101、告げる
井坂の友人、島田視点です。
井坂と谷地さんが別れて、一週間が経った。
あの日から二人は一度も会話をしていなくて、目も合わせようとしない。
クラスの中でも平気でイチャついてた二人がこんな事になってしまい、クラス内は少なからず緊張感が漂っていて雰囲気も暗くなっていた。
まぁ、テスト期間なのではっちゃけてる場合じゃないってのもあるけど…。
でも、それが周囲にも別れた事を裏付けることになってしまったのか、井坂目当てで教室にくる女子が増えた。
そんな中、もう次の彼女気取りなのか、葛木聖奈というやたら胸のでかい女子が井坂と話す姿を何度も目撃した。
俺は二人が別れた原因がその女子だっただけに、今もその女子と一緒にいる井坂が許せなかった。
谷地さんがあれだけ苦しんでるのに、どうして笑っていられる?
谷地さんの事が本当に好きなら、なんでもっと気持ちを伝えない?
どうして…どうしてそんな平気な顔してられる!?
俺は楽しげに笑う井坂を目にするたび、胸が重く苦しくなった。
そして谷地さんはというと、少しずつ笑顔が戻ってきてるけど、以前のような笑顔はまだ見せていなかった。
小波や八牧と楽しそうに話をしていても、どこか感情が抜け落ちたような表情を見せる事がある。
そんな顔、今まで見たことがなかっただけに、その顔を見る度に胸が痛かった。
俺の好きだった…幸せそうな笑顔が…消えてなくなってしまった。
それが俺自身にも辛く、苦しくて、どうすれば良いのかずっと考えてた。
二人が別れる事になったのは、あの葛木聖奈が井坂に近付いたから。
そして井坂が谷地さんに彼女との事を隠していたから。
なぜ隠したのか、俺は知らないけれど、隠した以上井坂が悪い。
谷地さんは『苦しい』と言っていた。
それは井坂が葛木と一緒にいる姿を見ている現状に…そして、キスした現場を見たということからだろう。
そして信じられないのは、井坂の気持ち。
今まで谷地さん以外の女子を邪険に扱ってきた井坂が、初めて受け入れている女子が現れた。
谷地さんが不安に思うのも当然だ。
井坂が変わったということ、そして隠し事。
この二つが解消しない限り、二人はずっとこのままな気がしてならない。
俺は今も切なげな笑顔を浮かべる谷地さんを見て、ため息をついた。
***
期末テストまであと二日というある日―――
八牧が不自然に俺に近寄ってきて、意味深に笑いながら言った。
「島田君。しおりん、最近あまり勉強できてないんだって。それで今日は放課後残って勉強するみたいだよ?」
「ふーん…。で?なんで、それを俺に言うわけ?」
俺が八牧を見て尋ねると、八牧がサッと目を逸らしてから言った。
「別に?ちょっと言いたくなっただけ。だって、しおりん勉強に集中したら際限なくてさ、きっと遅い時間まで残ることになると思って。今は井坂君もいないからさぁ~。」
八牧の不自然過ぎる言い回しに、俺は暗に送って行けと言われてる気がして、八牧をじとっと見つめた。
八牧はへらっと笑いながら、俺の背を叩いてくる。
「男でしょ!!任せるからね!」
「へいへい。言わんとしてることはくみ取ったよ。」
「さすが!!井坂君とは違うなぁ~!!よっ!イケメン!!」
どこかのおっさんみたいだな…と思ったが、口に出さずに返す。
「井坂と比べたら俺、霞むと思うんだけど。」
「まぁまぁ、見た目じゃなくて、中身の話よ。しおりん、島田君には結構気を許してる気がするからさ。」
「……そう、か?」
「うん。私から見てたら…だけどね。」
八牧がふっと嬉しそうに微笑んで、俺は谷地さんに気を許されてると知って顔が緩んだ。
嬉しくて自然とニヤけそうになるのを、頬をもごつかせて避ける。
「ま、そういうことだから。よろしくね!!」
八牧は俺の肩をパンッと叩くと谷地さんの所へ戻って行った。
俺はそのとき谷地さんの横顔を見つめて、すぐ何でも気にする彼女をどうやって送ろうかと策を練ることにしたのだった。
***
そして放課後、日も沈んで暗くなってしまった頃、俺は谷地さんの残ってる教室へ向かっていた。
偶然を装って声をかけて流れで送る算段だったからだ。
正面から送るから待ってるなんて言ったら、断られるのが目に見えていた。
だが、これなら気にし過ぎてしまう谷地さんもすんなりと一緒に帰ってくれるだろう。
俺はまだ残ってるはずと思って、扉に身を隠して教室へコソッと目を向けると、ある人物がいたことに驚いた。
その人物とは、この時間に残ってるはずもない井坂だった。
確か今日も葛木さんと帰るのを見た。
いつものように腕を貸して並んで歩いていた。
それなのに、どうして学校にいる??
