208、自然な流れ
「何それ!?」
明日はもう大晦日という日、私はナナコの家で僚介君とのことを報告していた。
ナナコは話を聞き終えるなり、拳を握りしめながら怒って、今にも僚介君に殴りかかりにいきそうな空気を放つ。
「ナナコ…、落ち着いて…。今のところ、僚介君はウチに来てないから…。きっと、私の気持ちが伝わってるからだと思うんだけど…。」
『また会いに来る。』と言っていた僚介君は、あれから私の前には現れていない…
井坂君も話をつけると言ってたものの、僚介君が現れなくて「臆病風に吹かれたかな。」と不敵な笑みを浮かべて言っていた。
だから、ナナコには変に気を揉んで欲しくなくて、私はなんとか宥める。
「そうだったらいいけどさ!なんって自分勝手な奴なの!?あいつほんっと大っ嫌い!!」
「ナナコ…。」
ナナコはイライラしながら勉強していたノートにペンを投げつける。
私はノートの上で跳ねたペンを見つめ、苦笑いを浮かべて言葉を選ぶ。
「私はもう何も気にしてないから…。一番怖かった井坂君も、言ったら怒ると思ってたんだけど…思ってたよりも怒らなくて…、ケンカにならなかったことに救われたっていうか…。」
私は僚介君のことよりも、井坂君のことが気がかりだっただけに、井坂君が心広く受け止めてくれたことに、本当に感謝した。
一時期のときみたいに別れる事になるかも…と覚悟しかけたけど、井坂君がそんな気持ちにならなかったのが今は一番安心していることだ。
ナナコは私がそう話すと、いつの間にか怒る顔を緩めて意味深に微笑んでいる。
「ふ~ん…。しお、井坂君にすごく愛されてんだねぇ…。」
「え!?」
私は『愛されてる』発言にビックリして、ぼっと顔が熱くなる。
ナナコはそんな私の反応が面白いのか、ニヤニヤ笑いながら続ける。
「普通だったら、昔の男と二人でいるなんて怒って当然だと思うけど。井坂君はそれを簡単に許してくれたわけでしょ?そんなの愛がなきゃできないって。」
「愛…。」
私はナナコから言われて、あの日のことを思い返して顔が熱くて逆上せそうになる。
あの日、怒ってるかと思った井坂君からの謝罪を聞いてから、優しく何度もキスされて、私は井坂君からの『愛』を確かに感じた。
井坂君は私が思う以上に、きっと私のことが『好き』
それが私の自信になったけど、でもそれと同時に突き放されるのが怖くなった。
井坂君だって私をいつまで優しく許してくれるか分からない。
いつ愛想を尽かすかも分からない。
それなら今は井坂君が望むことをできる限りしてあげたい
彼の心をこのまま繋ぎとめるためにも…
私はそう思って、井坂君がキスして欲しいと言うからその通りにしたのに…
まさかあんな感想がでるなんて、今でも信じられない
思い返すだけで、恥ずかしくなってくる
私はイチャついてたあの日を思い返して、顔の熱が下がらず手で顔を隠す。
すると、ナナコが「幸せそうでなにより。」と言って、私はなかなか顔が元に戻らなかったのだった。
***
そうして私がナナコと雑談しながら、ナナコの受験勉強に付き合っていると、ケータイが震えはじめて、井坂君からの着信を知らせた。
私はナナコに「ごめん。」と言ってから、少し離れて電話に出る。
「もしもし?」
『あ、詩織?今、どこにいる?俺、島田たちとの勉強会終わってさ。時間できたんだけど。』
今日は島田君と北野君、それに赤井君も交えて受験勉強会を実施すると聞いていた。
私は時間を見て4時過ぎだと確認すると、早く終わったんだなぁ…と思いながら返事する。
「お疲れさま。私はナナコの家にいるよ。ナナコの勉強見てあげてて…。」
『あ、そっか。じゃあ、今日は無理か。』
「えっと…。」
電話越しでも明らかにがっかりしてるのが伝わるので、私はナナコの顔を見て、どうしようかと考える。
