188、アンニュイな彼
井坂君が悩んでると気づいてから数日が過ぎ、ずっと様子を見守り続けていたんだけど…
いつの間にか井坂君の表情が以前のものに戻ってると気づいて、私は昼休みにコソッと井坂君に声をかけた。
「井坂君。今日、顔色いいね。」
「詩織…。うん…。なんか今日は朝から気分が良くってさ。なんだかスッキリしてるんだ。」
「そっか。元気が出たみたいで良かった。」
きっと悩んでたことが解消されたんだろうな
私は井坂君が悩んで出した答えが気になるものの、井坂君の晴れやかな姿を見るのが一番だと思い、今はそのことは気にしないことにした。
「元気って…、俺、元気ないように見えた?」
井坂君が自分では気づいてないのか目を丸くさせて尋ねてきて、私はそれに笑いながら答える。
「うん。見るからに気持ちが半分どこかに飛んでたよ?」
「半分……。まぁ…確かに…そうかもなぁ…。」
井坂君がどこか気まずそうに目を逸らしながら苦笑いして、私に気づかれたくなかったのかもしれない…と察して、私はもうこの話はやめようと違う話をふった。
「井坂君。勉強の調子はどう?夜とか集中できてる?」
「あー、うん。勉強に関しては前からそこまで苦労してねーし…。スイッチ入ったら何時間でも机に向かえるからさ。」
すごい…
私は井坂君の頭の良さの断片を垣間見て、こういう所を見習いたいと思ってしまった。
井坂君の集中力の半分を私に分けて欲しい。
「詩織は?予備校っていつまでだっけ?」
「あ、うん。今月いっぱいだから、今週末までだね。予備校行かなくなったら時間空くから、井坂君の勉強に付き合うよ!」
「ははっ!それは嬉しいけど、集中できなくなるかもなぁ~。」
「え!?私、邪魔!?」
私はまさかそんな返答が返ってくるとは思わなくて、ガーンとショックを受けた。
「違う、違う。邪魔とかじゃなくて、俺の気持ちの持ちようの問題だからさ。」
「気持ちの持ちよう…?」
それってどういうことなんだろう…?
私は勉強に集中できなくなる気持ちの持ちようというものを、ふむ…と考え込む。
すると目の前で井坂君が楽しそうに笑って、私の頬をグニグニと触ってきた。
「はははっ!やっぱ詩織はいいな~。」
「へ?いいって…。むぎゃっ!!」
井坂君が頬を撫でくり回した後、そのままグイッと引き寄せて抱きしめてきて、頭をグリグリと摺り寄せてくる。
「井坂君っ!ここ教室っ!!!」
「いいじゃん。今さら、誰も気にしないって。」
「私が気にするよっ!!」
「あはははっ!」
井坂君は私が抵抗するのを面白がっているのか、全く手を緩めてくれなくて、私は一人恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
もう…、元気に復活するのも考えものだなぁ…
***
「詩織、久しぶりにどこか寄って帰ろうぜ?」
放課後、井坂君が藤浪先生と何か一言交わしたあとに、私のところへやって来てニコニコしながら言った。
私は急な誘いに面食らってしまってすぐ声が出なかったけど、かなり久しぶりの放課後デートに気持ちが高揚する。
「うん!!行きたい!あ…、でも井坂君、受験勉強は?」
「今日は息抜きだよ。一日ぐらい休んだって大丈夫だろうしな。」
井坂君が余裕そうにそう答える横で、島田君と北野君がこっちをじとーっと見つめていて、私は二人の視線が気になってしまって半笑いのまま二人に注目する。
「頭良い奴はいいよな~!息抜きで放課後デートだってよ!!この時期に!」
「ほんっとあり得ねーよ!!こっちはお前らに付き合ってたせいで、毎日死にもの狂いで勉強してるってのに!!」
これにはさすがに井坂君も無視できなかったらしく、二人に振り返ると「どういう意味だよ?」と訊いている。
「そのままだよ!!お前らがそこまで勉強してるの見てなかったから、俺らも勉強せずにここまで来ちまって…、スタートが遅れたことを後悔してんだよ!!」
「そんなの俺らのせいじゃねぇじゃん。俺、今まで毎日帰ってから少しの時間だけど勉強してたしな。」
「は!?少しって…それいつから!?」
「いつからって…、そんなのずっとだよ。高校入る前からの習慣で…。」
「はぁ!?」
