婚約者と同じ騎士科の幼馴染令嬢に決闘を申し込んだので、ハンデをお願いしました
昼休み。
生徒たちがそれぞれに行き交う廊下の壁際に、一人の令嬢が佇んでいた。
ふわふわとしたストロベリーブロンドに、くりっとした大きな若草色の瞳。まるで砂糖菓子のように可愛らしく、どこか淡く儚げな印象を与える彼女の名は、ディア・エルヴェ伯爵令嬢。
貴族令嬢らしく静かな佇まいでありながら、若草色の瞳は僅かに辺りを見渡しているのが分かる。誰かを待っているのが一目瞭然の姿に、周囲はどこか微笑ましい視線を投げかけずにはいられなかった。
すると。
「ディア。待たせたかな?」
小走りに駆け寄って来た青年に、ディアの表情がふわり、と明るくなった。
「ううん、大丈夫よ。エミール」
その言葉に青年……エミールは少し安堵したように微笑んだ。栗色の髪に、サファイアブルーの鋭い瞳。その端正な顔立ちと相俟って、少々近寄りがたい印象を与えてしまう彼だが、ディアを見つめるその瞳は優しい光が宿っている。
「では、行こうか」
「ええ」
並んで廊下を歩こうとした。
その時。
「エミール!」
背後からの声に、エミールは僅かに眉を寄せた。ディアは静かに目を伏せる。
答えない訳にはいかないと振り向けば、白銀色の髪を一つ結びにした、青い瞳の少女が駆け寄って来た。
「もう、探したんだからね! 一緒にお昼にしようって言ったじゃない!」
腰に両手を当てながら怒ったように言われ、エミールは聞こえないように溜息を吐いた。
彼女の名前はロザリア・アイゼンベルク伯爵令嬢。3か月程前にこの学園へ編入し、エミールと同じ騎士科に所属している。彼とは所謂『幼馴染』の関係だったらしく、事あるごとに気安く声をかけてくるのだが……。
「ディアとの約束があるから断る、と何度も言っただろう」
エミールがそう答えると、ロザリアは唇を尖らせる。
「え~? そんなこと言わないでよ、少しくらいイイでしょ? ね、エルヴェさん?」
いきなり振られ、ぴしり、とディアの笑顔が凍り付いた。
ロザリアはそれに気付きもしないのか、にっこりと微笑んでいる。「断らないでしょう?」と圧を出しながら。
そう、こうして2人きりの時間に割り込み……もとい邪魔をされたことは、もう両手で数えきれない程になった、とディアは内心で思う。
「……ええ。アイゼンベルク様もよろしければ」
そう答えると、すう、と青い瞳が細められた。
「ふふ、良かったぁ。さ、行こ行こ!」
満足げに先導するロザリアの後ろで。
「……すまない、ディア」
エミールが顔を曇らせて謝罪した。
救いなのは彼がディアを蔑ろにせず、ロザリアに苦言を呈していることだ。最も彼女はそれを聞き流しているどころか、『照れ隠し』と受け取っているようだが。
大丈夫よ、と返しかけた瞬間。
「ねえ、早くー! 席埋まっちゃうよ!」
ロザリアの声に遮られ、ディアは内心で溜息を吐いた。
「でさあ、今度行く演習のことなんだけど」
食後のハーブティーを飲みながら、ロザリアが一方的に話しているのをディアは静かに聞いていた。
話の内容はどれもが、幼い頃のことだったり、騎士科の授業のことだったりと、『ディアには分からない話』ばかりだ。
「ああ……そうだな」
一応話し相手であるエミールは無表情で当たり障りのない返答をしているだけなのだが、ロザリアはそれも『照れ隠し』と受け取っているようだ。ある意味、前向きだと感心してしまいそうになる。
するとようやく焦れたらしく、ロザリアは不満そうな表情になった。
「もう、エミールったらノリ悪すぎ! そんなんじゃモテないよ!」
「必要ない。私にはディアがいる」
エミールの即答に、ディアの胸がどきりと高鳴る。ふわり、と頬が熱くなるのを隠そうと、きゅっと膝の上で拳を作りながら、微笑んだ。
「……ありがとう、エミール」
「いや……」
恥ずかしいことを言ってしまったと自覚したのか、エミールは少し視線を逸らした。栗色の髪から覗く耳が赤くなっているのが、なんだか可愛い。
甘い雰囲気が漂うが、それは一瞬で台無しにされた。
「あー、そうだっけね。っていうか、ごめんなさい! さっきから分からない話ばっかりしちゃって! ほら、私たち幼馴染だから……ああ、全然エミールのこと、そういう風には思ってないから、安心して!」