すると何かを察したのかナナコが「行けばいいよ。」と小さく言ってくれて、私は顔だけで「ごめん。」と伝えると井坂君に言った。
「ナナコがもう大丈夫だって言ってるから会えるよ?」
『マジ!?じゃあ、迎えに行く!!そのナナコさん?の家は詩織の家の近くだよな?』
「よく知ってるね。」
『うん。西門君から色々聞いたからさ。』
「へぇ…。」
私はいつの間にか仲良くなってる西門君との関係に内心驚く。
『それで、そのナナコさんの家はどう行けばいいの?』
「え、ここまで迎えに来てくれるの?」
『だって、寺崎が来たら困るだろ。』
私は井坂君のナイトのような発言に胸をギュッと掴まれて、今すぐにでも飛んで会いに行きたくなってしまう。
もう、井坂君は…
私は嬉しくて緩む表情筋を堪えると、冷静を装って返す。
「ありがと。えっと…ナナコの家は、私の家から斜め向かいの道を入って右に進んでくれたら『木崎』って表札の家が見えると思う。この辺『木崎』の名字はナナコの家しかないから迷うことはないと思うんだけど…、もし分からなかったら近くに来た時にまた電話して?」
『了解。俺が行くまでそのナナコさんの家から出るなよ?』
「…分かってるよ。」
私は井坂君の過保護な言葉にまで嬉しくなって困ってしまう。
そうして「後でね。」と電話を切ると、ナナコがニコニコしながら言う。
「迎えに来てくれるんだ?井坂君やっさしいねぇ~。」
「……ちょっと過保護かなと思うけどね。」
私が嬉しいのを顔に出さないようにして答えると、付き合いの長いナナコは私のそんな気持ちを見透かしてくる。
「嬉しいくせに。天邪鬼なんだから。」
「……う、まぁ……。ね。」
私はナナコにはお見通しだなぁ…と苦笑すると、ナナコも嬉しそうに笑う。
「やっぱり井坂君で良かった。」
「?何が??」
「しおが好きになったのが。」
「今更??」
私は急になんの話かと笑うと、ナナコは勉強する手を止めて優しく目を細める。
「だって、私、今のしお見てるの好きだからさ。」
私はナナコから『好き』と言われて、少し照れくさくなる。
「中学の時はしおが好きになったんだからって、あまり良く思ってなかった寺崎とのことを応援したけど。今は心の底から、しおと井坂君のこと応援してるよ。遠距離になっても、きっと二人なら大丈夫。私が保証する。」
私は一番の親友から『大丈夫』と励まされて、胸が熱くなってくる。
離れることが不安だった気持ちに少しだけ温かさが宿る。
「私も受験頑張って、しおと同じ桐來…は難しいけど、同じ関西の西安女子には受かるつもりだから。だから、井坂君と離れて不安になったら、いつでも頼りに来てよね。」
ナナコの頼り甲斐のある姿に、私はすごく嬉しくなってナナコに抱き付いた。
「ありがと。ナナコ。私もナナコを支えられるぐらい、強い女子になる。」
「え?それは無理でしょ?」
「え!?無理じゃないよ!!」
良い言葉の後にからかってくるナナコに、私は真っ向からぶつかった。
ナナコはケラケラと楽しそうに笑って、私も笑顔が漏れる。
そうして二人で笑い合っていると、ダダダダッと階段を激しく駆け上がる音がして、ナナコの部屋の扉がノックもなしに開けられた。
「那々!!!イッ、イケメンが訪ねて来たけど!!!あれ誰なんだ!?」
扉を開けて部屋に飛び込んできたのはナナコのお兄さんで、トレードマークの黒縁メガネをずり下げた状態で肩を上下させている。
余程驚いたのが見てとれたが、『イケメン』という言葉に私もナナコも見当がついて冷静に返す。
「お兄ちゃん。それ、しおの彼氏。」
「は!?しおちゃんの彼氏!?!?あのイケメンが!?」
そこそこカッコいいナナコのお兄さんは、黒の短髪をグシャグシャっと両手で掻きむしって、私を大きな瞳で凝視してくる。
