164、打ち明けられた進路
「はよ。」
推薦入試で関西に行った次の日の朝、井坂君が玄関を出てすぐの所に立っていて驚いた。
いつもは少し先の曲がり角で待っているからだ。
「お、おはよう…。」
私は驚きすぎて顔が固まったまま挨拶だけ口にした。
井坂君は固まってる私に構わず私に背を向けると「行こ。」と学校へ向かって歩き出す。
私はそこでやっと我に返って小走りで井坂君の隣に並んだ。
「いつもと違う登場だったからビックリしたよ。」
「登場って…。俺、なんかのキャラクター?」
「そういうんじゃないけど…。」
私はクッと笑い声を押さえて笑う井坂君を見て、様子が変だと直感で感じた。
いつもみたいに笑ってるけど…
何かが違う感じがする…
私は以前も感じた不安がふと胸を過って、上手く笑えない。
すると井坂君が一度咳払いしてから、「あのさ…。」と緊張した声で言って、私はドキッとしながら井坂君を見上げた。
井坂君はまっすぐ前を向いていて、長い前髪に目元が隠れていて表情が読めない。
「……今日、ちょっと話したいこと…あるっていうか…。」
井坂君の意味深な言い方に私はすぐ声が出ない。
「……話したいこと…?……って何?」
「えと…。その…。」
井坂君は言いにくそうに私から顔を完全に背けてしまって、何か余程のことなのだと感じ取った。
私はドクンドクンと心臓が嫌な音を奏でていて、どんどん不安が大きくなる。
何の話なんだろう…
まさか…別れ話…とかじゃないよね…?
私は最悪の場合を想像して、不安が加速していく。
悪い事ならさっさと言ってくれた方が気分的にもいいんだけど、井坂君は言い澱んだまま続きを口にしない。
それどころか何もしゃべらなくなってしまって、気まずい沈黙だけが続く。
息が苦しい…
早く言って欲しい…
もうどんなことでも正面から受け止めるから
私はこの沈黙が何より苦痛だったので、話の続きを促そうと口を開いた。
でもそこで背後からの乱入者に邪魔されてしまう。
「まだ、こんなとこ歩いてた。」
「あ、大輝…。」
いつの間にか後から家を出た大輝に追いつかれて、私の横に大輝が並ぶ。
「井坂さん、おはよーございます。」
「あ、おはよう。大輝君…、もしかしてまた背伸びた?」
「え、そうっすか?」
井坂君が目だけで少し大輝を見上げて顔を引きつらせる。
大輝は自分の頭を手で押さえて首を傾げている。
確かにいつの間にか大輝が井坂君より大きくなってる気がする…
下手すると赤井君と並ぶかも…
私は昨日一緒にいた赤井君を見上げてる気分で、大輝を見上げる。
「ウチの家系、皆背高いんで、あんま自分が伸びた感じしないんですよね…。姉貴もこの通りでかいし。」
「ちょっと!でかいとか言わないでよ…。気にしてるんだから…。」
私は少しでも可愛い女の子でいたかったので、大輝のデリカシーのない発言に黙ってられなかった。
大輝は「へいへい。」と投げやりに返事しながら頭の後ろで手を組む。
すると、そんな私たちの所へ登校中の女子が何人かやって来た。
「おはよ!!大輝君!」
「あ、井坂先輩もおはよーございますっ!!」
「ねぇ、一緒に学校行こー!」
三人組の下級生らしき女子たちは、大輝を取り囲むと朝からハイテンションに大輝に話しかける。
大輝は露骨に嫌そうな顔をすると、その子達から離れてなぜか井坂君の背後に隠れてしまう。
「悪いけど、女子と学校行くとか気持ち悪いから。勝手に行けよ。」
「えー!?何それっ!大輝君って面白いね~!!」
「ホントー!もしかして照れてる?」
「照れてねーし。お前らベタベタくっついてきて気持ち悪いんだよ。お前らと行くぐらいなら姉貴と一緒に行くから。」
女子の事、物凄く毛嫌いしてるな~…
私がここまで壁を作る大輝に呆れていると、女子の目が私に向いた。
「大輝君のお姉さんなんですか?」
「え!?」
「あ、そういえば真紀たちが言ってたよ。井坂先輩の彼女、大輝君のお姉さんだって!」
「え!?そうなんだ!!」
「やっぱり大輝君のお姉さんだけあって、背が高くてカッコいいですね!!」
カッコいい!?
