Episode 9:踊る者たちの前奏曲
──焦土と化した、第4区画。
空にはなおも黒煙が立ち昇り、焼け爛れた大地には、火の名残が赤く瞬いていた。
防災ドローンが上空を旋回し、災害対応部隊が次々と到着する。
鎮火作業、区域封鎖、証拠回収。現場は騒然としていたが、ロックたちは現場指揮を別部隊へ引き継ぐと、上層部からの無線通達に従い、ネオ=アクアリウムの最上層──PCPD本部へと向かった。
ミドル・リングからアッパー・リングへ繋がる、直通の高圧エレベーター。
その密室に、会話はなかった。
リリスは足元を見つめ、何かを噛みしめるように。
モルトは目を閉じ、思考の海に沈んでいる。
そしてロックはただ拳を握りしめ、前を見据えていた。
拳には熱が残っていた。敵の熱ではない──自分の内にある、怒りと苛立ちの火種。
やがて、重い金属音とともに扉が開く。
彼らを迎えたのは、PCPD本部最奥──《特別審問室》。
無機質な銀の壁、人工照明の光だけが照らす、冷たい空間。
テーブルの向こうに並ぶのは、無表情な幹部たち。
そして落ちたのは、冷えた声だった。
「命令系統を無視し、危険度Aのタグドと交戦に及んだ。これは明確な規律違反だ」
「弁明を聞こうか──第七分室」
不躾なまなざしと、静かな圧力が三人を包み込む。
ロックは即座に前に出て、両手でテーブルを叩いた。
「弁明? ……ふざけるな。あれだけの被害を前に、指をくわえて見てろってのか」
「君たちはPCPDの一員だ。法と秩序を守る立場にある。その立場を忘れ──」
「違う。“人”として、当然の行動をしたまでだ。俺たちは命令だけを待つ機械じゃない」
一瞬、空気が凍りついた。
幾人かの幹部が顔をしかめ、何かを言いかけたとき──
「……それで十分だ」
場を割ったのは、乾いた拍手だった。
音の主は、テーブルの隅に座っていた男。
銀縁の眼鏡、漆黒のスーツ。姿勢正しく、どこか柔らかな物腰。だが、目だけは笑っていない。
「君の言い分は、なるほど面白い」
「……イージス=マクダネル……!」
幹部の一人が忌々しげにその名を吐く。
だが、イージスは動じずに立ち上がる。
「今回の件については、私が彼らに交戦許可を出した」
「許可だと!? そのような報告は──」
「“残さなかった”だけです。状況が状況でしたからね。命令を待って動かずにいたら、被害はさらに拡大していたでしょう?」
幹部たちのざわめきの中、ロックがイージスを睨みつける。
「……あんた、何が目的だ」
イージスは肩をすくめると、口元だけで笑った。
「興味があったのさ。君たちが、“どう動くか”にね」
その曖昧な言葉だけを残し、彼は審問をあっさりと収めてしまった。
幹部たちは不満を滲ませながら席を立ち、部屋を後にする。
──
PCPD本部の廊下。
第七分室へと戻るその途中。
ロックの顔には、あからさまな苛立ちが滲んでいた。
「……なんなんだ、あの眼鏡野郎は」
「奇妙な人物です」
モルトが呟くように言う。
「霧のように掴めない……思考の輪郭が見えない。そういう印象でした」
と──角を曲がった先。
誰かが待っていたように、背筋を伸ばして立っていた。
「やあ。ご苦労だったね、第七分室」
その“眼鏡野郎”本人が、笑みを携えて出迎えていた。
「……何の用だ、イージス=マクダネル」
ロックの警戒を一身に受けながら、イージスは丁寧に一礼する。
「挨拶だよ。君たちには正式な紹介もまだだったからね」
「イージス=マクダネル。PCPD情報管理局局長、そして上級特任補佐官。
──困ったときは、私を頼ってくれて構わないよ」
差し出された手。だがロックは一歩も動かず、じっとその手を見下ろす。
「……上層部の都合で踊るつもりはない」
「結構」
イージスはその手を下ろし、肩を竦める。
「君たちはそうでなくてはならない。だが……犬が無差別に吠えれば、誰かが“躾”をしなければならない。──そう思わないか?」
ロックの目が鋭く光る。
だがイージスはその視線を受け流し、すっと背を向けて歩き出した。
「また会おう。次に会うとき、君たちがどんな立場にいるかは……分からないがね」
その背中が遠ざかる中、最後に残されたひと言は──
「──“白い少女”の因子は、君たちが思う以上に危険だ。しっかりと見守ることだよ」
その名が示すのは、あの少女──シャルトリューズ。
足音が消えた。
そして残された三人は、沈黙の中で立ち尽くした。
「……また、面倒くさいのが出てきたな」
ロックの低く押し殺した声が、硬質な廊下に落ちる。
《踊る者たち》の前奏曲は、すでに始まっていた。
そしてその旋律は、やがて“白い因子”の目覚めを告げる警鐘となる。