Episode 8:憤怒の男
「ハッハ……たった三人で、俺を止めるだァ? ……ナメてんのかァ」
喉の奥から、鉄塊が擦れ合うような濁声。
その声と同時に、ヴァルカンの足元で火花が跳ね、焼けた地面に穴を穿つ。空気が震え、赤熱の圧が立ちこめる。
ヴァルカン=アッシュ
《憤怒》の名を冠する《七罪の使徒》。
その巨躯は全身が武器であり、灼熱を纏った肉体そのものが一つの災害だった。
「PCPD第七分室。七罪の使徒──“憤怒”ヴァルカン=アッシュ。お前を拘束する」
ロックの声が、炎のうねりを切り裂くように響いた。
だが、ヴァルカンは嘲るように笑い、背筋を鳴らす。
「……“拘束”? 俺を? ──まず、“死なねぇ”ってこと、証明してみせろやァッ!!」
ズドォン!!
地を揺るがす衝撃。
右拳が火を纏って振り下ろされた瞬間、地面が爆ぜる。
「──爆腕ッ!!」
閃光とともに地が割れ、火山のような爆圧が都市の廃墟を吹き飛ばす。
衝撃波が一帯を包み、灼熱が空間そのものを焼却する。
「リリス、右へッ!」
「はいっ!」
ロックが火壁を跳び越え、爆圧を抜けて斜線を変える。
その動きに連動するように、リリスが滑り込む。
ジャケットをはためかせながら、両手を広げて声を放つ。
「──霧の帳!」
白い粒子が霧となって戦場に溢れ出し、瞬時に周囲を包んだ。
これはただの煙幕ではない。空間認識を狂わせる霧。
熱と音を撹乱し、座標を微妙にずらす幻術的フィールド。
「チッ……この視界……!」
ヴァルカンが吼える。拳を振り抜き、幻影を砕くも──実体には届かない。
「今です、ロック。熱源の偏り右腕部に集中。触覚誘導優先で」
インカム越しに、モルトの冷静な声が割り込む。
ロックは迷わず突進。霧を滑り、反転しながら接近。
ナイフを逆手に構え──叫ぶ。
「《抑止》!!」
刃先から不可視の鎖が伸び、雷光のように右肘を絡め取る。
そのまま引き絞る。鋼鉄のような筋肉が軋み、火を噴く巨体が一瞬、膝を折った。
「グゥッ……チンケな拘束がァッ!!」
怒声とともに、全身に焔を回し、拘束を強引に灼き切ろうとする──
だが、その刹那。
「左下、ブラインドエリア! 脊椎軸、反応薄い! ──いけます!」
モルトの知覚補正が脳を直撃する。
「任せて!」
リリスが霧の中を走り、地を滑走しながら閃光弾を投げ込んだ。
バンッ!!!
白光が一帯を灼き、視覚と聴覚を同時に麻痺させる。
「ガアアアアアァッ!!」
ヴァルカンが絶叫し、熱が暴走。
制御を失った火線が空を引き裂く。
ロックはその隙を逃さなかった。
爆風を利用し、瓦礫の上から跳躍──
巨体の肩に飛び乗り、ナイフを喉元へと突きつけた。
「……動けば、動脈を断つ。終わりだ」
戦場に、沈黙が降りた。
息を荒げるヴァルカンが、笑う。
その熱に満ちた眼差しは、怯えでも憎悪でもなく──愉悦。
「へへ……やるじゃねェか。駄犬のくせによォ」
「動くな。次は本気で刺す」
「……残念だったな。──今日はここまでで“終了”だ」
ゴゥッッ!!
足元が爆ぜた。
地面を利用した反動噴射──瞬間的な炎の離脱機動。
「──ッ!」
爆圧がロックを弾き飛ばし、地面を転がらせる。
空気が焼け、聴覚が飛び、視界が一瞬真っ白に染まる。
「逃走行動、確認!」
モルトが即座に反応。
リリスが目を走らせるが──もうヴァルカンの姿はなかった。
残されたのは、焦土に焼け焦げた巨大な足跡。
そして、耳に残る嗤い声だけが、風に乗って消えていく。
⸻
「はあ……はあっ……」
リリスが息を整えながら、ロックに駆け寄る。
「……ちょっと、カッコよかったですよ。先輩」
「……茶化すな。ギリギリだった」
ロックはナイフを仕舞い、焦げた地面を見下ろした。
「逃げられた。任務としては──」
「“接敵と能力特性の確認”は完了。……初回としては充分です」
モルトの声は冷静だが、明確な評価が込められていた。
ロックは黙って、瓦礫の山を見つめる。
「……あれが、“憤怒”か」
まだ空気は熱を帯びていた。焼け残った鉄骨が軋み、火花が時折はぜる。
焦土に立つ三人の背に、静かに、黒煙が立ち昇っていく。