22、花火大会
私は花火大会までになんとか課題を終わらせると、お母さんにお願いして新しい浴衣を買ってもらった。
お母さんは前にお祭りを行くのを許さなかった罪悪感もあるのか、花火大会に浴衣で行きたいと言うと案外あっさりと許してくれた。
そしてお母さんは着付けもしてくれて、遅くならないように!と念を押されて私は家を出た。
お母さんにはクラスメイトみんなで行くと言って出てきただけに、私は少し後ろめたい気持ちを抱えながら待ち合わせ場所に向かう。
慣れない下駄がカラコロと音を立てて、私は足が痛くならなければいいな…と思った。
そして待ち合わせ場所に指定された花火大会の会場近くの橋に着くと、井坂君がいないか辺りを見回した。
橋の上は花火大会に行く人たちの待ち合わせ場所になっていて、人が多くてなかなか見つけられない。
うーん…どこにいるんだろう…?
私がゆっくりと歩きながら一人一人見ていると、橋の渡り切ったところに井坂君がいるのが見えた。
駆け寄ろうと足を速めると、彼の前に一人の女性がいるのが見えて足を止めた。
綺麗な茶髪のお姉さんで私より3つか4つぐらい年上に見える。
細く長い指で井坂君の頬に触れていて、井坂君は笑顔を浮かべている。
私は仲の良さそうな姿を見ていられなくなって、背を向けると来た道を戻る。
井坂君がモテるっていうのは知っていることだ。
いまさら気にしてたら身がもたない。
私は井坂君の彼女になりたいわけじゃないでしょ…
誰と話をしようと井坂君の自由だ。
私は自分になんとか言い聞かせようとするけど、どうしても自分の容姿と綺麗なお姉さんを比べて情けなくなる。
嫉妬するなんて、間違ってる…
私は井坂君がいる橋とは反対側の端に着くと、欄干を背にしゃがんだ。
来て早々、なんだか惨めだ…
私は大きくため息をつくと、巾着の紐をギュッと握りしめた。
「あれ?谷地さん?」
声がかかって顔を上げると、そこには赤井君をはじめクラスメイトの姿があって、私は目を見開いて固まった。
かち合わないように時間を早めにしてたのに何で!?
私は焦って立ち上がると、とりあえず笑顔を浮かべた。
「み…みんな奇遇だねぇ…。」
「奇遇だねって…今日は用事あるんじゃなかったの?来れないって返事してくれたじゃん?」
「あ、あー…それなんだけど…急に行ける事になってさぁ…。」
私はどうしようと思いながら、何とか言い訳する。
赤井君は不思議そうに首を傾げていて、その後ろからあゆちゃんとタカさんが顔を出した。
「詩織!行けるんなら、一緒に行こう!!」
「そうだよ。夏祭りのとき、しおりんいなくて寂しかったんだから~。」
「あ…あー…と。」
私は二人の目が輝いているのを見て、行けないとは口に出せなくて汗がでてくる。
ど…どうしよう…ホントにどうすれば…
私はあゆちゃんたちからのプレッシャーに泣きたくなってくる。
「あ、井坂!!」
島田君が顔を横に向けて指をさして、私は咄嗟にそっちを向いた。
そこには井坂君がこっちに向かって歩いてきていて、呼ばれたことで驚いたように足を止めている。
私は井坂君に助けてもらおうと目で訴える。
井坂君はちらっと囲まれてる私を見ると、少し顔をしかめながら近づいてきた。
「よう。みんな揃ってるんだなぁ~。」
「おいおい。揃ってるんだなぁ~じゃないだろ!?お前、今日は来れないって言ってなかったか!?」
「あぁ。それなぁ、急に行けるようになったんだよ。悪いな。」
井坂君は赤井君と島田君の前まで来ると、いつも通り平然としている。
「はぁ!?そういう事ならメールしろよ!っつーか谷地さんと同じような事言ってさぁ…意味分かんねぇよ。」
赤井君が飽きれた様にため息をついていて、私は二人で花火大会は諦めた。
それは井坂君も同じようで、渇いた笑いを浮かべながら「いいじゃん。」と言っている。
「じゃあ、これでみんな揃ったな。行くぞ!花火大会!!」
赤井君が元気に声を上げて先導するように歩き出した。
私は両脇をあゆちゃんとタカさんに挟まれると、前を歩く井坂君の背中を見つめた。
「詩織!浴衣似合ってるじゃん!!最初の頃に比べたら、本当にオシャレになったよねぇ~。」
あゆちゃんがピンクの浴衣姿で、保護者のような顔をして頷いている。
「本当だよ!しおりん、可愛くなった。恋の力かなぁ~?」
タカさんが茶化すように言ってきて、私は赤面してタカさんを叩いた。
「やめてよ!そんなんじゃないから!!」
「痛いよ!ただの冗談でしょ?」
「ご…ごめん。」
