クロノスの真意
「――世界を救う、英雄譚だ」
俺の宣言を合図に、俺たちの新たな冒険が始まった。
だが、俺たちがギルドを飛び出した瞬間、その決意を嘲笑うかのように、世界が、再び大きく歪んだ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
もはや、ただの地震などではない。大地そのものが断末魔の悲鳴を上げ、王都の堅牢な建物に、次々と亀裂が走っていく。
空を見上げれば、禍々しい紫色の空に、ガラスがひび割れるような、黒い亀裂が走っていた。
この「遊戯盤」そのものが、存在の限界を迎え、崩壊しようとしているのだ。
「くそっ……! 急ぐぞ!」
俺たちは、瓦礫が降り注ぐ王都の大通りを、ひた走る。
だが、どこへ? ゼノンはどこにいる?
俺の視界の端で、《神々のインターフェイス》が、もはやコメント欄としての機能を失い、ただただ、神々の絶叫を垂れ流している。
《名もなき神A》「ああ……世界が、終わる……!」
《名もなき神F》「助けてくれ、ユウキ! お前しかいないんだ!」
彼らの支援も、声援も、もはやこの世界の理を歪めるゼノンの前には、何の意味もなさない。彼らは、ただの無力な観客に成り下がっていた。
(――ダメだ、このままじゃ間に合わない)
ゼノンを追いかけたところで、また同じことの繰り返しだ。
この危機を引き起こした、全ての元凶。この世界の、歪んだルールそのもの。
俺が対峙すべき相手は、ゼノンじゃない。
俺は、走りながら、意識を集中させた。
神々の悲鳴の奔流。その、さらに奥。俺の魂に直接語りかけてきた、ただ一つの絶対的な存在。
(――答えろ、クロノス!)
俺は、世界の管理者である調律神クロノスに、直接、その真意を問いただすことを決意した。
この理不尽な物語の、本当の脚本家を、引きずり出すために。
*
俺の魂だけが、現実世界から引き剥がされ、クロノスの御前へと引きずり出される。
俺は、声なき声で、叫んだ。
(――答えろ、クロノス! これが、あんたが望んだ世界か!)
俺の魂の叫びに、目の前に立つ、人ならざる「理」は、初めて、その唇を開いた。
その声は、男でも女でもない。星が生まれ、そして死んでいく、ただの物理法則。そのものが、音となったかのような、絶対的で、冷徹な音色だった。
『望んだ世界か、だと? 愚かな問いだ、人の子よ。これは、停滞した世界が、次なる段階へと進化するために必要な、ただの**「劇薬」**に過ぎぬ』
クロノスの言葉は、俺の魂に直接刻み込まれる。
『矮小な神々と、矮小な人間が、矮小な伝説を繰り返すだけの、停滞した世界。この遊戯盤に、我らが求める新たな「神話」が生まれるためには、一度全てを更地に戻す必要がある。ゼノンは、そのための、最高の起爆剤だ』
「……お前が、ゼノンを、あんな姿に……!」
『否。あれは、矮小な神々が生み出した**「歪み」**の、当然の末路だ。そして――』
クロノスの、感情のない視線が、俺を貫いた。
『――お前もまた、同じ**「歪み」**なのだよ』
ぞくり、と。魂が、その根源から凍てつくような感覚。
俺の持つ、この《神々のインターフェイス》もまた、この世界の理を捻じ曲げる、ゼノンとは質の違う、異質な力なのだと。
『故に、私は見極めているのだ』
クロノスは、まるで天秤を指し示すかのように、その両手を広げた。
『破壊によって進化を促す、ゼノンという「歪み」か』
『あるいは、仲間との絆という、我らの計算を超えた力で物語を紡ぐ、お前という「歪み」か』
『どちらの「歪み」が、この遊戯盤を、より面白い「神話」へと導くのか。私は、ただ、その結末を見届ける観客に過ぎぬ』
それは、あまりにも傲慢で、あまりにも残酷な、絶対的な創造主の視点。
俺たちの戦いも、仲間との絆も、世界の崩壊も、全ては、彼の退屈しのぎのための、壮大な実験材料でしかないのだと、俺は、絶望の底で理解した。
*
だが、その絶望の底で、一つの、静かな炎が灯った。
それは、創作者としての、神聖な怒りだった。
(――ふざけるな)
世界も、人々も、そして何より、俺が、俺たちが、命を賭けて創り上げてきたこの「物語」も、その物語を愛し、応援してくれた「観客」も、お前の退屈しのぎの道具じゃない。
俺の物語を、俺の仲間を、俺の観客を、踏みにじることだけは、絶対に許さない。
クロノスの気配が、俺の魂から潮が引くように消え去っていく。
俺は、仲間の元へと、現実世界へと、意識を戻した。
そして、理解する。
ゼノンとの戦いは、もはやただ世界を救うための戦いではない。
それは、クロノスが提示した「歪んだ天秤」の上で、自らの存在意義、そして、仲間との絆で物語を紡ぐという、俺の生き方そのものを証明するための、最後の戦いなのだと。
俺は、インターフェイスの向こう、クロノス、そして全ての神々が見守る中、静かに、しかし固く、決意を固めた。
(――見てろよ、クロノス)
(あんたが創ったこの理不尽な世界で、最高のハッピーエンドを、俺たちの手で創り出してやる)
それは、世界の理そのものに対する、一人の配信者からの、壮大な宣戦布告だった。




