1、目の合う人
私は谷地詩織。
普通科のある公立高校に通っているいたって地味な女子。
私のクラスはいわゆる進学クラスに分類されていて、中でも頭の良いクラスと認知されてる9組、理系クラスだ。
男子が8割、女子2割というほぼ男子校のようなクラスで、私は見た目通り地味に質素に暮らしている。
入学してまだ一カ月も経ってないので、男子の多さにも未だに慣れず教室に入ると何だか別世界のようだ。
ドキドキ…
私は緊張から体を強張らせながら、グループに別れている男子の間をすり抜けて自分の席につく。
良かった…今日もなんとか辿り着いた…
私は席に着くと鞄を置いてほっと一息つく。
というのも私は極度の人見知りで、自分の机だけが安心するマイスペースだからだ。
高校ではこの人見知りを克服しようと思っていたのだけど……
人間そうそう上手くは変われないらしい。
高校デビューはまだまだ先だ。
私は鞄から今日使う教科書を取り出すと、机にしまう。
すると私の唯一の心の拠り所である八牧貴音さんが私の後ろの席にやって来た。
「おはよ。しおりん。」
「おはよー。タカさん!」
彼女は人見知りな私が勇気を振り絞って声をかけられた高校で初めての友達だ。
出席名簿の前後だったというのにだいぶ、いやかなり救われた。
そして私は彼女の理知的な雰囲気から『タカさん』と尊敬をこめて呼んでいた。
タカさんは私に負けず劣らず真面目そうで、規定通りの制服の着こなしをしていて姿勢もとっても綺麗だ。
彼女の堂々とした姿を私は見習いたい…
そういう私自身はというと、制服に関してはきっちり感が嫌なので、少し着崩している。
リボンを緩めて第一ボタンはあけて、スカートも少~しだけ腰の所で折っている。
また姿勢は少し猫背なので、タカさんが羨ましくなる。
「今日ってLHRあるんだよね?何の話をするんだろう。」
タカさんが教科書を机にしまいながら尋ねてきた。
私は想像もつかないので「さぁ?」とだけ答えて、違う話題を振った。
「あ、昨日。ベルリシュの新譜借りてきて聞いたんだぁ~。もう、最高だった。タカさんも聞きたいよね!?私、家でCDにしてくるよ!」
ベルリシュとは私が中学のときから好きでハマっているバンドの名前だ。
私の通っていた中学ではベルリシュが大ハヤリで、みんな聞いていた。
その名残で私は中学を卒業した今でも大ファンだった。
「ベルリシュ好きだねぇ~。私はそこまで好きってわけでもないから、しおりんにお任せするよ。」
「了解!もう最近はベルリシュだけじゃなくて、他のバンドも好きなんだけどね。っていうかバンドっていう存在自体が好き!!」
「ふ~ん。バンドの何がいいんだか。」
タカさんは飽きれた様に返すと今日の予習をし始めてしまった。
私はそんな彼女を見てブスッとふてくされた。
毎度のことだけど、私がベルリシュの話で盛り上がろうとすると、彼女は流してしまう。
もう少し話に付き合ってくれてもいいのになぁ…
私が体を横に向けて彼女の机に手をついて足をぶらつかせていると、タカさんの後ろの扉から続々と男子が入ってきた。
「あ、おはよ。谷地さん。」
「おはよー。西門君。」
私は保育園からずーっと一緒の腐れ縁である、西門光汰を見て手を振って挨拶した。
私がこのクラスで会話できるただ一人の男子でもある。
彼とは保育園から高校に渡って、ずっと一緒のクラスという奇跡のような縁を持っている。
今では腐れ縁だねと笑い合う友達だ。
彼も理系人間だけあって、見た目は真面目そのもの。
黒縁メガネのよく似合う、吹奏楽男子だ。
中学から始めた吹奏楽でトランペットを吹いている。
彼は私に挨拶だけすると、友人たちの所に行って笑い合っている。
いいなぁ…もう友達あんなに作ったんだ…
人見知りじゃない彼を羨望の眼差しで見つめる。
私はそんな彼から何気なくクラスに目を向けると、ほぼ全員来ていることが分かった。
さすが進学クラス、遅刻する人間は少なくすごく真面目だ。
そこには男子が3つぐらいのグループに分かれていて、それぞれに盛り上がっている。
話の内容は聞こえてくる感じだと、週刊のマンガの話だったりバイトの話ってところのようだ。
私とタカさん以外の女子も固まりになって何か話が盛り上がっている。
雰囲気からして垢抜けた感じの女子で、私は仲良くなれそうもないかな…と勝手に思っていた。
そして私はタカさんが話し相手になってくれないのもあって、なんとなくぼーっとクラス内に目を向ける。
すると一人の男子とばっちり目が合ってしまって、私は目を瞬いてその人を見つめた。
廊下側の席の私とは正反対の窓際の席に座るあの人は…確か、井坂拓海…君。
クラスの中でも一際目立つグループのメンバーで、背が高くて少しチャラそうな雰囲気の男子だ。
彼は刈り上げた髪型に前髪は長めで、全然真面目そうではなく制服を軽く着崩している。
私は彼と数秒見つめあって、何で目を逸らさないんだろうかと思った。
細めの鋭い目が私を射抜いてくる。
なに…?私を見てる…?それとも後ろ??
