Episode 6:始動する《選民》たち
ロウアー・リング 第0隔離区画・廃墟
地を這う灰の霧が、静かに廃墟を包んでいた。
朽ちた高層ビル群は、まるで都市の墓標。風はなく、音もなく、ただ腐臭だけが沈殿するように漂っている。
その死の静寂を破るように、七つの影が交錯する。
ここは法も届かぬ都市の死角。
生者が去り、文明が後退した、忌まわしき“最果て”。
──だが今、その沈黙に、異様な気配が集った。
「……こうして顔を揃えるのは、何年ぶりだったか」
灰の瓦礫を踏みしめる重い足音。
焦げついた皮膚に軍装めいた外套。目の奥には、燻るような火が灯っている。
ヴァルカン=アッシュ
《憤怒》の使徒。プラスミド〈爆炎憤怒〉。
戦場に愛され、破壊を宿命づけられた男。
「……眠い。夢の中にいたのに……最悪の目覚ましだよ、まったく」
壁際に寄りかかりながら、欠伸を噛み殺す青年。
レミィ=クロックワイズ
《怠惰》。プラスミド〈白昼夢操作〉。
現実と夢の境界を曖昧にしながら、戦術を紡ぐ者。
「……ああ……うるさい……並ぶだけで頭が痛い……」
虚ろな片目を手で覆い、少女がか細く呟く。
その声は風に掻き消えるほどに微かで、存在すらも頼りなかった。
ミラー=エーヴァレット
《嫉妬》。プラスミド〈虚像共鳴〉。
他者を写し、己を失った模倣者。
「ふぅん、面白くなってきたかも? この“再会”、少しは期待してもいいのかしら?」
空気すら毒に変える香水を纏い、女は甘く嗤う。
目元に浮かぶ艶は、愛とも死ともつかぬ謎を孕む。
ドミナ=ヴェルヴェット
《色欲》。プラスミド〈悦楽支配〉。
快楽を与え、支配する──飽くなき愛欲の化身。
「ガ……ア゛ァァァ……ッ! クワセロ……タリナイ……!」
咆哮を上げ、四つ足で地を這う異形。
肉の塊と化した男が、涎を垂らしながら現れる。
ガット=トラクト
《暴食》。プラスミド〈暴喰獣〉。
知性を喪い、ただ本能で“喰らう”存在。
「……まったく下劣な連中だ」
銀と金の双眸を細め、貴族然とした青年が吐き捨てる。
その掌に浮かぶ球体は、物質とも概念ともつかぬ“収集”の結晶。
ルカ=ペンドラゴン
《強欲》。プラスミド〈収集空間〉。
この世界の全てを“所有”せずにはいられない、収集の魔物。
──そして、彼らの中心に佇むのは。
その者に、性別も顔もない。
深いフードの奥から覗く双眸だけが、場を支配する。
オルフェウス
《傲慢》。その名以外、すべてが謎に包まれた異質の存在。
誰かが小さく、その名を呟いた刹那──
灰の霧を裂くように、新たな足音が響く。
現れたのは、全員を見下ろす灰の外套の男。
杖の先から滲む黒煙は、呼吸するかのように脈動していた。
オルド
《七罪の使徒》を統べる存在。
進化の導師にして、バロックの首魁。
七人は一斉に膝をつく。
その光景は、どこか宗教的ですらあった。
「人間は愚かだ。いまだ“自由”などという幻影にすがる」
重く、低く、地の底から響くような声。
「だが、《七罪》は既に胎動している。この世界を裂く“鍵”として……旧き秩序に楔を打ち、我らの楽園へ至る扉を開け」
沈黙が支配するなか、七人の使徒たちは顔を上げる。
その目に、確かな意思と破壊の予兆が宿っていた。
次の瞬間──
灰の霧が渦巻き、彼らの姿を呑み込んだ。
⸻
アッパー・リング アストリア大聖堂
──天空に最も近き“聖域”。
光の皮を被った、もうひとつの“異形”。
天蓋から降る聖なる旋律。
白亜の柱が連なる空間の中心に、男が立っていた。
その笑みは慈愛か、狂気か。
セラフィム=アストレイア
アルコーンの大司教。
超常至上主義《選別》を掲げる、異端の救世主。
「魂を選ばれし者よ。今、汝に刻印を授けよう──」
信徒たちは一列に並び、額に“印”を受けていく。
それが救いか、それとも呪いかは……誰にもわからない。
その背後で、修道服の女がそっと囁く。
「第七分室──“例の少女”を確保しました」
セラフィムは静かに頷いた。
「偶然という言葉に、神の名はない。すべては“意志”の設計に記されたことだ」
彼は天を仰ぎ、祈るように呟いた。
「やがて彼らにも、祝福の焔が届く日が来るだろう。……その時に備えておきなさい」
白き神殿の奥深く──
静かに、血と信仰が燃え始めていた。