204、耳を疑う言葉
「井坂君のご両親は本当にしっかりされた人達だな~。いや、東聖を受けるぐらい頭が良い井坂君のご両親だからそんな気はしてたけど、感心したよ。」
私が井坂君の家から帰ってきて、井坂君のお父さんが井坂君と一緒にお泊りのことを謝ってくれてからというもの、ウチのお父さんはご機嫌で何度も同じことを繰り返す。
私は井坂君のお父さんの配慮様様だな…と思いながら、井坂君のご両親に深く感謝した。
「詩織、井坂君元気になったみたいで良かったわね。」
お母さんが私に温かいお茶を入れてくれながら言って、私はそれに頷いた。
「うん。昨日は本当に倒れちゃったぐらいひどかったから…、今朝あれだけ元気になってくれてて安心したよ。」
「そうね。まさか本人が謝りに来てくれるなんて思わなかったけど、顔色は良かったものね。」
「…うん。」
私はなぜ井坂君まで謝りに来てくれたのかは謎だっただけに、曖昧に返す。
「それにしてもクリスマスプレゼントに花束なんて、井坂君も素敵なことをしてくれるのね。井坂君のお母さんが電話で興奮されてたのが分かる気がするわ。」
お母さんが今は花瓶に入れられている井坂君からの花束に目を向けて言って、私がもらったときのことを思い返して微笑んでいると、お父さんが会話に割り込んできた。
「高校生なのにキザなことする彼氏だな。あの顔で色んな女の子をたぶらかしてきたんじゃないのか?」
「お父さん!井坂君は真面目で素直な良い子よ!?今朝だって見たでしょ?」
お父さんがどうも井坂君自身のことは気に入らないようで、また少し機嫌が悪くなり、お母さんが井坂君の良さを訴えて真っ向から対立する。
私はちらと二人を見ながら様子を窺う。
「井坂君はお父さんに続いて頭を下げてただけだろう?あれだけで良い青年かなんて判断できんさ。」
「もう!!頑固ね!井坂君は病み上がりなのよ!?謝りに来てくれただけで、その好青年ぶりが分かるでしょうに!」
「そんなの自分から来たわけじゃないかもしれないじゃないか。親に言われて渋々謝りに行くか~って場合もある。」
お父さんの見解は若干当たってるだけに、私は目線を下に逸らして口を噤んだ。
「それでもちゃんと来てくれたのよ?高校生にどこまで期待するのよ。」
「そりゃ、勝手に詩織を家に連れて帰って、一晩看病させる自分勝手な奴だぞ!?謝りに来るのは常識だ!常識!!今回はご両親があそこまで真摯に謝ってくださったから許しただけだ!!」
お父さんは余程井坂君が気に入らないようで、そっぽを向いて拗ねてしまう。
お母さんは埒があかないとふうと息を吐くと、私を見て苦笑する。
私はそれに笑みを返しながら、井坂君がウチに来るまでになんとか井坂君の株を上げておかないと…と対策を考え始めたのだった。
***
そして次の日、私はお父さんにさすがに井坂君の家に行ってきますとは言えず、お母さんに協力してもらって友達の家にいるということにしてもらい家を抜け出してきた。
お父さん…、あそこまで井坂君を目の敵にしなくてもいいのにな…
とりあえず今は時間を置いて、小出しに井坂君の良い所を伝えようとこれからの対策を思い浮かべてみる。
すると前から僚介君が歩いてくるのが小さく視界に入り、私は慌てて傍の公園へ駆けこんで身を隠した。
もう会わないと宣言した以上、偶然会ってしまうのも避けたかったためだ。
その公園から通り過ぎるのを覗き込んでいると、僚介君は制服姿で学校帰りなのが見て取れた。
手には西皇の赤本を持っていて一心不乱にそれを見つめている。
その顔がすごく真剣そのもので、私は一生懸命頑張ってることを感じ取った。
でもその僚介君の顔色が少し悪いような気がして、私は少し気になってしまう。
一昨日の井坂君みたいに倒れないといいけど…と思いながら、通り過ぎた僚介君を後ろにまた道に戻ると、後ろでバサッと何かが落ちる音とドサッと重い音がした。
私はまさか…と思い、振り返ると道に僚介君が倒れていて、私は自分の間の悪さに顔をしかめた。
ウソでしょ…?
