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黒子の回想

作者: 塩狸

黒子


春夏秋冬を重ね、重ね。

自分の勘を頼りに淡々と旅をして、1人で仕事をしてきた。

色んな国へ向かったけれど、自分の生まれた国へは戻らず。

一度。

奇跡的に団長が代替わりした、自分が世話になった大道芸と巡り会えた。

その土地でこれから仕事だと言うため、雇われて一緒に仕事をし、そのまましばらく、別の土地へも付いて、一緒に旅もした。

「引っ掻き回されるかと思ったけど、大人しくなったなぁ」

見事に好みの子がいなかったとは言わず、

「大人になったと言ってよ」

とぼけて見せても。

見抜かれているのか、団長には意味ありげな顔をされるだけ。

「前座みたいな事をさせてしまったけれど、君のお陰でとても盛り上がった」

有り難うと真っ直ぐに礼を伝えられるのはむず痒い。

この広い世界、きっともう会えないであろう彼等と別れ、また1人になり。


「ねぇ、髪を伸ばしてみたら?」

そう言ってくれたのは、どこの、いつの、誰だったか。

大人の、とてもいい匂いがした人だった。

女に見えないだろうかと思ったけれど、

「髪を伸ばしたくらいで、あなたを女と見抜ける人はいないわ」

の言葉で伸ばし始め、今は銀髪を一つ結びにしているけれど、我ながら、見た目の色気とたらしっぷりが上がり、なかなかに満足している。

背丈がそこそこ伸びてから、服を身に付けている状態で、自分が女だと見抜かれたのは、あの2人と1匹だけ。

どこか遠くの途方もない金持ちが、見識を広めるために仕事を依頼されている旅人たちだと思っていた。

あの赤の国でも、彼等との別れの時までは。

けれど。

「白い花」

あれを見せられ、根本から自分の考えを否定することになった。

ただの金持ちが、金の力だけで手に入れられるものではない。

白い花を摘むには確実に鳥の力が必要だし、鳥が運べる近距離にいなくてはならない。

際どい崖に数本程度生えているだけ、なんてのも珍しくないと聞いた。

その数本程度のために、命を落とす人間もいる。

たった数本の価値が莫大だからだ。

その数本で身近な人の怪我が病気が治るならばと、命を掛ける人間もいる。

あの成長を見せない黒髪の小さな彼女は、あの白い花でも大量に摂取したのだろうか。

いや、もっと。

遥かに禍々しいものを、食べたのだろうか。

例えば、人魚の肉など。


その彼等と、再会を果たせた時。

彼女だけではない、彼等の姿形は、何一つ変わらず。

「君を真似て髪を伸ばしてみたよ♪」

と言ってみたものの、露骨に嫌そうな、嘘を吐けと言わんばかりの顔をされた。

彼女は、彼女の故郷のドレスを羽織っていた。

けれど、頬にも羽織りものにも、どす黒い血が飛び、

「ううん、穏やかでないね」

山の麓。

片手には血塗れのナイフ。

どうやら解体に失敗した様子。

狩りをしていたらしい。

「フーン?」

なんだなんだと言わんばかりにやってきたのは狸君。

こちらに気づくと、

「フーン」

多分、久しぶりだなと言われている。

「君も変わらないね」

「フーン」

なぜか当然と言う表情。

「あぁすみません、こんな所まで来てもらって」

自分が。

