185、乗り越えよう
「もしもし。」
私が何を言われるんだろうか…とドキドキしながら電話に出ると、『詩織?』と井坂君の声が聞こえて、私は声を聞いただけで胸がギュッと苦しくなった。
『急に電話してごめんな?やっぱり…、あんな状態でいるのは…心苦しくてさ…。』
「…うん。…そう…だよね…。」
井坂君は言いにくそうに少し間を空け、大きく息を吸いこむ音が聞こえる。
『今更こんなこと言われてもって思うかもしれないんだけどさ、俺の正直な気持ち言っておいてもいいかな?』
……正直な気持ち?
私は意味深な言い方に怖くなりながらも、井坂君を信じようと心を強く持って「うん。」と返した。
すると、電話越しでも分かる井坂君の緊張した声が耳に届く。
『俺、詩織から合格の通知見せられた時、本当は少しもおめでとうなんて思わなかった。』
――――え…?
『正直な話、……あーやっぱりこうなるか…ってがっかりしたんだ。』
がっかりした…??
『ひどい彼氏だろ?詩織の合格を喜んでやれないなんてさ…。だから、あのときは口を開いたら全部嘘で塗りたくった言葉で固めそうで、何も言えなかったんだ…。ごめんな?』
井坂君が何か言いかけて口を閉じた理由はこれか…と理解して、私はじわじわと目尻が熱くなって瞳に涙が浮かんだ。
「ううん…。私も…一緒だよ…。合格が全然嬉しくなかった…。あんなに勉強してきたのに…、頭の中が…井坂君と離れるってことばっかりで…。」
『うん…。分かってる…。慌てて通知を持って来てくれたときから、詩織は自分の合格よりも俺とのことを考えてくれたんだってことは…。痛いぐらい…分かったよ…。』
私は井坂君に全部伝わってたと知り、ボロボロと涙が零れ落ちる。
『だから、俺は弱いとこ見せられないって思ったんだけどさ…。家に帰って一人でいたら…、色々考えちまって…それがきつくて…。』
ここで井坂君が鼻をすする音が聞こえてきて、私は井坂君が弱音を吐きたくて電話してきたんだとこのとき分かった。
こんなこと滅多にないだけに、居ても立ってもいられず、私は立ち上がって厚手のパーカーを羽織ると尋ねた。
「井坂君、今お家にいる?」
『…え?…いや、今は近所の神社に…。』
「わかった!すぐ行くから待ってて!!」
『は!?詩織!?すぐって――――』
私は反対される前に電話を切ってしまうと、なるべく静かに部屋を出ると階下に降りて、こっそりと家から抜け出した。
そして、所々街灯に照らされた薄暗い道を駆け出す。
神社って、きっと前にも行った西神蔵神社だよね!
私はこういうときこそ井坂君の傍にいなきゃいけない気持ちで、ひたすら足を動かした。
神社までの道でときどき人や車と遭遇して、その度に一瞬怯えながらも気持ちはまっすぐ井坂君へ。
そうして神社前の鳥居が見えたとき、その脇にウロウロしている井坂君の姿が見えて、私は声の音量を抑えて「井坂君!」と声をかけた。
すると私に気づいた井坂君が焦った様子で駆け寄ってくる。
「詩織!なんでケータイ出ないんだよ!?こんな遅い時間に一人で出歩くとか危ないだろ!?」
井坂君は夜だというのに声の音量を考えず怒鳴ってきて、私は落ち着かせようと笑顔で宥めた。
「ごめん。だって、井坂君が一人で寂しい気持ちでいるんだって分かったら…家でじっとなんてできなくて…。」
私がなるべく明るく言うと、井坂君に手を握られて、グイッと彼に引き寄せられる。
「なんでこんなときだけ変に男前なんだよ…。」
井坂君は壊れもののように優しく抱き締めてきて、私は井坂君の体が少し震えていることに驚く。
もしかして…すごく心配かけてしまった…?
私は自分の行動が彼の負担になったのでは…と思い、震える井坂君の背を撫でながら謝った。
「ごめん!私、そこまで心配かけるつもりじゃ…。ただ、井坂君の傍にいたくて…」
「無理だ…。詩織から離れなきゃならねぇなんて…考えられねぇ…。」
――――え……??