なんでこのタイミングで…
私は大きくため息をつくと、ちらっと僚介君を見ながら考え込む。
どうしよう…
ここで見捨てると人でなしだよね…
私は誰かいないのか…と周囲を見るけど、こんなときに限って誰も通らない。
なので私は今だけ許して!と井坂君に謝ってから、倒れてる僚介君に駆け寄る。
「僚介君!僚介君っ!!」
私がうつ伏せになって倒れてる僚介君の身体の向きを変えて起こすと、僚介君の顔が険しく歪んでいるのが目に入って体が物凄く熱いのが手に伝わってきた。
私は声をかけても苦しく息をするだけの僚介君を見て、救急車と思ったけど、とりあえず誰かに知らせようと僚介君の鞄に手を伸ばした。
ケータイがあればご家族に連絡できるはず…
私は鞄を漁ってもケータイが見つからず、はたと井坂君がいつも制服のポケットにケータイを入れてたのを思い出して、僚介君の制服のポケットをみた。
するとブレザーの右のポケットからケータイを見つけて、アドレス帳を開いてご家族の名前を探した。
でもどこを見ても『自宅』の文字すらなくて、私は仕方なく知ってる名前の空井君の番号を表示して繋げた。
そうして電話をかけると、空井君はすぐに出てくれて、私は『僚介?』という空井君に事情を説明しようと口を開いた。
「あの、私、谷地です!!」
『え?谷地さん??なんで僚介のケータイ…。』
「うん。あのね、今僚介君が道で倒れてて、救急車呼ぼうかと思ったんだけど、先に誰かに知らせなきゃと思ってケータイを借りたの。でもご家族の名前がなくて…。」
『倒れたって…。マジかよ…。』
空井君は何か予想してたかのようにぼやいて、私は頭に?が浮かぶ。
『谷地さん、僚介どこにいんの?』
「えっと、北公園のすぐ横だよ。中学の通学路の所。」
私がそう伝えると空井君は近くにいたのか『すぐ行く。』とだけ言って電話を切ってしまった。
私は切られた電話を見て、このままここにいろってことだろうか…と動けないことに不満が溜まる。
こんなことなら素直に救急車を呼べば良かった…
私は待ってる間、何かしようと気を失ったままの僚介君を見て、とりあえず楽な態勢にすることと、車が通るかもしれないので道の端に移動することにした。
そうして私が自分の体重よりも重い僚介君を道の端に移動させて、鞄を枕にさせていると、空井君が走ってやってきて、私は思ってたよりも速い到着にビックリした。
「お待たせ。僚介どんな感じ?」
空井君ははーっと息を吐いてから僚介君を見下ろして、私は倒れた経緯を説明する。
「顔色悪いなと思ってたら、急に倒れちゃって…。きっと風邪だと思うんだけど、揺すっても目を開けなくて…。」
「そっか…。谷地さん、僚介と話してたの?」
「ううん。私、公園に隠れてただけで…。」
「………隠れてた??」
私がしたことをそのままを口にしてしまい、空井君は意味が分からない様子で首を傾げる。
私は私と僚介君に何があったか知らない人にとったら、私のしたことは奇行そのものだと気づいて恥ずかしくなった。
でも空井君は僚介君から何か聞いていたのか、「あ、そっか。」と呟くと、寝てる僚介君に手を伸ばして額で熱を測り出す。
「うん、熱あるな。俺、こいつ家に連れて帰るよ。」
「え…。熱あるなら救急車呼んだ方がいいんじゃ…。」
「いや、呼ぶとこいつ親に怒られると思うし…。」
「怒られる??」
私が親に怒られるという言葉の意味が分からないでいると、空井君は苦笑しながら説明してくれる。
「僚介ん家、すげー厳しいんだよ。親、ほとんど家にいねーんだけどさ…。僚介、親に迷惑かけることをホントに嫌がるからさ。救急車呼んでくれてなくて助かった。」
「な…、なんで…自分の親に迷惑かけることそんな嫌がるなんて…。」
私はそういう家があるということが信じられなくて尋ねると、空井君は僚介君の腕を肩に回して背負おうとし出す。
私がそれを手伝って空井君に僚介君を担いでもらうと、空井君は少し悲し気に眉をひそめた。
「僚介ん家は昔からだよ。何か手のかかることすると怒られて、勉強サボって成績が落ちたらまた怒られて…。とりあえず親の思う子供でいないと怒られるんだよ。小さな頃からずっとそれだからさ。僚介自身、誰にも弱みみせられねー人間になっちまっただけの話。」
「そ…そんな…。」
私はそんなのひど過ぎると思って、ギュっと拳を握りしめた。
私は僚介君の笑顔の裏側にそんな事情があるなんて思わなくて、勉強のことで相談してきた僚介君を思い返して胸が痛くなる。
僚介君が打ち明けてくれた苦しみを、私は何にも理解できてなかった。
一体どんな気持ちで悩みを打ち明けてくれたのか…今は聞けない自分にぐっと辛くなるのを堪える。
するとやっぱり何か聞いていたのか、空井君は私をじっと見てから言った。
「谷地さん。不用意に僚介に優しくすんのはやめてやって。」
「え?」
「こいつ、谷地さんに会えないって言われたって結構落ち込んでて…。それなのに今日みたいに助けられたら、あれは何だったんだってなるだろ?仮にも受験前だし、こいつの精神状態に影響するからさ…。」