谷地さんは勉強のし過ぎで寝てしまったのか、机に頭をのせていて、その脇に井坂が立って谷地さんを見下ろしている。
俺は物音を立てないように覗き見を続けて、井坂が何をしようとしてるのか見張る。
これ以上、谷地さんを傷つけるような事をしようものなら力づくで止めるつもりだった。
でも井坂は谷地さんを見下ろしたまま、ピクリとも動かない。
どのぐらいの時間そうしていたか分からないが、俺はしゃがんでいる足が痺れてきて、井坂が動かないことにヤキモキした。
ただ谷地さんを見てるだけなら、彼女が起きてるときにしろよ!!
谷地さんの寝顔をただ眺めてるとか、一歩間違えば変質者だぞ。
俺は心の中で井坂にツッコミを入れてため息が出そうになるのを堪える。
すると、今まで動かなかった井坂が谷地さんに手を伸ばすのが見えて、俺はじっと様子を見守った。
井坂は寝てる谷地さんの頭を優しく撫でると、声は小さかったが「ごめんな。」と呟いたのが分かった。
井坂はその後も何度も寝てる谷地さんに謝り続ける。
その姿を見て、俺は自然と胸が苦しくなった。
井坂は、今も谷地さんの事が好きなんだ。
そして、自分のしたことを後悔している。
俺は谷地さんが起きてる時に謝れば、元に戻れるんじゃないだろうかと思った。
でもいつもの井坂の様子を見てると、谷地さんと面と向かったら素直になれないような気もする…。
俺はどこまでも天邪鬼な井坂に苛立ちが立ちこめてきた。
こうしていたって二人の関係は何も変わらない。
こういうことは谷地さんが目を覚ましてる状態ですべきものだ。
お互いの本音でぶつかり合わなければ。
俺は井坂の本心を聞き出すべく立ち上がると、意を決して教室に入った。
すると俺の足音に気づいた井坂が慌てて振り返ってきて、俺の顔を見るなりサッと目を逸らして逃げるように俺がいる扉とは違う扉から教室を出ていってしまう。
俺はその背を追いかけると慌てて「井坂!!」と声をかけた。
すると、井坂は意外とすんなり立ち止まってくれて、眉間にきつい皺を寄せた顔で振り返ってきた。
俺はその顔を見つめて、まっすぐ直球勝負だとズバッと見たことを問いただす。
「さっき、寝てる谷地さん見て何してた?」
「…お前には関係ないだろ。」
そう返ってくるだろうと思ってたが、俺は自分の思った事をぶつける。
「まだ谷地さんに気持ちがあるなら、謝って正面から話をするべきだ。」
井坂は辛そうに顔を歪めると、怒ったような口調で言った。
「詩織は俺とは話をしてくれねぇよ。」
「そんなことねぇよ。話を聞いてくれって言えば、谷地さんはきっと聞いてくれる。お前がちゃんと誠意を見せればな。」
「誠意って…。俺はいつも誠意があったつもりだけど。」
「でも、隠し事してたんだろ?」
俺がそう言うと、井坂は驚いたように目を見開いた。
どうやら俺が隠し事のことを知ってるとは思わなかったようだ。
だから俺は俺の知ってることを奴に伝える事にした。
「お前がずっと隠してたこと。谷地さんは全部知ってるよ。」
「は?」
井坂は動揺しているのか瞳を震わせ始める。
俺はそこへ畳みかけるように告げた。
「谷地さんが泣いたの…お前と別れたあの日だけだと思ったら大間違いだからな。」
「な、なに…なんの話だよ?」
俺は体育祭以降、何度も見た彼女の悲しい顔を思い出して、一度しっかり目を瞑ってから教える。
「お前、葛木さんとキスしたんだってな。」
「なんでそれ知って!!」
井坂が焦ったようで俺に詰め寄ってきて、俺は軽く笑ってバカにするように井坂を見つめた。