どんなに“男”という生き物に興味がないと言っても、

「君も、変わらないね……」

続いてやって来た男の、あまりの変わらなさには、嫌でも気付く。

「あなたも」

どうやってか、目の前のこの彼らは、自らの時を止めたのだろう。

そして、それは例え冗談でも、

「僕にも方法を教えてよ」

とは、言えなかったし聞けもしない。

自分は、享楽的に生きて死にたい。

この世界の未来にも興味はない。

だからこそ、この目の前の者たちが、少し怖い。

顔には出さないけれど。

生きている間は、お互いに利用したい。

何も変わらない男は、やはりこちらも変わらない、穏やかな笑みを浮かべている。

ぎょっとしたのは、

「え、なにその顔」

小さな彼女と、彼女の従獣である狸君すら、瞳を半円にし、にこりと笑みを浮かべている。

「作り笑顔だそうです」

長い旅路で覚えたと。

「ひぇっ」

半ば本気で引きつつ、

「え、なに?作り笑顔を覚えなきゃいけないような場所へ行ったの?」

どんな場所だと思えば。

「いえ、彼女たちなりの冗談です」

男の苦笑い。

「ええ……?」

なにそれ。

「ちょっとさぁ、彼女たちの育て方間違えてなーい?」

僕の言葉に、男は身体を揺らして笑う。

いや、冗談じゃないんだけど。


待ち合わせた、正確には、ここにいるから来いと呼び足されたのは、そう、街から、村からもだいぶ離れた山の麓であったため。

「野宿なんて久しぶりだよ」

それでも、野宿とは思えない、天幕の中での豪華な食事。

それに、食材に混じって並ぶのは。

「うはっお酒!!しかも見たことないのばっかり……あー最高……!!」

再会を果たしてよかった。

酒瓶に頬擦りすれば。

「呑みたければそれなりの情報を」

「何でも話すよぅ」

美味しい食事をツマミを頂きつつ、食事の後に地図を広げ、男からも話を聞く。

一番発展しているのは、

「わりと色々回ったつもりだけど、やっぱり茶の国、赤の国だったね」

「えぇ、頭1つ向き抜けていましたね」

汽車にはまた乗ってみたい。

もっと走れる距離が伸びているだろう。

でも、今はそれより。

「ね、ね」

「はい」

「まだまだ話し足りないしさぁ、しばらく一緒にいない?」

「……」

「……フーン」

半目になるのは、広げた地図たちを囲む少女と狸。

「いやいや、お酒のためじゃないよぅ?」

とせいぜい可愛い子ぶって見せても。

男が少し考える顔をしてから、

「お仕事のお手伝いとして、報酬が半々なら」

「はぁーっ!?」

この男はわりと甘いマスクの割りに、容赦がない。

「は、半分って……」

そしてこの男は、本気で半分はもぎ取るだろう。

「ううう……」

半分は暴利を越えている。

確かに。

この彼等なら、

(どこでもどこにいても、人目は惹けるけどさぁ)

人がいなければ話にならない自分の仕事は、この彼等とは、非常に相性がいい。

(でもだよ)

肝心な仕事で、身体を張るのは自分だけ。

彼等がするのは客引きと準備と片付けの手伝い。

それでも。

「ならいいよ」

と、つんと澄まして断れないのは。

まだ彼等の荷台に、大事に大事に積まれているであろう酒瓶たち。

彼等を思うと。

自分が、

“おいしく飲んであげなくてはいけない”

