192、無視される
「井坂君、今日は家に行ってもいい?」
井坂君の家に行った日曜日、私は井坂君との口約束を守らず慌てて帰ってしまい、井坂君を怒らせる結果になってしまった。
それを数日経った今も引きずっていて、私は口をきいてくれない井坂君のご機嫌伺いをしていた。
その井坂君はというと、じっと私を見下すように見た後、スッと席から立って行ってしまう。
「島田ー。今日もお前ん家で勉強なー。」
「げぇー!?また!?」
井坂君に声をかけられた島田君が悲鳴のように声を上げて、嫌そうな顔でこっちを窺っている。
私は今日もダメだったと息を吐くと、シュンとしながらその場にしゃがみ込む。
すると現在井坂君の後ろの席であるタカさんが、私の頭をペシッと叩いてきた。
「また子犬顔してる。ほら顔の筋肉引き締めて。」
「だって…タカさん…。」
私はキュッと眉間に力を入れると抗議しようと口を開く。
でもその口を塞ぐかのようにタカさんが私の頬をムニッと押さえてくる。
「はいはい。言いたい事は分かってる。でも、今回無視されてるのには心当たりがあるんでしょ?」
「……うん。」
「だったら時間がかかっても許してもらえるまで待ったらいいの。しおりんは焦りすぎなんだよ。」
「だって…。」
「だって?」
私がアヒル口のまま言い訳を言うと、タカさんがまるで私のお姉さんのように偉そうに復唱してくる。
私はこんなこと言うのも恥ずかしかったけど、さすがにここまで無視され続けると弱ってしまって、つい口から本音が漏れる。
「だって…、寂しいから…。この間まで、あんなに一緒にいたのに…。」
私がついこの間までの幸せな日々を思い返して言うと、タカさんが呆れたようにため息をついてからまた私の頭を叩いた。
「また顔が戻ってる!」
「だって~!!」
「だって、だってって仕方ないでしょ!?今は我慢。しおりんももうちょっと大人にならなきゃダメ。」
「大人って…。」
私がタカさんにお説教されて二の句が次げなくなっていると、タカさんは私の顔を真剣に見つめて言った。
「だいたい井坂君、年明けに受験あるんだよ?そこまでしおりんのご機嫌取りに構ってる余裕ないよ。今は合格も決まって心に余裕のあるしおりんが待つとき。分かった?」
「でも、あと二週間もしたらクリスマスだよ?」
私が少しだけ食い下がると、タカさんは急に不機嫌になって「受験生にクリスマスなんてないの!」とそっぽを向いてしまった。
私はタカさんにまで愛想をつかされた…とショックを受けて、更に落ち込みゆるゆると立ち上がる。
すると横から内村君に声をかけられ、勉強を教えてほしいとお願いされてしまった。
でも私は以前のことで内村君の気持ちに気づいてしまった手前、すんなりと仲良く勉強なんて考えられなくてやんわりと断る。
すると今少しだけでいいと食い下がられてしまい、私が分からない問題だけ…と譲歩して内村君の机の前の椅子に座ろうとしたら、いつの間にかこっちに顔を戻していたタカさんに腕を引っ張られた。
「しおりんの鈍感!!何考えてんの!?」
「え…、だって…。」
「だってはもう聞き飽きた!!今すぐ撤収!ほら!!自分の机に戻る!」
「え!?」
タカさんは私を無理やり立たせると内村君と引き離して、私の席まで連行されてしまった。
そしてタカさんは「動いちゃダメだからね?」と言い残すと、私とは一緒にいてくれないようで自分の机に戻っていってしまう。
私はそれが悲しくてシュンと俯いていたら、今度は長澤君がこれどう思う?と分からない問題でもあったのか問題集を見せながらやってきてくれて、私は話し相手の登場に少し気分が持ち上がった。
