第010話ー非道による再熱
誰が言ったのかは分からなかった。
何人かの生徒が教室の後方で、ひそひそと話している。
「ーー聞いたか? 隣のクラスの岩田って子、昨日誰かに襲われて、入院してるんだって」
「え、マジ? あの岩田? 何で?」
「知らないけど、夜に……一人でいたときに、誰かにやられたらしい。
顔も体もひどくやられて……誰か、恨みでもあったのかな」
その言葉が耳に届いた瞬間、俺の時間は止まった。
「……は?」
喉の奥が、キュッと締まるような感覚。
息が苦しい。
理解できない、なんて言うつもりはない。
俺はもう、そんなに“鈍感”な人間じゃない。
誰がやったかなんて──
決まってるだろ。
◇
昼休み。屋上。
誰もいない空間で、風が制服を揺らす。
俺は、一人でベンチに座り、握り拳を膝に置いていた。
左手が、震えていた。
歯を食いしばっても、止まらない。
右目が、熱い。
涙じゃない。怒りだった。
(行子が……)
俺が、初めて“普通の幸せ”に触れようとした。
あの火事の夜以降、初めて、誰かを守りたいと願った。
それが──
こんなふうに、踏みにじられるのか?
「ふざけんなよ……」
声が、掠れる。
でも、もう止まらなかった。
「俺が……どんな気持ちで、毎日学校に来てると思ってんだよ」
口が、震えている。
「もうやめよう、って思ったんだよ……!!
忘れて、何もかも、燃えたあの日のことも、家族のことも、ハチタのことも、あいつらの顔も……全部!!」
ベンチの背もたれを拳で殴る。
鈍い音。拳が裂ける。血がにじむ。
「でも……でもさ……」
俺の中に、何かが戻ってくる。
泥のような黒い感情。
それでも、しっかりとした輪郭を持った、俺の“芯”。
怒り。
憎しみ。
復讐。
この感情だけは、何度押し潰そうとしても、消えなかった。
「やっぱり……駄目だわ」
ゆっくりと立ち上がる。
背筋を伸ばす。
目を細める。
風が吹いた。
あの夜、俺の家が炎に包まれた時のような、熱を孕んだ風。
「赦す理由なんか、ひとつもなかったんだよ。最初から」
教室で俺の椅子に画鋲を置いたのも、
靴を水で濡らして笑ってたのも、
放課後に襲ってきて、平気で人の頭を蹴ってきたのも──
全部、笑って、俺の人生を壊してきた奴らだ。
「俺は……赦さない」
睨む。
その先にいるのは、毛受裕太。
その中心にいる、あの“無表情の男”。
「毛受……お前だけは、最後まで逃がさない」
制服のポケットの奥、硬質な金属の感触。
行子を守るために、過去の自分を越えるために、
俺は、今日からまた、“龍和”になる。
今度こそ、誰にも邪魔はさせない。
◇
教室へ戻る途中、
廊下の端にある大きな窓から、校庭が見えた。
太陽が傾き始める。
影が長くなる。
その中に、三人──いや、四人。
何か話している毛受たちの姿が見えた。
俺は、笑った。
「トゥフフフ……」
あのふざけた笑いが自然にこぼれた。
いいぜ。やってやる。
俺の復讐は、ここからが本番だ。