僕にはそんな強い使命があるし、使命は果たさなければならない。

先に土産として渡された酒たちも、非常に、酒好きな部分を除いても、質の高い良いものばかりだったし、まだ空けられていない酒たちも、遜色はなさそうで。

この彼の、一向に怯まないにこやかな様子からして、先の酒代も含まれているのだろう。

「……分かったよぅ」

代わりに彼を貸してよと、彼女の従獣を指差せば。

今はもう、地図には興味もなさそうにうつ伏せになり、お絵描きをしている彼女は、彼の問い掛けに、ちらとこちらを見て、小さく口を開いた。

「好きにしろと言ってます」

当の狸君は、仰向けで空の酒瓶を抱えて寝息を立てている。

「ね、お酒が美味しかった国は?」

「この国が、ビールが水のように飲まれてました」

男が手製の地図を広げる。

「おっほー!」

夢のような国。

でも。

「遠いね」

「そうでもないです」

軽く言うよ。

「栄えた国が多いので、あなたの仕事には事欠かないかと」

「へー」

お人好しなこの彼の言葉に、嘘はない。

彼女が欠伸をし、立ち上がった彼が布団を広げ、彼女と狸君を布団に寝かせると。

薄暗くした天幕の中、酒をチビチビ飲みつつ、ポツリポツリと話す。

狸君の背中にしがみついて眠る、小さな後ろ姿。

「……うーん、こっち行ってみようかな」

別のビールのためではなく。

男がペンを動かし、

「なら、ここに修道院があるので、寄って貰えませんか」

「えー、僕は慈善事業でやってるんじゃないんですけどぉ?」

修道院は、お察しの通り、稼ぎにはならない。

最低限の賃金は貰えるけど、その日の酒代も微妙な稼ぎ。

子供たちを喜ばせるためだけに、修道院へ向かう自分のような人間は少なくないことも知っているけれど。

僕は違う。

顔をしかめて渋って見せれば。

「あちらの土地で価値の高い石をお支払します」

(うーん)

この男は、お人好し、とはまた違う。

自分だって、人には優しくはする。

けれど。

それとも、また違う。

「なんで?」

「世話になったので」

世話に。

修道院で。

宿代わりにでもしたのだろうか。

「まぁ、報酬貰えるならいいけどぉ」

余計な事は聞かない。

「では後払いで」

「えーっ!?」

そりゃないよと声を上げてしまうと、

「……」

「……」

視界の端で、小さな少女と狸君が、うるさいと言わんばかりに身体を縮め。

男が、にこやかな笑みのまま、彼女たちの眠りを邪魔するなと、静かに怒りを滲ませ。

「わ、悪かったって」

天幕の外へ出ると、男が煙草を差し出してきた。

「あんがと」

「いえ」

「ね」

「はい」

「何年位、女抱いてないの?」

「……」

清々しい作り笑顔のまま、煙草を返せと手の平を向けて来たため。

「いや待ってよ空気で分かるじゃん、この人は男が好きだなとか、女が好きだなとか」

「全く分かりませんね」

「僕はわかるの」

「そうですか」

この男は。

「普通に女が好きでしょ」

「そうですね」

でも。

「君さ、絶えず燻ってる」

見えないくらいの熾き火が。

「……」

煙草を奪い返される前に唇に咥えると。

「そうでもないです」

男も煙草を咥え、さらりと返さるけれど。

「またまたぁ」

余計なことを言わなければ、見知らぬ美味しいお酒飲めるのは解っている。

それでも。

「僕知ってるよ、女より男の方が我慢がしんどいこと」

自分も、心は男だから、その辛さも少しは解るつもりだ。

でも。

この男は。

いつでも。

何なら、初めて会った時から。

「……あなたは」

男は穏やかな声のまま。

「うん?」

「彼女のいた場所の人と、近いのかもしれませんね」

怒るでもなく、遠い目をして星空を見上げる。

流れる空気からして、話を逸らす気はないらしい。

彼女。

小さなお嬢さん。

「彼女のいた土地は、街が明るくて、夜でも星が見えない場所も少なくないそうです」

夜でも。

「へー、楽しそうな街だね」

「えぇ。ただ人の悪意は強く、更に多くの女性は、孕もうと思えば生涯で4~5人は子を産めるそうです」

「ひぇ」

まるで。

「獣じゃん」

「えぇ」

いや待て。

「僕のこと悪く言ってるよね?」

「彼等は、デリカシーの持ち合わせも少ないそうなので」

「えぇ……?」

そんなことをズケズケと言う、

「君も案外、彼女のいた場所の人なんじゃないのぉ?」

紫煙に目を細める男は。

「……お互い様と言うことで」

全く怯まない。

「もー」

(やりにくいなぁ……)