私はついさっきまでの自分と同じことを思っていた井坂君にビックリして、井坂君の背を撫でる手を止めた。
井坂君は少し強く抱き締めてくると、独り言のように打ち明けてくる。
「イヤだ…。詩織の声も姿も見れなくなるなんて…――――、こうやって触れなくなるなんて…イヤだ…。詩織を傍で感じていたい…。俺のものなんだって…独り占めしていたい…。」
井坂君…
私は少しずつ強くなる力に胸をギュッと鷲掴みにされ、胸がいっぱいでじわりと目に涙が溜まる。
「詩織がいない毎日なんて想像もしたくない…。これからのことを考えるのが…怖い…。」
井坂君の真に心の奥から出た『怖い』という言葉に、私は堪らなくなって井坂君をギュッと抱きしめ返しながら言った。
「私もっ…井坂君がいない毎日を考えるだけで…すごく怖いよ…。いつも一緒にいたのに…離れるなんて…寂しい…。」
私は堪った涙が溢れて頬を濡らしながら、ずっと心に抱えてたことを打ち明けた。
「ずっと一緒にいたいよっ…。井坂君と……ずっと、ずっとこれからも一緒にいたい…。離れたくない…。」
「………そんなの、俺もだ…。」
井坂君も泣いているのか耳元で掠れた声がして、そっちへ顔を傾けると井坂君の潤んだ瞳と目が合った。
井坂君は抱きしめていた力を緩めて私の頬へ手を触れてくると、ギュッと目を閉じてから苦しそうに言う。
「詩織…。大好きだ…。」
井坂君…
「私も」と言おうと口を開きかけると、もう片方の井坂君の手が私の頬へ触れてきて、井坂君の口に塞がれてしまう。
私は頬に触れている井坂君の手が少し震えているのを感じて、涙が止まらない。
井坂君が大好き
この気持ちに際限なんかない
私は口が離れた瞬間に「大好き。」と掠れる声で告げた。
何度口にしても自分の溢れる想いを伝えきることなんかできない。
私は井坂君が大好き
もう井坂君がいないと生きていけないくらい、井坂君に依存してる
それなのに離れなければいけない日がやってくる
私はそれが悲しくて、辛くて、俯いて涙を拭いながら鼻をすすった。
すると井坂君が私の頭を抱え込むように抱きしめてきて、耳元で「今だけ…離れないでくれ…。」と呟いた。
私はその掠れた声に胸が詰まって、何度も頷いた。
井坂君も私と同じなんだ
私はそれを感じて井坂君を抱きしめ返すことしかできなかったのだった。
***
それからどのくらいそうしていたのか、時間間隔が曖昧になるぐらい私たちはお互いを求めてくっついていた。
さすがに人通りは少ないとはいえ道路でずっとイチャつくわけにもいかず、少し落ち着いてから神社の境内へ移動したんだけど。
私はまだ帰る気分でもなくて、社の階段に井坂君と並んで座っていた。
別に話をするわけでもなく、ただすぐ傍に井坂君がいるっていう温かさを感じて、今の幸せな時間に浸る。
こんな時間が卒業まであとどれくらいあるんだろう…
井坂君の受験もあるから…、きっと年明けぐらいまではあまり一緒にいられないよね…
私はそのことを考えると途端に気分が下がってしまう。
すると井坂君が何か感じ取ったのか、私の手をギュッと握ってくると優しく言った。
「詩織、これからなるべく一緒にいよう。」
「え…?」
「さすがに予備校があったりするときは無理だけどさ、お互いが離れてるときに余計なこと考えちゃうだろ?それが変なストレスになったりして、残り少ない時間を楽しく過ごせないなんて嫌じゃん。だから、可能な限り一緒にいよう。今までよりも、もっと。」
今より…もっと…
私は井坂君が私ともっと一緒にいたいと思ってくれてる気持ちが嬉しくて、また泣きそうになるのを堪えると「うん。」と返した。
井坂君はそんな私を見て優しく微笑んでいる。
「これから先のこと…、考えるとやっぱり不安ばっかり出てくるけど…、その度に一緒にいて、話をして、少しずつ乗り越えていこう…。一緒に。」
――――一緒に…乗り越える…
私は井坂君からの力強い言葉に励まされ、グイッと涙を拭うと思いっきり頷いた。
「うん。井坂君と一緒なら大丈夫。」
今すぐ離れてしまうわけじゃない…
これから先、その日が来るまでに立っていられる強い自分になる
井坂君と一緒に色んな気持ちを乗り越えていこう
私はそう決めて、まっすぐ井坂君を見つめた。
井坂君はそんな私に安心してくれたのか、クシャっと表情を緩めると笑ってくれる。
きっと大丈夫…
今は辛くても少しずつこの気持ちを整理できるはず…
私は自分の胸に手をあてて、瞳を閉じた。
一山越えました。
ここから受験モードへ突入です。