ロザリアがそう取り繕うように言ったが、明らかに注目を自分へ戻すような響きを感じられた。
(もう3ヵ月……そろそろ潮時ね)
ディアは、ふ、と息を吐き、ロザリアを真っすぐに見据えた。
「アイゼンベルク様」
「な、なに?」
少し怯んだのか、ロザリアの声が上ずっている。が、それに構わうことなく、ディアは言葉を続けた。
「貴方に決闘を申し込みます」
ざわ、と周りが不穏な騒めきに包まれる。
「ディ」
「へえ? 淑女科のオジョウサマが騎士科の私に?」
声をあげかけたエミールを無視し、ロザリアは口角を吊り上げた。細められた瞳には、明らかに嘲笑の光が宿っている。
それをディアは物ともせずに見据えた。
「ええ。貴方は言葉を尽くしてもご理解いただけないようですから、決闘という手段を取るしかありませんわ」
「なっ……!」
馬鹿にされたと感じたのだろう。ロザリアの顔が僅かに歪む。
……まあ、実際そうなのだがそれを言うことはせず、ディアは続けた。
「ですが、貴方とわたくしでは圧倒的な『剣の腕』の差があるのもまた事実ですわ」
「ああ、身の程分かってるんじゃない」
ロザリアは腕組みをして、ふん、と鼻を鳴らす。
「なので『ハンデ』を付けていただけませんか?」
「ハンデ?」
怪訝そうにロザリアの眉が寄ったところに、すかさずディアは切り込んだ。
「あら、まさかハンデを付けた相手に負ける可能性をお考えに?」
たちまちにロザリアの顔が不機嫌そうに歪んだ。
「ええ、分かったわよ。その決闘、受けてたつわ!」
不穏な騒めきが、さらに大きくなった。
無理もない。見るからにか弱いディアが、騎士として鍛えているロザリアに決闘を申込み、さらに成立させたのだから。
「大丈夫なのかしら? あのように細い腕で……」
「耐えられる訳ないわ。でもそのくらい思いつめられてのことよ、おいたわしい……」
周りはディアに同情的だ。
無理もないだろう。婚約者同士の語らいに明らかに邪魔なロザリアの姿は、『異質』として皆の目に映っていたのだから。
「で? ハンデの内容は?」
「簡単なことですわ」
ロザリアの問いに、ディアは微笑んで答えた。
「武器はわたくしが用意した『もの』を使っていただきます」
「ふうん? そんなのでいいの?」
「ええ。それだけで充分ですわ」
ディアはひらり、と一枚の紙を出した。
『決闘誓約書』。決闘の条件、勝敗、責任などを明確に定める文書だ。
「口頭でもお伝えします。武器はわたくしが用意したものを使うこと、勝敗は「まいった」と口に出した時点で決する、そしてわたくしが勝利した場合」
すう、と若草色の瞳が狭められた。
「わたくし、そしてエミールとの必要以上の接触を禁じさせていただきます」
そう来ると思った、とばかりに、ロザリアは鼻で笑う。
「うん、分かった。で? 私が勝ったら? エミールと婚約解消でもしてくれるの?」
「おい!」
声をあげて立ち上がりかけたエミールを手で静かに制し、ディアは頷いた。
「家との話し合いになりますが、それでもよろしければ」
ロザリアの笑みが満足そうに深くなる。
「いいよ。じゃ、サインするね」
ペンが軽やかに紙面を滑った。
続いてディアもさらさらとペンを滑らせる。
「では、明日の放課後。闘技場でお待ちしております」
立ち上がってカーテシーを披露してみせれば、ロザリアは不敵な笑みを浮かべた。
「逃げないでよ!」
「そのようなこと、いたしませんわ。では、こちらの書類は提出しておきますので」
失礼いたします、と微笑んで食堂を後にする。
「おい、ディア!」
その後をエミールは慌てて追いかけた。
「ちょっと、エミール!?」
ロザリアは呼び止めたが、エミールは構わうことなくディアの後を追っていってしまう。
「……ふん、まあいいわ」
どうせ今の内だけよ。
そう思いつつ、ロザリアは口角を吊り上げる。
「……」
周りからどのように見られているのか、気にもしないまま。
そして翌日の放課後。
騎士服に身を包んだロザリアは、颯爽と闘技場へ続く道を歩いていた。