煙草を指に挟み、ちらと舌を出せば。

背後の天幕から、

「……」

目を擦りながら彼女が出てきた。

「お?」

「あぁ、起こしちゃったか」

男に向かって両手を伸ばす彼女を、甘い、甘い眼差しで抱き上げる男。

ぎゅうと男にしがみつく彼女の耳、黒髪が流れる肩紐が落ちた剥き出しの肩に。

「……」

なぜか。

そう。

迂闊にも、喉を鳴らしてしまった。

喉を鳴らした音に気づいたのか、こちらの視線に気づいたのか。

その彼女の薄く開いた、小さく艶めく唇、流し目の様にこちらを見つめる赤い瞳に。

「……っ」

無意識にひゅっと息を吸い込むと。

赤い瞳は、こちらを見つめたまま、男に何か呟いている。

解るのは、唄う様な発音だけ。

「……あぁ、そうだな、寝ようか」

男が、彼女の額に、こめかみに唇を寄せる。

赤い瞳を隠すように瞼を伏せてそれを受け止める彼女は、口許に笑みを浮かべ、男の身体に、小さな手でしがみつき。

「……」

男は、それに答えるように彼女を胸に抱く。

密やかな吐息を漏らしながら。

(……あぁ)

そうか。

(なんだ)

彼等に続いて天幕の中に戻りながら、僕は無意識に唇を舐める。

(もう)

彼女をそっと布団に寝かせ、横に滑り込む彼は、もう。

とっくに。

(はは……)

声なく笑い、狸君の隣に横たわり、ふわふわの身体を抱き寄せてみせるも。

「……フーン」

寝惚け眼のまま、4つ足を突っ張らせて拒否された。

「えー……つれない」

酒飲み仲間なのに。

「フーン」

それとこれとは別だ、と言われている気がする。

狸君の隣では、男が彼女をしっかり胸に抱いて眠っている。

「……1人寝は寂しいねぇ」

「……」

返事の代わりに聞こえてくるのは、プスープスーと小さな寝息。

自分が旅をしているのは、僕自身の“何か”を満たすため。

でも、自分は死ぬまで、きっと、満たされることはない。

酒でも、女でも、全身全霊の仕事の後の拍手喝采でも。

その何かは、死ぬまで分からないし、きっと、死んでも分からない。

でも。

彼は。

(いいねぇ……)

自ら望んで、自身を、(くすぶ)らせているのだ。



「お主。何か、そうの、酷く未練たらたらな女の生き霊でも連れてきたであろうの」

そこは、山の中。

奇跡的に彼女の“言葉”を聞けたのは、なぜだろう。

彼等と再会を果たした翌朝。

彼女が山の中に実る果実を採りに行くから、彼女の荷物運びに付き合えと、男に指示された。

「えーっ?人使い荒いくなーい?」

「僕あんま体力ないんですけどー?」

「ねー、君のこと、紙芝居の題材にしていーい?え、ダメ?」

「そのドレス、すっごい個性的だよね、可愛いなぁ」

「いつかの手紙でさぁ、狼男と旅したってホント?」

こちらの一方的な言葉は通じているはずなのに、声すら聞こえないように山道を歩く彼女と従獣。

体力がないのは嘘。

しかし、そんな自分でも、慣れぬ山道を、獣道を自身の足で上がったり下がったりを続ければ、さすがに息が切れてきた。

けれど、小さなレディの手前、自分から疲れたと言えず、ひたすら淡々と先を歩く彼女と従獣に付いて、再び斜面を少し下がった頃。

「ちょっとさ、休憩しようよ」

と観念して声を上げかけた時。

「……」

「……」

彼女と従獣の狸君がほぼ同時に足を止め、ふと先に視線を向けている。

「?」

やっと目当ての果実が見つかったのかと思いきや。

「……なんの、何とも厄介なものがいるの」

彼女が口を開き。

(言葉が……?)