私は初めて言われた褒め言葉に目を白黒させていると、大輝が井坂君の背に隠れたまま口を出してきた。
「俺、そういう言い方嫌いだから。姉貴のこと褒めてるように言ってるつもりだろうけど、女子ってホント何でも比べて虫唾が走る。そんなに自分が偉いと思ってるわけ?」
大輝の辛辣な言葉にこの場の空気が凍り付く。
私は呆然としている女子と井坂君に隠れたままの大輝を見て、どう間を取り持ったものかと頭を悩ませる。
すると空気を読んでか読まずか、井坂君が拍子抜けするようなことを口にする。
「大輝君は詩織がすげー好きなんだな。」
「え?」「は?」
私と大輝が気の抜けた声を出すと、井坂君は良い笑顔で言った。
「いつも仲良いよな。俺、ちょっとヤキモチ妬いた。」
私は井坂君の笑顔と『ヤキモチ』という言葉に胸を打ち抜かれ、キュンっと胸が苦しくなった。
井坂君の後ろでは大輝が真っ赤な顔で「仲良くねーしっ!!」と声を荒げていて、照れたのか猛ダッシュしながら学校へ向かって行く。
そんな大輝を追いかけるように女子たちも「待ってー!!」と走っていってしまって、私と井坂君は見つめ合って二人の時間に浸ってしまったのだった。
井坂君からの大事な話のことなど、すっぱりと忘れて…
***
でも授業を受けてる間に、朝の不安をじわじわと思い出してきて、私はお昼ご飯を食べ終わったときに、あゆちゃんたちに打ち明けた。
「……井坂君、私と別れたいのかな…。」
私が呟くように不安を口にすると、皆がおしゃべりをやめて絶句してしまった。
そして、私がちらっと様子を窺ったのを見て、その沈黙を笑い声が破る。
「あはははっ!!そんなのあり得ないでしょ!?」
「そうそう!!昨日の井坂の姿、しおりんに見せてあげたいよ!!」
「ホント!!あれ見てたら、別れるとかいう言葉なんて出てこないから!」
「昨日のって…?」
私がいなかった昨日、何があったのか知りたくて尋ねると、皆がそろって顔をにやにやと緩ませてくる。
「昨日さ、井坂、ずーーーーーっと元気なかったんだよ?」
「そう!生ける屍みたいでさ、いつものオーラがなくて島田と北野が気にかけてた。」
「きっと詩織がいなくて寂しかったんだって!」
「……そんなに元気なかったの?」
確かにもらったメールからは寂しい気持ちは伝わったけど、とても皆が言うほど重症だったとは思えない。
でも皆は声をそろえて「もう凄かったんだから!!」と言う。
私は今朝のことが分からず、ますます混乱してくる。
すると今まで口を開かなかったあゆちゃんが聞いてきた。
「なんで急に別れたいなんて思ったわけ?そんなこと口にするなんて、何かあった?」
「うん…。なんか今朝…、真剣な顔で話したい事があるとか言われて…。」
「話したい事…?」
タカさんが興味津々に乗り出してきて、あゆちゃんが驚いている顔が隠れる。
「そう…。何の話か聞けなかったんだけど…、あの様子はかなり重要な話なんじゃないかと思って…。そしたら別れ話しか思い浮かばなくて…。」
「あははっ!!話がある=別れ話って!!しおりん、短絡過ぎだよー!」
「そうかな?でも、本当に真剣だったんだよ!?すっごい長い沈黙だったし、様子も変で…。なんか不安になって…。」
私が自分の不安を打ち明けると、タカさんの後ろであゆちゃんが立ち上がってどこかに行くのが見えた。
どこに行くのか気になりながらも、話を聞いてくれるタカさんに目を戻す。
「私の勝手な予想だけど、そんな深刻な話じゃないんじゃない?まず、別れ話はあり得ないし。すごい小さなことを思い詰めて大きくなっちゃってるとか?とにかく、話しに来るまで気にしない方がいいと思うけどな~。」
「そうなのかな?」
「そうだよ!!どうせ、大したことじゃないんだって!しおりんは何でも大事に考え過ぎ!」
タカさんが軽く笑いながら言ってくれて、私は気持ちが少し楽になる。
まぁ…、私が勝手に不安になってただけだもんね…
タカさんの言う通り、井坂君から何かあるまでは気にしないでようっと
私はふっと息を吐くと、タカさんに「そうだね。」と返してから水筒のお茶を飲んだ。
そこでタカさんに意識が向いて、ちょっと聞きたいことを口にした。
「タカさん。そういえば、最近瀬川君とは…話とかしてる?」
「瀬川君?……まぁ、会えば話はするけど…。女性恐怖症もだいぶマシになったみたいだし、二年のときに比べたら接点は減ったかな…。」
タカさんが少し表情を曇らせてしまって、私はそれを見ないフリして明るく話題をふる。
「そうなんだ!あ、そういえば、瀬川君、スポーツ推薦で桐來受けるって言ってたよ。私、対策とか聞かれてたんだけど、昨日は瀬川君見なくてさ~。スポーツ推薦は日が違うのかもしれないなー。」