私は自分でも分かってたとはいえ人から言われるとショックで、空井君の顔が見れなくなる。
少し泣きそうで顔をしかめて我慢する。
「うん…。ごめんなさい…。」
「いや…、謝ってほしいわけじゃないんだけど…。とにかく、大事な彼氏がいるなら他の男に優しくするなってことだよ。」
空井君は当たり前のことを言っていて、私はしっかりと胸に留めて頷いた。
「まぁ、僚介の一大事を知らせてくれたことは感謝してるから。余計な口出ししてごめんな。」
「ううん。分かってる。もうこんなことがない限り会わないから、心配しなくても大丈夫だよ。」
私は自分で決めて僚介君と他人になったと改めて再認識すると、空井君に言った。
「今日、私と会った事、僚介君には言わないでね。」
「もちろん。言うつもりないよ。」
「そっか。じゃあ、僚介君をよろしく。」
私は事情を全部分かってるらしい空井君に僚介君をお願いすると、最後に僚介君をちらっと見て二人に背を向けた。
そうして私は当初の目的通り井坂君の家に向かう。
その道すがら、私はやっぱり僚介君が気になって足を止めて振り返る。
でも離れてしまっては見えるはずもなく、私は再会してから優しかった僚介君を思い返して、そんな彼を傷つけた自分がすごく嫌な人間に思えて足が前に進まなかった。
誰にでも良い顔をするのには無理がある…
僚介君を傷つけたことで、井坂君との結びつきは強くなった。
そう思えば罪悪感も薄れる。
そう思おうとするけど、私は空井君から聞いた『僚介君が落ち込んでた』という言葉が耳に残って、どうしても嫌な気分になって井坂君の家へは行けなかったのだった。
誰かを傷つけて得た幸せは、どこまで長続きするんだろう…
私はその場で蹲ると、必死に昨日、一昨日の幸せな気持ちを思い出そうとギュッと目を瞑ったのだった。
***
そうして私がなんとか気持ちを持ち直して自分の家に戻ると、家の玄関先の壁にもたれかかるように僚介君がいて、私は目を剥いて足を止めた。
な…、なんで…
私は会うわけにはいかないと思って踵を返すと、早足で来た道を戻る。
けれどそれを僚介に気づかれたようで、背後から「詩織!!」と呼ぶ声と走る足音がして、私は逃げようと足を速めて走った。
すると背後でズザッとこける音がしたのと同時に激しくむせるのが聞こえて振り返ると、僚介君が苦しそうにその場に手をついて咳をしていて、私はそういえば熱があったはずと思い足を止めた。
そして近寄りかけたときに空井君の言葉を思い出して、私はダメだと自分に言い聞かせて、また背を向ける。
優しくしちゃダメ…
優しくしたらダメなんだから…
私は僚介君は見なかったことにしようとその場を離れようと歩き出したら、ダッダッと大きな足音がして思いっきり腕を引っ張られた。
そして放すものかと力強く掴まれて、私は僚介君の汗だくの苦しそうな顔を見て胸がつまった。
「詩織…。慶太が…、勝手なこと言ったみたいで…悪い…。」
「え?」
僚介君の謝罪にビックリして面食らっていると、僚介君は息を荒く吐き出しながら続ける。
「俺が変な愚痴言ったからなんだ…。慶太が詩織に言った事…。」
「え、あ…でも、本当のことだよ。私、井坂君が大事で…僚介君を一方的に傷つけたから…。」
「いいんだ。」
私は自分が一番悪いと思ってそう言うと、僚介君から出た言葉は意外なものだった。
「傷つけていいんだ。俺もそれだけのことをしたんだから…。あのときだって…、俺…詩織にひどいこと言い返したんだから…。」
「だって、それは先に私が僚介君にひどいこと言ったから…。言われて当然というか…。」
「本当にいいんだ。詩織は俺に言いたい事言っていい。どんな仕打ちをしてくれたっていい。全部受け止めるから。でも…。」
僚介君はここで言葉を切ると、じっと私を見つめてくる。
私はどうしてそこまで言ってくれるのだろうと疑問ばかりで、僚介君の考えてる事が見えない。
そうして僚介君の様子から考えてる事を探ろうとしていると、僚介君が真剣な顔で言った。
「でも…、頼むから縁を切るのだけはやめて欲しい…。」
「え…。」
私は僚介君から懇願されることに困惑した。
「俺、詩織から会わないって言われたとき、胸の奥が抉られるようだった。すげー苦しくて…、だから強がりで中学の時と同じようなこと言っちまったんだけど…。」
僚介君はここで泣きそうに顔を歪めると、ギュッと目を瞑ってしまう。
「俺の本心は違うんだ。」
「……違うって…??」
私はここまで苦しそうに顔を歪める僚介君の姿を見たことがないだけに、何にそんなに苦しんでいるのだろうか?と不思議に思った。
そうして僚介君の言葉を待っていると、僚介君はスッと私を見つめてから、驚くことを口にした。
「俺…、詩織が好きだ。」
私は耳を疑う言葉に息が止まって、僚介君を見つめる瞳が震えた。
脳裏に中学の体育館裏の光景が過って行く…
あのときは私が口にした言葉…
それが僚介君の口から出たことをすぐには理解できなくて、私はただ僚介君を見つめて思考が停止した。
とうとう僚介が行動に出ました。