第5話:最初の朝と命のスープ
※本作は「全知スキル×逃亡聖女×恋愛攻略」な異世界転移ファンタジー!
第一部完
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▼前回のあらすじ:
逃亡の第一夜を乗り越えた俺たちは、森の奥で小さな拠点を築きはじめる。
洞窟の中で、浅い眠りから意識が浮上する。
硬い岩肌に背中を預けていたせいで、背中も腰も、軋むように痛かった。燃え尽きて燻ぶる焚火の匂いが、ひんやりとした朝の空気に混じっている。洞窟の入り口の隙間からは、灰色の光が差し込み、遠くで名も知らぬ鳥の声が聞こえた。
だが、生きている。
その事実が、何よりもありがたかった。
俺は燃え尽きかけた焚火の向こうで、俺がかけたブレザーを毛布代わりに眠る少女――ルナリアに視線を移す。すう、すう、と穏やかな寝息を立てるその姿に、まず心の底から安堵した。
(よかった……ちゃんと、生きてる)
念のため、意識を集中させ、【全知解析】を発動させる。
▼ ステータス:ルナリア
HP:65/80
MP:80/120
【状態】衰弱、神恩喪失(呪い)
(よし……! HPもMPもかなり回復してる。けど、『衰弱』と『呪い』はまだ残ったままか……)
HPの数字の上では、危機は脱したと言える。だが、この根本原因が解決しない限り、本当の意味で彼女は救われない。そう思った、まさにその時だった。
「……ん……」
彼女の長いまつ毛が、ふるりと震える。ゆっくりと瞼が持ち上がり、洞窟の入り口から差し込む朝の光を宿した、澄んだ紫色の瞳が現れた。
その瞳が、俺の姿をまっすぐに捉える。
次の瞬間、彼女の体は、蛇に睨まれた蛙のように硬直した。昨日までの記憶が蘇ったのだろう。その瞳に、ありありとした警戒の色が浮かんだ。
「……あなたは……昨夜の……?」
か細いが、昨日よりもしっかりとした、凛とした声だった。
(やばい、どうする。ここで下手に喋って怯えさせたら、昨日の苦労が水の泡だ……!)
俺は言葉を発さず、代わりにゆっくりと、両手を上げて敵意がないことを示す。そして、そばに置いてあった水のペットボトルを手に取り、キャップを開け、そっと彼女の前に差し出した。
言葉よりも、行動で示せ、だ。
彼女は、俺とペットボトルを交互に見比べ、数秒間、俺の真意を探るように、じっと俺の目を見つめていた。
やがて、意を決したように、震える手でそのペットボトルを受け取る。見慣れないプラスチックの容器にわずかに戸惑いつつも、こく、こくと、乾いた喉を潤す音が、静かな洞窟に響いた。
水を飲み干した彼女は、「はぁ……」と安堵のため息をつき、その表情から険が少しだけ取れた。
「……ありがとうございます」
育ちの良さを感じさせる丁寧な一礼。彼女は改めて俺に向き直る。
「わたくしはルナリア、と申します。あなたの……お名前を、聞かせていただけますでしょうか?」
「俺は相川翔だ。気分はどうだ? ……いや、今は無理して喋らなくていい。ゆっくり休むといい」
俺がそう言うと、彼女の体が、ぐらりと揺れる。俺は慌ててその肩を支えた。華奢な肩が、俺の手に収まる。
「ほら、無理するな」
彼女は悔しそうに唇をきつく噛んだ。こくりと小さく頷くと、大人しく横になった。
再び穏やかな寝息が聞こえ始めたのを確認し、俺は自分の腹が限界を訴えていることに気づいた。
ぐぅぅぅううう、と我ながら情けない音が、静かな洞窟に響き渡る。
(やっべ、今の音、聞こえたか……?)
ルナリアが身じろぎしないことに安堵しつつ、俺は彼女が次に目を覚ました時のことを思った。
(彼女が次に目を覚ました時、栄養のあるものを食わせてやらないと……!)