「しかも待ち伏せとは、異形にしてはまた偉く賢いの」

「フーン」

「そうの。しかし生き霊と言えど、かなりの部分をこちらに飛ばしているの」

「フーン」

「あれでは本体はだいぶ消耗しておるの。しかもこちらに向かいながら、道中、色々なものを呑み込んで来た様子であるの」

彼女たちの話は全く見えない。

見えないなりに、この彼女の言葉が、僕に通じている。

それは、かなりの緊急事態だと。

僕の勘が告げている。

それでも。

小さな彼女は、すぐ手前に伸びている葉に手を伸ばして1枚を千切ると、唇に当て、葉を滑らせるように指先で飛ばせば。

しなやかなはずの葉は、しかし、ナイフの様な硬度を見せ飛んで行く。

そして、一見、何もない場所に、葉は留まり。

容赦なく、見えない“何か”を切り付けていく。

「フーン」

「の?」

「フゥン」

「それには同意であるけれどの。我の男が、こやつをまだ利用価値があると見ているからの」

放ってはおけぬのと、どうやら僕の事を話題にしているらしい。

それでも。

彼女は、僕には目もくれず、更に葉を数枚飛ばし。

「……ぬん、凄いの、生きている人間の念と言うものは」

埒が明かないのと呟き眉を上げると。

彼女は、自身の人差し指の先を咥え。

「?」

躊躇いなく指に歯を立てた。

「ちょおっ!?」

そして止める間もなく、葉が舞う先に彼女は走り出し、それを狸君も軽快に追い。

彼女は走りながら、血の滲んだ指先を払うように、彼女の放った葉が落ちた辺りに向ければ。

(え、何、えっ?)

血の玉が数滴飛んだ先、何もないはずの空間から、何かが激しく、蒸発でもするような音が、何度も聞こえてくる。

そして確かに、この僕の耳にも聞こえるのは、女の悲鳴。

「ぁ……」

その悲鳴の終わりの掠れた声は、確かに、聞き覚えがある。

「……」

離れたばかりの街の、少し嫉妬深い、とても綺麗な人だった。

笑顔は案外幼くて、そのギャップが素敵な女性。

別れ際は、そう、少し大変で。

(うん……)

こんな場所で、感傷に浸り掛けたけれど。

今。

小さな彼女が放った血のためか、音は消え、悲鳴もなくなり。

また深い山の中、山の無数のざわめきが、耳に伝わるけれど。

「君!」

木の根に躓きつつ彼女に駆け寄り。

「指!指!」

先に背を向けて立つ小さな彼女は、人差し指に、浅くない傷を付けていた。

道すらない山の斜面を不器用に駆け寄る僕を、無感動に無表情に振り返る彼女の前に屈み、その右手を取ったけれど。

(……あれ?)

「なんの」

「……え、なんで?」

血はおろか、傷も見えない。

「目の錯覚の」

錯覚?

「幻術の。姿のないものには、有効であるのの」

静かな赤い瞳。

ほんの僅かに、舌足らずな声。

コロリとした小花たちが揺れるような。

「……」

そんな可憐な声で、彼女はそんな事を呟くけれど。

僕は、自分は、自分の目を信じる。

なら、この目の前の彼女は、今。

(嘘を吐いた)

