190、一緒にいられる幸せ
すごく久しぶりに井坂君に触れられたとき、私はこれから先のことを考えると不安で仕方なかった気持ちが薄まって、井坂君が『好き』だという純粋な気持ちでいっぱいですごく幸せになった。
井坂君が欲しいと思ってくれるのは私だけ
こんなに熱を帯びた顔を見られるのも、甘い言葉を囁いてくれるのも私が彼女だから
私は井坂君と出会えて、彼女になれた現実が奇跡みたいで、無性に嬉しくて…でも、悲しかった。
この幸せな日々にもいつか終わりがくる。
目の前にある頼りがいのある背中は、いつか遠くへいってしまう。
そうなれば私の知らない井坂君がどんどん増えて、すぐ傍にいたはずなのに遠くの存在になってしまうかもしれない。
私はそれを考えると、さっきまでの幸せな時間が嘘のように寂しさのどん底まで滑り落ちた。
乗り越えるって井坂君と約束したはずなのに、すぐ弱い自分になって井坂君を困らせてしまう。
そんな自分は本当に嫌で大嫌い。
井坂君の負担になりたいわけじゃない。
ちゃんと隣を歩ける強い人間になりたい。
だから昨日に引き続いて井坂君と一緒にいたい気持ちを我慢して、私は予備校で真面目に授業を受けていた。
私がここで勉強していれば、井坂君も集中して家で受験勉強ができる。
井坂君が憧れる教授のいる東聖に合格するのが、今一番成し遂げて欲しいこと。
私だって教師になるって決めたから桐來を受けたんだから、一緒にいられなくなる未来を考えて落ち込むのはまだ先。
一番大事にしなきゃいけないのは、お互いの将来であり夢だ。
私は昨日家に帰ってから何度も自分にそう言い聞かせていて、寂しい気持ちが顔を出さないように取り組む。
そうしている間に予備校の授業が終わり、私は一心不乱にとったノートを見て苦笑いする。
うっわぁ…筆圧がすごいことになってる…
自然と力が入ってたんだなぁ…
私は黒々とした文字の羅列を見て、まぁ読めるからいっかと前向きにノートを鞄にしまって席を立った。
そして家に帰ろうと歩き出したところで、いつものように僚介君が隣に並んできた。
「お疲れ。なんか今日の詩織、気迫すごかったな~!志望校に合格してんのに、そのモチベーションを維持する秘訣を教えてほしいよ。」
「え…、そんなに鬼気迫ってた?」
「うん。黒板見つめる目がすごかった。」
僚介君の言い方から余程怖い顔をしてたんだな…と想像して、渇いた笑いしか返せない。
「その気迫の裏には昨日休んでたことと関係あるわけ?」
「え!?なんで!?」
私は見透かされたことにビックリして、それまで表情に出てたのだろうか…と顔を触った。
「あはは!そこまで驚くか?実は昨日、慶太たちと偶然会ってさ。ショッピングモールで詩織と会ったって聞いたからさ。彼氏とデートしてたらしいじゃん?それと関係あんのかなーと思って。」
空井君たちからの情報だと聞いて、私は透けてなかったことに安心するものの、デートと言われ少し恥ずかしくなる。
「まぁ…、少し…はあるかな…。」
「へぇ…?詩織って、良くも悪くも彼氏一筋だもんな。そこまで勉強に打ち込むほどのことって何なわけ?」
僚介君は少し棘のあるような言い方をしてきて、私は話すべきか悩んだけど、また距離がどうのとか言われるのもイヤだったので、上辺だけ説明した。
「実は彼…井坂君が東聖を受験するんだよね…。」
「………は?東聖…って、あの?」
「うん。あの有名な東聖。」
僚介君はこれに心底驚いたようで、空を見つめては~と声と一緒に息を吐き出す。
「マジかよ…。詩織の彼氏、どんだけ頭良いんだよ…。」
「あはは…。だよね…。」
私が同じことを思いながら苦笑すると、僚介君がパシンと手を鳴らす。
「あ、そっか。彼氏、東聖だったら、詩織とは大学で遠距離になるんだ!」
『遠距離』という言葉を他人から聞き、私は胸の奥が一瞬ズキッと痛んだ。
自然と視線が下がり、歩いている廊下を見つめる。
「そりゃあ…彼氏一筋な詩織は心中穏やかじゃないよなぁ…。勉強に打ち込んで気晴らししてるの納得したよ。」
「……うん。」
私は僚介君に話したせいで遠距離という現実を思い出してしまい、抑え込んでいた寂しい気持ちが溢れだしてくる。
やっぱり寂しいものは寂しい…
受験するってだけでこんなに怖いのに、井坂君の合格が確定したら、私どうなるんだろう…
「それにしても彼氏も冷たいよな。俺だったら大事な彼女残して東聖なんか受けないけど。」
「え…。あの、それは井坂君が学びたい教授が東聖にいるから…。」
「だって詩織、すげー前から彼氏と離れないように大学考えてたじゃん。いつの間になんでそんなことになってんの?」
