167、仮面リラクゼーション喫茶
文化祭当日の朝――――
私のクラスでは準備にバタバタと大忙しで、それぞれが担当の持ち場で動き回っている。
という私も衣装のメイド服に着替えて、仮面をつけてちゃんと周りが見えるのかを確認していた。
やっぱり周りがよく見えないな…
たまには仮面外して周囲を確認しないと危ないよね…
私は上手く仮面の隙間から周りを見られる方法を考えて教室をフラフラと動き回る。
そのとき耳に井坂君の声が聞こえて、思わず反応してそっちに顔を向ける。
「なぁ、赤井。これ髪の毛が邪魔になんだけど。ワックスで固めたはずなのに、弱かったのかな?」
井坂君が首から仮面を下げながら前髪を後ろに撫でつけていて、私は仮面を頭の上にクイッと上げると井坂君に駆け寄った。
「井坂君。私、ピンあるよ。留めてあげる。」
「詩織…。じゃあ、頼もうかな。」
井坂君は少し屈むと私の方へ頭を傾けてくる。
私はそこで井坂君の髪をこうして触るのが初めてだと気づいて、少し緊張してきた。
だ、大丈夫…
サッと留めるだけ…留めるだけだから…
私は井坂君の顔にかかってる前髪を手で後ろに持っていくと、井坂君に突き刺さらないように持っていたピンで慎重に留めた。
他の髪の毛も落ちそうだったので、念のため何本か使って一緒に留めてしまう。
そうして仕上げると、私は井坂君のピンを留めた姿を確認して胸がキュンとなった。
ピンしてる井坂君…なんだか可愛い…
私は咄嗟にポケットからケータイを取り出すと、無防備な井坂君の横顔をパシャッと撮った。
「あ、今、なんかしただろ?」
「え…。あ、うん。つい…。」
私はケータイをサッと背後に隠すと、追及されないように目を逸らした。
するとピピッという音がして視線を戻すと、井坂君がデジカメを持っているのが目に入った。
「ウソ!?デジカメ!?」
「へへっ!どうせなら高画質で撮ろうと思ってさ!」
井坂君は悪戯っ子のように笑いながら、しゃべりながらも何枚も写真を撮ってくる。
私は自分がたくさん撮れられてることが恥ずかしくて、やめてもらおうとデジカメに手を伸ばした。
「もうダメだよ!!撮りすぎ!私も井坂君撮りたい!!」
「だーめ!これは俺のだから。」
井坂君は高身長を生かしてデジカメを頭のはるか上にやってしまい、私が届かないようにしてしまう。
私はそんな意地悪にムスッとすると「ずるい!!」と文句を言った。
でも、井坂君は嬉しそうに笑ったまま隙あらば写真を撮ってくる。
私はそれに歯向かいたくて何度も手を伸ばすけど、取れなくて悔しい思いだけが募る。
そうして二人でカメラ戦争していると、背後から不機嫌そうな声が聞こえた。
「二人でじゃれつくのもそこまでにしてくれる?」
「あ…、あゆちゃん。」
背後に腕を組んで仁王立ちしていたのはあゆちゃんで、その横に呆れ顔の赤井君も見える。
「そろそろ開場だぜ?イチャこいてないで、キリキリ働いてくれよー。」
赤井君が怒ってるだろうあゆちゃんの肩をポンと叩くと、皆に声をかけに向かって行く。
あゆちゃんは私たちに「そういうのは休憩時間にやって!」と言い残すと、赤井君の所へ…。
「怒られちゃったね?」
私が井坂君を見上げると、井坂君はデジカメをポケットに直していて、私に笑顔を向ける。
「言われた通り、キリキリ働けば文句はねーんだろ。また、昼過ぎの休憩でな。」
井坂君はそう言って私に軽く手を振ると、赤井君のご機嫌とりに行ったのか赤井君に声をかけて何か言っていた。
私は井坂君があっさり行ってしまったことに少し寂しくなったけど、気持ちを切り替えて接客の準備に取り掛かったのだった。
***
「おっ、おかえりなさいませ!ご主人様。」
