122、美空と陸斗
私はお兄さんの事で頭がいっぱいになっている内に寝てしまってたのか、リビングのソファで目を覚ました時には身が縮み上がった。
彼氏の家のリビングで堂々と寝るなんて!!!
私は焦って勢いよく体を起こすと、井坂君のお母さんがちょうどテーブルを挟んで向かいにいて、思いっきり頭を下げた。
「すっ、すみません!!ソファ占領して寝ちゃって!!なんてお詫びをしたらいいか…!!」
「あらあら、そんなに頭を下げないでいいのに。色々私たちも質問攻めしちゃったから疲れちゃったのよね。」
お母さんは気にもしてないようだったけど、私は印象が悪くなったのでは…と不安で「すみません。」と頭を下げ続ける。
「もう頭を上げて?それだけリラックスしてくれてるんだと思うと、私も嬉しいんだから。拓海も幸せそうに寝てるしね。」
「え…?」
私はお母さんに言われて初めて、井坂君が目の前に寝てることに気が付いた。
ソファに頭をのせたまま子供みたいに眠っている。
「拓海がリビングでこんなに無防備に寝るのなんて珍しいのよ。というか、家族でこんなに盛り上がったのなんて何年ぶりかしら。」
「……そうなんですか?」
お母さんはテーブルの向かいに座って私を見て嬉しそうに笑っている。
私はソファの上で正座すると、お母さんの話を聞こうと耳を傾ける。
「美空が一人暮らしを始めてからは、陸斗も拓海もあまり家に寄りつかなくなってね…。拓海なんか舜君の家にいる方が多いんじゃないかしら。」
言われてみて、私はいつだったか赤井君から聞いた事を思い出した。
確かまっすぐ家に帰る事はあまりないって…
俺の家に入り浸ってるって言ってたっけ…
お母さんはニコニコしながら少女のような笑顔を浮かべている。
「だから今日は詩織ちゃんがいてくれたおかげで、拓海とたくさん話もできたし、色んな顔も見れて大満足なの。今日は本当にありがとう。」
「え!?そんな!!私の方こそ、お話できてとても楽しかったです。井坂君のご家族はとてもあったかい方達で…なんだか自分の家族みたいな気分でした。」
私はこんなに優しいお母さんとお姉さんが他人に思えなかったので、お世辞なしで口にした。
すると、お母さんはふふっと笑って「そう思ってもらえたなら、嬉しいわ。」と言った。
そして、その後に驚きの言葉を口にする。
「これでいつでもお嫁に来ても大丈夫ね。」
「え!?お嫁!?」
私はあまりにも飛び越えた話にぼふっと顔が熱くなって真っ赤になる。
お母さんはそんな私をからかうように見ながら、嬉しい事を言ってくれた。
「二人が仲良く寝てる姿見てたら、そういう想像をしちゃったのよ。ホントに仲が良いわよねぇ~。」
私は嬉しそうなお母さんを見てられなくて、寝てる井坂君に視線を落とす。
そのとき、井坂君の寝顔をこうして見るのが当たり前になれば、結婚…ってことも近くなるのかも…なんて思ってまた顔が熱くなった。
「そういえば時間は大丈夫?そろそろ暗くなってきちゃうけど…。」
「え…。」
井坂君のお母さんが立ち上がりながら言って、私は窓の外を確認してからポケットに入れていたケータイを取り出した。
そして画面を開けて見て、お母さんから着信があったと記されていて、血の気がサーっと冷えていく。
「家から電話があったみたいなので、こっ、ここで失礼しますっ!!」
私は慌てて立ち上がると、ハンガーに掛けられていた自分のコートを取りに向かった。
「あら、本当?今、拓海を起こして送らせるわね。」
「あ!!いえ!!私一人で大丈夫なので、井坂君はそのまま寝させてあげてください。」
「そう?でも、もうすぐ暗くなるし…。」
お母さんが困ったように顔をしかめたとき、リビングの扉が開いて「ただいまー。」とお兄さんとお姉さんが同時に姿を見せた。
「あれ?詩織ちゃん、帰るの?」
「あ、はい。お母さんから電話があったみたいなので…。」
私がスーパーの袋を持っているお姉さんにそう告げると、お姉さんが隣にいたお兄さんをバシッと叩いて言った。
「陸斗。このまま送ってあげなよ!!」
「は!?何で俺が!!拓海に任せればいいだろ。彼氏なんだからさ!」
「拓海、今寝てるのよ。」
「起こせばいいだろ!!」
お兄さんとお姉さん、それにお母さんまで一緒に揉め始めて、私は「一人で帰るので…。」と口を挟もうとするが、聞き入れてもらえない。
ど…どうすれば…
