第013話ー拳を振るう理由
夜の屋上。風が冷たい。
明かりもなく、俺たち以外には誰もいない。
立ち上がった俺に、三人の影がじわじわと近づく。
「……まさか、まだやる気かよ」
也厚が、くくっと肩を揺らしながら笑う。
石井助理は、スマホを一度しまい、慎重な目で俺を見る。
毛受裕太は、言葉を発さない。ただ、目が鋭い。
「今のお前じゃ、勝てねぇよ。分かってんだろ? 立ってるのがやっとって顔してる」
そうだ。もう、腕も足もズキズキと痛む。
骨は多分折れてるし、吐き気が止まらない。
でも、
「関係ねぇ」
「は?」
「お前らに勝てるかどうかなんて、もう関係ねぇよ。
ここで退いたら……俺は、“俺”を殺すことになるからな」
正義なんてものはない。
警察も、教師も、社会も、誰も助けちゃくれなかった。
だから、俺がやるしかなかった。
「俺はな……! お前らを許さねぇって、決めたんだ!!」
叫ぶと同時に駆け出す。
でも、スピードは足りない。攻撃の手数も足りない。
「残念。詰みだよ、村上永和」
助理が囁いた瞬間、足元に蹴りが飛んできた。
也厚の鋭い蹴りが膝を叩き、俺のバランスが崩れる。
倒れた瞬間、何か硬いものが背中に当たった。
鉄パイプだ。……こんなもん、最初から用意してたってのかよ……!
「クク……さよなら、“復讐者”さんよ」
ああ、ダメだ……。
意識が遠のく。
視界がぐにゃりと歪む。
痛みも、恐怖も、消えていく。
でも。
その時だった。
──行子の声が、脳裏に浮かんだ。
『龍和くんって、ほんとは優しいんだよね』
『目が、すごく綺麗だった』
『私、龍和くんみたいな人、好きだよ』
……行子。
そうだ、俺は今……誰のために戦ってる?
家族のため? 猫のため? 自分のプライドのため?
違う。
“もう誰も傷つけさせない”って、決めたはずだ。
俺の復讐は、もうただの殺意じゃない。
“これ以上、大切なものを壊させないための戦い”なんだ。
だから、
だから俺は──
「……ッッ!」
がばっと身体を起こした。
反射的に鉄パイプを掴み、手からもぎ取る。
「は……?」
也厚が呆けた声を上げた。
その隙をついて、彼の腹に拳を叩き込む。
「うごっ……ぐ、くっ……!」
呻き声を上げて崩れ落ちる也厚。
「おい! 也厚!? クソ、てめぇッ!」
毛受が突っ込んでくる。
でももう、俺は迷わない。
覚悟を決めた拳は、過去の俺よりずっと重い。
ガンッ。
至近距離で鉄パイプを弾き返し、間合いに踏み込んだ。
「俺は、もう殺すだけの化け物にはならねぇよ」
「……ッ、何言ってんだよ、てめぇ」
「俺は……お前らと違う。
こんな闇みてぇなやり方、俺の“正義”じゃねぇ……!」
ドゴッ!!
拳が、毛受の顔面に炸裂した。
ぐらりと揺れて、毛受はよろけた。
しかしまだ立っている。さすがにタフだ。
そして──殴られても、怒りもしない。ただ、目が鋭くなる。
「……やっぱ、お前、“あの時”のままだな」
「だったら何だ」
「俺は、お前のその“綺麗な目”が気に食わなかったんだよ。
だから焼いた。全部焼き尽くした。
お前の家も、家族も……何もかも、灰にしてやったんだ」
……吐き気がした。
だけど、殺しはしない。
俺がこの拳を振るう理由は、“怒り”じゃなく、“守るため”に変わった。
そして今──俺は、“もう一度、人を信じるため”に戦っている。
行子が、生きててくれてよかった。
……だから俺は、あの時と違って、まだ立てる。
まだ倒れてない。
──まだ、終わっちゃいない。