置き去りのオーディエンス
神々の遺跡から命からがら帰還してから、数日が過ぎた。
俺たちが拠点とするギルド『物語の紡ぎ手』の談話室は、これまでにない、重苦しい沈黙に支配されていた。
ボルガは無言で戦斧の手入れを繰り返し、リリアナは折れた剣をただじっと見つめている。誰もが、あの日の「完全な敗北」の記憶から、抜け出せずにいた。
そして、その重苦しい空気の中心にいるのは、間違いなく俺だった。
俺は、自室に籠もり、来る日も来る日も、《神々のインターフェイス》に記録された、あの日の神々のコメントを繰り返し読み返していた。
《名もなき神F》「つまんね。ただ負けただけじゃん」
《名もなき神B》「負け方が地味すぎる。これが覇者の戦いかよ」
《軍略の神》「完敗だな。計算で負け、力で負け、物語にすらなっていない」
辛辣な言葉が、俺の胸を抉る。
だが、その言葉の奥にこそ、敗北の本質が隠されていると、俺は気づいていた。
エララに負けたのは、単なる実力不足じゃない。彼女の、勝利のためだけに全てを最適化する『攻略』の前に、俺の、観客を熱狂させるだけの『エンタメ』が、完膚なきまでに叩き潰されたんだ。
派手なだけの逆転劇は、もう「神話」にはなれない。
俺は、意を決して部屋を出ると、談話室にいる仲間たちに向かって、深く、深く頭を下げた。
「悪かった。全部、俺の責任だ」
そして、俺が見つけ出した、一つの仮説を語り始めた。
「あの神託を授けてきた、世界の創造主――『ザ・ピラーズ』。天を支える柱と呼ばれるそいつらが求める『神話』とは、ただ勝つことじゃない。その土地の歴史や、魔物の生態、そして、俺たちが喫したこの『敗北の意味』すらも拾い上げて、一つの壮大な『物語』として紡ぎ上げることなんじゃないか」
俺は、二人の顔をまっすぐに見据える。
「だから、頼む。もう一度、あの遺跡に行かせてくれ。戦うんじゃない。あの遺跡に隠された『物語』を、俺たちの手で解き明かすために」
それは、これまでの俺たちの戦い方を、根底から覆す提案だった。
*
俺たちの新たな挑戦は、翌日から始まった。
だが、その始まりは、これまでのどんな冒険よりも、地味で、退屈なものだった。
俺は、新たな配信を開始した。
【神話への道】第一章:敗北からの再調査
その配信内容は、これまでの戦闘中心のものとは、全く異なっていた。
王立図書館の埃っぽい書庫で、古文書を一日中読み解く。
街の酒場で、信憑性のない昔話を知っているという老人を探し出し、何時間も話を聞く。
遺跡の周辺に戻り、魔物の代わりに、岩石や植物を採取し、地質調査を行う。
もちろん、神々(視聴者)は、すぐさま反発した。
《名もなき神A》「は? 何これ、戦闘は?」
《名もなき神F》「歴史の授業とか要らんのだが。早くエララにリベンジしろよ」
《名もなき神B》「なんか、いつものユウキじゃない……」
コメント欄は、俺の新たな試みを理解できない、困惑と失望の声で埋め尽くされていく。
そして、その反発は、残酷なまでに、数字となって現れた。
あれだけ賑わっていた同時接続者数は、みるみるうちに減少し、全盛期の十分の一以下になった。
あれだけ飛び交っていたスパチャは、完全に、ぴたりと途絶えた。
そして何より、俺の心を抉ったのは、【チャンネル登録者数】のカウンターが、まるで壊れたように、逆回転を始めたことだった。
武闘大会で掴み取った栄光が、まるで嘘だったかのように、数字は凄まじい勢いで減少していく。
「……くそっ」
俺は、誰にも聞こえないように、奥歯を噛み締めた。
分かっていた。分かっていたんだ。