僚介君は少し怒ったように顔をしかめていて、私は井坂君の株がどんどん下がってることに動悸がし始める。
「えっと…、私の推薦入試の願書を出し終えてから、井坂君の憧れの教授が西皇から東聖に移ることが分かったんだって。だから、どうしようもなかったっていうか…。」
「ふ~ん…。ちなみにその憧れの教授ってのは誰?」
「それは…。」
私はここまでペラペラとしゃべってもいいものかと迷い、言葉に詰まる。
でも教授の名前なんて言っても、きっと知らないだろうと判断して、言おうと口を開きかけたとき、ちょうど予備校から外に出て、目に井坂君の姿が飛び込んできて息が止まった。
「井坂君…。」
「え…?」
私は歩道のガードレールにもたれている井坂君を目にしただけで、一気に頭の中が井坂君一色になって僚介君の存在も忘れ、井坂君に向かって駆け寄ると飛びついた。
「井坂君っ!!」
「おぉっと、詩織!!お疲れ!」
「なんで!?なんでいるの!?」
私は寂しくなっていたところに井坂君が現れた嬉しさから、興奮気味に尋ねる。
井坂君はへらっと表情を緩めて笑うと、私の頬をグニグニと撫でながら言った。
「昨日、迎えに行くって言っちまったし。有言実行だよ。どうせ予備校も今日と明日で終わりだろ?」
「うん。そうだけど…。勉強…。」
「あぁ、そんなの平気だよ。詩織と一緒にいる方が、家に帰ってからやる気出るんだ。」
井坂君からの私がいなきゃダメだっていうような言葉に、胸が苦しくなるぐらい幸せを感じて、私はギュッと井坂君に抱き付く。
「嬉しい…。すっごく…すごく嬉しい。」
私はまた昨日みたいに泣きたくなるぐらい幸せで、目頭が熱くなっていると、井坂君が「俺も。」と抱きしめてくれて、人通りがあるということも忘れてしばらく抱き合っていた。
でもふっとさっきまで話していた僚介君のことを思い出して、慌てて井坂君から離れて振り返る。
けれどどこにも僚介君の姿はなくて、話が途中で終わってしまったことが気になりながらも、気を遣って井坂君と二人にしてくれた僚介君に感謝したのだった。
それから、私は井坂君と手を繋いで家までの道のりを、すごくゆっくり歩いた。
話す内容は学校のことだったり、勉強のことだったり、赤井君やあゆちゃんのことだったりと雑談だったけど、私はただ横に井坂君がいるだけでふわふわと夢見心地でずっとこうしていたいと思った。
でも、そういう時間程早いもので、とうとう私の家まで着いてしまい、繋いでた手を放す。
たったそれだけなのに、私はまた少し寂しくなってしまって、井坂君に触れたくなるのをギュッと手を握りしめて我慢した。
「それじゃ、また明日。」
「うん。また明日な。」
井坂君はキュッと口角を持ち上げると軽く手を振ってから背を向けてしまって、私はその背を見送るのが悲しくなるのでサッサと家に入ってしまおうと、門に手をかけた。
けれどその手を横から掴まれて引っ張られると、いつの間にか井坂君が戻ってきていて、目を剥いて固まった。
その瞬間、井坂君から優しくキスされて、私は唇から伝わる熱を感じて、一気に耳まで温かくなった。
でも、井坂君はすぐに離れてしまって、「おやすみ!」とだけ言うと走っていってしまった。
私はその背を見つめながらぽけーっと突っ立っていて、寂しかった気持ちがどこへやらドキドキと心臓が高鳴って、今にも叫び出したいぐらい胸の奥が熱かったのだった。
***
そしてやっときた予備校最終日―――――
私は昨日会話の途中で別れてしまった僚介君に謝罪しようと教室内を見回したけど、僚介君の姿はなくて、気になりながら授業を受ける事になってしまった。
僚介君は休みだったのか、今日に限って見かけなくて、私は最終日だったのにな…と気落ちしながら、お世話になった先生たちに挨拶をしてから予備校を出る。
すると、また井坂君が迎えにきてくれていて、私は井坂君の姿が目に入っただけで胸が熱くなった。
当然というように昨日と同じようにガードレールにもたれかかって井坂君は夜空を見上げていて、私は声をかけようと足を踏みだした。
そのとき後ろから腕を掴まれ、私はびっくりして振り返る。
「詩織。今日で予備校最後だよな?」
「……りょ、僚介君…。」
私はさっきまで探してもいなかった僚介君の登場に面食らいながら、話したかったことを思い出して僚介君に向き直る。
「あの!昨日、話途中になっちゃってごめんね。私、井坂君がいることにビックリして周り見えなくなっちゃって…。」
「あー、いいよ、いいよ。詩織が彼氏一番なのは前から知ってるから。いつも仲良くて羨ましいぐらいだよ。」