「なんでって、決まってるだろ。谷地さんから聞いたからだよ。」
「…は!?し、詩織が…何で!?」
「体育祭のときに見たって言ってた。あとは鹿島から聞いたって言って、ショック受けて泣いてた。お前と別れる前日のことだよ。」
井坂は言葉もないのか、目を大きく見開いたまま口を開けて固まっている。
「谷地さんは体育祭以降、ずっと苦しんでたんだ。キスした相手と仲良く帰るお前を見守りながら、お前がいつか隠してる事を言ってくれることを待ってた。ずっと、ずっとお前を信じてた。でも、お前は頑なに隠し続けて、彼女の心を深く傷つけたんだ。」
俺は谷地さんがずっと我慢して耐えていた事を伝えても良いかと思ったけど、こうでもしないとバカな井坂は気づきそうもなかったので俺の知る事を伝えた。
井坂はグッと唇を噛むと表情を見せないように俯いて、俺は少しは彼女と正面から向き合う気になったかと訊く。
「どうだ?謝って、谷地さんと話をする気になったか?」
井坂はしばらく黙って俯いていたが、大きく息を吐く音が聞こえたと思うと、井坂は俺の期待した答えと正反対のことを口にした。
「それなら…、俺はもう詩織に合わす顔がないだけだ。今さら、許されようなんて思わない。」
「は…?お、お前…何言ってんの?」
井坂の開き直った態度に、俺は動揺して声が震えた。
まさか、そう返ってくるとは思わなかった。
「詩織を苦しめてたのは俺だ。詩織もそんな俺が嫌になって別れを言い出したんだ。だから、俺が詩織の幸せのためにできるのは、もう詩織の事は諦める事ぐらいだよ。」
「な…なんでそうなる!!!」
俺は何もかも悟ったような井坂を目にして、思わず掴みかかった。
井坂の胸倉を掴んでる腕に力を入れる。
「お前が苦しめてる張本人なら、お前が彼女の苦しみを取り去って幸せにしてやれよ!!それが償いってもんだろ!?」
「だから、詩織は俺の傍にいるのも嫌なのに、俺が一緒にいるとかおかしいだろ!?」
「は!?谷地さんの本心も聞かずに勝手に決めつけるなよ!!お前が包み隠さず全部打ち明ければ、谷地さんの事だからきっと!!」
「それが!!自分本位だって、俺は言ってんだよ!!!」
井坂は俺の手を振り払うと、怒ったのか目を吊り上げて吐き捨てた。
「別れるって言ったのは詩織だ!!俺がどんだけ詩織の事が好きで、今は全然離れる気がなかったとしても!それは俺個人の我が儘だ!!優しい詩織に…すがって…許されちゃいけない。それだけは、絶対に…しちゃいけないんだよ。」
井坂が自分の胸を押さえつけながら苦しそうに言い切って、俺は何も言えなくなった。
井坂は井坂なりに考えて、別れを受け入れて罰を背負おうとしているんだ。
谷地さんに隠し事をしてしまって、彼女を傷つけたことを深く反省して、そして自分を責めている。
見た目と正反対に真面目なこいつだから出た答えなのだろうけど、俺はどうも納得できなかった。
「じゃあ、谷地さんに新しい彼氏ができても何も文句は言わないんだな?」
俺は井坂を挑発するように訊いた。
本当にそれでいいのかという…俺の最後の問いかけであり、気持ちの確認だった。
井坂なら…谷地さんの事が大好きな井坂なら、絶対否定してくれると思ったのだが…
返ってきたのは正反対のものだった。
井坂は俺をじっと見て悩んだ末に軽く頷く。
そして、俺を見てふっと微笑んだ。
「誰だろうと詩織を幸せにできるなら、文句はねぇ。」
その言葉を聞いて、俺は何かが自分の中で吹っ切れるようだった。
その…程度ってことかよ…
あんだけ悲しませて、その程度なのかよ!!