そろそろお昼になるかという頃に、私たちのリラクゼーションサロンはお客さんでいっぱいになり、私は若干緊張しながら接客をこなしていた。
最初はカミカミだったお出迎えの言葉も、今はなんとかサラッと言えるようになった。
仮面がなかったら照れくさくて人と目を合わす事もできないだろう…
注文を聞いたらそれを裏方の子たちに伝えて、料理やドリンクを運ぶ。
まぁ料理といってもサンドイッチやパンケーキ等の軽食と、デザートのアイスクリームやプリン等だけど。
ドリンクはリラクゼーションと銘打ってるのもあり、ハーブを使ったものをたくさんの種類用意している。
そして私は狭い視界の中、お客さんや同じ接客の子とぶつからないように細心の注意を払う。
そうして接客業をこなしながら、休憩時間まであと十分だと、時計を確認して胸を高鳴らせたとき、思わぬ人と再会した。
私は時計を見ていたことで周りへの注意が抜けていて、お客さんの一人とぶつかってしまった。
その人は慌てて私の腕を掴むとこける寸前で助け起こしてくれて、私は慌てて仮面をとってお礼を言った。
「すみません!!私の不注意で!!ありがとうございました――――。」
「いえいえ。俺も違うとこ見てたから…。」
あれ…??
私は目の前で笑う大学生ぐらいの男性を見て、見覚えがあると首を傾げた。
明るい茶髪に前髪をワックスで立たせていて、少しチャラついた感じの物腰…
私はどこで会ったんだろうと目を細めると、その人が私を指さして声を上げた。
「あ!!君、ナースちゃんだ!!」
「―――――え…?…………あ!!!!」
私は『ナースちゃん』と言われた姿で二年前のことを瞬間的に思い出して、大きく息を吸いこんだ。
「も、もしかして…あのときの先輩ですか!?ここの卒業生の…。」
「おー!!覚えててくれたんだ!!そうそう!あんときの俺!川上雄大!まさかとは思ったけど、懐かしいなー!!」
ケラケラと笑うこの川上先輩は、二年前の文化祭、ゾンビナース姿だった私に絡んできた先輩で、私はあの頃と同じ軽い空気に少し警戒する。
「あははっ!それにしてもナースちゃん、すごく可愛くなったね。あのときより大人になった感じして、その格好も魅力的だよ。」
「え…っと…。とりあえず、ありがとうございます。」
私は見え見えのお世辞にとりあえずお礼だけ口にする。
すると先輩はぶはっと笑いながら私の肩を叩いてくる。
「ははっ!すっげー警戒してんなぁ~。まぁ、あんときは俺らも若かったし、許してくれよ。もうあんな強引なことはしないからさ。」
先輩は器用にウィンクしてきて、私はそんなことをする人がこの世にいることに鳥肌が立った。
「せ、先輩はどうして今日ここに?」
「ん?まあ、なんとなく気が向いたからだけど、ちょっと社会に出る前にもっかい青春を味わいたかったってのもあるかな。」
「社会…って…。どういう意味ですか?」
「そのまんまだよ。俺、美容学校行っててさ。来年からは店で働くんだよ。だから、社会に出る前に学生生活のまとめをしたかったのかな。」
そっか…専門学校だと二年だから、もう働き始めるんだ…
私は社会に出るということがあまり理解できなくて、先輩のいうまとめを上手く受け止められない。
でも二年前とは違って、チャラさの中にもまっすぐ未来を見る目を持ってる先輩を、少しだけ見直すことができた。
これが大人になるっていうことなのかも…
私は人は変わるもんだな…と思っていたら、急に後ろから肩を掴まれて目の前に大きな背中が立ち塞がってきた。
「詩織に何かご用ですか?」
私と先輩の間に割り込むように入ってきた大きな影は井坂君で、私は慌てて後ろから井坂君に声をかけた。