それでも。

うん。

「そっか」

「……」

「そうなんだ」

それを、嘘を吐いた事を認めさせる気など、僕には更々ない。

「……ありがとう、ごめんね」

ならば僕がするのは、心からの礼と謝罪のみ。

僕は、この小さな彼女に助けられた。

あるのは、その事実だけ。

彼女は、瞬きのみでそれに応えると、僕に付いてきたらしい、“何か”のいた場所を振り返り。

「あれの。お主は年を重ねて、非常に“色”が強くなっているのの」

無感動に僕を見上げてくる。

「意中の相手を落としやすくはあれど、その分、その魅力に強く引き摺られて、今のように、お主の気配を追った女が“自身の一部”まで飛ばしてくる有り様であるの」

目の前の小さな彼女は、髪を背に払うと、

「この先、少しばかり、気を付けの」

従獣と共に、再び作り笑いをして見せてくれた。

瞳を半円にした、作り笑い。

その。

とても、とても悪い笑顔に。

ほんの少し、良くも悪くも、胸がざわついたのは確かで。

でも。

「……うん、気を付けるよ」

さすがに少し考えよう。

本気で。

そして、でも今はそれより。

「ね、ね。これも、彼に報告するの?」

僕が原因で大事なお嬢様に血を流させた、などと知られたら。

笑顔で、

「もう二度と会うことはないでしょうがお元気で」

と酒と共に立ち去られそうなのだけれど。

「の?別に報告などする必要はないの」

この小さな彼女にとっては、

「のの、リスであるの」

少し離れた斜面でキョロキョロしているリスに目を輝かせている。

「リスは美味であるの」

と、木から降りてきたリスの方がよっぽど重要らしい。

「フーン」

木の実を齧るリスを眺めていた彼女と従獣は、しかし、また先を歩き出し。

「あれ、狩らないの?」

指を差せば。

「の?どうやって狩……、……」

小さな彼女の言葉が。

(あぁ……)

もう、僕の耳に聞こえる言葉が、あやふやになってきた。

「……?」

どうやら、街から消えた僕の気配を追って、僕に憑いて来てくれた、

“恋人だった人”

が媒体的ものになり。

ほんの一時、今隣を歩く彼女と、波長的なものを繋げてくれた。

今は、返事がないと立ち止まり、僕のことを見上げてくる彼女だけれど。

「ごめん、君の言葉は、もう聞き取れないみたいだ」

「……」

この彼女は、どうやら、隣の従獣を介して、こちらの言葉を聞いているらしい。

狸君がスンと鼻を鳴らし、彼女は、嬉しそうでも残念そうでもなく、小さく頷き、木の根を飛び越え、先をたたっと駆けて行く。

「お?」

お目当ての果実が見つかったらしい。


その青い小さな果実をもぎつつも、従獣すらも口に含まないところからして、これは染料になるのだろう。

指先が青く染まる。

「君は凄いね」

「……」

褒めても、彼女はこちらを見もしない。

「ね、さっきの不思議な力は、仕事にしないの?」

「……」

しないと頷かれる。

「勿体ないなぁ」

「……」

果実を(むし)る手を止め、彼女は小さなポーチからメモ帳とペンを取り出すと、

「のうあるたかは、つめをかくす」

と書いて見せてきた。

「え、え?そういう意味だっけ?」

その引用は少し違う気がするけれど。

彼女は、何も答えず、また小さな手で果実をもぎる。

高い場所は、彼女は靴を脱ぎ、従獣の背中によじ登り手を伸ばす。

「ね、彼がいないから言うけれどさぁ」

「……」

「僕さ、君が大きくなった時を、ちょっと楽しみにしてたんだよね」

「?」

「基本、来る者は拒まずだけど、僕、知的な子が好きなんだ」

「……」

狸君の上に立ったまま、眉間でなく鼻の上に皺を寄せる顔に堪らず笑ってしまうと。

「……」

シッシッと手で追い払う仕草をされた。

「え、お前なんかお呼びでない?」

「……」

大きく頷かれ、隣の狸君も、

「フンフン」

お前は主様に相応しくない、とでも言われている様子。

「まーねぇ、君には、もう、いい男がいるもんねぇ?」

顔を覗き込んでやれば、

「♪」

んふー、と見事なしたり顔を見せてくれる。

そして、なぜか従者を背に乗せたまま、得意気な顔をしている狸君。

いい男を、自分の事だと思っているのか。

なら。

「あ、君、やっぱりオスなの?」

「フーン」

「え、何?」

「フゥンフン」

「え、どっち、メス?」

「フーン」

謎に得意気な顔。

「え、ええ……?」

「フーン♪」


息を切らし、僕らの馬車の停めてある山の麓へ戻ると、荷台に寄りかかり煙草を吹かす男。

こちらに気付くと、僕のことなんか見もせず、小さな彼女だけに手を振って歩いてくる。

彼に駆け寄る彼女を、咥え煙草で胸に抱き上げ、慈しむ様な眼差しで、何か囁いている。

(うん……)