だが、これまで自分を支えてくれた視聴者たちが、一人、また一人と、自分の元を去っていく。その現実は、配信者としての俺の心を、じわじわと殺していくには、十分すぎた。
自らが信じる「神話」への道か。
これまで自分を支えてくれた、視聴者の期待に応えることか。
俺は、その板挟みの中で、出口のない苦しみを、ただ一人、味わっていた。
*
出口のない苦しみ。
俺は、その暗闇の中で、ただ一人、もがき続けていた。
チャンネル登録者数が、武闘大会で得た栄光の半分を失い、ついに500人を割り込もうとした、その時だった。
一件の、長文のコメントが、俺のインターフェイスに投稿された。
それは、俺がこの世界に転生し、ゴブリンに殺されかけた、あの最初の配信からずっと俺を応援し続けてくれていた、古参の神の一人からだった。
『ユウキ、お前を見損なった』
その一文は、どんな罵詈雑言よりも、鋭く俺の心を抉った。
『俺たちが見たかったのは、こんな退屈なドキュメンタリーじゃない。絶望的な状況を、誰もが予想しないやり方でひっくり返す、あの派手な逆転劇だ。お前は、俺たちの心を熱狂させてくれる、最高のエンターテイナーだったはずだ。……もう、お前の配信を見ることはないだろう。達者でな』
ファンからの、「決別宣言」。
俺は、そのコメントを何度も、何度も読み返した。
そして、プツリ、と。俺の中で、何かが切れる音がした。
(――もう、やめよう)
俺が間違っていたんだ。
視聴者の期待を裏切ってまで、自己満足の物語を追い求めるなんて、配信者失格だ。
今からでも、遅くない。エララへのリベンジ配信を企画すれば、きっと、みんな戻ってきてくれるはずだ。
「……ユウキさん?」
リリアナが、俺の顔を覗き込む。
インターフェイスは見えないはずの彼女にも、俺の尋常ではない苦悶の表情は、伝わっているのだろう。ボルガも、心配そうにこちらを見ている。
俺が、全てを諦め、神々の期待に応えるために、口を開きかけた、その時だった。
「――おい、ユウキ」
ボルガが、俺たちが調査していた石版の一点を、指差して言った。
「ここの紋章なんだが、俺の故郷の古い伝承に出てくる『守り神』の紋様に、似ていねえか?」
その、何気ない一言が。
俺の、壊れかけた心を、繋ぎ止めた。
*
(――ああ、そうか)
俺は、ハッとした。
そうだ。俺は、一人じゃなかった。
天上の神々(オーディエンス)の声が届かなくても、俺の隣には、ずっと俺を信じ、共にこの「退屈な物語」を紡いでくれている、最高の仲間がいるじゃないか。
ボルガが、俺の知らない知識で、道を照らしてくれる。
リリアナが、俺の無茶な挑戦を、絶対の信頼で支えてくれる。
彼らこそが、俺が本当に聞くべきだった、「声」なんだ。
俺は、震える手で、インターフェイスに触れた。
そして、【コメント非表示】のボタンを、強く、強く押した。
もう、天上の神々の声に惑わされるのは、終わりだ。
「……ボルガ、その伝承、詳しく聞かせてくれ」
俺は、目の前にいる仲間たちの「声」を信じることを決意した。
ボルガの言葉をヒントに、俺は古文書の解読を再開する。
これまで、ただの装飾だと思っていた紋様が、ボルガの故郷の言葉で読むと、全く違う意味を帯び始める。
それは、この遺跡に眠る、Sランクへと繋がる、本物の「神話」の、最初の断片だった。
効率だけを求めたエララが、その文化的背景を知らないが故に、絶対に見つけられなかった、物語の核心。
「……ははっ」
思わず、笑みが漏れた。
それは、視聴者を失った絶望の笑みではない。
信じるべき、本当の物語を見つけた、配信者としての、静かで、力強い笑みだった。