すると、慌てたようにあゆちゃんがやって来る。
「何?勉強??私も一緒にやりたいな~!」
「いいよ。なんか難しい問題みたい。」
私が長澤君の持つ問題集に目を向けて言うと、あゆちゃんはどこか固い笑顔を浮かべて同じように問題集を覗き込んだ。
そうして、私はあゆちゃんも交えて長澤君の持つ難題に向かい、井坂君に構ってもらえない寂しさを紛らわしたのだった。
***
そして放課後――――
井坂君は島田君との約束通り北野君まで一緒に連れ立って足早に教室を出て行ってしまい、私はバイバイだけでも言おうと井坂君の後を追いかけた。
途中4組の前で瀬川君に少し話しかけられたのもあって、靴箱では井坂君たちに追いつけず、私は校門を出てしばらくした所で井坂君たちの後ろ姿を発見して声をかけた。
「井坂君!!」
私の声が届いていないのか井坂君は足を止めてくれず、私は再度呼ぶ。
「井坂君!待って!!」
これにも井坂君は振り返りもしてくれなかったのだけど、代わりに隣を歩いていた島田君が心配そうにチラチラと振り返ってくれて、私は声は聞こえてるんだと足を速めて追いついた。
「井坂君!今日も島田君たちと勉強するの?私、一緒に行っちゃダメかな?」
私が真後ろにいるにも関わらず井坂君は無言のまま反応を見せなくて、私は無視され続けることに悲しくなって今日は諦めようかと思った。
でもさすがに三日もこんな状態では耐えられなくて、何かきっかけが欲しいと諦めずに話しかけることにした。
「邪魔はしなから!あ、差し入れも持って行くよ?それでもダメ?」
私が足の速い井坂君に小走りでついて行きながら尋ねると、井坂くんよりも周りの島田君や北野君が耐えられなくなったのか「井坂!!谷地さんが聞いてるぞ!!」と私の味方をしてくれる。
でも井坂君は島田君に「黙ってろ。」と低い声で一喝しただけで、また私への言葉はなく、私はさすがに諦めて足を止めた。
大丈夫…、今は待つときだから…明日…話しかければいいよ…
私はいつか機嫌を直してくれると信じる事にして、遠くなっていく背中を見つめる。
でも、あまりにも速く遠くなる背を見ていたせいか、急に寂しさが募ってギュッと胸が苦しくなった。
まるで大学で離れることを想像させるかのようなシチュエーションに足元がグラつき、私は頭を押さえてぐっと足を踏ん張る。
これを乗り越えられないでどうするの?
ただちょこっとケンカしただけなんだから、大丈夫…ちゃんと一人で立たないと…
私が井坂君のお母さんから聞いた言葉や、今までの井坂君の言葉の数々を支えに堪えていたとき、傍で誰かに支えられて、私は細く息を吸いこみながら隣を見上げた。
「詩織…。大丈夫か?」
「え…?あれ…?僚介君…なんで?」
「いや…、勉強で煮詰まってさ…。ふらふらっと歩いてたら、詩織が彼氏に置いていかれるの見ちまって…。」
私は恥ずかしい所を見られたことに気まずくなり、支えてくれていた僚介君から少し離れた。
「変なとこ見せちゃったね…。」
「ううん。詩織が彼氏とケンカとか珍しいよな?」
「うん…。まぁ、たまにあるんだけどね。」
苦笑しながらそう言うと、僚介君は私と目線を合わせるように少ししゃがんできて言った。
「俺だったらケンカしてても彼女を置いてったりはしないけどな。」
「…そうなの?僚介君は彼女さんに優しいんだね。」
私が僚介君に感心していると、僚介君は少し笑いながら「そういう意味じゃないんだけどな…。」と姿勢を戻す。
私がどういう意味なんだろう…と思っていると、「詩織!?」と赤井君と一緒にあゆちゃんがやって来て、私はひらひらと手を振った。
「ここで何してるの?井坂追いかけて行ったでしょ?」
