Episode38:収束解放
夜は、まだ終わっていなかった。
黒霧街。
崩れた街区の上に、炎が揺れている。
赤。
黒。
肉。
焼ける匂いと、腐敗の臭気が混ざり合い、空気そのものが濁っていた。
その中心。
二つの“災害”が存在している。
一つは――暴食。
肉塊は膨張を続けていた。
骨が軋み、皮膚が裂け、その隙間からさらに肉が溢れ出る。
人だった輪郭は、とうに失われている。
ただ、欲だけが残った。
「ガ……ア゛ァァァ……ッ!!」
咆哮。
空気が震える。
その振動だけで、瓦礫が崩れる。
「クワセロ……タリナイ……!」
地面を這う腕。
壁を削る口。
触れたものすべてを取り込み、
己を拡張する。
終わりなき捕食。
それが――七罪・暴食。
ガット=トラクト。
もう一つは――憤怒。
炎が、静かに燃えている。
爆ぜない。
荒れない。
ただ、在る。
それだけで周囲を焼き尽くす熱量。
ヴァルカン=アッシュ。
その存在そのものが、臨界だった。
「……相変わらず、醜いな」
一瞥。
それだけで、ガットの動きが一瞬鈍る。
格が違う。
支配している。
そして。
その視線が、ゆっくりと移る。
第七分室へ。
「久しぶりだな、駄犬ども」
声は低い。
だが、確実に届く。
記憶を引きずり出す声音。
ロックは応えない。
ただ、前に立つ。
戦闘は、すでに始まっている。
リリスの弾丸が夜を裂く。
だが。
届かない。
熱に触れた瞬間、
軌道が歪み、
質量を失う。
「……消えてる!?」
弾丸は“焼失”していた。
モルトが解析を飛ばす。
「周囲の熱密度が臨界域です!
通常弾では貫通不可能!」
シャルが結界を展開する。
層。
重ねる。
干渉を分散する。
だが――
「無意味だ」
ヴァルカンが手を上げる。
炎が、収束する。
圧縮。
一点。
そして、
内側から爆ぜる。
結界が破断する。
シャルの身体が宙を舞う。
「っ……!」
ロックが動く。
鎖。
地面から。
空間から。
ヴァルカンを縛る。
だが。
燃える。
触れた瞬間、
概念ごと焼き切られる。
「その程度か」
踏み込み。
一瞬。
距離が消える。
衝撃。
ロックの身体が吹き飛ぶ。
戦線は崩壊しかけていた。
そこに――
異物が介入する。
轟音。
衝突。
ガットの肉塊が、
横から“抉られる”。
「ガァァァァァッ!?」
吹き飛ぶ。
崩れる。
そして、再構築。
その前に。
影が、落ちる。
男が一人。
瓦礫の上に立っていた。
無骨な外套。
巨大な武装。
その佇まいは、
戦場に馴染みすぎている。
「……でけぇな」
吐き捨てるように言う。
ジャック=ライナー。
視線は、ただ一つ。
ガットへ。
もう一人。
静かな足音。
焦土の上に、似つかわしくない優雅さ。
「本当に、下品」
微笑みながら、女は言う。
マダム・クラリス。
その指先が、わずかに動く。
空気が、歪む。
ガットが吠える。
「クワセロォォォ!!」
肉が波のように押し寄せる。
だが。
ジャックは動じない。
「いいぜ」
武装を構える。
「全部まとめて来い」
クラリスが横に立つ。
「処理して上げるわ」
次の瞬間。
衝突。
爆音。
肉と破壊がぶつかり合い、
戦場が、二つに割れる。
残されたのは。
ヴァルカン。
そして――第七分室。
炎が、揺れる。
「邪魔が入ったか」
興味はない。
ただ、目の前。
ロックたちのみ。
「続けるぞ」
再戦。
だが、同じではない。
リリスが撃つ。
今度は“当てない”。
散らす。
空間を乱す。
熱の流れに、歪みを生む。
モルトが叫ぶ。
「分布偏差、発生!」
シャルが展開する。
結界は“層”。
一枚ではない。
連結。
遅延。
減衰。
完全防御ではない。
だが。
“削る”。
ロックが踏み込む。
鎖は、焼かれない。
触れない。
流れを読む。
進路を塞ぐ。
逃げ場を消す。
ヴァルカンの動きが、
ほんの僅かに、遅れる。
「……ほう」
だが。
それでも足りない。
炎が、さらに圧縮される。
密度が上がる。
空間が軋む。
「足りん」
解放。
爆炎。
すべてを呑み込む。
結界が砕ける。
リリスが吹き飛ぶ。
モルトが転がる。
シャルが膝をつく。
残るのは――
ロック。
静寂。
その中心で。
黒い紋様が、脈打っている。
腕。
血管。
因子経路。
すべてが軋む。
ヴァルカンが見る。
「それか」
理解している。
危険性も。
価値も。
ロックは息を吐く。
荒い。
だが、止めない。
「……未完成だ」
小さく呟く。
「でも」
拳を握る。
「使うしかねぇだろ」
収束。
それは本来、
外へ向かう力ではない。
内へ。
一点へ。
未来を削り、
可能性を閉じ、
結果を“選ぶ”力。
それを――
逆流させる。
「――収束、解放」
世界が、歪む。
音が遅れる。
空間が沈む。
鎖は見えない。
だが、確かに存在する。
すべてを縛る“可能性”。
すべてを押し込める“結果”。
ロックが消える。
視界から。
ヴァルカンの目が開く。
「速――」
遅い。
懐。
至近。
逃げ場はない。
圧縮。
衝突ではない。
“収める”。
空間ごと、
一点へ。
叩き込む。
地面が沈む。
都市が揺れる。
衝撃が波となって広がる。
静寂。
そして。
瓦礫の中。
ヴァルカンが、立ち上がる。
血が流れている。
だが――
笑っていた。
「いい」
炎が再び燃え上がる。
より強く。
より濃く。
「それだ」
ロックの呼吸が乱れる。
負荷が大きい。
長くは持たない。
だが。
退かない。
背後に。
守るものがある限り。