僕は。

色々と恵まれている方だし、あまり人を羨むことはない。

でも。

(いいな……)

そう。

いいな、と思ってしまう。

一体、何がいいのか。

何を羨むのか。

彼か、彼女か。

どちらもか。



過ぎてしまえば、別れまでは、あっという間。

街へ向かい、仕事をし、彼等のお陰で、売り上げの半分は持って行かれても、尚、なかなかの儲け具合。

僕は東へ、彼等は西へ向かうその日。

彼に抱かれた彼女が、彼のシャツをくいくいと引き。

「ん?あぁ。……彼女に、

『いつかの白い花は、まだあるのか』と聞かれています」

「あー」

そうそう。

忘れてた。

「あれさぁ」

僕は基本一人旅だけれど、山を抜ける時だけは、組合で冒険者を雇うか、同行者を探して山を越えることにしている。

僕は獣と戦うすべも、追い払うすべも、持っていないから。

でも一度だけ。

「すまない、嫁が体調不良だと知らせが来た」

越えるための山に馬車で始めた時。

仕事を依頼した、用心棒と言う名の冒険者の元に、郵便鳥がやってきたと思ったら、そんな報せだった。

「君も戻るか?」

と聞かれ、普段なら戻っていたのに。

ついつい組合での、

「低い山だから、大きな警戒はしなくていいと思いますよ」

その言葉が耳に残っており。

「一人で行くよ」

「本当にすまないな」

報酬は後払いだったため、冒険者とはそのまま別れ、山道を抜けていた時。

「……なんでかねぇ」

山深くで、馬が体調を崩した。

そして馬の異常を察知して馬車を停める直前、よろけた馬に、足を挫かれた。

勿論、躊躇しなかったわけではないけれど。

「ほら、君には一生分の恩を売ったからね」

白い花を飲ませれば。

馬はその巨体をもってしても、半日もしないうちに元気になり。

彼等を、疑ってはいなかったけれど。

白い花の小瓶は、本物だった。

「ってことでね、もうないんだよ」

あの時。

手元から白い花がなくなり、不安ではなく、ほんの少し安堵したのはなぜだろう。

「そうですか」

男は何も言わない。

勿論、彼女も。

「ではお元気で」

男が彼女を抱えない片手で手を振り。

「え?それだけっ?」

「えぇ。まだあるのかないのかを知りたかったらしいので」

「えー……」

もうないと言えば、また貰えるのでとは、半分くらいは思っていたけれど。

聞かれたのは。

「酒代欲しさに売ったのではと怪しんだのだそうです」

(嘘ぉ……)

「僕、信用ないなぁ!?」

声を上げても。

「あるとでも?」

変わらない、寧ろ精度の増した作り笑顔で返され。

「うぐ……っ」

半分くらいは胸に突き刺さる。

深酒し、新しい彼女の部屋で寝過ごし、この彼等との約束をすっぽかしたり、別の彼女とちょっとした修羅場になりかけた時に、

「この人たち僕の家族、家族だから!」

と彼等を巻き込んで難を逃れたりと。

自業自得の言葉が、ここまで自身に深く突き刺さるとは思わなかった。

(あーいたた……)