幼い頃を共に過ごしたエミールのことを、異性として意識し、そこから好きになったのはもう何時だったのかは覚えていない。大きくなったら結婚しよう、なんて約束は交わしていないけれど、少なくともロザリアはエミールの下へ嫁ぐのだと信じていた。
しかし、現実は非情で。
家同士の政略により、エミールに婚約者が出来てしまった。
それを聞いたロザリアの胸中は失意と、そして怒りに満ちた。
冗談じゃない。
何故、幼い頃から彼のことをよく知る自分ではなく、ぽっと出のご令嬢にエミールを渡さなければならないのか。
それならば見定めてやろうと、両親を説き伏せエミールと同じ学園の騎士科に編入し、彼自身から紹介された『婚約者』とやらを見て思ったのは。
なんだ、この程度か。
枯れ木のように細い手足に、ピンクブロンドに若草色の大きな瞳は実年齢よりも幼く見える。
将来、騎士になるエミールを支えるのなら、頼もしさと度胸が何よりも重要だ。吹けば飛ぶように儚く、見るからに弱弱しいディアでは、到底務まらないだろう。
さりげなくそう助言しているというのに、エミールは家のしがらみと幼馴染である自分への引け目か、素っ気ない態度を取られてしまう。
照れなくていいのに、自分の気持ちに素直になればいいのに、とロザリアは思う。
貴方の背中を預けるにふさわしいのは、この私以外にはいないというのに。
(今日、遂にその証明が出来るのね)
ぞくぞくと沸き起こる衝動に、嗤いを堪えずにはいられない。
(まさか騎士科所属の私に決闘を申し込むなんて)
何とも無謀なことだ。
どうやら見た目に違わず頭も余りよろしくないらしい。
ますます聡明なエミールにふさわしくなどない。
(申し込んだのは向こうだもの。それなら、全力で応えてあげるだけよ)
あの澄ました顔を苦痛と絶望に歪め、這いつくばらせてやればエミールも目が覚めるだろう。
隣に立つにふさわしいのは、この私だと思い直す筈だ。
そうして意気揚々と闘技場へ入れば、大きな騒めきが耳を打った。不定期に行われる決闘は、最早一種のイベントといっても過言ではない。観客席には数多くの生徒たちが詰め掛けている。その中にはもちろん、エミールの姿もあった。
(見ててね、エミール! 私、勝つから!)
にっこりと笑ってみせるも、エミールの表情は優れないまま。
私なら大丈夫なのに、と思いながら、既に入っていたディアに向かって口を開く。
「待たせてしまったかしら?」
「いいえ、わたくしも今準備が整ったところですわ」
そう答えるディアの服装は、動きやすいパンツスタイルの軽装だ。
「私が勝った時の条件、覚えてるんでしょうね?」
「ええ、もちろん。わたくしとエミールの婚約を見直す……ですが貴方が負けた場合は」
「アンタたちに近寄らない、でしょ?」
分かってるわよ、とロザリアは不敵に微笑んでみせる。それにディアは静かに目を細めてみせただけだった。
そして。
「ではもう一つだけ確認を。武器はわたくしが用意したものを使っていただく、こちらもご理解いただけまして?」
「ええ、もちろんよ。そのくらいのハンデ付けてあげないと、勝負になんないでしょ?」
ロザリアは肩を竦めてみせるのに、ディアはまた静かに頷いてみせる。
「ご承知くださって何よりです。……では、こちらが用意したものになりますわ」
ディアが立会人に目配せをしてみせると、彼は頷いて銀のトレイを持ってきた。
「こちらをお使いください」
そこにあったもの、それは。
「な、なによ、これ!?」
「マドラーです」
立会人が淡々と答えた通り、そこにあるのは20センチ程の黒いマドラーだった。
「ふざけないでよ! こんなので戦える訳ないでしょ!?」
「あら、武器はわたくしが用意した『もの』を使っていただく。先程口頭でも確認しましたし、契約も結びましたわよね?」
ディアはそう答えつつ、地から2メートル半程の棒を拾い上げる。
遠目から見たそれは、竹で出来ているようだ。
「だからって!」
「両者、構え!」
ロザリアの抗議を遮り、立会人がそう叫んだ。
「え、待って、待って!」
「始め!!」
容赦なく開始が宣言される。
瞬間、ディアは走り出した。丁度、棒の範囲に届くところで立ち止まり、振りかぶる。
「あっ!?」
まだ混乱しているのだろう、ロザリアは咄嗟にマドラーを水平に構えて防ごうとした。
が。
バシッ!