俺は目の前の井坂に怒りが込み上げて、拳をギュッと握りしめると告げた。
「そうやって高みの見物してろ。手遅れになってから後悔したって知らねぇからな!!」
俺はそれだけ怒りのままにそれだけ吐き捨てると、教室へ戻ろうと井坂に背を向けて苛立ちながら足を進めた。
自然と足がドスドスと足音を立てる。
井坂のボケ!!アホ!!鈍感!!ヘタレ!!!!
そうやってずっと立ち止まってろ!!バカ野郎~っ!!!!
俺は腸が煮えくり返りそうになりながら教室に足を踏み入れると、まだ谷地さんは寝息を立てて爆睡していて、俺はここまで無防備に寝てる姿に気が緩んだ。
子供のように純粋な寝顔に顔がほころぶ。
ほんと…なんか気が抜ける…
俺は谷地さんの顔を見ただけで癒されるな…なんて思って起こすのが躊躇われたけど、もう下校時刻をとっくに過ぎていたので、彼女の肩を掴んで揺らした。
「谷地さん。谷地さん。帰らないと、外真っ暗だよ!」
俺が声をかけながら揺すり続けると、谷地さんの顔がギュッと歪んで瞼が開いて俺を見た。
そのときに谷地さんの口から驚きの言葉が飛び出した。
「井坂君…?」
谷地さんの手が肩を掴んでいた俺の手に触れてきて、俺は彼女を見つめて硬直した。
井坂って……
俺は手を伝わって感じる彼女の温かさに無性に切なくなり、自然と顔が俯く。
あんな奴でも…やっぱり谷地さんにとったら…
俺が眉間に皺を寄せて口を引き結んでいると、谷地さんが我に返ったのか奇声を上げた。
「ひゃっ!!島田君!?ごっ、ごめんなさいっ!!」
谷地さんは俺に触れてた手を放すと、焦って頭を下げて謝ってきた。
俺はそんな姿に笑みが漏れて、彼女の肩から手を放す。
「いいよ。寝惚けてたんだろ?それより、帰らないと外真っ暗だよ。」
俺の言葉に谷地さんは窓の外に目を向けて、慌てて立ち上がった。
「わっ!!ホントだ!帰らないと、怒られる!!」
机の上にのっていた教科書やノートを片付けて焦っている谷地さんを見てると、自然と笑いが込み上げる。
彼女のこの天然っぷりはやっぱり最高だなと思っていたら、谷地さんが手を止めて俺をじっと見つめてきてドキッとした。
「島田君…。島田君は今、来たとこ?」
「え、うん。そうだけど?なんで?」
「ここに来たとき、他に誰かいなかった?」
谷地さんが何かに気づいているのかそんなことを言って、俺は井坂の顔を思い出して内心動揺した。
「え?いや…?見なかったけど…?」
「そっか…。」
谷地さんはなんだか残念そうにシュンとしてしまって、寝てる間に何かを感じ取っていたのだろうかと気になった。
でも、それを聞けなくて、俺は井坂のことを隠してしまった事に罪悪感が胸を掠めた。
谷地さんは片づけを終えると「帰ろっか!」と明るく振る舞っていて、俺は谷地さんの気持ち、そして井坂の気持ちを考えて、自分がどうすれば良いのか分からなくなったのだった。
島田がこれからどう行動するのか、見守ってください。




