Episode41:飽和の終点
黒霧街。
崩壊しかけた街区の中心で、三つの影が激突している。
衝撃が遅れて届く。
音が追いつかない。
それほどまでに、速度と質量が限界を超えていた。
ガット=トラクト。
その肉体は、もはや均衡を保っていない。
膨張と収縮を繰り返し、筋肉が裂け、再生し、さらに歪む。
「……ハ、ハハ……ッ」
笑っている。
痛みすら、愉悦に変えている。
「いい……いいなァ……!」
踏み込む。
速い。
だが、直線的だ。
制御を失った強化。
それでもなお、脅威。
ジャックが正面から受ける。
拳と拳がぶつかる。
骨が軋む。
地面が割れる。
「……まだ来るか」
息を吐く。
腕が痺れている。
だが、退かない。
壁として立つ。
それが役目だ。
ガットが吠える。
「喰わせろォォ!!」
腹の口が開く。
吸引。
瓦礫が浮く。
空気が引き裂かれる。
その中心へ――
ジャックが踏み込む。
「なら」
笑う。
「喰ってみろ」
一瞬。
クラリスの目が細まる。
「ジャック――」
止める声は、届かない。
踏み込み。
自ら距離を詰める。
腕を――
差し出す。
「ッ!!」
ガットの腹の口が、噛みつく。
鈍い音。
骨ごと。
引き裂く。
血が噴き出す。
肉が裂ける。
ジャックの右腕が、喰われる。
「――ッ……!」
だが。
倒れない。
膝をつかない。
むしろ。
踏み込む。
残った腕で、ガットの身体を掴む。
逃がさない。
固定する。
「今だ」
低く、確実に。
クラリスへ。
時間を作る。
そのためだけの行動。
クラリスの呼吸が止まる。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
だが、次の瞬間には。
戻る。
感情を切り離す。
冷徹に。
正確に。
「……ええ」
一歩。
踏み込む。
世界が静まる。
すべての音が遠ざかる。
視界の中心に、
ただ一つ。
“核”。
見えている。
ガットの内部。
暴走する再生の中心。
すべてを駆動している“点”。
「そこ」
紅椿を構える。
刃が震える。
命に触れるために。
「――撫命」
踏み込む。
斬る。
一閃。
深く。
確実に。
“核”へ。
刃が届く。
触れる。
その瞬間。
命が書き換わる。
増えろ。
ではない。
止まれ。
終われ。
閉じろ。
矛盾した命令が、
一点に叩き込まれる。
ガットの目が見開かれる。
「……あ?」
理解が追いつかない。
身体が、動かない。
再生が、止まる。
いや。
止まりきらない。
増えようとして、
止められる。
進もうとして、
閉じられる。
内部で、
衝突する。
「ガ……ァ……」
崩壊。
肉が、内側から砕ける。
維持できない。
存在が、保てない。
ジャックが歯を食いしばる。
「……効いてるぞ」
血が流れる。
腕はない。
だが、笑う。
ガットが叫ぶ。
「ヤメ……ロ……!」
初めての言葉。
拒絶。
恐怖。
だが――
遅い。
クラリスが、さらに踏み込む。
刃を押し込む。
「終わりだよ」
静かに告げる。
そして。
“撫でる”。
命の終点を。
優しく。
確実に。
「――閉じろ」
完全停止。
次の瞬間。
ガットの身体が、
崩れた。
音もなく。
砂のように。
肉が、
崩壊する。
形を失い、
ただの残滓へと変わる。
静寂。
風が吹く。
黒霧が、わずかに流れる。
そこにはもう、
何もいない。
七罪・暴食。
ガット=トラクト。
その存在は、
完全に消失した。
ジャックが、その場に座り込む。
「……っは」
息を吐く。
血が止まらない。
クラリスが歩み寄る。
撫命による治療。
視線を落とす。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
その表情が揺れる。
だが、すぐに戻る。
「全く、無茶をする男だね」
ジャックが笑う。
「だろ?」
空を見上げる。
夜は、まだ明けていない。
「でもまあ……終わったな」
クラリスは答えない。
ただ、
崩れた跡を見つめる。
静かに。
確かめるように。
そして。
小さく呟く。
「ええ」
その声は、
わずかに低かった。
戦いは終わった。
だが――
夜はまだ、
終わっていない。




