Episode31:虚像の担い手
地下施設に、異物が混じった。
音でも、光でもない。
“視界の定義”そのものが、ずれた感覚。
「――っ!なにか来ます」
最初に気づいたのは、モルトだった。
センサーも、知覚拡張も反応しない。
だが、空間の“意味”が書き換えられている。
鏡の破片。
濡れた床に映る足跡。
子どもたちの異形。
そのすべてに、“別の誰かの視線”が重なった。
「……まさか」
ロックが歯を噛み締める。
「七罪の使徒……!」
次の瞬間、砕けた鏡の一枚から、するりと一人の存在が歩み出た。
縫い合わせたような衣装。
輪郭は整っていない。
だが瞳だけは異様に澄み、空間を切り裂くような鋭さを放つ。
「久しぶり、って言えばいいかな?」
軽い口調。
だが、その存在感は、明確な“敵”。
「……ミラー=エーヴァレット」
ロックが、低く名を呼ぶ。
七罪の使徒、《嫉妬》。
他者を写し、人格を侵食する――模倣の怪物。
「全員、知ってる顔で助かるよ」
ミラーは肩をすくめ、淡々と言う。
「説明、いらないでしょ?」
「――下がれ!」
ロックが叫ぶ。
だが、ミラーは微動だにせず、視線をただ一人に向けていた。
床に膝をつき、白い部屋の幻覚に囚われたエレノア。
「……いや……また……命令が……」
「まだ、縛られてるのね」
ミラーは静かに言った。
「イグナの能力……強制催眠。
トラウマを“鍵”にした、悪趣味なやつ」
「エレノアさんから離れて!」
リリスが銃を構える。
しかし、ミラーは振り返らない。
「大丈夫。
この記憶を壊すだけ」
その指が、エレノアの額に触れた瞬間。
白い部屋が、砕けた。
消毒薬の匂い。
命令。
恐怖。
それらが一瞬にして、別の“記録”に上書きされる。
雨に濡れた夜。
カルマの腕に支えられ、生き延びた過去。
「……っ!」
エレノアが息を吸う。
「私は……操り人形じゃ……」
催眠が悲鳴を上げて崩壊した。
「はい、解除完了」
ミラーは淡々と告げる。
「トラウマは消してない。
でも――主導権は、返した」
次の瞬間。
異形化した子どもたちが、一斉に動いた。
「――来るぞ!」
ロックが前に出る。
だが、ミラーがその動きを遮る。
「下がって」
その声に、感情はない。
「これは――私の、獲物」
世界が反転する。
異形の動きが止まり、彼らの身体に浮かぶのは“誰かの顔”“誰かの記憶”。
リョウ。
マイカ。
助けたはずの子どもたち。
「……ごめんね」
ミラーが、囁く。
次の瞬間、人格の“写し”が剥がれ落ちる。
因子の暴走が内側から崩壊していく。
一体、また一体。
苦痛も悲鳴もない。
ただ存在が、静かに“喪失”する。
ロックは、歯を食いしばった。
拘束系を使う余地すら、与えられなかった。
「……終幕」
ミラーが背を向ける。
その視線は、イグナへ向いていた。
「次は、あなた」
殺意が見て取れた。
だが、イグナはわずかに笑う。
「……やはり、来ましたね。
私の“失敗作”」
床が割れ、肉と骨がせり上がる。
現れたのは――
触手を生やした獅子の怪物。
「――グレースビースト」
イグナが告げる。
「祝福因子と、調合体の融合獣です」
獣が咆哮し、触手で空間を叩き潰す。
「……っ」
ミラーが距離を取る。
「面倒なの、出してくるのね」
その隙に、イグナは後退する。
「目的は果たしましたし、いい実験結果を得られたわ」
霧のように姿を消すイグナ。
「逃げた……!」
リリスが叫ぶ。
ミラーは追わず、ただ一度、ロックを見る。
「次は、あなたたちの番。
“現実”を選ぶ番」
そう言い残し、ミラーの姿は鏡の残骸に溶けた。
残されたのは――
唸りを上げる怪物と、第七分室。
グレースビーストが地を蹴る。
「――来るぞ!」
ロックは、ナイフを構えた。
第一の地獄は終わった。
第二の地獄が、始まる。




