<EP_003>
「師匠!急患です!」
ドアを激しく叩く音に、寝転がってテレビを見ていた秋月哲也は顔をしかめた。
そのまま、のそりと起き上がるとドアを開ける。
「ったくよぉ、ボロなんだから強く叩くなと言ってるだろが…」
不機嫌な顔のまま、フケを飛び散らせて頭を掻きながらドアを開ける。
ドアの向こうには全身鎧を着込んだ士郎が立っており、脇には可愛らしい女の子を抱えていた。
「失礼します!」
そう言うと士郎は靴を脱ぎ、女の子を抱えて哲也の部屋に入る。
そのまま、畳の上にルージュを寝かせた。
「士郎、スゴいのを拾ってきたな。お前、こういうのが趣味か?」
身体の線も露わなルージュを見て、哲也は目を細める。
「師匠!バカなこと言ってる場合じゃないッスよ。どう見たって重度のマナ中毒患者じゃないッスか!」
マナとは、<つくば>のダンジョンに棲息するモンスターを倒した時に生まれる石、魔晶の中に宿る不思議な力のことである。
マナはダンジョンのモンスターを倒したり、魔導具を使うことで、倒した人間や使った人間の中に蓄えられていったりもした。
人間に蓄えられたマナは身体能力を強化し、身体を治す効果がある反面、溜まりすぎたマナは人間の精神にも作用し、攻撃的になり、ダンジョンに潜りたい衝動に駆られるという負の側面も持っていた。
マナの蓄積は外見に現れることもあり、羽根や角が生えることもあった。
マナを蓄積しすぎた人間はマナ中毒者と言われ、暴力的なことからも<つくば>では忌み嫌われる存在だった。
哲也は、とある事件で入手したマナ吸収の杖・改を使い、他人の蓄積したマナを自分に移し替えることができる。
そうして、哲也はマナ中毒専門の闇医者として仕事をしているのだ。
多くのマナ中毒者を見てきた哲也の目にも、身体に角と翼、尻尾を生やしたルージュの姿は重度のマナ中毒者のように見えた。
「どこで、この娘を拾ってきたんだ?」
哲也の言葉に士郎は素直に答えていく。
「ダンジョンからの帰りに、この子が道をフラフラ歩いていて、目の前で急に倒れたんス」
「そうか……」
士郎の話を聞いて哲也は考え込んでしまう。
(ここまで異形化してるってことは、かなりの蓄積量だよなぁ…俺の手には余るかもしれん……)
哲也の治療はマナ中毒者の蓄積したマナを哲也自身に移し替えることで行う。
だから、多くのマナを溜め込んだものからマナを抜き取れば哲也自身がマナ中毒者になってしまう恐れがあるのだ。
だから、完全に異形化しているように見えるルージュの治療に哲也は二の足を踏んでしまう。
「師匠、お願いするッス。彼女を助けて下さい。治療費は俺が払います」
士郎は畳に手をついて頭を下げた。
「ちっ、しゃーねーな。士郎、シュツルムブリンゲンを構えろ」
そう言うと、哲也は隣の部屋へ行き、マナ吸収の杖・改を持ってくる。
士郎は立ち上がると背中に担いでいた大剣、魔剣シュツルムブリンゲンを正眼に構える。
魔剣シュツルムブリンゲンは刀身に触れた者のマナを吸い取り、士郎へと送り込む性質がある。
しかし、士郎は以前ダンジョンでうっかり身につけてしまったマナ吸収抑制の首飾りによりマナを蓄積しにくい呪いにかかってしまったため、マナをほとんど蓄積できない身体となっていた、
魔剣シュツルムブリンゲンと強力な障壁を張る魔導鎧という二つの強力な装備を身に着けても士郎がマナ中毒にならないのはそのせいであった。
哲也がなんやかんやで士郎を手元に置いておくのは、シュツルムブリンゲンを介して士郎へマナを移し替えることで哲也自身のマナ中毒化を防ぐのが目的だからだ。
ルージュに蓄積されているであろうマナの量を考え、哲也は士郎にシュツルムブリンゲンを構えさせた。
哲也は右手にマナ吸収の杖・改を持ち、左手をシュツルムブリンゲンの刀身へ触れられるような体勢を取りながら、哲也は念じながら杖の先でルージュの身体に触れる。
しかし、いつもなら杖を介して身体に流れ込んでくるはずのマナが一切流れてこなかった。
(おや?)