「あー、うん。今日もダメだった。」
「何それ!?くっそ…ちょっとしめないとダメかな…。」
あゆちゃんが怖い顔で物騒なことを言っていて、その横では赤井君が僚介君のことを気にしていたので、私は二人に僚介君を紹介した。
「あ、えっと、私の中学の同級生で同じ予備校だった寺崎僚介君。」
「ども。寺崎僚介です。」
僚介君はいつも見せる爽やかな笑顔を二人に向けて、二人が一瞬面食らったのが見えた。
「それで私と同じクラスの小波あゆみさんと赤井瞬君。」
「詩織の親友の小波あゆみです!!」
「赤井です。」
あゆちゃんは私にピトッとくっついて可愛く挨拶してくれ、赤井君はどこか疑いの眼差しを僚介君に向けたままペコッと頭を下げる。
僚介君は笑顔を崩さずに「よろしく。」と二人に手を差し出して、軽く握手し始める。
「えっと寺崎君だっけ?なんで詩織と一緒に…?」
あゆちゃんが私と一緒にいたことが気になったのか握手し終えてから尋ねて、僚介君は他人行儀なしゃべり方で答える。
「たまたま通りかかったら、詩織が彼氏に置いてかれるとこを目撃したんで。放っておくのもな~と思って声かけたんですよ。」
「たまたまって…ここ、俺らの高校に通う人しか通らない道だと思うけど?」
赤井君が睨むように僚介君を見たまま言って、私はそういえばそうだ…と僚介君の返答を待った。
「まぁ…、ぶっちゃけた話、詩織に会えたら愚痴聞いてもらおうかなーって思って足が向いたってのがあるかもしれないな。」
「え?愚痴?私に?」
それだけのために来たと知り、私が拍子抜けしていると、横からあゆちゃんに腕を引っ張られて、僚介君との距離が空いた。
「なんで詩織に?ただの元同級生でしょ?」
「ま、そうなんだけど…。予備校のとき、詩織が話聞くって言ってくれたからさ。ちょっとお言葉に甘えようかな~ってのもあって。あ、詩織、このあと時間ある?」
僚介君はいつものようにサラッと訊いてきて、私はその勢いに頷きかける。
「え…、っと。う―――」
「ごめんなさい!詩織この後、私の勉強見てもらう約束してるんだ!!だから、またにしてもらえるかな?」
私の返事を遮ったのはあゆちゃんで、あゆちゃんは私の腕を握ったまま焦ってそう口にする。
あゆちゃんとの約束はなかったはずだと思ったけど、あゆちゃんの作り笑顔から黙ってた方がいいと思い口を噤んだ。
僚介君はじっとあゆちゃんを見てからいつもの笑顔を浮かべると、「そっか。」と体をななめに向ける。
「じゃあ、またにするよ。詩織、彼氏と仲直りしろよ?」
「あ、うん。ありがとう。」
僚介君は最後に私に笑みを残していくと、それを見送ってからあゆちゃんに両肩を掴まれて怒られた。
「井坂とケンカ中に何やってんの!?あのイケメンは何!?」
「あー…、っと…。僚介君は中学の同級生で…。」
「それは聞いた!!私、詩織にあんなイケメンの知り合いがいるとか知らなかったんだけど!!詳しく話しなさい!!」
あゆちゃんは余程僚介君のことをカッコ良いと思ったのか、少し鼻息が荒いように感じる。
私は全部話さないと納得してもらえなさそうだな…と思い、自分の苦い思い出と共にすべてを話すことにする。
「あゆちゃん。前に私の初恋の話したことあったよね?」
「へ?それって、ひどい言葉で告白断ったっていう…。」
「そう。それがさっきの僚介君。」
「は!?!?」
あゆちゃんはビックリして固まってしまい、横から赤井君が「何の話だよ!?」と興味津々に目を輝かす。
あゆちゃんはその赤井君を手で制すと、私の顔を信じられないという顔で見つめて言った。
「ちょっと詩織。何フラれた人と仲良くなってるわけ?意味分かんないんだけど。」
