episode40:飽和する暴食
黒霧街。崩壊しかけた街区の中央、静寂が一瞬だけ落ちた。
瓦礫の上に立つのは、一人の青年。筋骨隆々の肉体。だが腹部には、不自然に開いた巨大な口が脈打っている。呼吸に合わせて、ゆっくりと開閉するそれは、生き物のように蠢いていた。
「……ハァ」
息を吐く。蒸気のように白い。
ガット=トラクト。
七罪・暴食。
その“核”。
青年は首を鳴らす。骨が軋む音が、やけに鮮明に響いた。
「さっきの……良かったぞ」
視線がクラリスへ向く。口元が歪む。
「中、ぐちゃぐちゃになった」
腹の口が、ぐちゃりと笑うように動く。
「もっと寄越せよ」
次の瞬間。
消える。
視界から。
ジャックの目が細くなる。
「速ぇな」
背後。
気配。
振り向くより早く、拳が来る。
衝撃。
空気が爆ぜる。
ジャックの身体が吹き飛ぶ。だが、倒れない。足を滑らせながら踏みとどまる。
「……いいパンチだ」
口の端を拭う。血が滲む。
ガットが笑う。
「カタイな」
踏み込む。今度は連撃。拳、膝、蹴り。無駄がない。純粋な“戦闘”として完成されている動き。
ジャックは受ける。いなす。だが完全には捌けない。衝撃が蓄積する。
「チッ……火力だけじゃねぇのかよ」
重火器を捨てる。
代わりに、腰の装備を引き抜く。
短い駆動音。
装甲が展開する。
腕部に、機構が展開する。
「なら――殴る」
踏み込む。
拳と拳がぶつかる。
衝突。
空気が歪む。
ガットの目が、わずかに見開かれる。
「……いいな」
笑う。
さらに速くなる。
二人の間で、衝撃が連鎖する。
その外側。
クラリスは動かない。
ただ、観ている。
軌道。
呼吸。
再生の“癖”。
そして――
「やっぱり」
小さく呟く。
「あれは、“蓄積”しているね」
ガットの身体。
再生。
それは単なる回復ではない。
取り込んだもの。
喰らったもの。
すべてが、内部に“溜まっている”。
無限ではない。
限界がある。
クラリスの瞳が細まる。
「ならば――溢れさせるまでさ」
一歩。
踏み出す。
「ジャック」
短く呼ぶ。
「時間を稼いでおくれ」
ジャックが笑う。
「最初からそのつもりだ」
ガットが割り込む。
「何コソコソやってんだよ」
踏み込み。
クラリスへ。
だが、その前に。
ジャックが立つ。
拳。
真正面。
「お前の相手は俺だ」
衝突。
さらに激化する打撃戦。
ガットが吠える。
「ジャマだァ!!」
腹の口が開く。
吸引。
周囲の瓦礫が吸い込まれる。
質量が増す。
拳の威力が跳ね上がる。
ジャックが押される。
地面が抉れる。
だが、退かない。
「いいぜ……来いよ」
笑う。
完全に“壁”になる。
その間に。
クラリスが動く。
紅椿を構える。
呼吸を整える。
一瞬。
世界が静まる。
「――撫命」
斬る。
一閃。
だが浅い。
深くは入れない。
必要ない。
触れればいい。
二閃。
三閃。
刻む。
無数に。
ガットが顔を歪める。
「……また、それか」
だが、止まらない。
再生が走る。
だが。
その再生に、
“命令”が混ざる。
増えろ。
増えろ。
増えろ。
制御を失った回復。
肉が膨張する。
内側から、破裂する。
ガットの動きが鈍る。
「……あ?」
違和感。
初めての感覚。
「なんだ、これ」
腹の口が暴れる。
内部で何かが増えすぎている。
押し合っている。
崩れ始める。
クラリスが静かに言う。
「あなたは食べすぎたのさ」
さらに踏み込む。
斬る。
刻む。
撫でるように。
命を狂わせる。
「だから、溢れる」
ガットの身体が膨張する。
筋肉が裂ける。
血が噴き出す。
だが止まらない。
再生が止まらない。
増殖が止まらない。
「ガ……ァ……!?」
膝が揺れる。
初めて。
バランスが崩れる。
ジャックが笑う。
「効いてるじゃねぇか」
拳を叩き込む。
直撃。
ガットの身体が吹き飛ぶ。
転がる。
地面を抉る。
立ち上がる。
だが。
明らかに、歪んでいる。
「……チッ」
舌打ち。
だが。
笑う。
「いい」
目が、狂気に染まる。
「最高だ」
腹の口が、大きく開く。
内部が見える。
肉。
骨。
異物。
すべてが渦巻いている。
「もっと壊してくれよ」
踏み込む。
速度が上がる。
限界を超えた先。
制御を捨てた強化。
クラリスが目を細める。
「……暴走」
ジャックが構える。
「上等だ」
三つの影が、
再び衝突する。
黒霧街が、悲鳴を上げる。
戦いは、さらに加速する。




