第008話ー挟撃の黒水
六月のある放課後。
灰色に濁った空が、窓越しに薄く光っていた。
その教室の隅で、二人の男子が顔を寄せ合っていた。
「なあ、助理……あの転校生、やっぱ怪しいよな?」
「……やっぱ、って、何が」
也厚の目がギラつく。
赤ん坊のような顔で、心だけは凶悪な幼獣。
「目つき、だよ。アイツ、前に一回だけ見た目つきだ。忘れもしねぇ、あの“睨み”。あれ、永和の野郎と同じだった。間違いねぇ」
「……ほう」
助理の眼鏡が、ぬるく光った。
「面白い仮説だ。もし“村上永和”が姿を変えて戻ってきてるとしたら……そりゃあ、色々と燃えるな。いや、文字通り、また燃えたりして?」
にや、と口元を歪める。
二人の視線の先には、教室で英単語帳をめくる“村下龍和”の姿があった。
◇
翌朝。
東高校の裏庭――体育館の裏へと通じる通路。
「……行子さんには、今日は会えないって連絡しといた」
スマホをポケットにしまい、龍和は廊下を歩く。
突如、背後に物音。
振り返ると、誰もいない。
しかし――すぐに、背筋に寒気。
(来たか)
昼休み。人気のない理科棟裏の物置前。
そこに、二人はいた。
「……お前に話があるんだよ、村“下”くん」
也厚の声。
口調は軽いが、拳を握る音がはっきりと聞こえる。
「おや、偶然だね。僕も彼と話がしたくて、ここに誘導してたところだよ」
助理。
淡々とした口調。だが手には、黒ずんだ水鉄砲のようなものを握っていた。
「……二人揃って、何が目的だ」
「お前、永和だろ?」
「言ったらどうする」
「潰す。ボコボコにして、もう一回、いなくなってもらう」
「お前みたいなヤツがさ、のうのうと転校してきてさ、女子にチヤホヤされてるの、ムカつくんだよ」
「しかも永和だったとしたら……尚更だよな?」
次の瞬間、也厚が飛びかかってきた。
「喰らえっ!」
龍和の顔を目がけて、振り下ろされる拳。
ギリギリで避ける。
風が耳を裂く音。
「クッ……!」
しかし、避けた先に待ち構えていたのは――助理だった。
「はい、正解は“そこ”でした」
助理が水鉄砲を発射する。
ドバッと飛んできたのは、ぬめぬめとした黒い液体。
龍和の視界が、一瞬で曇る。
「ぐっ……目潰しか……!」
「アハ、家庭用の“すき焼きのたれ”だよ。ベタベタするし臭いし、君が嫌いそうだと思ってさ」
目が霞む。
しかし――
(こんなモノ……)
視覚を遮られながらも、龍和は音と気配で動いた。
助理の鼻息、靴の擦れる音、間合い。
(そこっ!)
ガッ!
「ぐえっ……!」
拳が助理の腹に入る。
眼鏡が外れ、よろめく。
だが――遅れて也厚が背後から飛び蹴りを放つ。
「うおりゃあああッ!!」
龍和はモロに受けた。
背中を壁に打ちつける。
「いってぇ……!」
「へへへ、やっと痛がったなぁ、転校生くんよ……」
足をふらつかせながら、助理が起き上がる。
二人がかりで、もう一度襲いかかってくる――
◇
だが。
次の瞬間。
「…………っ!」
龍和の身体が、ふっと低く沈んだ。
重心が完璧に落ちた体勢。
武道の構えに似ていた。
すれ違い様、也厚の足を払う。
「うわッ!」
体勢を崩したところに――肘が入る。
バキン、と音が鳴った。
口から泡を吹く也厚。
続けざまに、助理の腕をねじり、物置の扉に叩きつける。
「……ハァ……ハァ……」
倒れた二人を見下ろしながら、龍和は呟く。
「次、来たら……殺すからな」
その目に、光はなかった。
かつての“村上永和”とは違う。
復讐のために生まれ変わった、村下龍和――
その怒りは、なおも燃えていた。
◇
帰りの昇降口。
行子からメッセージが来ていた。
『今日、学校にいた? 会いたかったのに。』
龍和はしばらく画面を見つめた。
そして、返信を打った。
『……ごめん。また今度』
誰にも見られないように、スマホをポケットにしまう。
個人の復讐に、彼女は巻き込みたくないのだ。