「その反応は図星だね~?やっぱ可愛いね~詩織は!」
タカさんとあゆちゃんに交互に冷やかされて、私は花火が始まる前から疲れてきたのだった。
***
花火が始まるまで露店でも回ろうということになって、クラスメイトたちがバラけていく。
井坂君は赤井君や島田君に囲まれていて、私は今日一言もしゃべってないな…と気分が落ちた。
さっきの女の人の事も気になるし、せっかくの花火大会なのに心から楽しめない。
「しおりん!一緒に風船すくいの勝負しよう?」
「うん。いいよ」
私はタカさんに誘われて風船すくいの露店に足を向けた。
露店のおじさんにお金を払うと、タカさんと一度顔を見合わせてから「よーい、スタート!」で勝負を開始した。
私は浴衣の袖を捲ると、慎重に水の中に針を落とす。
そして狙ったゴムに針を移動させて、ひっかかった瞬間に持ち上げた。
水から風船が持ち上がって、やった!!と思ったら、紐が切れて落ちてしまった。
「えぇっ!?」
「はーい。残念だったね~。」
露店のおじさんの声が嫌味に聞こえてキッと睨みつける。
「やった!私の勝ち~!!」
横でタカさんがピンクの水風船を持っていて、私は悔しくて顔をしかめた。
「タカさん、夏祭りにもやってるから感覚が残ってるんだよ!ずるい!!」
「それは来なかったしおりんが悪いんでしょ?勝負は勝負だからね。私の勝ち!」
「ぶーっ!!」
勝ち誇ったタカさんにムカついて、私はブーイングを言って立ち上がった。
タカさんが私の肩を叩いて笑顔を向ける。
「まぁまぁ、勝負ならいつでも買ってあげるよ?」
「もう勝負はしない!!」
私はタカさんにイーッとすると、人混みに紛れるように足を速めた。
ちょっとぐらい手加減してくれてもいいのに!!
私はムカムカしながら露店の立ち並ぶ道を進む。
そして、しばらく進んだところで怒りが収まってきて、ふと後ろを振り返った。
後ろにはタカさんの姿も、クラスメイトの姿もなくて、私は背筋がサーっと冷えてきた。
ヤバい…怒りに任せて歩いてきたらはぐれちゃった…
私は慌てて来た道を戻る。
すると放送で「間もなく開始いたします。」という案内のアナウンスが響いて、私はさらに焦った。
ほんっとにヤバい!!花火を一人で見るとか悲しすぎる!!
私は人の流れが花火の会場に向かうのに逆らって、みんなの姿を探した。
誰か一人でも見つけられたら安泰なので、クラスメイトの姿を浮かべて周りを見回す。
すると遠くに背の高い赤井君の横顔が見えて、ホッとした。
手を挙げると彼に声をかけようと息を吸いこむ。
「あかー」
「谷地さんっ!!」
私が赤井君を呼びかけると、挙げた手を掴まれて井坂君が汗だくで横にいた。
私は口を開けたままポカンと井坂君を見つめて固まると、井坂君が掴んだ手を引っ張った。
「こっち!!」
「えっ!?―――へっ!?」
井坂君は赤井君のいる方向とは逆方向に進んでいく。
私は後ろを気にしながらも、井坂君に手を引かれたまま足を速める。
繋いだ手がじわじわと汗をかいてきて、私は手を放したいような、放したくないような複雑な気持ちだった。
しばらく人の流れに沿って進んでくると、井坂君は辺りを見回してから立ち止まった。
周りを大人の人たちに囲まれて、花火大会の会場に着いたようだった。
いる場所はとても窮屈で井坂君と肩が当たってるのが、すごく気になる。
井坂君は少し上がった息を整えると、私の顔を覗き込んできてキュッと口角を持ち上げた。
「やっと約束守れたな。」
「あ…うん。そうだね。」
私は約束のためにここまで来たんだと思って、少し気持ちが落ち着いた。
二人で手を繋いでクラスメイトから逃げるなんて、マンガやドラマのようで愛の逃避行かと思ってしまった。
ただの自分の勘違いに自然と顔が熱くなってくる。
私は恥ずかしくて顔を隠すように俯くと、まだ手を繋いでることに気づいて体温が一気に上昇する。
心臓もバクバク鳴り始めて、汗をかいた手が湿ってヌルヌルしてくる。
手汗のすごい子だって思われたらどうしよう…
私は手を放したくなってきて、少し指を動かした。
すると力強くギュッと握られて、私は反射的に顔を上げて井坂君を見つめた。
井坂君はまっすぐ前を見ていて、私とは目が合わない。
何を考えてるんだろう…
私は井坂君の考えてる事が分からなくて、ただ彼の横顔を見つめる事しかできない。
そのときドンと大きな音がして、一発目の花火が空に舞い散った。
私は目を井坂君から空に向けて、パッと広がる花火に欲張りな気持ちが顔を出した。
私のこと…どう思ってる?