「もう!!拓海は寝てるんだから、陸斗が行けばいいの!!ちょうど身支度整ってんだし。この後、何もすることないでしょ!?」
「そりゃあ、……そうだけどさ。」
「じゃあ決定!!」
最終的にお姉さんが取り仕切る形でお兄さんを黙らせてしまって、私はこんなにアッサリ引き下がるお兄さんを見て、やっぱり気になってしまう。
私はお兄さんと一緒に玄関に行くと、見送ってくれるお母さんとお姉さんに挨拶した。
「今日はお邪魔しました。すごく良くしてくださって嬉しかったです。」
「いいのよ~。またいつでも来てね。」
「そうそう!私、まだ話足りないぐらいだから!!この休みの間にもう一回おいでね!!」
「はい…。じゃあ、井坂君と相談します。」
私は元気で明るいお姉さんを見て苦笑した。
そしてお二人に見送られながら井坂君のお家を後にしたのだった。
「詩織ちゃん、美空にえらく気に入られたね。」
井坂君の家を出てしばらくしたところで、お兄さんが声を弾ませながら言う。
私はどことなくご機嫌なお兄さんを横目に見て、胸にずっと引っかかってる疑問が気になって仕方ない。
「お、お姉さん…すごく楽しい方ですね。」
「だろ?美空は昔っからあんな感じ。家の空気を良くするムードメーカーなんだよ。」
「そんな感じしますね。」
私が美人だけど気さくで明るいお姉さんを思い返して答えると、お兄さんが口角を上げて子供みたいに笑った。
私はそんな笑い方をする事がすごく意外で、ずっと気になってた事を口に出さずにはいられなくなった。
「あ、あの…お兄さんとお姉さんは…双子…なんですよね?」
「うん。そうだよ。二卵性双生児。性別が違うだけで、正真正銘の双子。それが何?」
私はどう聞いたものか迷いながら、口にする。
「えっと…私、二人が好きだって言い合ってるの聞いてビックリしちゃって…。双子の絆ってそこまで強いんですね…?」
私はお兄さんの表情を窺おうと横目で盗み見る。
お兄さんはまっすぐ前を向いたまま、どこか遠い目をしてるような気がする。
「周りからは…あまり理解されないことも多いかもなぁ…。生まれた時から、ずっと一緒で…小さい頃はお互いがいればそれで十分だったんだよな…。好きなものだって、好きな食べ物だって全部一緒なんだぜ?ある意味すげーよな!」
お兄さんが目を輝かせ始めて、私は無邪気なお兄さんに胸がドキッとした。
「美空のことを一番分かってるのは俺。俺の事を一番分かってるのは美空。これだけは誰にも譲れない。双子ってそんな関係だよ。」
その言葉がお兄さんの本音に聞こえて、私は胸が苦しくなって堪らず足を止めた。
そして振り返るお兄さんを見つめて、私は意を決して言っちゃいけないことを口にした。
「お兄さんは…そんなお姉さんを…双子という関係なしに、好きなんじゃないですか?」
言ってしまった…!!
私は気づいてしまった以上、自分の中だけで留めるのが苦しかった。
お兄さんは目を丸くさせて、その場で固まっている。
私は訊いたところで何もできないのは分かっていたけど、言わずにはいられない。
「今日のお兄さん。私が今まで見てきたお兄さんと全然違いました。お姉さんを見て喜んでる姿や照れてる姿が…何よりお姉さんを見る目が、好きだって訴えてた。すごく、すごく好きなのに…言えなくて辛いって顔をしてた。」
私は大きく息を吸いこむと、ハッキリお兄さんに向かって言った。
「お兄さんはお姉さんの事が、姉弟としてじゃなくて…一人の女性として大好きなんですよね!?」
私が言いきると、お兄さんがさっきまでとは打って変わって冷たい目で私を見てきて、私は自分の言ったことを後悔した。
お兄さんは私に近付いてくると、私の胸倉を掴んで道路の塀に押し付けてくる。
そうして、私が縮み上がっていると、お兄さんが低い声で言った。
「―――だから?詩織ちゃんは確かめてどうしようっての?」
私はお兄さんを見つめて呼吸が浅くなる。
ピりりとした空気が肌に刺さって、言葉が口から出てこない。
「俺が美空を好きだろうと、そうでなかろうと詩織ちゃんには関係ないだろ。」
「で、でも!!お兄さんが叶わない想いから苦しんで、今たくさんの女の人と付き合ってるなら…それは相手も自分も傷つけることになるん――――」
「だから!!それが詩織ちゃんには無関係だろ!?」
お兄さんが初めて私に対して怒鳴ってきて、私は大きく目を見開いた。
目の前にあるお兄さんの顔は…怒ってるんじゃない…、どこか苦しんでる顔だ。
