211、残りの学校生活
冬休みは井坂君の受験勉強に毎日付き合って過ぎていき、とうとう高校生活最後の学期へと突入した。
三学期といっても、学校に来るのは始業式のある今日と月一登校日、それにあとは卒業式の予行練習日と当日だけという数えられる日数だ。
受験を終えた私は一応毎日学校はあるのだけど、クラスのほとんどはセンター試験受験なので、指定された日以外は学校に来ない。
そこに井坂君も該当するため、私は明日からは一人か…と思いながら気分が下がる。
寂しくなるなぁ…
私は明日からが全然楽しみじゃなくなって、大きくため息をつく。
すると大掃除中で中庭掃除に行ってたはずの井坂君がいつの間にか教室に戻ってきていて、私の目の前に立っていた。
「どした?元気ないな?」
井坂君は戻ってきたばかりなのかマフラーと手袋をした状態で、少し前髪が立っている。
私はそんな姿が可愛いと胸キュンしながら、寂しくなる気持ちを堪えて少し顔をしかめる。
「別に…。何もないよ。」
私はまだ会おうと思えば会えると自分に言い聞かせて、寂しい気持ちを見透かされないように井坂君から目を逸らす。
するとその顔をガシッと冷たい手に掴まれて前に戻される。
「嘘つけ。その顔は寂しいって顔だろ?」
「井坂君っ、冷たい!」
「いいじゃん。あっためてくれよ~。」
井坂君は楽しそうに「うりうり。」と言いながら、悪戯っ子みたいに冷たい手を首にまで当ててきて、寒くなってくる。
「つめたっ!もうっ!!あゆちゃーん!」
私がやめてくれない井坂君に困ってあゆちゃんに助けを求めると、あゆちゃんが箒の柄を井坂君に突き付けて怒鳴る。
「井坂!!掃除の邪魔しないで!詩織の事が可愛くてしょうがないのかもしれないけど、そういうのは帰ってからにしてくれる!?」
「かっ!?可愛いくてしょうがないとかじゃねぇし!!何言ってんだ!!」
井坂君はあゆちゃんに怒鳴られるとすぐに手を放してくれて、真っ赤な顔で反論し始める。
私は冷えた首元を自分の手で温めてほっとしながら、二人の言い争いを見守る。
「ウソばっかり。赤井から全部聞いてるんだから。プロポーズまで済ませたクセに。」
「はぁ!?プッ、プロポーズ!?!?!」
「えっ!?」
私と井坂君は、あゆちゃんのビックリ発言にあゆちゃんを食い入るように見つめる。
あゆちゃんは箒を肩にのせて偉そうに笑っている。
「ふふっ。クリスマスに真っ白な花束もらったんでしょ?まるで結婚式のブーケみたいな花束。いいよねぇ~、プレゼントに花だなんて高校生男子の考えつくことじゃないよ~。」
あゆちゃんはニヤッと笑って井坂君を目を細めて見つめ、井坂君は何か言いたげに口をパクつかせたあと、赤井君を鋭く睨み始める。
私は話してないはずのことをあゆちゃんが知っているのが不思議で、真っ赤な顔のまま頭が混乱してくる。
「赤井!!どっから花のこと聞いた!!」
井坂君が怒りながら教卓を拭いていた赤井君に詰め寄っていき、赤井君が目を丸くしながら半笑いを浮かべる。
「おいおい。怒るなよ。お前のお母さんが、ウチの母さんに話したらしくて、母さんが『拓ちゃんは真面目なお付き合いしてるのね~』って俺を牽制するネタとしてしゃべったのを、小波も傍で聞いてたってだけの話だぞ!?俺は何もしゃべってねーよ!」
「…っ!!っそ、母さんめ…。」
バレた経緯を赤井君から聞き、井坂君は真っ赤な顔で、ぶつけようのない怒りを抑え込もうと拳を握りしめている。
私は恥ずかしかったけど、どこか他人事のように、井坂君のお母さんと赤井君のお母さんは仲が良いんだな~なんて呑気に思っていた。
横ではあゆちゃんが「羨まし~よね~。」なんて新木さん達とからかってくる。