こういうことって…どんな女の子にもするのかな…
私は井坂君の気持ちが知りたいと思い始めて、花火よりも井坂君の表情が気になって仕方がなかった。
***
花火が終わると人の流れが駅へと向かっていって、私は花火の前から黙ったままの井坂君が気になっていた。
手も繋いだままだし、何を考えているのか全く分からない。
それに慣れない下駄で走ったことで、私の足が徐々に悲鳴を上げ始めていた。
自然と歩幅が小さくなって、井坂君の歩くペースも落ちる。
合わせてくれているというのが分かるだけに、自分が情けなくて歯を食いしばる。
私は意を決して息を吸いこむと、井坂君に声をかけた。
「井坂君。ちょっと先に行っててもらってもいいかな?」
「え?」
私は井坂君の手を煩わせたくなくて、笑顔を作った。
井坂君は驚いた顔で見つめてくる。
「先に行くって…どういう意味?」
「その…私…歩くの遅くなってるし…、帰るの遅くなっちゃうから…。」
私は足が痛いなんて言えなくて、笑顔を崩さずに適当に誤魔化した。
「遅くって…俺は別にどんだけ遅くなっても大丈夫だけど―――」
井坂君はそこまで言うと、何かに気づいたのかバッと視線を下げた。
「まさか…足。」
井坂君が小声で呟いて、私はバレた事に体がビクッと震えた。
手を繋いでいたので、それが井坂君に伝わってしまい、井坂君は辺りを見回して、私を引っ張った。
「こっち。」
井坂君が連れて来てくれたのは、自販機の横のベンチだった。
私はそこに座らされると、井坂君が手を放して目の前にしゃがんだ。
そして下駄に手をつけようとするので、私は慌ててそれを遮った。
「だ…大丈夫!!そこまでしてくれなくても、平気だから!!こんな事もあるかと思って、絆創膏持って来てるし!!」
私は巾着から絆創膏を取り出すと、自分で下駄を脱いで貼ることにする。
下駄を脱いでみて、鼻緒の当たる部分から薄く血が出てるのが見える。
見ただけで痛くなってきて、私は顔をしかめると絆創膏のシールを剥がす。
「貸して、やるから。」
井坂君がいつかのように私の手から絆創膏を奪ってしまって、私は歯向かう事もできないまま井坂君が貼ってくれるのを見つめた。
井坂君のゴツゴツした手が私の足に触れて、足から電流が走るようだった。
またじわじわ鼓動が速くなってきて、顔が真っ赤になってくる。
私は昔に読んだ童話のお姫様みたいだと思って、両手で顔を隠した。
井坂君は気にもしてないのか、絆創膏を何枚も両足に貼ってくれると下駄まで履かせてくれた。
「はい。できたよって…どうかした?」
井坂君が真っ赤になって顔を隠してる私を見て訊いてくるので、私は何とか呼吸を整えると口に出した。
「こ…こんな事されたの初めてで…。すごい…恥ずかしい…。」
「あ…。」
私は今にも死ぬんじゃないかと思うほど、心臓が爆音を奏でていて井坂君が見れない。
井坂君は急に立ち上がると焦ったように両手を体の前で振った。
「ごっ…ごめん!!俺、姉貴によくやってたから、そのノリで!!嫌だったよな!!ほんっと悪い!!」
井坂君が相当慌てている声を聞いて、私は手の隙間から井坂君の顔を覗き見た。
井坂君は私と同じくらい真っ赤になっていて、その姿がすごく可愛く見えた。
私は息を深く吐き出すと、気持ちを落ち着けて首を振った。
「ううん。嫌じゃなかったよ。ただ、恥ずかしかっただけで…。手当してくれて、ありがとう。」
私が笑顔でお礼を言うと、井坂君は安堵したように肩を下ろした。
「井坂君、この間会ったお兄さんだけじゃなくて、お姉さんもいるんだね。」
私はまた気まずい空気にならないように、気になったことを尋ねた。
井坂君はいつもの表情に戻ると軽く頷いた。
「あぁ、うん。大学生で今は家にはいないんだけど、さっき谷地さん待ってるときに会ってさ。ホント見た目だけ大人になって、中身子供のまんまで笑ったよ。」
それを聞いて井坂君と楽しげに話す年上の女性を思い出した。
あの人!?
「も…もしかして茶髪のロングで綺麗なお姉さん?」
「あれ?どっかで姉貴に会った?」
「あ、ううん!!そういうわけじゃないんだけど。」
私はさっきの女の人がお姉さんだと分かってホッとした。
なんだ…そっか…
私は自分の勘違いだったと思って、胸が軽くなった。
井坂君は不思議そうに首を傾げていて、私はこれ以上困らせるのは嫌だったので立ち上がった。
「帰ろっか。」
「あ…うん。」
井坂君が笑顔で頷いてくれて、私は同じように笑顔を浮かべた。
今日の花火大会は井坂君に近付けた
そんな気がして今までにないほど嬉しかった。
井坂が末っ子というのは最初から決めてました。
姉はいつか登場する予定です。