私は怒鳴られたのが怖かったけど、臆病な私にしては不思議と涙は出なかった。
「俺が叶わない想い抱えてようが、それで女遊びに逃げてようが…、詩織ちゃんは困らないだろ!?なんで首突っ込んでこようとしてんの!?」
「だ、だって…大好きな人のお兄さんだから!!」
私は手が微かに震えていたけど、胸倉を掴んでいるお兄さんの手に重ねると言った。
お兄さんが大きく目を見開いて、その奥の瞳が少し揺れる。
「わ、私は井坂君と一緒でお兄さんにも苦しい思いをしてほしくない!!お、お兄さんの気持ちがいけないものだって…分かってます!!言っちゃいけないものだっていう事も…分かってます!!だけど、相手に伝える事が悪い事だなんて思いません!!」
私はお姉さんへの想いで、がんじがらめにされてるお兄さんを解放してあげたかった。
このままだと一歩も前に進めないままになると、過去の自分も重なって口にした。
「お兄さんの気持ちを整理するためにも、お姉さんに伝えるべきだと思います。ちゃんと口にして認めないと……ずっとこのまま前に進めずに、お姉さんが…――――。」
私はここから先の言葉は口にできなかった。
お姉さんには彼氏がいる。
7年も付き合ってるほどの人が…
このままいくと、きっとお姉さんはその人と結婚してしまうだろう…
そうなったら…お兄さんはきっと一生前に進めなくなってしまう…
私はそれだけはダメだと思った。
するとお兄さんの手の力が弱まって、私は力の失ったお兄さんの手を両手で支えた。
「……好きだよ…。美空のことは…生まれた時からずっと好きだ…。」
急にお兄さんが告白してきて、私は驚いてお兄さんを見つめた。
お兄さんは泣きそうな顔で目の焦点が合っていない。
私はその顔を見ただけでもらい泣きしそうになって、目の奥が熱くなって目の前が霞んでくる。
「美空に…中学で彼氏ができたとき…、目の前が真っ暗になった…。なんで双子なんだって…どうして血が繋がってるんだって…自分の生まれを恨んだ。他人だったら良かったって…何度思ったか分からない…。」
私は我慢できない涙が頬を伝って、ただ打ち明け続けるお兄さんの手を握りしめるしかできない。
お兄さんは塀に片手をつくと俯いてしまって表情が見えなくなった。
「詩織ちゃんがいう事も…ちゃんと分かってる…。いつかは…整理をつけなきゃいけないことぐらい…分かってるよ…。だけど…。」
お兄さんはここで言葉を切ると、私から離れて背を向けてしまった。
握っていた手も自然と離れる。
「言うわけにはいかない。これは自分の気持ちを自覚したときから、決めてたことだ。」
「な…なんで?」
「……美空を見てたなら分かるだろ?」
お兄さんがどこかスッキリした顔で振り返ってきて、私は頭にお姉さんの姿を浮かべた。
そこで、お姉さんが井坂君の事を心配していた事を思い出して、井坂君のことをまるで自分のことのように抱え込んでいたと思った。
そこから、お兄さんの言えない理由にも思い当たる。
お兄さんが好きだなんて言ったら、お姉さんは気持ちに応えられず苦しむことになるかもしれない。
お姉さんの事が大好きなお兄さんだから、自分が苦しむ道を選択したんだと分かった。
「いつか整理はつける。だから、俺の言った事は美空にも拓海にも絶対に言わないでくれ。」
「……でも…いつかって…。」
私は今のお兄さんを見ていると、整理がつく日がくるのか分からないと思った。
だって、まだまだ大好きだって…表情で言ってる。
「俺、今までこの気持ちを誰かに打ち明けたことなんてなかった。だから、今日詩織ちゃんに挑発されて口に出してみて、少しスッキリしてる。だから、もう気にしないでよ?」
私はお兄さんがこれ以上踏み込むなと言ってる気がした。
だから、私は濡れた頬を手の甲で拭うと口元に笑みを作って小さく頷いた。
「わかりました。」
お兄さんは私を見てふっとお姉さんに向けていたような優しい笑顔を見せてくれた。
その何かを振り払ったような姿に私は少し安心した。
お兄さんは「行くよ。」と私に声をかけてくれると、前を先導して歩き出した。
私はその場で大きく息を吸いこむと、自分が暗い顔をしてちゃダメだと無理やりテンションを上げて、お兄さんに話しかけたのだった。
詩織と陸斗が秘密を共有する仲になり、少し近づきました。
この後、陸斗は家に帰り、井坂と揉めるところへと繋がります。
時間軸がややこしいですが、前話と読み合せてください。