だから、話が大きくなる前に、とりあえずプロポーズの話だけは否定しようと「結婚の意味の花束じゃないから。」と冷静に伝えた。
まぁ、否定した所で全くといって納得してもらえなかったけど…
***
そうして大掃除のあった始業式の日がガヤガヤと賑やかに過ぎていき、次の日からはあの賑やかさが嘘のように教室内は閑散として静かになった。
他の普通クラスは専門学校受験の人も多いのでまだクラス内の人数も多いけど、進学クラスである私たち9組と人文系の1組は両手で収まる人数しか教室にいない。
今日学校に来ているのは、私と同じ大学に合格が決まっている赤井君はじめ、公募推薦等で合格を決めた内村君と仲の良いメンバーの一人を含む男子五人。
そして女子は私だけ…という計七人だ。
赤井君はいつも仲の良いメンバーが誰もいないので、話し相手を求めて私の所にやってくる。
「なぁ、俺らってさ学校来てる意味あんのかな?」
「?なんで?一応、出席日数とか関係あるんじゃないの?」
「う~ん…。もう合格決まってんだから、今さら関係あるかな~?っつーか、授業だってプリント配られてそれやるだけじゃん?先生らの怠慢具合もどうかと思うんだよな。」
「まぁ…、それはちょっと思うけど…。」
私は机の中に溜まっているプリントを思い返して頷いた。
すると赤井君ははーっとため息ついて、不服そうに顔を歪める。
「授業時間もいつもの半分ぐらいだし、バイトでも始めようかなぁ…。」
「バイト?」
「うん。これから大学行ったら金かかるから、どうせ向こうでバイトしなきゃならないと思うんだけどさ。今から少しでも資金溜めとこうかな~…なんて。小波に会いに行く交通費もいることだしさ。」
赤井君はちょっと彼氏っぽい思いやりを口にしていて、私は赤井君なりにあゆちゃんのことを考えていることに感動してしまった。
「いいんじゃないかな。あゆちゃんがバイトの理由知ったら喜ぶと思うよ。」
「だよな。うっし、じゃあ早速探してみるか~。」
赤井君は乗り気になったようで笑っていたと思ったら、急に「あ!」と私を指さしてくる。
「谷地さんもやったら?バイト。」
「私?」
「うん。これから井坂と会う金必要になってくるだろ?今からバイトしておけば、ゴールデンウィークと夏休みに帰る金ぐらいは確保できるんじゃねぇかな。」
そっか…
私も春になったら井坂君と離れるんだもんね…
会うお金は必要になってくるか…
私は最近幸せ過ぎて離れる現実から目を背けていたので、ここでバイトでもして一人で立つ覚悟を固めるのもいいかもしれないと思った。
お金も溜まるし一石二鳥だ。
「そうだね。やってみようかな…。」
「お!じゃあ、今日にでも一緒に探しに行こうぜ?」
「え…、赤井君と一緒に?」
私はてっきり赤井君は赤井君で自分に合ったバイト先を探すもんだと思っていたけど、赤井君は違ったようで当然のように言う。
「だって、谷地さん一人でバイトさせたら俺が井坂に怒られるだろ。俺が誘ったんだし、そこは井坂を安心させてやんねーとな。」
「……、私そこまで心配?」
私は赤井君にまで心配されているのだろうか…と不思議で尋ねると、赤井君は笑いながら首を横に振る。
「違う違う。谷地さんの周囲がって話。井坂の目が届かない状態では、親友の俺があいつの力になってやらねーとな。俺って友達思いだろ?」
赤井君はどやぁといった表情でふんぞり返って、私はその姿におかしくて笑ってしまう。
要は井坂君のために、井坂君の彼女を親友である自分が守るってことなんだよね…
ここで一人でも大丈夫って言う事もできるけど、赤井君がそうしたいって言ってくれてるんだから断るのも厚意を無下にしちゃうし…
ここは言葉に甘えておこう