私は井坂君の頭の良さの根源を見た気分で、島田君や北野君と同じように驚いた。
言った井坂君自身は、別に特別なことでもないというように首を傾げている。
「そんなに驚くことか?寝る前って暇なこと多いじゃん。だから、その時間を有効活用しただけで…。」
「俺は暇だったらマンガ読むかゲームするよ!!」
「そうだよ!!俺は何もしなくてもよくぼーっとするしな!!」
「俺だってマンガ読まねーわけじゃねぇけど…。」
井坂君が自分が異常だって言われてるのが不満なのかぼそっとぼやいていて、私はその姿が可愛くてキュンとしてしまった。
「あー!!こいつの普通に付き合ってたら、俺ら頭おかしくなりそうだ!!とりあえず今は勉強優先!!」
「そうだな!!こいつが遊んでいようとも、つられるな!!俺らは井坂と違うんだからな!」
島田君と北野君が息を合わせて仲良く励まし合っていて、井坂君はそんな二人を見てムスッとしている。
「お前はせいぜい谷地さんとイチャついてろ!!それで落ちたら鼻で笑ってやるからなー!!」
「いっそのこと余裕こいて落ちろー!!」
二人は怒りながらも少し楽しそうで、笑い合いながら教室を出て行く。
普段だったら井坂君の罵声が飛んでもいいものなんだけど、今日の井坂君は弱ってるのかシュンとしょげてしまっていて、私はその姿にずっと胸キュンしてしまう。
可愛い!!慰めてあげたい!
私はまだ教室だというのもあってギュッとできないことをグッと我慢して、井坂君に「行こっか。」と声をかける。
井坂君は少し寂しげな笑みを浮かべて「おう。」と、私の横についてきてくれ、私はアンニュイな井坂君にやられてしまって胸が苦しかった。
***
それから私たちは今まで何度も訪れたショッピングモールにやってきて、何を買うでもなくブラブラとウィンドウショッピングした。
気になるお店があれば入り、私は井坂君といられることに幸せを感じながら、話に花を咲かせる。
他愛のない話なんだけど、それがすごく楽しくて、一時間が一秒にも感じるような尊い時間だった。
だから、井坂君が私の予備校の時間を気にして、「そろそろ帰るか。」と言い出したとき、私は堪らず井坂君の袖を掴んで立ち止まった。
「詩織?」
井坂君が動こうとしない私に困って、様子を窺っているのが分かる。
でも、私はこの幸せな時間から現実に引き戻されたくなくて、何も言えなくて無言の我が儘をしてしまう。
ここで帰っちゃったら、今度はいつここに来られるか分からない…
できるなら一分でも長く井坂君と一緒にいたい
私はふと予備校を休んでしまおうか…と思い始めていたら、井坂君がそんな私の気持ちを見透かしたのか、優しく手を握って言った。
「詩織、予備校終わり何時?」
「え…?…えっと…、確か九時半……。」
「そっか。じゃあ、その頃予備校まで迎えに行くよ。」
「え!?」
私はまさか迎えに行くと言われるとは思わなくて、井坂君を見つめたまま固まった。
井坂君は私を見てへらっと優しい顔で笑うと、少し頬を赤らめながら言う。
「なんだか詩織、俺と離れ難そうだし?このままだと予備校行かないって言い出しそうだったから。」
「え……。」
私は自分の心の中がそこまで表情に出てただろうかと罰が悪くなって、井坂君から顔を背けた。
でも井坂君はそんな私の顔を覗き込んできて、「当たり?」と楽しそうに追い討ちをかけてくる。
私はその井坂君の悪戯っ子顔にグイッと気持ちを持っていかれて、井坂君に一歩近づいてから「ずるい。」と呟いた。
すると井坂君が私を優しく抱き締めるように腕で包み込んできて、「ずるいのは詩織だよ。」と返される。
もう幸せ過ぎて時間止まっちゃえばいいのに…
私は井坂君の温かさに癒されながら、ギュッとシャツを握りしめていると、ふっと井坂君の向こう側にこっちを見つめる男子二人組に気づいて、その二人を認識した途端、私はグワッと顔に血液が集まって恥ずかしくなった。
「そっ空井君!来居君!!」
私は焦って井坂君から離れると、呆気にとられた顔でこっちを見て立っている二人の名前を呼んだ。
二人は私が名前を呼んだことで、無視することもできなくなったのか気まずそうな顔をしながら近づいてくる。
うわわわっ!!イチャついてるところ見られるなんて恥ずかしいっ!!!!