好都合、とばかりに棒が手の甲を捉え、マドラーを叩き落す。
うろたえたかのように両手を動かすロザリアの側頭部を狙い、ディアは棒を振った。
バシッ!
見事に命中。
よろけた所で、頭を重点的に狙って棒を振り下ろす。
バシッ!
「ぶっ!」
たまらずロザリアはその場に膝を付いた。
バシッ!
「ぃぎっ!」
バシッ! バシッ!!
「やめ、ぎゃっ! たすけ、ぎゃあっ!」
懇願混じりの悲鳴があがったが、ディアは棒を振るう手を止めることはない。
何故なら「まいった」の言葉が聞こえないからだ。
バシッ! バシッ! バシッ! バシッ!
もうどのくらい棒を振るったか分からない程の時間……実際にはそんなに経っていないのだろうが……の後、立会人が割って入った。
「そこまで!」
ぱしり、と棒を受け止められ、ディアはやっと力を抜いた。するり、とその手から棒が滑り落ち、からん、と軽い音をたてる。
肩で息をしながら見下ろすと、ロザリアは蹲ったままだ。
「うっ、ううっ、うぅ……」
その顔は涙と鼻水、そして血でぐちゃぐちゃに汚れている。恐らく鼻血と、口の中を切ったのだろう。
それを何処か他所事のように見ていると、ふ、と影が差した。
「あ……エミールぅ……!」
救いを得た、とばかりに縋り付こうとロザリアは手を伸ばした。
が、エミールは見ることもせず、ディアの肩を優しく抱き寄せる。
「余り無茶をするな」
「あら、わたくしが武器に何を用意するかは、お話しておいたでしょう?」
「そういう問題ではない。もし君に万が一のことがあったら、私は……」
顔を曇らせるエミールに、ディアは目を伏せた。
「心配をおかけして、申し訳ありません」
「ああ……。だが、こうなってしまったのは私にも原因がある。すまない」
「そんな、エミール様が謝ることでは」
「ちょっとぉ!」
甲高い声に、2人は反射的にロザリアの方へ顔を向けた。
「私、怪我してるんだけどぉ! なんで心配してくれないのぉ!?」
エミールの瞳が冷たく狭められる。
「必要がないからだ」
「なっ……!?」
ロザリアは一瞬絶句した。が、すぐに言い募る。
「なんで、そんなこと言うの……?」
「ここまでされても、まだ自身の行動を省みないのか」
ふ、とエミールは小さく溜息を吐いた。
「私は君が学園に編入してきた時から、ディアがいるから必要以上の接触をするな、と再三に渡って言った筈だ」
「そ、それは照れ隠しじゃ……」
「違う。それに婚約者がいると分かっているのに接触するなどという行為は、君自身の品位を損なうことにもなる、と忠告もして差し上げたというのに全く伝わっていなかったのだな。いや、伝わっていたら、このようなことにはなっていないか」
次々と浴びせられる冷たい言葉に、ロザリアの身体がわなわなと震える。
「それに、幼い頃に散々意地悪をしてきた相手を、好きになることなどない」
トドメ、ともいえるエミールの一言に、はくっ、とロザリアの喉から声にならない悲鳴があがった。
最初から勝ち目などなかった、と思い知らされたその瞳からは、新たな涙が零れ落ちる。
それを何の感情も湧かないまま見ていたディアは口を開いた。
「では、契約通り『私たちとの必要以上の接触』は控えていただきます」
ごきげんよう、と頭を下げ、エミールに肩を抱かれるままに闘技場を後にする。
泣き叫ぶ声が響いたが、振り返ることはしない。
ロザリアは今後、『婚約者がいる異性に言い寄っていた恥知らず』というだけではなく、『素人相手に決闘で負けた騎士科の恥』という汚名を被ることとなる。
剣を使っていなかったから、というのは理由にならない。剣を手放した際の訓練は当然行っているからだ。
令嬢としても、騎士としても失格の烙印を押された彼女が、果たして何時まで学園にいられるか……。
(もう考えても仕方がないことよね)
一つ分かっているのは、もう彼女に悩まされることは無い、ということ。
それだけで充分だ。
ディアはエミールの手に己の手を重ね、静かに微笑んでみせた。
(終)