いくら待っても視線が外れないので、我慢できなくなった私が先に逸らす。
私の顔…そんなに注目されるほど、ひどいのかな…
私は自分の容姿がブスだと分かっていただけに、マイナス思考で考えてしまう。
私は自然に出そうになるため息を抑えるために、口元に力を入れた。
そして嬉しい事もないのに笑顔を作る。
私の取り柄は笑う事だ。
どんなときだってヘラヘラしていられる事が私の長所であり、唯一の取り柄だ。
昔から口角が勝手に上がりやすくて、よく笑顔でいるよねと周りに言われるほどだ。
私は自分の容姿に自信がないだけに、笑顔でいるように心がけているだけなのだが。
そんな事を考えているとチャイムが鳴って、一時間目の担当の先生が入ってきて日直が号令をかけた。
クラスメイトはさっきまで騒いでいたのが嘘のように号令に反応すると、自分の席に戻っていく。
進学クラスだけあって、授業態度は真面目なためだ。
私はクラスメイトのこういう面は結構好きだった。
普段はバカみたいに騒いでいても、授業になると真剣そのものでふざけたりしない。
中学がひどかっただけに、高校ではこの空気にすごく安心する。
私は勉強するのにはもってこいのクラスだと感じて、また口角が持ち上がった。
**
そして昼休みになり、私は小学校、中学校時代からの親友に会いに普通クラスに足を運んでいた。
6組の教室を覗き込んでその姿を探す。
「ナナコー!!」
私が自分の机で本を読んでいた木崎那々子に声をかけた。
ナナコはかけているメガネを押し上げながら顔を上げると、私を見てふっと微笑んだ。
ナナコは私と同じように地味な女の子だ。
でも実はメガネの下はすごく美人。
サラサラのストレートの黒髪も羨ましい。
髪が太くて長く伸ばせない私とは正反対だ。
「しお、どうしたの?クラス馴染めないとか?」
「あはは…それもあるんだけど、ナナコはどうなのかと思ってさぁ…。」
私はナナコと並んで廊下の窓際にもたれかかった。
「まぁ、今は一人でいることも多いけど…。似た雰囲気の子と友達になったよ。」
「え!?そうなんだ!!どんな子?」
「…なんか漫画家目指してるらしくて、休み時間は図書室に行っちゃうんだけど、明るくて楽しい子だよ。」
「へぇ~、話してみたいなぁ…。私は勉強の好きな子と友達になったからさ…その子、今も予習してて、ちょっと寂しいんだ。」
「さすが進学クラス。休み時間まで勉強とか。どんだけ好きなの?」
「だよね!?私は勉強がそこまで好きで入ったわけじゃないから…温度の差を感じるっていうか…。」
私はタカさんの事をナナコに愚痴った。
タカさんの事は好きだけど、やっぱり話し相手になってくれないのは寂しい。
クラスには他にも女子がいるけど、タイプが違ってなかなか輪に入っていけない。
だからタカさんがいないと、一人ぼっちなのだ。
「正直にその子に言えば?勉強ばっかりしてないで、私と話してよ!って感じで。しお、我が儘言うの得意じゃん?」
ナナコはニヤッと笑っていて、私は過去の事をほじくり返されていると気づいてふてくされた。
親友って何でも理解されてるだけに、正当な事を言ってくるから困る。
「それが言えないから、こんな思いしてるんじゃん。まだ我が儘言えるような関係でもないんだよ。」
「まぁまぁ、壁作らずにさ、ぶつかってみなよ。」
「う~ん…まぁ、頑張ってみる。」
私はナナコに励まされて、少し前向きになることができた。
それから私は教室に戻ると、予習中のタカさんに話しかけようと大きく息を吸いこんだ。
自分の席に座って横を向くと、笑顔で声をかける。
「タカさん!ちょっといいかな?」
「うん?何??」
タカさんはノートから目を外して、私に目を向けた。
「あ…のね。休み時間は勉強やめて、私と話してほしいんだ!!タカさんが勉強好きなのは分かってるんだけど…私、タカさんといっぱいおしゃべりがしたいっ!!」
私はどう思われるだろうかとドキドキしながら言い切った。
なんとなく彼女の顔が見れなくて、私は自分のひざを見つめる。
するとノートや教科書を片付ける気配がして、私はタカさんを見た。
「いいよ。私、話するのが苦手でさ。なんとなく気まずくなるのが嫌で勉強に逃げてただけなんだ…。しおりんがそんな風に思ってたなんて気づかなくて…ごめんね。」
タカさんが少し照れながら笑っていて、私は作り物じゃない本物の笑顔になれた。
「うん!!苦手でもいいよ!私が倍!話すから!!」
「え?それって聞き役に回れってこと?」
「うぇっ!?いや、そういうわけじゃ!!話したかったら話してよ!私が聞くから!!」
私はタカさんの顔がくしゃっと崩れたのを見て、彼女に少し近づけた気がして嬉しくなった。
タカさんと前後の席で良かった!
