力を強めると耳元で言う。
「俺に恋を教えてくれてありがとう、詩織。」
私はその言葉の意味がよく分からなくて返す言葉がなかった。
恋なんて僚介君の方が、私の何倍もしてるはずだ。
それなのになんで今?
私は不思議な心地だったけど、とりあえずこれだけは言っておこうと最後にこう伝えた。
「こちらこそ。私に初恋をくれて、ありがとう。」
僚介君に初めて恋をした。
これは変えられない私の過去であり、大事な思い出だ。
辛いと思った時期もあったけど、今はあの頃の自分があったから今の自分がいるとハッキリと言える。
恋するってことがあんなに楽しいものだと知った。
恋するってことがあんなに嬉しいものだと知った。
恋するってことがあんなに苦しいものだと知った。
恋するって事が…あんなに悲しいものだと知った。
僚介君、私に『初恋』をくれて本当にありがとう
僚介君が好きだと言ってくれた言葉に報いるためにも、私は井坂君とずっと幸せでいる。
宣言した通り、絶対に別れたりしない。
だから僚介君もこの人だっていう人と幸せになって…
私はきちんと自分の『初恋』にさよならを告げて、彼の幸せを心から願ったのだった。
ちゃんと僚介と決着をつけました。
次は井坂サイドです。