私は少し考えたあと一緒にバイトする意思を伝えて、早速赤井君とバイト探しを始める運びとなったのだった。
***
それから赤井君と二人であまり仕事の内容が難しくなさそうな部類のバイト先を探してみて、スーパーのレジ打ちとかいいんじゃないかと高校の傍のスーパーで面接をお願いしてみたところ、快く面接してもらえることになった。
面接は明日。
履歴書と親の許可を得る事、あとは学校の許可もいるという話を聞いて、私は赤井君と並んで帰りながらダメかもしれない…と思っていた。
「私、バイト無理かも。」
「え、なんで?」
「だって、ウチの親が許してくれる気がしない。」
「あー…厳しいんだっけ?」
私は苦笑している赤井君を見て「うん。」と落ち込んだ。
「まぁ、ダメでもさ。一回聞いてみれば?案外軽くいいよって言ってくれるかもしれないしさ。」
「う…ん。まぁ、そうだね。」
私は赤井君の明るい笑顔に背中を押されて、とりあえず聞くだけ聞いてみることにした。
そうして、聞いてみて私はお母さんからの返事に驚くことになったのだった。
「いいわよ。どうせ、やることもないものね。」
「え!?いいの!?」
私はまさか許可が下りるなんて思わずに、声が裏返りそうだった。
お母さんは洗濯物を畳みながら、平然と言う。
「大学に行ったらどっちにしろやることになるだろうし、まだ私たちの目の届く間に少しでも慣れてもらった方が心配も減るもの。それに、ずっと井坂君のお宅にいられるとお父さんの機嫌も良くないから。まだバイトだって方がいいわ。」
「あ…、………うん。」
私はお母さんの意味深な言い方に、上手く返事が返せない。
これ…どういう意味に捉えたらいいのかな…
お父さんが井坂君との事…良く思ってないのは分かるんだけど…、お母さんは…?
私はそこがすごく気になってしまって、つい口から疑問が飛び出す。
「や…やっぱり、井坂君の家ばっかりいるのは…ダメ…?」
私の問いにお母さんは洗濯物を畳む手を止め、まっすぐな瞳で私を射抜いてくる。
私はそれに少し怯えながら身構える。
「ダメなんて思ってないわよ。ただ。何してるのかな~とは思うけど。」
!!!!
私は何か勘付かれてるのだろうか…と心臓がビクついて、嫌な汗が吹きだしてくる。
それを表情に出さないように我慢するけど、お母さんはお見通しなのかふっと微笑んで驚くことを口にした。
「まぁ、子供だって思ってても男と女だものね。しょうがないかなって思ってるところはあるから、安心しなさい。」
「!?!?えっ!?」
私は声が小さく裏返り、泣きたくなるぐらい緊張がピークに達する。
お母さんはそんな私を見て声に出しながら笑うと、楽しそうに言った。
「詩織。お母さんだって女よ?詩織の気持ちはよく分かってる。バイトだって井坂君のためなんでしょう?」
「…う、うん。」
「なら、自分は正しい事をしてるんだって胸を張りなさい。お父さんに気づかれたら面倒よ?」
お母さんの言い方から、お母さんは私と井坂君の事を全部分かっていて、見逃してくれていたのだと気づいた。
分からないフリをしながら、井坂君が真面目だと何度もお父さんを宥めて、私たちを応援してくれていた。
私はさりげないお母さんのサポートに胸を打たれて、目の端が涙で滲んでくる。
お母さんには一生敵わないや…
私は上を向いて涙を引っ込めると、大きく息を吸ってからお母さんを見つめ返した。
「うん。ありがとう、お母さん。」
「いいのよ。バイト頑張りなさいね。」
お母さんからの優しい応援を聞き、私は力強く頷いた。
そうして私と赤井君は次の日、無事面接を終え、学校生活の傍らバイトと両立させることになったのだった。
詩織の母も出て来た当初と比べると変わりましたね~。
次回から詩織がバイトを始めます。