俺は燃え尽きかけた焚火に乾いた枝を数本くべると、ルナリアを起こさないよう、静かに洞窟を抜け出した。
外は、鳥の声が響き渡る清々しい朝だ。
「さて、と……まずは水と食料だな」
俺は【全知解析】という最強のナビを常に起動させながら、慎重に歩を進める。
やがて、せせらぎの音を頼りに岩清水が流れる小さな川を発見し、喉の渇きを潤した。空のペットボトルを満タンにし、次なる目標、食料の探索に移る。
俺は手当たり次第に、目についた植物や木の実を解析していく。
《名称:ドクイチゴ。特記事項:猛毒。食用不可》
(うわ、見た目はいかにも美味そうなのに猛毒とか! いかにもな初見殺しトラップじゃねえか! 危ねえ危ねえ、サンキュースキル様!)
《名称:薬草。特記事項:止血効果あり。すり潰して傷口に塗布することで効果を発揮》
(おおっ! まんまドラクエの『やくそう』! これは役に立ちそうだ)
俺は薬草を数本摘んでポケットに入れる。だが、すぐに思考が巡った。
(待てよ。この薬草はあくまで物理的な傷に効くものだ。彼女を蝕む『衰弱』には多少効果があるかもしれねえけど……根本原因の『呪い』には、どうせ無力なんだろうな。こういうのは、もっと別の力……聖なる力とか、そういうのが必要だってのがゲームの常識だ)
スキルの万能さに感心しつつも、初めてその限界を意識させられた瞬間だった。
気を取り直して探索を続けると、ついに見つけた。
《名称:モリグリ。特記事項:栄養価が高い。生食可だが、火を通すと甘みが増す》
(主食ゲットォォ! これだけあれば、数日は飢えずに済む!)
俺は夢中でその実を拾い集めた。
その時、近くの茂みで何かが動く気配がした。角の生えた一匹のウサギだ。
《名称:ホーンラビット。レベル:2。特記事項:素早いが、危険性は低い。肉は美味》
(肉……! しかも美味いと来た!)
喉がごくりと鳴る。俺はそっと足元の石を拾い、渾身の力で投げつけたが、石はウサギのはるか手前で乾いた音を立てる。ウサギは一瞬で森の奥へと消えてしまった。
「……だよな。運動不足の俺のコントロールじゃ当たるわけねえか」
狩りの難しさを痛感した俺は、確実な方法に切り替える。
(そうだ……このスキルは、『方法』も教えてくれるんだった!)
(【全知解析】! ホーンラビットを捕まえるための、俺にも作れる簡単な罠の作り方!)
すると、脳内に設計図のようなウィンドウが浮かび上がった。慣れない手作業に悪戦苦闘しながらも、スキル様の丁寧なチュートリアルに従い、どうにか不格好な罠を三つ、獣道に仕掛けることができた。
◇
数時間後、罠を仕掛けた場所へ行くと、そのうちの一つが見事に作動していた。
「……やった!」
俺は思わずガッツポーズを作る。だが、その興奮も、獲物の苦しむ姿を間近にして冷水を浴びせられたように冷めていく。甲高い悲鳴を上げ、必死にもがくその姿は、ゲームのモンスターじゃない。恐怖に震える、ただの「生き物」だ。
一瞬、拾い上げた石が、鉛のように重く感じた。
(ゲームなら、ボタン一つで終わるのに……。これが、命を奪うってことか……)
だが、やらなければ。
(俺がやらなきゃ、あの子が飢える……!)