私は上着を持って立ち上がると、私と同じくらいの背丈のお兄さんに「そうなんです。」と教える。
するとお兄さんが「信じらんねぇ!?」と、芸人さんのように頭を抱えたままその場に倒れ込む。
ナナコのお兄さん…いつもどこか残念だなぁ…
私はお兄さんに会うたびに思う感想をまた浮かべ、ナナコに「また来るね。」と別れを言って手を振る。
ナナコも「仲良くね~。」と言って手を振ってくれる。
それを見て部屋を出て玄関に向かうと、出るときにナナコのお母さんに一言「お邪魔しました。」と言ってから外に出る。
すると井坂君が寒そうに肩を縮めて、上着のポケットに手を入れた状態で立っていて、私は待たせてしまったかな…と小走りで駆け寄った。
すると井坂君が嬉しそうに笑って私に片手を差し出してくる。
「ホントに近かったな。全然迷わなかった。」
「そうでしょ。ナナコとは小学校から…いや、下手したら物心ついたぐらいから一緒だから。これこそ、家の近さがなせるわざだよね。」
私は説明しながら井坂君から差し出された手を繋ぐ。
井坂君は私の説明がおかしかったのか、お腹を抱えながら笑い出す。
「はははっ!どうりで幼馴染が仲良しなわけだ。」
「井坂君だって赤井君と仲良しじゃない?」
私は少しカサついた井坂君の大きな手の温もりに幸せを感じてると、井坂君が繋いだ手をまたポケットに戻して、更に温かくなる。
「まぁな~。赤井とはもう腐れ縁だもんなぁ…。まぁ、それも高校で終わりだけど。」
井坂君がここで少し寂しそうに遠くを見つめて、私はその横顔を見ながら訊く。
「やっぱり、赤井君と離れるの寂しい?」
「えぇ?赤井と?まさか!!あいつとは離れたって平気だよ。」
「そうなの?」
「うん。っつーか、詩織と同じ大学なんだから、離れたって絡んでくるだろ。あいつ。」
井坂君が赤井君の性格を熟知してるのか、楽しそうに笑って言う。
その顔が偽りのないものだと感じて、さっきの寂しそうな顔は何だったのだろうかと不思議になる。
「それよりも…、やっぱ、詩織と離れるのが嫌だなぁ…。」
ボソッと小さな声で呟く声がして、井坂君の横顔を見つめると、井坂君は歩みを止めてじっと私の方を見つめてきた。
「今から、ウチ来る?それとも詩織ん家がいい?」
「え…。っと…、どっちでもいいけど…。ウチは家族みんないるよ?」
私は普通に訊いてきた井坂君の表情から、さっきの呟きは流した方がいいのか…と普通に返すと、井坂君はプッと吹きだすように笑う。
「っふ、それって…、俺の良いように解釈してもいいの?」
「え?解釈って…。」
どこか悪戯っ子のように笑う井坂君を見て、私はさっきの返答を思い返してグワッと顔の熱が上がる。
!!!さっきの!!誘ってるみたいな返事に聞こえる!?!?!
私はまったくその気がなかったと言えば嘘になるけど、自然とそんなことを言ってしまった自分が恥ずかし過ぎて消えてしまいたくなった。
井坂君は小さく笑い続けていて、よっぽどツボったのが見て取れる。
「っはは、じゃあ、俺ん家にするか~。今、姉さん帰ってきてて、今夜はどっか食べに行くとか言ってたから、もうそろそろ出て行くだろうし?」
私は井坂君の話を聞きながら恥ずかしくて、井坂君の顔が見れずに口を噤んで顔を背けていた。
すると井坂君が私の耳元で低い声で言った。
「俺は詩織をいただくってことで。」
!?!?!?!
私は心臓が痛くなるぐらい跳び上がると、意地悪に笑う井坂君を瞳が渇くぐらい見つめた。
自分で誘った流れになったとはいえ、これは恥ずかし過ぎる!!!
私はこの言い様のない恥ずかしさから、井坂君を軽く何度も叩いた。
井坂君はそんな私を見てずっと笑っていて、どこまでも欲張りになっていく自分が嫌になったのだった。
平和な日常でした。