哲也は首を捻ってしまう。
「どうしたんスか?」
哲也の怪訝そうな顔と刀身に触れてこない態度に士郎も声をかけてしまう。
「いや、マナが吸い取れねぇ……」
「え?」
哲也の言葉に士郎が目を丸くした。
「師匠でも治せないってことッスか?」
「いや、わからねぇ。こんなのは俺も初めてだ。この娘はマナ中毒者じゃねぇのかもしれねぇ」
哲也は首を捻りながら、士郎に左手で触れると魔力吸収を行ってみる。
士郎はマナが溜まらないわけではなく、あくまで蓄積しにくいというだけなので、僅かばかりのマナが哲也へと流れてくる。
(マナの杖が壊れたってわけじゃ無さそうだな。とりあえず、起こしてみるか。)
そう考えると、哲也は士郎にルージュを鎖で縛り上げるように言う。
「どうしてッスか?」
哲也の指示に士郎が疑問を口にした。
「今からマナ注入して起こすからだよ。起きて、いきなり暴れ出されたらかなわん」
哲也の言葉に納得し、士郎は押入れから鎖を取り出すとルージュを縛り上げた。
哲也の持つ、マナ吸収の杖・改は相手のマナを自分に移し替えるだけでなく、哲也のマナを相手に移し替えることもできる。
マナの蓄積は身体を強化することもできるため、ちょっとした怪我ならマナを注入することで治療することもできるのだ。
マナを注入し過ぎれば相手はマナ中毒になってしまう。
マナ中毒者は暴れ出すこともあるため、マナによる治療をする時は鎖で縛り上げておかなければ哲也自身が危険なのだ。
ルージュが縛り上げられたことを確認すると、哲也は杖を左手に持ち替え、右手でルージュの頭を触るとマナを少しだけ注入していった。
マナを注入されると、ルージュは目を覚ました。
目を覚ますと自分が鎖で縛られていることにも気づく。
「え?え?何、これ?」
「お、気付いたみてぇだな」
ジタバタもがいていると声をかけられる。
周りを見ると、最後に見た全身鎧の男と汚らしい格好をした男が自分を見下ろしていた。
「え?何?アンタたちは誰?ここはどこ?私をどうするつもり?」
わけがわからず、ルージュはまくし立てる。
「うるせぇな…」
哲也は耳を抑えつつ、ルージュの声に面倒くさそうな顔をした。
「ちょ、ちょっと、落ち着くッス」
鎖に縛られたまま暴れるルージュを士郎が押さえつける。
「あなたは道の真ん中で倒れたんですよ。それで、俺がここに運び込んだんです。覚えてないッスか?」
「え?あ、そうなの?」
確かに、この全身鎧を着た男に話しかけようとしてからの記憶が無いことに気づき、男の言葉が嘘ではないのだろうとルージュは思った。
「そうです。こう見えても、この人は俺の師匠でお医者さんなんス。だから、安心して良いッスよ」
士郎はそう言って、ルージュを安心させるためにニカッと笑った。
「あ…ありがとう……」
ルージュは士郎が善意で運んでくれたことを知り、頬を赤く染めながら呟いた。
「さて、お嬢ちゃん、キミはいったい誰でどこから来たんだい?」
ルージュが落ち着いたのを見計らって、哲也はルージュに話しかけた。
「その前に、鎖を解いてくれない?」
ルージュの言葉に、士郎もいることだし、大丈夫だろうと思い、哲也は士郎に鎖を解かせる。
解放されたルージュは身体のあちこちを擦りながら、立ち上がる。
「私は魔王サートゥスの娘、ルージュ。ジェミアテラから勇者テツヤを倒すために来たのよ!」
ルージュの胸を張った颯爽とした言葉とは裏腹に、哲也と士郎の顔にはハテナマークが浮かんでいた。
「えっと、ルージュさん?俺は生田士郎って言います。えぇっと…話が見えないんスけど…」
士郎が困惑しながらもルージュに説明を求める。
「ここは<つくば>よね?ダンジョンを通り抜けて、サミュナス国に降り立ち、魔王サートゥスを倒した勇者テツヤがいるところよね。何も知らないの?」
ルージュの言葉を聞いて、哲也がポンと手を打った。
「あー、そーいや、そんなこともあったなぁ」
哲也の言葉に士郎は驚いてしまう。
「師匠、知ってるんですか?」
「ああ、士郎には言ってなかったかもしれないが、あのダンジョンの最下層には別のゲートがあってな、そこを通るとサミュナスって国に出るんだよ。で、その国を攻めていた魔族の王様が確かサートゥスって言ったはずだな」
哲也はさらりと言った。
「じゃ、勇者テツヤって……」
「俺のことだろうなぁ」
哲也は顎をさすりながら他人事のように言った。
士郎と哲也の会話に今度はルージュが目を見開いて驚いた。
「嘘…アンタが勇者テツヤ…テツヤ・アキヅキだって言うの?」
ルージュの中の勇者テツヤ像がガラガラと音を立てて崩れていった。
サミュナス国の広間に立っている勇者テツヤの銅像は凛々しく立って杖を構えている雄々しい銅像であり、街で売られている勇者テツヤの物語の挿絵も似たようなものであった。
しかし、ルージュの目の前にいる勇者テツヤと名乗る男は、汚らしい身なりをし、ぼさぼさ頭に無精髭を生やした、どうみても冴えないおっさんであった。
(こんなヤツに……こんなヤツに、パパがやられたって言うの……)
ルージュは実際に出会った勇者テツヤのあまりの貧相さに呆然としてしまう。
ともすれば崩れ落ちそうになる心を怒りで奮い立たせて、ルージュは芝居がかった調子で宣言する。
「フフフ、ついに見つけたわ、勇者テツヤ。パパの仇、取らせて貰うわ!」
そう言うと、ルージュは両手を突き出し、マナを集中させ、手に雷光を生み出していく。
しかし、哲也に注入されたマナの量はあまりに少なく、雷撃は放たれることなく消え、マナを使い果たしたルージュは目を回して倒れ込んでしまった。
「くっ、クソっ…力が残っていれば……」
そう言うとルージュは再び気絶した。
目を回して倒れているルージュを見て、哲也と士郎は顔を見合わせるばかりだった。