洞窟で待つルナリアの顔を思い浮かべ、一瞬だけ強く目を閉じる。
「……ごめんな。そして、ありがとう。お前の命、俺たちが生きるために、無駄にはしねえから」
意を決してとどめを刺す。命の灯火が消え、静かになったホーンラビット。そのずしりとした重みと、まだ残る温かさが、俺に「生きること」の本当の意味を突きつけているようだった。
◇
ずしりと重い肉と、両手いっぱいの木の実を手に、俺は疲労と、そして確かな達成感と共に洞窟へと帰還した。
入り口のカモフラージュをどけて中に滑り込むと、赤い熾火が、壁際に眠るルナリアの横顔を柔らかく照らしていた。
(……よかった。無事だ)
衰弱した体には、消化が良く、温かいものがいいはずだ。
(そうだ、スープだ。ホーンラビットの肉で、スープを作ろう。俺にできる、最高のもてなしを)
俺はスキルに教えられた通り、熱に強い花崗岩の窪みを「石の鍋」にし、肉とモリグリを煮込み始める。やがて、香ばしくて優しい匂いが、冷たい洞窟の空気を満たしていった。
その温かい匂いに誘われたのか、眠っていたルナリアの鼻が、くんくん、とわずかに動いた。
やがて、うっすらと紫色の瞳が開かれる。
「……いい、匂い……」
「あ、起きたか。ちょうどいいところに。腹、減ってるだろ?」
俺は近くにあった大きな葉で即席の器を作り、そこに熱いスープを注いでやる。
「ホーンラビットのスープだ。火傷しないように、ゆっくり飲んでくれ」
ルナリアは、その葉の器を両手で大切そうに受け取った。
ふー、ふー、と小さな唇で息を吹きかけて冷まし、おそるおそる一口、スープを口に運ぶ。
次の瞬間、彼女の瞳が、今までにないほど大きく見開かれた。
そして、その瞳から、ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……おいしい……です」
その一言を皮切りに、彼女は夢中になってスープを飲み始めた。
やがて、器が空になる頃には、彼女の瞳からは大粒の涙がいくつもこぼれ落ちていた。
「温かい……。こんなに温かい食事をいただいたのは、本当に、久しぶりで……。ずっと、怖くて、寒くて……もう、ダメだと思っていました……」
安堵からか、彼女の口から、ふふん、ふーん♪と、美しいメロディの鼻歌がこぼれた。
「ん? 今の、歌か? いい曲だな」
俺が何気なくそう言うと、彼女はハッとして、顔から血の気が引くように青ざめ、悲しげに口元を押さえた。
「……い、いえ! 何でもありません! 今のは、その……忘れてください……!」
「(うわ、地雷踏んだか!?)あ、いや、悪い。綺麗な声だなって思っただけだから」
「……もう、わたくしは……歌えませんから」
そう言って寂しそうに微笑む彼女の姿に、俺は何も言えなくなった。
「何から何まで……本当に、ありがとうございます。カケル様……」
その必死の感謝の言葉に、俺は少し照れくさくなって頭を掻いた。
「いいってことよ。……それに、その『様』付け、やめてくれ。なんか、むず痒いっていうか」
「ですが、カケル様はわたくしの命の恩人です。そのような方を呼び捨てにするなど……」
「じゃあ俺も『ルナリア様』って呼ぶぞ。いいか?」
「そ、それは……困ります」
「だろ? 俺たちは、この状況を一緒に生き抜く『仲間』なんだ。仲間内で様付けなんて、他人行儀すぎる」
俺が「仲間」という言葉を口にすると、ルナリアの表情がぱっと華やいだ。
「……仲間……」
彼女はその言葉を、宝物のように繰り返す。
「はい! 分かりました、カケル……さん」
少し照れくさそうに、しかし嬉しそうに彼女は頷いた。その笑顔は、俺が今まで見たどんなものよりも、輝いて見えた。
洞窟の中には、パチパチと薪がはぜる音と、二人の穏やかな呼吸の音だけが響く。
だが、俺は見てしまった。彼女の輝くような笑顔の奥に、先ほどの歌の件でよぎった、まだ消えずに燻る深い影を。
(仲間、なんて偉そうなことを言った手前、彼女が抱える不安の根っこを、俺が知る必要がある)
俺は、彼女の本当の苦しみに向き合う覚悟を、静かに固めるのだった。