僚介君がそう言ってくれて少し気持ちが楽になっていると、僚介君は私の後ろにちらっと目を向けてから言った。
「俺、詩織に負けないように西皇合格目指して頑張るよ。だから、合格したら同じ関西組同士、祝ってくれよな。きっと大学でも絡むようになると思うし。」
「あ、うん。きっと僚介君なら大丈夫だと思うけど、受験頑張って。お祝いも考えておくね。」
「ははっ!そう言ってもらえると俄然やる気出てくるよ。」
私は進路の悩みを僚介君に色々相談していた手前、自分も応援しないと!と思い、精一杯エールを送った。
すると僚介君は私に顔を近づけてくると、コソッと耳打ちするように言った。
「もし、俺が勉強で煮詰まって詩織に癒されたくなったら、会いに行ってもいい?」
「え?」
私は女の子を口説くような言葉に目を瞬かせて僚介君を見つめると、僚介君はいつもと変わらない笑みを浮かべて「冗談だよ。」と笑う。
私は一瞬変なことを考えてしまってひやっとしたので、冗談だと聞いてすごくほっとした。
「もう。そういうことは誤解を招くから言わない方がいいよ?」
「何?詩織もちょっと期待した?」
「……そういうんじゃないから。」
私は中学の時あれだけこっぴどく振った張本人が何を言うんだとイラッとしたけど、僚介君の笑顔は昔と同じように懐っこくて嫌いにはなれない。
「そんじゃ、また合格したぐらいに報告に行くよ。彼氏と仲良くな~!」
僚介君は二ヒッと良い笑顔を残して小走りで去っていき、それと同時ぐらいに後ろから羽交い絞めにされるように抱きしめられて慌てて振り向いた。
「詩織、今の何?」
「い、井坂君。な、何ってりょ…寺崎君だよ?顔知ってるよね?」
私は井坂君に見られたと動揺しながら、平静を装おうと努める。
でも井坂君が僚介君を良く思ってないのは知っていたので、予備校の外で立ち話するんじゃなかったと後悔する。
「知ってるよ。相変わらず仲良しなのな?」
「仲良しって…、普通に話してただけだよ?」
「しらばっくれんなよ!!内緒話までするぐらい仲良い姿見せつけておいて!!」
「な、内緒話!?そんなのしてないよ?」
私は何も内緒にするような事は話してないと断言できたので、まっすぐ井坂君を見つめて否定した。
すると井坂君が眉を吊り上げながら強引に手を引っ張って歩き出す。
「もう予備校ないからいいけどさ!!その鈍感っぷり、ホント腹立つ!!」
「ど、鈍感!?」
「そう!少しは客観的にさっきの自分を思い返してみたらどうだよ!?」
客観的に…??
私はここまで井坂君が怒るほどのことをしたらしかったので、さっきまでの状況を思い返そうと早足で引っ張られながら考え込む。
最初は普通に向かい合ってて…、そのあと急に僚介君が耳打ちして冗談を言ってきて――――
あ…。
私はこれだ。と察しがつくと、怒る井坂君の背に謝った。
「ご、ごめん!井坂君!!さっき、寺崎君が耳打ちしてきたときのことだよね!私、一瞬のことだったからそこまで気にしてなくて…。」
井坂君は私の謝罪を聞くと、急に足を止め振り返ってきて、私はムスッと拗ねたような井坂君の表情が見えてドキッとした。
「……寂しくて不安なのは詩織だけじゃねぇんだからな。」
井坂君は子供みたいに少し頬を膨らませる。
「俺だって、詩織が俺以外の男と仲良くなったらって思ったら気が気じゃねぇよ。」
………井坂君…
私は井坂君も私と同じように嫉妬してくれてると感じて、こんなこと思うのはいけないんだけど、井坂君の気持ちが嬉しくて涙が出そうだった。
また拗ねてる井坂君がすごく可愛い。
「井坂君…。私、こんなに一緒にいて幸せだって思うの…、きっと世界中で井坂君だけだよ…。」
私は井坂君から嬉しい気持ちばっかりもらっていたので、自分の気持ちも聞いてもらおうと口にした。
井坂君は不機嫌だった表情が少し緩んでいて、どこか嬉しそうに見える。
「今日、迎えに来てくれた井坂君を見たとき、ギュッて胸が詰まった。姿見ただけでこんな気持ちになるの…井坂君以外はいないよ。」
「詩織…。」
「勉強あるのに、迎えに来てくれてありがとう。明日からは私が井坂君の所に行くね。」
私は井坂君の手を握りしめてそう告げた。
井坂君はもう不機嫌な顔は消えていて、私は少しでももらった気持ちを返せただろうか…と笑みを向けた。
すると井坂君もはにかむように笑みを浮かべてくれて、私はまた井坂君が大好きだと気持ちが大きく膨らんだ気がしたのだった。
ちょうど投稿数200話目でした。
こんなに長く続くとは…と自分でもビックリです。
もうしばらくお付き合いください。
次はお家でイチャ話です。