私はそこまで接点もない元同級生に目撃されたことが恥ずかしくて、今になって声をかけなきゃ良かったと後悔し始めた。
「えぇっと…、久しぶり…。谷地さんも来てたんだ…?」
「あ、俺らちょっと買い物あったから来ただけで、見かけたのも偶然だから…。」
二人も私と同じように気まずいのか、どこか遠慮してるような話し方で、私は二人に申し訳なさ過ぎて「ごめん、お見苦しい所を…。」と謝る事しかできない。
すると、一人状況の分からない井坂君がこの気まずい空気を一新させるように会話に入ってきてくれる。
「詩織、この二人誰?」
「あ、うん。私の中学の時の同級生で、空井慶太君と来居玲君。」
二人は私の紹介に合わせてそれぞれ会釈してくれる。
「寺崎君のこと知ってるでしょ?その寺崎君と二人は仲が良いんだ。」
「寺崎って…、寺崎僚介?」
「うん。」
私がそう説明すると一瞬井坂君の目の色が変わった気がしたけど、すぐ空井君たちから話しかけられて意識が逸れる。
「谷地さん。もしかして、彼氏?」
私は『彼氏』という単語にキュンとときめきながら、緩む顔を堪えて「うん。」と答えると、井坂君が「井坂拓海です。」とすぐ挨拶してくれた。
「うっわ。彼氏いるとは聞いてたけど…、すっげイケメンだな…。」
「谷地さんのイメチェンって、やっぱり彼氏のため?」
「あー…ははは。まぁ、そうかな~…。」
私は二年も前の高校デビューを思い返して、どこか恥ずかしかった。
「そっか、そっか。どうりで…。」
空井君が軽く頷きながら納得した表情を見せていて、私はなんでそんな顔をするのか分からなくて首を傾げた。
すると来居君が「あのさ!」と切迫した顔で話を切り替えてきた。
「谷地さん、僚介とは…その、会ってたりする…?」
「え?会うって…、予備校が一緒だから顔は合わせたりするけど…。」
私は聞かれたことに素直に答えながら、ハッと傍に井坂君の前で僚介君の話をしたことに罰が悪くなった。
以前から井坂君は僚介君のことをよく思ってない…
私はこの話はしちゃダメだ!と話題の切り替えに取り掛かる。
「あ、あの―――」
「やっぱりそうなんだ。僚介の言ってたこと本当だったんだな。」
「あぁ…。まぁ、それだけならいいんだけど。」
空井君と来居君が何かに安心していて、私は何に安心してるのか気になってしまい、違う話題を振ろうとした口が止まる。
「谷地さん、変なこと聞いてごめんな。なんか谷地さん絡むと僚介変になるからさ。ちょっと気になっただけなんだ。」
「変になる…??」
「彼氏と仲良いみたいだし、今の話は忘れてくれよ。深い意味はないからさ。」
そんな言い方されたら余計に気になるんだけど…
私は安堵した顔で笑い合う二人を見て、何かもやっと解決しない事柄を拾った気分になった。
「それじゃ、デート中邪魔してごめんな。」
「えっと…井坂君だっけ?黙って見ててくれてありがとな。じゃ。」
空井君は井坂君の肩をポンと叩くと、来居君と一緒にショッピングモールの中へ歩いていってしまい、私はいったい何が聞きたかったんだろう…と二人の背を見送りながら考え込んだ。
僚介君が変になるって…
私と話してるときは普通だと思うんだけど…
あ、そういえばたまに距離がすごく近いって感じる事があるかも
文化祭のときもそうだったし、急に豹変するっていうか…
私がそこまで黙って考え込んでいると、横から手を握られて、私はハッと我に返った。
「詩織…。やっぱり、今日は予備校休んで、俺ん家来ねぇ?」
「へ?」
私はさっきと真逆のことを言われて、井坂君の顔を見上げた。
井坂君は寂しげな表情をしていて、私はその元気のない顔にキュンとしてしまう。
「俺、まだ詩織と一緒にいたい。」
「え!?!?」
私は井坂君からの甘えられてるような言葉に、キュンどころか胸がギュン!!と苦しくなって、顔に熱が集まった。
こ、こんな井坂君目の前にして断れるわけない!!!
私はガバッと抱き付きたい衝動を抑えて、井坂君の腕にピトッとくっつくのに留めると、「私も。」と返事をして、結局予備校は休むという結果になったのだった。
寺崎僚介の番外編を書いたので、彼の友達たちにも登場してもらいました。
次話は井坂のお家での話になります。