これからたっくさん話ができるんだもんね!!
私はこの席順に感謝していたのだが、その日のLHRでその喜びは打ち砕かれた。
「今日のLHRは委員会決めと席替えをしまーす。進行は僭越ながら出席番号一番の赤井が務めまーす。」
帰る準備を整えていた私は赤井瞬君のだるそうな顔を見て、口をポカンと開けて固まった。
なっ!!何でこのタイミングで席替え!?
私は机に肘をついて頭を抱えた。
「最初はすぐ終わりそうな席替えからしまーす。順にクジをひきにきてくださーい。」
彼の間延びした声に反応するように、クラスの皆が席を立ってクジをひきに向かう。
私はぐるっと後ろに振り返るとタカさんの手を握って懇願した。
「席が離れても、一緒にお昼食べようね!!」
「あははっ。何、今生の別れみたいな顔してるの?当たり前でしょ?」
タカさんの笑った顔を見て、私はほっと安心した。
そしてクジを引こうと席を立って、赤井君の所に向かう。
どうか、タカさんとなるべく近い席になりますように!!
私は強く念じながらクジをひくと、すぐに番号を確認した。
『19』と書かれていて、私は黒板を見てどこの場所か目を走らせる。
「げっ!?ど真ん中!!」
私は思わず声に出してしまって、慌てて口を噤んだ。
その姿を赤井君に見られていて、物凄く驚いた目で見られてしまった。
恥ずかしい…
なるべく地味に生きてきた私にとって、注目される事が何より苦痛だった。
赤井君は苦笑すると、私から目を逸らしてクジを他のクラスメイトに差し出している。
笑われるだけとか、まだ何か言われた方がマシだった。
私は気落ちして席に戻ると、タカさんがクジを見せてきた。
「何番だった?」
「…19。ど真ん中だった…。」
「あー…離れたね。私36だったから、ここから3つ前に移動するだけだよ。」
「えー!!いいなぁ、廊下側!もう、休み時間の度にここに避難してくるから!」
私は我慢するのは授業中だけだと前向きに考える。
そしてみんなクジを引き終えたのか、机を持って移動し始めたので、私もタカさんにしばしの別れを告げて移動することにした。
私は教室の真ん中辺りに机を落ち着けると、前後を確認して列になるよう整えた。
そして、席に座って左右を見る。
前後左右とも男子だと分かり、自然とため息が出る。
バカな話に巻き込まれないように努めよう。
「隣、お前かよ~!新!」
右隣から上機嫌な声が聞こえてきて、私がちらっと横目でそっちを見ると、島田新君と話している井坂君が目に入った。
隣…井坂君だったんだ。
私は朝の視線のことが気になりつつも、彼から目を外して壇上に立つ赤井君に目を移す。
すると、後ろからトンと背中を叩かれた。
「前、谷地さんだったんだ。これからよろしく。」
「…西門君。こちらこそ。席まで近くなるとか、腐れ縁が怖いなぁ…。」
私は横を向いて、彼のメガネの奥の茶色がかった瞳を見つめた。
彼は人懐っこい目を細めると黒板を指さして口を開いた。
「委員会、何入るか考えた?」
「あー…なるべく楽なのがいいなぁ…。あと、すっごく地味なやつで。」
「相変わらずブレないよなー。じゃあ、また中学と同じ美化委員とか?」
「それが一番無難かなぁ…。西門君は?」
私は中学ときは三年間美化委員だった。
西門君はそれを覚えていたのか、意地悪い顔で笑っている。
「谷地さんが美化委員するなら、僕もやろうかな。」
「あ、そう?じゃあ、立候補しよっか。」
私が前に顔を戻して手を挙げようとしたとき、急に隣の井坂君が立ちあがった。
「俺!美化委員で!!」
「井坂~、お前美化委員とかガラじゃねぇだろ!?」
「いいんだよ。一番楽そうじゃん!?」
島田君にからかわれながら井坂君が大きな声で笑っている。
私はちらっと西門君の様子を窺った。
「とられちゃった…ね?」
「ん…?まぁ、すっげーやりたかったわけでもないし、別にいいけど。谷地さんはどうすんの?」
西門君に聞かれてどうしようか迷った。
井坂君と一緒の美化委員か…
なんか井坂君って私と違う世界の人って感じで関わりたくないんだよなぁ…
私は井坂君の方を向いていたので、彼の横顔をなんとなく見つめた。
彼は左腕で頬杖をついて座ったので、表情がよく見えなくなった。
「…どうしようかな…。でも、仕事が一番少ないのは美化委員だもんね…。」
私は一度ぐっと奥歯を噛むと、赤井君に向かって手を挙げた。
「あの…私、美化委員やります。」
「はーい!谷地さん、美化委員ね~。他に立候補あったらどんどん言ってくれよー!」
赤井君は黒板の美化委員の文字の下に、井坂君の名前と並べて私の名前を記した。
私はその並んだ名前を見て、胸が変な感じに動いたことをこのときは気づかなかった。
地味女、谷地詩織をよろしくお願いします!