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超常のプラスミド  作者: 釣鐘銅鑼
災禍の坩堝編
39/44

Episode35:束の間の呼吸

午後。


PCPD本部。


高層階の窓から見える空は、

何事もなかったように澄んでいる。


街は動いている。


車が走り、

人が笑い、

ニュースは平常運転。


世界は、

昨日を知らない顔をしている。



■ ロック


医務室の簡易ベッド。


包帯の巻かれた腕を見つめる。


黒い紋様は、

薄く――だが確実に残っている。


指先でなぞる。


痛みはない。


熱もない。


だが、消えない。


皮膚の下に、

細い鎖が眠っているような感覚。


「……止められた」


呟きは、確認のようだった。


勝った、はずだ。


被害は最小。


理想に近い結果。


それなのに。


胸の奥に残るのは、達成感ではない。


空白。


何かを抜き取った後の、

奇妙な軽さ。


“削った”感覚。


あの瞬間。


確かに未来を潰した。


爆発する可能性。

仲間が死ぬ可能性。

街が崩れる可能性。


選ばなかった未来。


それは本当に“無くなった”のか?


それとも。


どこかに、折り畳まれただけなのか。


拳を握る。


鎖の感覚は変わっている。


締め付ける力ではない。


選ぶ力。


守るために、

切り捨てる力。


「……これでいいのか」


問いは小さい。


答えはない。


窓の外の光だけが、

静かに差し込んでいる。



■ リリス


地下射撃場。


乾いた銃声が、規則的に響く。


一発。


中央。


もう一発。


中央。


さらに一発。


中央。


完璧。


だが、彼女は眉をひそめる。


「遅い」


骸獣戦。


撃ち抜いた触手は、

再生に追いつかなかった。


支援として最適だったか?


違う。


足りなかった。


銃を下ろす。


静かな射撃場に、

硝煙の匂いが漂う。


ロックの背中が浮かぶ。


あの圧縮。


あの踏み込み。


迷いのない跳躍。


一瞬。


遠くに見えた。


「……置いていかれるのは嫌」


小さく、だがはっきり。


守られる側は、嫌いだ。


並びたい。


隣に立ちたい。


背中を見るのではなく、

同じ景色を撃ち抜きたい。


弾倉を装填する。


金属音が静寂を裂く。


「次は、もっと速く」


引き金を引く。


銃声は、さっきよりも鋭かった。



■ モルト


解析室。


モニターの光が暗い室内を照らす。


骸獣戦のログ。


急上昇。


圧縮。


ゼロ。


「……異常が、整いすぎている」


指が止まる。


通常なら、残るはずのノイズ。


歪み。


残滓。


何もない。


まるで、初めから暴走など存在しなかったかのように。


拘束型因子の変質。


可能性干渉の兆候。


理論未踏。


論文にもない。


だが、確実に起きた。


「ロックは変わり始めている」


それは進化か。


逸脱か。


均衡の破壊か。


モルトは椅子にもたれ、

天井を見る。


もし彼が、

選び続けたら。


未来は減る。


世界の幅は狭くなる。


その時、

彼は何を失う?


「……支えきれるか」


小さく息を吐く。


止めるためではない。


否定するためでもない。


理解するために、自分はいる。


彼の選択を、

数式で孤独にしない。


それが役目だ。


モニターの波形が、

わずかに揺れた気がした。


気のせいかもしれない。


だが、視線を外せなかった。



■ シャル


屋上。


風が柔らかい。


街のざわめきが、遠くで溶ける。


彼女は柵にもたれ、

空を見上げている。


骸獣の絶叫。


あの“存在の悲鳴”。


今も、耳の奥に残っている。


「救えなかった」


声は風に消える。


核に浮かんだ子どもたちの影。


幻だったかもしれない。


でも。


あれは確かに、

“助けを求めていた”。


ロックは終わらせた。


正しかった。


最善だった。


それでも。


「終わらせるしかない世界って、嫌い」


青空は広い。


優しい色をしている。


なのに。


どこか、薄い。


「次は」


彼女は目を閉じる。


「終わらせない方法、見つけたい」


祈りのように。


風が、髪を揺らした。



■ 夕暮れ


同じ部屋。


同じテーブル。


簡素な食事。


湯気が立ち上る。


戦場とは無縁の匂い。


言葉は少ない。


だが、沈黙は重くない。


ロックが口を開く。


「……悪かった」


三人が顔を上げる。


「無茶、した」


リリスが肩をすくめる。


「いつもでしょ」


モルトは淡々と。


「合理的判断でした」


シャルは微笑む。


「でも、みんな無事に帰ってきた」


その一言で、

空気が少しだけ緩む。


沈黙のあと。


ロックは、ほんのわずかに笑う。


本当に、わずかに。


「次は」


拳を握る。


黒い紋様が、

一瞬だけ濃くなる。


「もっと上手くやる」


誰も否定しない。


休息は短い。


全員が分かっている。


それでも。


今だけは。


この時間だけは。


戦いの外にいる。


窓の外で、夕日が沈む。


赤が街を染める。


その色が一瞬だけ、

黒く見えた気がした。


削られた未来のことも。


観測されていることも。


まだ、誰も知らない。


ただ。


束の間の呼吸だけが、


確かにそこにあった。


そして。


静かな世界のどこかで、


目に見えない何かが、

ほんのわずか、軋んでいた。

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