「あはは、じゃあ行くよ、またね」

これ以上、あまりない良心を痛めないためにも。

「えぇ。また、いつか」

「……」

小さな手を振る小さな彼女。

「フーン」

またな酒飲み仲間、と狸君が言ってる気がする。



白い花がなくなって、僕は安堵した。

その理由。

それは。

自分が、もしかしたら無駄に長生きしてしまうかもしれないと言われた副作用のある薬を、のっぴきならない時に、飲んでしまうのではと恐れもあったけれど。

「君はどれくらい、長生きしてくれるのかな」

結果は、唯一の相棒が、白い花の行き先だったから。

まだまだ毛並みも艶やかな黒馬は、こちらの合図に、軽やかに歩き出す。

あの時。

人の通りは少なくない山道。

少し待てば、旅人や行商人は通ったし、事実すれ違いもした。

相棒を捨てる選択肢もあった中、この僕が、躊躇こそしたけれど、相棒に、

「金では買えない貴重な白い花を飲ませた」

その良心があることに、安堵した。

「彼等と、また会えるかなぁ」

あの彼等とは当然。

愛の言葉も囁かず、見つめ合いもせず、身体も重ねず。

寧ろ、呆れられ、折半だと儲けの半分はごっそり持って行かれ、こちらに向けられるのは、醒めた眼差しばかり。

なのに。

だからこそなのか。

夏の風が鼻先を掠めていく。

「……」

自分は、どこぞで野垂れ死んだら、勿論、それっきりだと思っていたし、今も思っている。

故郷には帰れないし二度と帰る気もない、伴侶を持つ気もない。

なのに、この先も、ずっと1人ぼっちの自分の事を、彼等は、気にしてくれている。

(気がする)

そうだよ。

あくまで、気がするだけ。

彼等は、多くの人と出会い、それだけで終わらず、手紙を送り送られ、出会った者たちとの再会を喜べる。

打って変わって、少し滞在が長引けば、恋人がいても他の子にちょっかいを掛け、修羅場になりかけ、なり。

逃げるように国を街を出て行く僕とは大違いで。

そんな僕は、彼等にとっては、たまたま知り合った1人でしかない。

それだけのはず。

でも。

同じ旅人、流浪の民のよしみなのか。

彼等は、どこに居るかも探り探りな僕のために、更に余計な大枚を(はた)いて、手紙を送ってくれる。

それは僕の、生存確認のために。

それだけのために。

(まぁね)

それもこれも、全ては。

(僕の魅力に惹かれてのことだよねぇ)

うーん罪な僕、と、内心で茶化してみるけれど。

勿論。

(知ってるよ)

それが、なぜなのか、どうしてなのか、は知らないけれど。

きっと彼等は、僕が死んだら、死んだ場所まで来てくれるんだろう。

そのための手紙。

僕は自分が、いつ、どんな形で死ぬのかなんて分からない。

でも。

連絡が途絶えた時。

彼等は、必ず、僕を探しに来てくれる。

過去も未来も、1人ぼっちの僕のために。

「……あーあ」

(底無しのお人好しだよねぇ)

もしかしなくても、彼等は暇人なのかな。

相変わらず忙しそうには見えなかったし。

あ、もしかして。

「ねー、彼等は、僕の事が好きなのかな?」

相棒の尻に声を掛けてみる。

「……」

でも、相棒は耳をピクッとさせるだけで返事はなし。

従獣の狸君と意志疎通が出来る小さな彼女が、少し羨ましい。

代償として、彼女は不特定多数の人間と言葉が交わせないけれど。

それでも、彼女自身はそう不便そうでもなく。

(話し言葉も可愛かったなぁ……)

うーん。

やはり、育たないのが悔やまれる。

そんな、下らない事を考えながら、街から街へ。

野宿は避けたいため、先を急ぎつつ。

改めて、

「あーあ」

やだなぁと、曇り空を仰ぐのは。

天気の危うさではなく。

彼等の気持ちに、心を傾けて、安心してしまう自分がいるから。

そう。

「……僕、弱いなぁ」

それに、気づかされてしまうこと。


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