「井坂君!私、話してただけだよ!!」
「あー!!君、あのときのドラキュラ君!!なんか貫録でてきて、ますますカッコよくなったなぁ!」
「あ?ドラキュラって…、あんたまさか…。」
井坂君もあのときの先輩だと気づいたようで、より一層私を近づけまいと私を前に出さないよう腕を後ろに下げてガードしてくる。
「ははっ!その様子じゃナースちゃんとドラキュラ君、付き合ってんだ?もしかして、俺らちょっとキューピッドの役割しちゃった?」
「んなことあるわけないじゃないですか。また絡みに来たなら、早々にお引き取り下さい。」
「相変わらずガードがっちがちだなぁ~。そんな警戒しなくても、今日は彼女と来てるからナースちゃんに手を出したりしないよ。」
「え?」
これには私も井坂君も驚いて目を見開いた。
先輩は座ってただろうテーブルに目を向けると手を振る。
そこには綺麗な茶髪のお姉さんが座っていて、嘘じゃないという事が分かった。
…あんな綺麗なお姉さんが彼女…
ビックリ…
私は会釈してくる大人なお姉さんに同じように軽く頭を下げた。
「な?だから、そんな睨むなって。俺が後輩イジメてると思われるだろ?」
「………すみません。」
井坂君は少し不服そうに声のトーンを落とすと、私のガードを下げた。
「それじゃ、せいぜい学生時代を満喫しなよ。もう二度とやってこない楽しい時間なんだからさ。」
先輩は意味深に言い残すと、井坂君の肩をポンと叩いてからお姉さんと並んで教室を出て行った。
私と井坂君はその背を呆然と見送って、先輩独特の空気にやられた気分ですぐに言葉が出てこない。
「なんかちょっと大人になってて腹立つ…。」
「え?」
井坂君がぼそっとぼやくように言って接客へと戻っていく。
私はその背を追いかけると、どういうことか尋ねた。
「腹立つってなんで?なんか普通に良い先輩になってなかった?」
「だからだよ。――――あいつだけ大人になって、自分がガキのままみたいでちょっとムカついたんだよ。」
大人になりたいってことなのかな…?
「……私は…子供のままがいいかなぁ…。」
私は追いかける足を止めると誰に言うでもなく呟いた。
井坂君が私の言葉を聞いて振り返ってくる。
「……なんで子供のままがいいわけ?」
井坂君は面食らったように尋ねてきて、私は高校を卒業した後のことを想像して答えた。
「…今がすごく幸せだから。だから、このままがいいなってだけなんだけどね。」
私は本心を胸の奥に押し込むと笑って誤魔化した。
―――――今は未来を想像することが怖い
離れ離れになる先の事よりも、今を大切にしたい―――――
井坂君は私の言い方から何か察したのか、少し不安そうな顔をすると私の手を握ってきた。
「……休憩、行くか。」
「え、あ。もうそんな時間なんだ。」
私は教室にある時計で時間を確認すると午後一時を示していた。
井坂君は仮面を外して接客していた赤井君に「休憩入るぞ。」と声をかけてから、私の手を引いて教室を出て行く。
歩く井坂君の足取りは速くて、私は少し走りながら井坂君の様子がおかしいことに気づいた。
私があんな言い方したから…何か伝わっちゃったのかな…
私は井坂君から東聖を受けると聞いた日から度々井坂君のいない大学生活を想像して、落ち込んでいた。
それをなるべく表面上に出さないようにはしてきたけど、時折胸が詰まるような切なさが襲ってきてたまらなくなる。
井坂君と一緒にいたいという私の願いは…贅沢なものなのだろうか…
どうして世の中っていうのはこうも上手くいかないんだろう…
私は温かい井坂君の手を握り返して、泣きたくなるような感情を抑え込んだ。
懐かしい先輩の登場でした。




