第004話ー陰湿な優越感
「なぁ……お前ら、あの転校生さ……村下ってやつ、なんか、おかしくね?」
翌日の昼休み、購買前の階段踊り場。
人通りが少ないこの場所で、也厚は小声で言った。
缶ジュースを片手に、落ち着かない視線で左右を確認している。
「……お前、また始まったか? あいつただの転校生だろ。何、ビビってんだよ」
毛受裕太は、フランクフルトをかじりながら鼻で笑った。
まるで相手にしていないという態度。
裕太は、圧倒的な自信と見下しを持って生きている。
「いやでもさぁ、俺、昨日ちょっとぶつかったときに目ぇ合ったんだよ。そしたら……なんか、あの目……永和の、あいつに似てた」
言葉にした瞬間、自分の背筋がぞっとした。
ぞわぞわと鳥肌が立ち、喉が乾いていく。
「は? またその話? あいつはもう終わったって。家も燃えて、家族も……」
「それがさぁ、もし、もしだよ? 生きてたら、あいつ、俺らのこと……」
「おいおい、やめろって、気持ち悪ぃな」
「……ふむ」
二人の間に、ひとつの声が落ちた。
それまで黙っていた、眼鏡の男――石井助理だった。
数学の教科書を小脇に抱えたまま、三人の会話を聞いていたらしい。
「……それ、もしホントだったら……面白いね」
「え、え? お前、マジで言ってんの?」
「仮にさ、村下龍和が永和の変装だったとして――なんでまた戻ってきたと思う?」
「そりゃ……復讐とか……」
「なら、さ」
助理は、眼鏡の奥の瞳を細めた。
その目は、まるで人体実験に成功した研究者のように、興味と狂気が入り混じっていた。
「その“復讐”を、先にひっくり返してやったら、どうなると思う?」
「……!」
「お前さ、またそうやって……」
「毛受は黙ってていいよ。お前、こういうの苦手でしょ」
「は……あ?」
助理は、ポケットからスマホを取り出した。
画面には、すでに学校の生徒用連絡網サイトが開かれている。
「やってみる価値、あるよ。仮に本人だったとしても、あいつは“もう一度やられる側”だ。正体さえバレないうちに、精神潰してやればいい」
「お、おいおい……」
「俺に任せといて」
◇
放課後。
図書室。
「……この辺に、いるか」
助理は、図書室の奥の席から、身を乗り出して本棚の向こうを見た。
いた。
村下龍和は、理系参考書を広げていた。
数学、物理、化学。特に数学に関しては、他の誰よりも集中している。
永和が数学だけ得意だったこと――助理は知っている。
(“答え合わせ”の時間だ)
助理はスマホを開いた。
すでに下準備は済んでいる。
◇
翌朝。
登校した龍和は、昇降口で小さく息を吐いた。
……違和感。
靴箱に、紙くずが詰まっていた。
靴の中には、インクをぶちまけたような痕がある。
ただし、そこには名前も何も書かれていない。
いかにも“狙ってやった”というより、“さりげない悪意”だった。
教室に入ると、一部のクラスメイトたちが、何かを言いたげに視線を逸らした。
女子グループが、ひそひそと声を漏らす。
「え、あの人さ、実は……」
「てか、元々どこいたか全然言ってないらしいよ?」
「裏アカで自分の顔上げてるっぽいよ」
「え、うそキモくない?」
龍和は、何も言わなかった。
ただ静かに、自分の席についた。
◇
助理の仕掛けた“情報操作”はこうだ。
1. 偽のSNSアカウントを作成(村下龍和の名前をかたった裏アカ)
2. 少しずつ、“女子にDMを送ってきた”という噂を拡散
3. 適当な画像と名前をくっつけて、共通フォロワーの間で「本人だ」と思わせる
4. 教室にさりげなく匂わせ話題をばらまく(例:「○○が変なDM来たって言ってたよ~」)
直接の暴力も、証拠もない。
だが、確実に「気持ち悪い奴」「ちょっと距離を置こう」と思わせる空気を作っていた。
(俺はな、殴らない。指一本触れなくたって、人なんて簡単に壊せるんだよ)
助理は、窓際の席から龍和の様子を見ていた。
孤立しつつある。
しかし、あの転校生の目は、まったくブレていなかった。
それが、逆に助理の胸に妙な緊張を走らせる。
「……なんで、お前は黙ってる?」
助理は小さく呟いた。
まるで、返事を期待しているかのように。
◇
その夜。
龍和は、夜の街を歩いていた。
外套に手を突っ込み、人気のない公園のベンチに腰かける。
「情報戦、か」
自嘲するように笑う。
「昔と変わらないな、石井助理。……変わらないのは、お前らだけだ」
ポケットから、小さなノートを取り出す。
そこには、一ページずつにびっしりと文字が書かれていた。
ページの中央には、こう記されている。
《対象③:石井助理》
•陰湿型。
•情報拡散・印象操作。
•恐怖より“優越”を好むタイプ。
「なら、お前の“優越感”を壊せばいい」
村上永和――いや、“村下龍和”の表情がゆっくりと歪んだ。
「次は、お前だよ」
ベンチの横、ゴミ箱の中に投げ入れられたスマホの残骸が、青白く光っていた。