「あはは。そうだよね。私もこんなに接点を持つとは思わなかったよ。」
「いや、笑える詩織が信じらんないわ。前聞いた感じじゃかなりひどい言葉で傷つけられてたでしょ?なんで、悩み相談し合えるような仲にまで復活してんのよ。」
「う~ん…。それは色々あって…、僚介君も子供だったっていうか…。まぁ、早い話が水に流したみたいな?過去の話だから。」
あゆちゃんは「はぁ~!?」と呆れたように声をあげると、ムスッと顔をしかめて腕を組んだ。
「なんなの!?井坂と付き合う前はあんなにトラウマっぽい言い方してたのに!!」
「だよね。私も自分の変化にびっくりしてる。」
私は二年前のことを思い出して、自分の変化に笑うしかない。
こんな私になれたのは全部井坂君のおかげなんだけど、当の井坂君には口をきいてもらえない状況なだけになんだか複雑な気分だ。
「まぁ、詩織が平気ならいいんだけど…。それよりさ、あんまり井坂のいない状況で男と二人にならない方が良いと思うよ?」
「え?でも、僚介君は友達で…。」
「それはよくわかってるわよ!でも、クラスメイトにも嫉妬する井坂だよ?中学の同級生なんて論外だよ!!ね、赤井!!」
「あぁ。まぁ、今日も気にしてないって言いつつ、あいつずっとイライラしてたからなぁ…。」
「??なんの話?」
急に話をふられた赤井君が思い出し笑いしていて、あゆちゃんが横で「あれね…。」とげんなりした顔をしている。
私は一人話の内容が分からなくて首を傾げる。
「詩織、今日長澤君と仲良く問題考えてたじゃない?」
「うん。どう思うって聞かれたから…。」
「あれ、井坂が見ててすごい不機嫌になったんだよね…。」
「見てた…?」
私はずっと無視されてたので、あゆちゃんから明かされる井坂君の様子にビックリした。
赤井君は知ってる話なのか、にやにや笑いを浮かべるだけで会話には参加しない。
「うん。私、それを察したから慌てて詩織と長澤君の間に割り込んだんだよね。二人よりは私も入れて三人の方が気が休まるだろうと思って…。ま、結果無意味だったけど。」
「そうなの?」
「あぁ。井坂、見てるのが嫌だったみたいで怒りながら教室飛び出したからさ。もう宥めるの大変だったんだぜ~?」
ここで赤井君が苦笑いしながら説明してくれて、私は気づきもしなかったことに悪いことをしてしまった…と罪悪感が胸に溜まる。
「今谷地さんと口きいてない手前、自分から割り込みにいけなくて、鬱憤溜まってんだよ。それを周りにまき散らすなって感じだけどな。」
「ホントだよ。なんで私が井坂の顔色窺わないといけないの…。」
あゆちゃんが心底疲れた顔で言うので、私は二人に対して「ごめん…。」と謝ることしかできない。
「詩織は仲直りしようと努力してるじゃん。問題は井坂だよ。あんなに嫉妬するぐらいなら、さっさと自分が折れればいいのに。」
「それは、あいつの複雑な男心が絡んでんだよ。素直になれない…あいつの変なプライドみたいな?」
「なにそれ?面倒くさいやつ。」
「俺に言うなよ。あいつの面倒臭さは今に始まったことじゃねぇからな!?」
赤井君が遠い目をしながら言って、あゆちゃんがどうでもよいというように目を細めている。
私は二人にまで私たちのことで気を揉ませている…と申し訳なくなったが、井坂君とどうすれば仲直りできるのか目途が立たなくて、ため息が出てしまう。
井坂君…
私のどこに怒ってるんだろう…
やっぱり話をしないと分かり合えないよ…
私は井坂君と仲直りするきっかけがほしい…と思いながら、井坂君の悪口で盛り上がる二人の横で井坂君を想ったのだった。
僚介と赤井、小波の初対面でした。
次は別メンバーとの対面です。