「え…?瀬川君、しおりんと同じ桐來受けるの?」
タカさんは初耳だったのか、目を見開いて驚いていて、私はタカさんを見つめ返して頷いた。
「うん。スポーツ推薦で桐來受けられるなんてついてるって、喜んでたよ。」
ここまで聞いたタカさんは急に立ち上がると「ちょっと出てくる!」と言い残して教室を飛び出して行ってしまった。
私はこんな衝動的に走って行くタカさんを初めて見て、ちょっと驚いた。
それと同時にタカさんにも熱い一面があったんだと嬉しくなる。
「あれ?タカちゃん、どうしたの?」
「ふふっ。ちょっと青春しに行っただけ。」
「何なに!?タカちゃんが青春って何!?詩織だけ知っててずるいっ!!」
私は篠ちゃんに詰め寄られてタカさんのことを聞き出されそうになったけど、「内緒。」とだけ口にして躱した。
すると、ちょうどそこへあゆちゃんと一緒に井坂君がやって来て、私は朝と同じ空気を井坂君から感じ取って顔が固まった。
「詩織。ちょっと、こっち来てくんねぇ?」
「………う、うん……。」
私はタカさんのアドバイスのおかげで消えていた不安が呼び戻って、声が小さくなる。
井坂君も井坂君で何だか緊張した顔をしているし、私は嫌な予感が止まらなくて顔が青ざめてくる。
そして、女子の皆に見送られながら教室を後にすると、井坂君は階段を上がって天気の良い屋上へ。
私は屋上のちょうど人気のない少し影になった場所で井坂君が立ち止まるのを数歩後ろで見つめると、井坂君が神妙な面持ちで口を開いた。
「あのさ…朝、言ってた…話したいことなんだけど…。」
来た…!!!
私は緊張で声が上擦りそうになりながら、なんとか相槌を返す。
「……う…ん…。」
「……その…、実は……。」
井坂君がやっぱり言いにくいのか途中で言葉を止めてしまって、私は自然と息を止めてドキドキしながら井坂君を見つめる。
最悪のケースはいっぱい考えた!
それはないって皆は言ってくれたし、あれ以上にショックなことは言われないはず!!
私はどうか大きなことでないことを願って生唾を飲み込んだ。
すると、やっと言う決心がついたのか井坂君の真剣な目が私に向いた。
「俺、東聖を受験することに決めたんだ。」
…………
――――――???
「………え?」
私は何を言われたのかよく理解できなくて、思わず訊きかえしてしまった。
井坂君はキュッと眉間に皺を寄せると少し俯いて話し始める。
「…俺が学びたいって言ってた教授いるだろ?…その教授が、この冬に東聖に異動するらしくて…。俺、その人がいなけりゃ西皇受験する意味ねーし…。だから、志望校を東聖に変えたんだ。」
東聖…って…
確か…関東にある…大学…
「詩織に言わなきゃって…ずっと思ってたんだけど…。教授の異動の話、決まったって連絡受けたの…夏休み終わる二週間前で…。詩織、もう桐來の願書出し終えてたし…。詩織の試験に影響でたら困ると思って、内緒にしてた…。」
私は夏休みが終わる二週間前と聞いて、ちょうど最初に井坂君の様子が変だと感じたときのことを思い出した。
桐來の試験の前も…井坂君の様子…おかしかった…
井坂君の異変に気づいていたのに…、私…見ないフリしてた…
井坂君が私の試験のことを考えて、言えなくてずっと抱え込んでたのに…
「ごめん…。詩織…、今まで内緒にしてて…本当にごめん…。」
私は辛そうに顔を歪めて頭を下げる井坂君を見て、今まで感じてた不安がなくなり、ストンとすべてを理解することができた。
そして、自分が井坂君に返すべき言葉がするっと口から出てくる。
「そっか。じゃあ、私は…井坂君を応援しなきゃだね。」
「――――え?」
井坂君が驚いて目を丸くさせている。
「東聖って、西皇より難しいんだよね?だったら、私は井坂君の勉強の邪魔しないように…応援するよ。」
「え、応援って…。俺、詩織にこのこと内緒にしてて…。」
「うん。…それは、私のことを考えてだったんでしょ?それなら、井坂君を責められないよ。」
「で…でも!!俺が東聖を受けるってことは、俺ら…大学は離れ離れになるってことで!!」
<離れ離れ>
私は井坂君の口からその言葉を聞いたとき、グッと熱いものが込み上げてきて、私の頬を涙が濡らし始めた。
無理やり笑顔を作って、理解ある彼女を演じてみたけど、それはすぐに脆く崩れ去った。
嫌だ…
離れるなんて…絶対にイヤ…
目の前で井坂君の顔が苦しげに歪むのが見えたけど、私は頬を濡らす涙が止められない。
井坂君を困らせてしまうのは目に見えていたのに、私は嗚咽を堪えながらただ涙を流したのだった。
やっと詩織に打ち明けました。
まだあと一話続きます。




